忍者ブログ
〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6

数学の歴史の一コマ、西欧中世を席巻した"数のゲーム"「リトモマキア」について…チェスと同じくらい流行していたのですが、廃れてしまったという話。

用意するのは8×16のマス目があるボード。

チェスと同じように、2人のプレイヤー「奇数プレイヤー」「偶数プレイヤー」がボードを挟んで対戦します。各プレイヤーは、24個の駒を持ちます。

*****

★セットアップ

「奇数プレイヤー」が持つ24駒(黒い駒、x)

円形の駒(4個)[3]、[5]、[7]、[9]――[駒ナンバー]=x(※1~9のうち奇数)
円形の駒(4個)[9]、[25]、[49]、[81]――[駒ナンバー]=x2
三角形駒(4個)[12]、[30]、[56]、[90]――[駒ナンバー]=x(x+1)
三角形駒(4個)[16]、[36]、[64]、[100]――[駒ナンバー]=(x+1)2
正方形駒(4個)[28]、[66]、[120]、[※190]――[駒ナンバー]=(x+1)(2x+1)
正方形駒(4個)[49]、[121]、[225]、[361]――[駒ナンバー]=(2x+1)2

※特別数:190=82+72+62+52+42

【奇数プレイヤー(プレイヤー視点から見た盤面)】

↑対戦相手(偶数プレイヤー)の方向↑

●9 ●7 ●5 ●3
▲100 ▲90 ●81 ●49 ●25 ●9 ▲12 ▲16
190 ■120 ▲64 ▲56 ▲30 ▲36 ■66 ■28
■361 ■225 ■121 ■49

※特別数「190」はピラミッドを模した駒になっている事があるようです

-------------------

「偶数プレイヤー」が持つ24駒(白い駒、y)

円形の駒(4個)[2]、[4]、[6]、[8]――[駒ナンバー]=y(※1~9のうち偶数)
円形の駒(4個)[4]、[16]、[36]、[64]――[駒ナンバー]=y2
三角形駒(4個)[6]、[20]、[42]、[72]――[駒ナンバー]=y(y+1)
三角形駒(4個)[9]、[25]、[49]、[81]――[駒ナンバー]=(y+1)2
正方形駒(4個)[15]、[45]、[※91]、[153]――[駒ナンバー]=(y+1)(2y+1)
正方形駒(4個)[25]、[81]、[169]、[289]――[駒ナンバー]=(2y+1)2

※特別数:91=62+52+42+32+22+12

【偶数プレイヤー(プレイヤー視点から見た盤面)】

↑対戦相手(奇数プレイヤー)の方向↑

○8 ○6 ○4 ○2
△81 △72 ○64 ○36 ○16 ○4 △6 △9
□153 91 △49 △42 △20 △25 □45 □15
□289 □169 □81 □25

※特別数「91」はピラミッドを模した駒になっている事があるようです

*****

【ゲームのルール】

  • 円形の駒(○、●)はマス目を1つ移動
  • 三角形駒(△、▲)はマス目を2つ移動※
  • 正方形駒(□、■)はマス目を3つ移動※

※昔の数え方では、現在のマス目を1つ目として数えた。なので、昔の言い方で言うと△▲は3マスを動き、□■は4マスを動く

@「遭遇/捕獲」…動けるマスの範囲内に相手の駒があり、同じ数字が書かれていた場合、自分の駒は相手の駒を取って、その位置に移動できる

@「突撃」…小さな数が大きな数を取る。
「自分の駒ナンバー」×「間にある空白のマス目の数」=「相手の駒ナンバー」の時、捕獲できる。この場合、移動できるスペース数に限界は無い
(例:[●9]×9コマ移動で、[□81]を取れる)

@「待ち伏せ」…小さな数の駒を2つ配置して、大きな数の駒の「遭遇・突撃」を防ぐことができる
(例:[●3][○8]の並びの所へ、待ち伏せしていた[●5]が1スペース動いて、全体で[●3][○8][●5]と並んだ場合→●3+●5(総合8)=○8となり、○8を取れる)

@「攻囲」…敵の駒に前後左右のスペースを塞がれた場合、自分の駒は死ぬ
小回りの利く[○2]、[●3]、[○4]、[●5]、[○6]、[●7]、数合わせの難しい[□153]、特別数[■190]は、「攻囲」方法でしか取れない。
同じく特別数[□91]も取りにくい駒で、「攻囲」または「待ち伏せ[●25]+[■66](総合91)」という方法でしか取れない。

【勝利判定は、現代から見るとかなり変わっていた】

例:勝利条件=「スコア160、捕獲駒5、桁数9」の場合
⇒奇数プレイヤーから奪うべき駒リスト=●5、●25、▲30、▲36、▲64
⇒偶数プレイヤーから奪うべき駒リスト=○2、○16、○36、△42、○64

ツウの人が「素晴らしい勝利!」とした駒並びの例
…勝負判定タイミングで、盤上で以下のようなナンバー並びになり、なおかつ「負け」側の駒が動けない

  • 2-3-4-6(4/2=6/3、等比の組)
  • 3-5-15-25(15/3=25/5、等比の組)
  • 4-6-8-12(8/4=12/6、等比の組)
  • 5-9-45-81(45/5=81/9、等比の組)
  • 5-25-45-225(45/5=225/25、等比の組)
  • 6-8-9-12(9/6=12/8、等比の組)
  • 12-15-16-20(16/12=20/15、等比の組)

勝利条件が変わるたびに数の組み合わせが一変するので、チェスと同じような「定石を記憶する」という備えは、難しいそうです。

*****

★参考論文(PDFファイル)http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81001248.pdf
『リトモマキア:中世西欧の数学ゲーム』三浦伸夫,著(2002年3月)@国際文化学研究:神戸大学国際文化学部紀要,17:113*-143*

★iPhoneアプリ「リトモマキア(Rithmomachia)」、英語版、有料ゲーム
https://itunes.apple.com/jp/app/rithmomachia/id544328265

★参考書籍『数秘術大全』(青土社2010年)アンダーウッド・ダッドリー,著(アメリカ数学者)/森夏樹,訳

〈訳者あとがきより抜粋&引用〉…著者のダッドリーは数学者でありながら、というべきか数学者としての使命感のためなのだろうか、30年以上にわたって数秘術の研究を続けて来た。 ここではピュタゴラスに始まる数の神秘主義から、数秘術と呼ばれる数多くのジャンルまで、人間が数に託したあらゆる夢の数々が語られている。そしてダッドリーは次のような感想を抱いた。「数や数字には確かに力がある。が、その力は世間の出来事や人間の運命に影響を及ぼすものではなく、あくまでも人間の心に影響を与えるに過ぎない」

PR

『歴史と民俗のあいだ―海と都市の視点から』宮田登・著1996年(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー2)

【地震鯰の発想・鯰と世界蛇】

鯰は淡水魚の一種であり、インドネシアから中国を経て日本列島に及ぶ地帯に生息している。鯰の独特の風貌が擬人化されて鯰男のイメージとなったのは日本の庶民の間であり、地震鯰の発想は、日本の民俗文化の一つの特徴と言えるかも知れない。

地震鯰は地域性が強いが、世界蛇の方はより普遍的である。これはイランからアッサム、ビルマ更にインドネシアの島々に分布しており、その中心はインドとその影響を受けた東南アジア地域である。大地の底に竜蛇が居ると言う神話は、インドでは竜蛇がぐるりと世界を取り巻いていると言う考え方になっている。

【鯰と巨人】

行基式と称される古地図は、列島のイメージを鯰あるいは鯨に似せているものであり、地震鯰ではなく地震鯨と言っても良い。重要な事は、この巨魚を巨人が石か剣で押さえていると言う考えである。

鹿島明神は建御雷命であり、高天原から降臨して国土を鎮めた功績により、東国の境界に守護神として鎮座した。特に北方に向かって聳立する巨人の面影がある。この大神が油断して要石を抑える力が緩むと、大地震が起きると言うモチーフは、阿蘇山の神話にもうかがえる。

阿蘇の大神は建磐竜命(たけいわたつのみこと)である。この神はかつて天皇の命により阿蘇に入った。外輪山から見ると、そこは巨大な湖である。そこで大神は外輪山の蹴破れそうな場所を探してそこを蹴破り、湖水の水を放出した。湖の主であった大鯰は流出して、麓の一の宮町に留まったと言う。大鯰が住む川を黒川と言い、別称鯰川とも言う。この鯰は大神の眷属であるから食べてはいけないと言われている。

また、巨大な鯰で尾が分かれて六ヶ村に渡っていたとか、若宮神社のご神体が洪水で流されたが鯰によって助けられて戻って来たと言う伝説もある。また大神によって大鯰が殺され、その死体は湖水と共に黒川を流れ落ち、辿り付いた土地の名を鯰と言ったり、大鯰の身体が六荷もあったので、その地を六嘉と命名したと言う地名伝説もある。

要するに、阿蘇大神は巨人であり、踏ん張って押さえていた大地を蹴破った事により、湖水の底の大鯰が暴れた事になる。鯰以前に、単に大魚が湖底に臥していたという伝説があり、大魚は大神の国土建設以前の地主神とする考え方もある。

阿蘇山頂には「神霊之地」があり、『続日本後記』承和7(840)年9月の条にも記載されている。天下に異変ある時には、この地に対して朝廷からの祈祷があり、奉幣が行なわれていたと伝えている。

阿蘇山の神話を、大地を支える巨人の変形したモチーフと見なすならば、これはむしろ、朝鮮半島に多く類話が見られるものである。ここでは抑え込んでいる筈の竜蛇や大魚の影が薄くなっている。阿蘇では、大鯰が暴れる伝承が途絶えているが、大神の眷属として守護霊に化して、現在まで伝承されているのである。

福岡県筑紫野市には、鯰の形をした3個の大石があって、これを「鯰石」と称していた。この石は、かつて菅原道真が鍬柄(すきえ)川の鯰を斬り殺したのが石に化した物と言い、大旱が続いた時、この石を酒で洗って祈ると雨乞いに霊験があると伝えている。ところが明治6(1873)年に雨乞いをした時、この石を焚いてしまった。それ以後、石が裂けてしまい、鯰がそこから多く発生して来たと言う話もある。

【物言う魚】

大鯰が水界の魚王で、危険が迫った時にそれを回避しようとして、人間たちにメッセージを送る。しかし人間はそれを十分に受け止めないままに、自然界の破局が起こると言う、共通したモチーフを持つ説話群がある。

大鯰以外にも、ウナギ・イワナ・コイ・サンショウウオなどもあって、魚類と人間の交流の在り方が、まず考えられていたのである。魚たちの住処が人間の侵犯行為によって破壊されると言うところから、「物言う魚」の存在がクローズアップしている。その事は、天変地異と言う出来事が、人間に対する天譴であるとする原初的心意に基づいている事を示唆している。

大魚はいずれも水界の主であり、その支配する自然界が人間によって浸食される事を未然に防ごうとして失敗した。その恨みから大洪水・大津波を起こすと言う結末に至っている。こういう、「物言う魚」型の鯰の伝説が、まず挙げられる。

【鯰を食べない伝説】

資料:淀姫(與止日女)神社の縁起

淀姫さんの氏子にはなまずを食うてはならぬという掟があり、食えば腹が痛むといわれている。
その昔、川上川には魚もたくさんいたが「かなわ」といって、まむしが年を経て変化したという怪物がいた。夜更けになって官人橋を渡ると、この「かなわ」に襲われて死んでしまうので、土地の人はこの得体の知れない怪物に恐れおののいていた。
ある夜、2人連れの親子が舟に乗って川魚をとり始めたが、思いもよらぬ大漁なので、時のたつのも忘れて夢中で漁をしていた。ところが突然火の玉のようなものが舟へ近づいてくる。あっ、これが日ごろ聞いていた「かなわ」だと思った途端、2人ともびっくり仰天して気絶してしまった。
それからどのくらいたったか、ふと気づいて辺りを見ると川岸に30cm余りの大なまずが死んでいた。恐ろしく腹がふくれているので、2人は恐る恐るなまずの腹を切り開いてみると、まさしく「かなわ」をのみ込んでいた。
さては、このなまずが危ないところを助けてくれたのかと感涙にむせび、このことを村人に告げ、ねんごろに葬ったうえ、今後はどんなことがあっても決してなまずを捕らない、なまずは食わないと淀姫神社に固い誓いを立てたという。
また、なまずは淀姫さんのつかい(従者)だから食わないという伝えもある。/出典:大和町史P.663(佐賀県佐賀市)
淀姫神社は、県社河上神社で与止日女という女神を祭神とする古社である。縁起によると、神功皇后が半島に進出の折に海神を祀り、航海の安全と勝利を祈った。神功皇后の妹に当たる与止日女命は磯童と共に竜宮に到って満珠干珠をもたらした。満珠は青、干珠は白であって、この二つの宝珠は風雨を起こす力がある。戦いの際、これにより敵船を覆した。凱旋した後は川上にある神社に納めたと伝えられている。しかし、その神社は何処にあるのか判明しなかった。ところが与止日女命が磯童と共に竜宮に到る際に乗って行ったのは海神の使と称する大鯰である。その後、鯰は淀姫さんの眷属であり御使であると言うようになった。それでこの鯰を捕らえて食べるような事があれば、海神の怒りが立ちどころに起こり身体が鯰のように膨らんでしまうとか、腹痛を起こすと言われている(北九州市在住の江藤徹氏の調査資料による)。

この言い伝えは現在までも残っていて、川上神社の氏子たちは鯰を食べない。鯰が神使であり、祭神の眷属として指令に扱われている。これは指令型と言うべき鯰伝説である。ちょうど稲荷神社が狐を、春日神社が鹿を指令としているのと同様である。

【鯰と異変の予兆】

この淀姫と鯰との関係には、神と神使というモチーフがあり、巨人が抑え込む鯰では無くなっている。しかし、なお断片的ではあるが、鯰による異変の予兆があり、鯰の出現を海の彼方と結び付ける思考が語られていたと言えるだろう。このような「物言う魚」としては、鰻(ウナギ)と鯰(ナマズ)、岩魚などが古来より知られていた。

大魚を捕らえて担いで帰る途中、魚が声を発するので慌てて水中に戻したと言う。もし、そのまま魚を持ち帰ると、大雨になったり、洪水や津波が起きると言う。大魚は人間に化けてこちらの世界に危険を告げようと働きかけているのである。人間の方でその事を解読できかねて、遂に災厄をこうむる羽目になるという伝説が多い。沖縄のヨナタマという人魚は海神の変化であり、ヨナタマが人語をささやいたのを聞き取った母子だけが、一村全滅の危機から救われたと言う話は良く知られている。こうした「物言う魚」が、福岡県や佐賀県下では大鯰に表現されているのである。

滋賀県の琵琶湖の主は鯰である。『竹生島縁起』には、かつて水底に潜んでいた竜蛇が島を七巡り囲んでいたが、それが大鯰に変化した事を記している。湖底の鯰たちは八月十五夜に砂浜に出現して踊ると言われ、特に国土に異変が生ずる時には大群となって出現すると言われている。

このように大鯰が擬人化され、道化役にされやすいのは、鯰の異相によるところが大きいが、それとは別に海神や竜神の変化であり、かつ水界の主であって、神の託宣や予言を伝えるという信仰もある。やはり、それを身近に見ている人々の鯰に対する想像力の帰結するところと言えるだろう。

列島や国土を囲繞しているというのは竜蛇のイメージによるものだが、それが大魚のうちでも、とりわけ鯰へと収斂したのは、やはり幾つかの要件が重なった事は明らかであろう。

【海の彼方からのシグナル】

この問題を海からの視点で捉え直してみると、どうなるだろうか。

黒潮の起点に近いフィリピンのミンダナオ島のマノボ族の神話によると、彼らの先祖はマカリドンという巨人であった。彼は1本の天柱を中心に立て、その傍に数本の柱を立てた。そして自分は中心の柱の所に住み、1匹の大蛇を伴っていた。もし彼が柱を揺すると、大地震が起き、世界は崩壊すると言う。

更にミンダナオ島のマンダヤ族の神話では、大魚は鯰であり、大地はこの巨大な鯰の背中に乗っている。そしてこの鯰が身動きすると地震が起こると言うのである(大林太良『神話の話』)。

明らかにフィリピン南部のミンダナオ諸島の神話の巨人と、黒潮の北限に当たる鹿島大神とが、鯰・竜蛇と言う同工異曲のモチーフを伴っている事に気付かれる。これはまた伊勢神宮の心御柱の地底に竜神が祀られていると言う伝説との共通性も示唆している。

鹿島大神が用いる要石は、大きな柱の先端部であり、その柱が地底奥深く突き刺さっている故に大地は安定している。時折それが大鯰によって揺るがされると言う太平洋沿岸部の伝承に対し、黒潮が対馬海流となっている五島列島、対馬海峡そして北九州の日本海に面した地帯では、先述した福岡・佐賀の淀姫神社の伝説があって、そのモチーフは熊本や香川の方にも及んでいる。この場合の淀姫は、海の女神であって、巫女信仰との結び付きがあった。一方、大魚による天下異変の予兆がうたわれており、これは海の彼方からの特別なシグナルを読み取ろうとした想像力として共通していると言えるだろう。


《管理人コメント》

海洋(黒潮)系の渡来人が持ち寄った神話群と、大陸系の渡来人が持ち寄った神話群との交錯が、大いにあったのだろうという事が想像できます

地図の上で見ると、昔は「熊襲」と呼ばれた九州南部~中央部で、神話ストーリーの流れがほぼ直交している…と言うところが、より興味深く思われました。特にバトル系統の神話が語られた阿蘇山の周辺は、昔から物流の道が開かれており、住み着くに良い豊かな地域だったのでしょう。ヤマト王権の祖をはじめ、数多の古代移民が殺到した事が想像されます。或いは、火山噴火を含む天災の記憶が、このようなストーリーを作り上げた可能性もありますが…

ヤマト王権の東進と共に、大陸系神話も海洋系神話も東進し、そのとりあえずの最終地点が、鹿島エリアでありました。鹿島神話の、均衡を保ちながらも危うい緊張をはらんで語られる内容は、日本列島における大陸系と海洋系の、緊張をはらんだ混血の有様でもあろうと思います

太平洋沿岸に広がった神話ストーリーと、日本海側に広がった神話ストーリーを比較すると、大陸系神話の影響が強くなると巨人の存在がクローズアップし、海洋系神話の影響が強くなると地震鯰や大魚(竜蛇)の存在がクローズアップする、そういう傾向を見て取ることができます

「淀姫」という存在が、神話の交錯の中から生み出されてきた物だとすれば、「淀姫」はある意味、最初に大陸系と海洋系の相克に見舞われた、九州の歴史と知が生み出した物と言えるかも知れません

九州の王朝から見た視点の記録が残っていれば…と、この辺は、歴史の記憶の消失を、惜しく思います

《研究:中華経済の近代史(中篇)から続く》

《20世紀の中華経済…旧弊社会構造の打破&国民経済の建設》

上海バブルの時代、大量に流通した中央銀行券は、各地方の工業生産の国内回帰とシンクロしつつ、各地方の財源と中央財源とを、強力に連結しました。

しかし戦乱の疲弊から回復した西洋列強は再び金本位制に復帰し、為替レートが逆転しました。銀価は再び下落します(政府銀は下落、民間銭は上昇)。

これは、中国の工業・製造業にとっては生産コスト割れを意味しました。

中央政府にとっては、余剰財源の収縮によって貨幣の信用が目減りし(=つまり以前に比べて、相対的に大きな金額で信用を保証しなければならない)、借金返済で苦しくなるという事態をもたらしました。

打開策として、関税自主権の回復が主張されましたが、このためには列強と渡り合うための強力な中央政府機関を必要としました。袁世凱の死後、軍閥抗争のさなかにあって、北京政府は弱体化する一方であり、これに代わって勢力を伸ばしたのが、蒋介石の南京国民政府でした。

国民革命を標榜した南京国民政府は、経済界の期待に応え、関税自主権を回復(北伐1926~1928、北京政府を打倒し全国統一)。その後の世界大恐慌(1929)の影響で強力なデフレに見舞われましたが、中央政府は銀を国有化して一元的管理紙幣「法幣」を発行、これを地方政府に買い取らせ、その一方、兌換に関わる金銭管理を厳格に運用する事で為替レートを安定化させ、財政を立て直しました。

しかし、この動きは国民経済の確立に結びつく物ではありませんでした。国共内戦(1927~1937)や日中戦争(1937~1945)は、大陸的な視野から見れば、地方軍閥割拠、および軍閥抗争の延長線上にあったと言えます。

日本は満洲国を中心にして長江流域の経済圏を分断しましたが、重慶に立て篭もった南京国民政府を打倒できず、分捕った利権の再構築(=経済的統合)も成し得ないままに終わりました(1945年、日中戦争の終了)。

第2次世界大戦においても戦勝国となった南京国民政府でしたが、分断された長江流域の経済圏の統合という課題が残されました。南京国民政府は有効な政策を打ち出せず、更に、地方軍閥割拠の延長として、国共内戦が再開します(1946~1950)。

全国統一を成し遂げたのは、毛沢東・周恩来が率いる国民共産党(中華人民共和国)です。

南京国民政府の中央集権化プロジェクトを、共産党政府は引き継ぎました。それは、20世紀半ばにおける時代上の要請ともあいまって、旧来の伝統、すなわち「官/民」における激しい経済格差や、身分差をもって成る旧来の社会構造への挑戦ともなりました。

共産党政府による「大躍進政策(1958~1961,経済振興政策の一種?)」や「文化大革命(1966~1976)」は余りにも有名ですが、その「革命的意義」は、2点に絞る事ができます。

【土地革命】・・・階級闘争を通じて地主を打倒、土地の再分配を実施して貧富の格差を解消すると共に、地域の利権構造に介入して「官/民」権力構造を打破し、再編を促す。底辺の庶民社会への中央権力の浸透を図る。

【通貨統一】・・・南京政府は莫大な財政赤字を計上しており、ハイパーインフレをもたらしていた。いったんは押さえ込んだが、朝鮮戦争(1950~1953)が始まると再びインフレが始まったため、三反五反運動などを通じて物資・金融の両面で管理統制を強化し、新通貨「人民幣」の安定運用にもちこむ。

共産党政府が通貨統一に成功したのは、冷戦構造の産物とも言えるでしょう。

社会主義陣営に属した事で、資本主義諸国の経済的影響が低下しました。固定相場制を採用し、結果としてグローバル経済から切り離され、大陸内部で完結する、いわば「近代版・中華人民の経済圏」を現出したのです。

《21世紀の中華経済に関する私見》

共産党政府による経済統一プロセスは、明帝国の初期の頃に似ています。

そして文化大革命後の経済を立て直すため、鄧小平を中心として実施された「改革開放(市場経済への移行)」という経済政策(1978~)があり、これは現在も続行中ですが、結果として、官僚汚職の深刻化や著しい経済格差を招いている様子を見ると、戦前の地方分立の状況へと、時代的には逆行していると言えなくもありません。

習近平は、袁世凱よろしく自らの帝政の宣言はしていませんが、自らの権力基盤を確立しつつも、「反腐敗運動(2012~)」を演出するなど、世論や民心の掌握に長けている事は確かなようです。当座のところは、「袁世凱よりも有能な、中央集権化プロジェクトの立役者にして支配者」という評価ができるかも知れません。

「反腐敗運動」は、かつて朝鮮戦争がもたらした急なインフレを抑えるための「三反五反運動1951~1953」の焼き直しと言えなくもありません。「三反五反」の結果、強烈な国家統制経済が確立しています。「反腐敗運動」にも、類似の結果をもたらす作用があると推察する事はできます。

では社会格差や身分格差は、と言うと、これはかつての「官/民」の格差を打破したにも関わらず、結局は、「高位の共産党員/底辺の共産党員&民」という風に、支配者層の名前を書き換えただけのレベルに留まっているようです。

従来と異なるのは、情報テクノロジー革命の影響が、プラス・マイナスのいずれにせよ、これまでは考えられなかった程の広い社会階層に及んでいるという事です。これは、20世紀から21世紀に至るまでの科学文明の急進がもたらした、「新たな事態」と言う事が出来るかもしれません。

共産党政府は、情報統制に力を入れると共に、サイバー戦テクノロジーを発達させています。

目下「万里の長城」よろしく「量の問題」レベルであり、そこで「質への転換(パラダイム・シフト)が生じるか」は、まだ未知数です。民間社会における世界認識が、旧来の中華思想を基盤とする内容に留まっている状況を見ると、習近平をはじめとする支配者層およびテクノクラート層の頭脳次第であるように思えます。

それに比べれば、進行中の「反腐敗運動」と言う名の権力闘争は、歴史の中で何度も繰り返されていた闘争スタイルであり、影響の度合いによっては、枝葉末節でしか無いと言えます。

従来、その枝葉末節の「量」が余りにも多い事が、伝統的に「質への転換」を不可能とさせて来た要因の一つであり続けた事は、確かです(他にも様々な要因があると思いますが、「中華」に余り詳しく無いので、この点のみです)。

コンピュータの演算能力の増大は、この状況に変化をもたらすのでしょうか?(大室幹雄氏の指摘する『桃園の夢想』という「認識の壁」を、超えられるのでしょうか)

…という疑問で、研究の記録をしめくくらせて頂くものであります。

カレンダー
05 2017/06 07
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16
18 19 20 21 22 23 24
25 27 28 29 30
プロフィール
HN:
ミモロン
性別:
非公開
自己紹介:
ツイッター=徒然草
漫画ハック=コミック物語の公開中

☆連絡用メールアドレスが初期の物から変わっていますので、連絡にはメールフォームをお使い下さい
フリーエリア
ブログ内検索
バーコード
NINJA TOOLS
カウンター
忍者ブログ [PR]