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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2010.2.7ホームページ更新

今回のホームページ更新は、以下のようになります:

《深森の帝國》/星巴の時空3.・・・東王ノ乱・西王ノ乱ノ章
直通アドレス:http://mimoronoteikoku.tudura.com/garden/history/europe_3.html

古代末期~中世初期の激動をどうまとめるか、ずい分悩みながらまとめてきましたが、当時は宗教付属であった学問の普及プロセスと、民族移動の動向とをからめて考察できたのは、我ながら良い設定だったかなと、ひそかに自画自賛です。

※知識不足ゆえ、資料収集の手落ちは一杯あると思います…^^;

元記事アドレス一覧

古代科学漂流の章・中世1
》ギリシャ諸都市時代~ローマ時代における科学の行方
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/337/
古代科学漂流の章・中世2
》ヘレニズム学術の東方流出
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/339/
古代科学漂流の章・中世3
》グノーシス主義についての覚書
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/341/
古代科学漂流の章・中世4
》イスラーム世界確立以前の古代中央アジア
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/344/
古代科学漂流の章・中世5
》原始キリスト教の分裂・・・ネストリオス派の破門
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/350/
古代科学漂流の章・中世6
》ゴート語の聖書・・・前篇
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/356/
古代科学漂流の章・中世7
》ゴート語の聖書・・・後篇
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/366/
古代科学漂流の章・中世8
》ササン朝ペルシャとネストリオス派・・・アジア系キリスト教の素地
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/369/
中世史折り返し雑考・前篇
》5世紀-7世紀のビザンティン帝国の憂鬱&メロヴィング朝は西洋オカルトの始祖
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/371/
中世史折り返し雑考・後篇
》いわゆる陰謀論につながる世界史の《闇》?…中世の奴隷貿易
元ブログ記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/373/

《以上》

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2009.12.27ホームページ更新

深森の帝國ホームページに、考察エッセイをひとつ追加しました。

物語ノ時空セクション/近代精神の底に…知性の勝利と霊性の敗北
=直通アドレス=[http://mimoronoteikoku.tudura.com/garden/legend/byzantine.html

>>参考記事(書籍の読書記録)

このエッセイの原形を思いついたのが1ヶ月前なので、考察の文章を練るのに1ヶ月くらいかかった訳で、何だかとんでもない難産でありました(イメージ原形までさかのぼると、2009年夏になります)。

ふと思い立って大室幹雄・著『劇場都市』を読んでみたら、その後でにわかにインスピレーションが湧いたのか、自然に文章が出てきました。

これにはとっても驚かされた…と同時に、東西の教養に広く通じておられる人の緻密な文章を読むというのは、やっぱり色々な意味で、ものすごく刺激になるのだなあ、と実感しています…^^ゞ

2009.11.14ホームページ更新

思うところあって、ホームページ全体のデザインを、シックですっきりした感じに作り変えてみました。同時に、リンク先の記事が非公開になって見れなくなっている部分をチェックし、見える方の記事にリンクし直しました。


今回のおまけは、ちょっとしたポエジーの考察です。。。

最初のきっかけは、『世界という大きな書物』(2009.10.30記事)で見かけた、シュトラウスの歌曲の謎めいた歌詞でした。もちろん外国語。外国語オンチなのに、好奇心だけはあります…orz

"Morgen"

Und morgen wird die Sonne wieder scheinen,
Und auf dem Wege, den ich gehenn werde,
Wird uns, die Glücklichen, sie wieder einen,
Inmitten dieser sonnenatmenden Erde・・・

Und zu dem Strand, dem weiten, wogenblauen,
Werden wir still und langsam niedersteigen.
Stumm warden wir uns in die Augen schauen,
Und auf uns sinkt des Glückes stummes Schweigen・・・

杉本秀太郎氏の翻訳(『伊東静雄論』1985筑摩書房166頁)によれば:

>そしてあす、太陽は再びかがやくだろう、
>そして私が辿るだろう道のうえで、
>私たちを幸福なふたりとして、ふたたびひとつにするだろう、
>太陽を呼吸しているこの大地のまっ只中で。
>そして青く波立っている広々とした海辺まで、
>ふたりはしずかにゆっくりとくだってゆこうね、
>だまって、お互いの目を見つめ合おうね、
>するとふたりのうえには、幸福の無言の静寂が沈んでくることだろう。

以上のような内容であると、上記記事に紹介されていました。うーむ。

正直、あまり風流を感じないというか、ポエジーを感じない翻訳であるように思いました。そこで、自分で翻訳してみようと、果てしなくドイツ語オンチ(英語オンチ兼)だけど、独和辞典(インターネット&ペーパー)を片手に、無謀にも、翻訳にチャレンジしてみました。

「朝」(=美月のなんちゃって翻訳=)

そして明日、太陽は再び輝く、
そしてわたしは、道を往く、
太陽は幸あれかし2人を再び1つの影にするだろう、
この太陽を浴びた地球の真ん中で・・・

そして岸辺へ、いちめん青く波立つ岸辺へ、
ひそやかにゆっくりと降りてゆき、
沈黙の中に眼差しを交わす。
そして、運命の静寂(しじま)の底に沈みゆく・・・

感性次第の「なんちゃって翻訳」ですが、自分の解釈は、『曽根崎心中』(入水)の外国版になりますでしょうか。『ロミオとジュリエット』、あるいは『ウエスト・サイド物語』、こういうものはやっぱり、古今東西で人気のある物語ジャンルですね…^^

『ウエスト・サイド物語』は直接には知らないのですが、とても有名なミュージカル作品だそうで、恩師・数学のT先生も、若い頃(独身時代)に、デートでT夫人と一緒に見に行ったかなあ…というような事を、懐かしげにおっしゃっていました(その頃は、映画の全盛期だったみたいです)。

こういう物語ジャンルを含む広いポエジーの範囲を、スーパー読書人・松岡正剛氏は、「負の文化」とか「フラジャイル」という風に定義しているようです。そして日本文化は、そういう「フラジャイル」というものを、とても大事にしてきたのだ…と言っているのを、何らかの本の中で読みました(題名はど忘れです。でも、「フラジャイル」という名前の本もあったと思います)。

日本文化が何故そんな風に発達したのかというと、やっぱり天変地異の多さとか、季節の移り変わりの鮮やかさが、そうさせたのではなかろうか、と思うところなのであります。

2009.11.17追記:マルコ=アムゼルさまより、Morgen(朝)とmorgen(明日)と云う風に、ドイツ語ではニュアンスが異なる事を教えていただきました。ありがとうございます(早速、拙訳を修正しました)^^


FriendFeedコメントより転載

<そして朝、太陽は再び輝く>は、やはり<そして明日、・・・>のほうがいいと思います。ドイツ語は、Morgenと大文字ではじまると「朝」、morgenと小文字ではじまると「明日」と使い分けるからです。 - 丸山光三
《返信》そうなんですか!大文字と小文字で意味合いが変化するなんて、初耳です。ドイツ語は難しい言葉ですね。日が昇るのを見るほうの、夜明けの意味だと思っていました…;^^ゞ