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〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)
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『テロと救済の原理主義』小川忠・著(新潮選書2007)

2001年の同時多発テロ事件は、全世界における反イスラーム感情を決定的にした。

イタリア・ベルルスコーニ首相(当時)はドイツ・シュレーダー首相(当時)と会った後、次のように語った:

我々は人権と宗教の尊重を保障する価値体系からなる我々の文明の卓越性について意識的であるべきだ。こうした意識はイスラーム諸国には確実に存在しない

一方、9.11テロ以前から欧米による歪んだイスラーム理解を告発してきた中東出身の思想家エドワード・サイードは次のように論じる:

『イスラーム報道(1981出版)』より
欧米メディアは簡単に"イスラーム"と一括りにするが、イスラームを一枚岩的に捉えるのは間違いである。"イスラーム"という言葉が欧米メディアで使われる時、そこにはフィクション、イデオロギー上のレッテル貼りという要素が含意されている。欧米が語る"イスラーム"と、実際にアジア・アフリカで暮らす8億以上の民衆、多様な歴史、地理、文化、価値を担うイスラーム世界とは、真に意味のある直接的な繋がりは何も無い

◆イスラーム原理主義を生んだカリスマ思想家:サイイド・クトゥブ

サイイド・クトゥブ(1906-1966絞首刑により死)は、今日、スンナ派イスラームの「原理主義の父」と呼ばれる。彼の生み出した思想は、多くの若者たちをテロ活動に走らせたのみならず、クトゥブの存在そのものも、自爆テロをも辞さぬ若者たちにとってのカリスマ殉教者となっている。

実際、武力行使も辞さない急進的なイスラーム主義思想には、今なお「クトゥブ主義」という名が冠されている。それ程に彼の思想は、スンナ派イスラームにおいて、急進勢力の思想的バックボーンとなっているのである。9.11テロの首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンもまた、クトゥブ思想に染まった一人であった。

「9.11調査委員会」は、次のようにクトゥブ思想の根幹を成すテーマを要約した:

イスラーム教徒を含めて、ますます多くの人間が「ジャーヒリーヤ」の物質的享楽の道に搦め取られ、「ジャーヒリーヤ」は世界を支配しようとしている。サタン、すなわち「ジャーヒリーヤ」に対して妥協の余地は無く、全てのイスラーム教徒は武器を取って戦いに立ち上がるべきである。この神聖な戦いに加わろうとしないイスラーム教徒は、「ジャーヒリーヤ」に与する者であるゆえ、彼らもまた打倒されなければならない。

オサマ・ビン・ラディンは、このテーマの中から、クトゥブ自身が語りすらしなかった大量殺人の論理を正当化する要素を引き出したと言われている。

◆サイイド・クトゥブを生んだエジプト、その時代背景

エジプトは古くからイスラーム圏における指導者的大国としての地位を保持し続けており、その最高権力者であったナセル(1918-1970/1958年、エジプトとシリアから成るアラブ連合共和国を建国してその初代大統領に就任)やサーダート(1918-1981/共和政エジプト第3代大統領,第2代アラブ連合共和国大統領,初代エジプト・アラブ共和国大統領)は、アラブ世界の盟主として、英米やイスラエルと渡り合った。

エジプトのアズハル学院は、970年に設立された世界最古の大学として知られており、中東のみならず南アジア、東南アジアからもイスラーム学を学ぶために多くの留学生がやって来る。そして彼らは帰国後、母国のイスラーム指導者として活躍している(例:インドネシア、アブドゥルラフマン・ワヒッド元大統領)。エジプトはアラブ世界、イスラーム世界の学術・文化の中心であるが故に、近代欧米との接触・摩擦においても、他のイスラーム諸国に先駆けて、その矛盾や葛藤を自らの内部に抱え込んで、苦しむ事になった。

クトゥブが生きた時代、エジプトは英国植民地支配から名実共に独立し、世俗民族主義による国民国家が樹立された時代であった。長らくエジプトに君臨してきた王制も廃止された。近代化への期待は高まったが、やがてその期待は、エジプト政治の汚職や腐敗と共に、失望と幻滅へと変わって行った。

1918年、第一次世界大戦が終わり、民族自決の機運が高まった。その1年後、10歳のクトゥブは、父親のカイロ移住に伴い家族と共に移動し、カイロで中等・高等教育を受ける事になった。そこでの教育は、かつての伝統的なものでは無く、近代的価値・合理性を教える近代教育機関であった。

クトゥブは、もっぱら英文学に傾倒し、後には、西洋文明、個人主義、リベラリズム、近代主義に関する論考を残した。同時に、エジプト独立を志向する穏健派民族主義政党・ワフド党の党員であった(=すなわち、世俗民族主義者であった)。長じてクトゥブは1940年代のエジプトの論壇で名声を博し始めたが、同時に、英国植民地支配下エジプトの傀儡政府の無能・腐敗に対する舌鋒は鋭かった。

1948年、クトゥブは大きな転機を迎える。彼の舌鋒をもてあました政府(文部省)が、近代教育制度の習得の名目で、クトゥブを米国に留学させたのである。クトゥブは親米知識人としての成長を期待されていたのだが、結果は逆となった。クトゥブは西洋文明に対する激しい疑義を抱き始めた。

クトゥブにショックを与えたのは、アメリカ社会における「物質主義」「人種差別」「性の乱れ」であった。クトゥブはこれらの欠点を、西洋近代がもたらした政教分離の弊害と理解した。

キリスト教世界では、教会は信仰の場とされる。ところが米国の教会には全て揃っているが、信仰だけが無い。単なる娯楽施設と何処が違うのか。せいぜいのところ、アメリカ人は教会を楽しい時間を過ごす集いの場、社交の場程度にしか考えていないのだ。これは一般大衆に限った事では無い。教会と聖職者さえもそう考えているのだ。/『私が見たアメリカ』
我々自身の法の源をフランス法に求めるべきでは無いし、社会秩序の源を西洋や共産主義の理想に求めるべきでは無い。まず最初に我々が成すべきは、我々のイスラーム法にそれを求めるべきである。何故ならイスラーム法こそ、我らが原初社会の礎であったからだ。/『イスラームにおける社会正義』

クトゥブは、イスラーム法は近代的な社会を統治する機能を十分に備えていると語り、イスラームの優位性に自信が持てない、西洋に対する劣等感に縛られた同胞たちに向かって、イスラームの優位性を高らかに宣言したのであった。いわゆるイスラーム原理主義は、欧米的・近代的価値体系を吸収した、その中から発生したのである。

イスラームに傾斜してエジプトに帰国したクトゥブは、ますます欧化政策を進めるエジプト政府に見切りをつけ、イスラーム原理による社会建設を進める「ムスリム同胞団」に入団した。当時のエジプト政府は、政府方針に従わぬ「ムスリム同胞団」を反政府集団として、その創設者を暗殺していた。その「ムスリム同胞団」は、1952年にエジプト政府を打倒した「自由将校団」を率いるアラブ民族主義者・ナセルと友好関係を築いていた。

アラブ民族主義の英雄ナセルは、その後、1953年に王制を廃止、革命評議会を作り、1956年に大統領に就任する。ナセル大統領は、スエズ運河を国有化し、第二次中東戦争での政治的勝利をもって英国からの完全独立を果たし、エジプト・アラブ世界のリーダーとなった。

ナセルは軍人であり、確固たる世俗主義ナショナリストであった。宗教といえども国家に服従するべきと言う信念の持ち主であった。権力獲得のために同盟関係を結んだ「ムスリム同胞団」を、必要が無くなれば切り捨てる事を、ナセルは躊躇しなかった。1954年「ムスリム同胞団」は非合法化され、メンバーは過酷な弾圧を受ける。

「ムスリム同胞団」の有力者サイイド・クトゥブも逮捕され、15年の強制労働という重刑を受けた。1955年、刑務所内で多くの同胞団員が虐殺される事件が発生し、クトゥブは世俗国家権力への憎悪を募らせて行く。イスラーム原理主義の基本となるクトゥブ思想の、多くの著作は、獄中で書かれた物である。

その後、クトゥブは監視付きで一度は釈放されたものの、1964年、武装集団による非合法的国家転覆の容疑で再び逮捕され、1966年に絞首刑に処された。

クトゥブ思想は、「イスラームの大義から外れた政権は打倒されなければならない」と主張しており、エジプト政府は、その内容の危険性を恐れたのである。他のイスラーム諸国から助命嘆願が出ていたにも関わらず、クトゥブを抹殺すればその思想も消えるとエジプト政府は期待していた。

しかし、クトゥブ処刑の後、その非人道性に憤激した若者たちが、後年のジハード団やアルカイダを組織した。エジプト政府の期待とは裏腹に、クトゥブ思想に基づく急進的イスラーム原理主義は、その二世・三世を生み、拡大の様相を見せたのである。

◆クトゥブの代表的著作『道標』

ジャーヒリーヤ(無明の闇)に覆われ、終末の危機を迎えた世界の中で、人類を救済するための、イスラーム革命の先陣を切る「前衛」たちに示す"道標"として書かれた物と言える。過激派原理主義の特質、すなわち「終末観的世界認識と救済思想」の条件を満たす内容である。

以下、『道標』に書かれた各種の主張:

人類が危機に瀕しているのは、(核戦争による)全滅の時が迫っているからでは無い。それは単なる兆候に過ぎず、本当の危機は、実際の進歩のために必要な根本的な価値を見失っている事なのだ。人類文明の先端を行く筈の西洋社会でさえも、人類を導く健全な価値観を提起する事が出来ず、混迷を深め、没落の道を歩んでいる。

今求められているのは、新しい指導力だ。人類が未だ発見しえていない高い理想と価値を人類に与えてくれる指導力。積極的、建設的かつ実用的な生活様式を人類に示す指導力。まさしくイスラームのみが、そうした価値、生活様式を提示しうる。

現代の社会生活において、ジャーヒリーヤが色濃く覆っており、物質的享楽や高度な発明をもってしても、無知を減じる事は出来ない。ジャーヒリーヤとは、神の主権に対する叛意であり、現世において、神の主権を人間に譲り渡す事である。人間が人間を支配する事は、神の主権に対する重大な侵害だ。現代のジャーヒリーヤは、古代のジャーヒリーヤと比べるとより複雑で、神の権威への叛乱は、彼の創造物である人間に対する抑圧、という形を取って現れる。

物質主義を追求する西洋文明に対して、イスラーム文明は時代に合わせて多様な形態を取るが、その原理、価値は永遠であり不変である。イスラーム原理の中核を成すのは、「アッラー以外に神は無し」という神の唯一性への信仰に他ならない。

そして、神の唯一性への確固たる信仰、物質主義に対する人間の優越性、獣的な欲望の抑制、家族への尊敬、イスラーム法に基づく神の代理人による統治などが、イスラームの社会統治原理である。こうした原理こそが、無明の闇に漂う人類に対するイスラームのメッセージである。

人類を救うイスラーム統治原理は、具体的な形を取ってこそ意味があるのであり、まずイスラーム諸国において、その実践が行なわれなければならない。故に、幾つかのイスラーム諸国において真のイスラームを復興させねばならない。

そのために先頭を切って行動を巻き起こさなければならない。イスラーム復興の大事業は、どのように始めれば可能となるのか。

現代社会を覆うジャーヒリーヤの大海を泳ぎ切り、確固たる決意を持ってイスラームの大義の道を行く前衛たちが必要である。その過程にあっては、ジャーヒリーヤから適度な距離を取りつつも、関係を保つ事も必要なのだ。

※アルカイダは、過激派の中にあっては、イスラーム革命の先陣を切る前衛とされている※

イスラームは主体的に行動する権利を有している。イスラームは特定の民族や国家の遺産では無い。それは神の教えであり、全人類に向けられたものだ。それを妨害し、人間の選択の自由を抑圧する、組織や伝統と言う形を取って現れる全ての障害物を粉砕する権利をイスラームは有している。イスラームは個人を攻撃したり、信仰を強要するものでは無い。イスラームが攻撃するのは、人間を抑圧する組織や伝統であり、人間性を歪め、自由を侵害するその悪影響から人間を解放するためにイスラームは攻撃を仕掛けるのである。

イスラーム原理を達成するための手段は問わない。必要な新しい技術、手段は取り入れて行く(場合によっては、武力的対応でさえも)。欧米による植民地支配体制のみならず、イスラーム教徒を自称しながら国民の自由を弾圧し、個人崇拝を求めるようなナセルの如き世俗民族主義、つまり人が人を支配するような暴政は打倒し、イスラームの教え、神の主権に基づく新しい社会経済体制を樹立しなければならない。

※ただし、神の代理人は、聖職者を想定していない。世俗民主主義や共産主義のように、世俗の政府・党が神の代理人を務めるのも、「人が人を支配するジャーヒリーヤ故の統治形態」であり、間違っている。あくまでも、「イスラーム法」に基づく、イスラーム共同体からの民主的選出の代表者による統治機構を貫徹しなければならない。人が人を支配するような暴政は打倒しなければならないのである。我々は、純粋にコーランに行動指針を求め、宗祖ムハンマドの黄金時代を実現しなければならない。このようにして宗教が浄化されれば、イスラーム法に基づく健全な道徳や社会秩序が可能になるのだ。

※ムハンマド時代の後のイスラーム思想には、ギリシア哲学、論理学、ペルシア思想、ユダヤ教・キリスト教神学などが紛れ込んでいるため、コーラン理解の際の参考にしてはならない。コーランに行動指針を求める際には、「イジュティハード(章句解釈)」を用いて、時代状況ごとに、適切かつ戦略的に解釈するべきである。イスラームの敵は、イスラーム教徒を自称する者たちの中にも紛れ込んでいる。彼らも宗教の敵として打倒すべき対象である。

現世における神の支配の樹立、人による支配の廃絶、簒奪者から神の主権を奪還し、イスラーム法に基づく統治を敷き、人定法を放棄する事は、説得のみで達成する事は不可能である。神の主権を簒奪し、神の創造物(人民)を抑圧する者どもは、説得によってのみでは権力を手放そうとはしないであろう。

・・・神の主権を樹立する事は、単に理論的、哲学的、消極的な宣言を発する事では無い。それは、神の法をあまねく天下に行き渡らせ、人々を圧政から神の御許に解放する積極的、実際的、ダイナミックなメッセージである。説得と運動なくして、これを実現する事は不可能である。それゆえに、あらゆる実際の場面において、適切な手段が講じられるべきである。

イスラームとは、神を除いて、この世のあらゆる権力から人間解放を宣言する宗教であるが故に、人間の歴史のあらゆる局面、過去、現在、未来において、信仰の妨げとなる思想、物理的権力、政治・社会・経済・人種・階級体制に対決するのである。

◆日蓮主義とイスラーム原理主義の比較/血盟団事件に底流する思想

ウィキペディア「血盟団事件」より:
血盟団事件は、1932年(昭和7年)2月から3月にかけて発生した連続テロ(政治暗殺)事件。当時の右翼運動史の流れの中に位置づけて言及されることが多い(※1932年の五・一五事件も、この流れの中にある)。
茨城県大洗町の立正護国堂を拠点に政治運動を行なっていた日蓮宗の僧侶である井上日召は、1931年、彼の思想に共鳴する近県の青年を糾合して政治結社「血盟団」を結成し、性急な国家改造計画を企てた。その方法として彼が考えたのは、政治経済界の指導者をテロによって暗殺してゆくというものであった。「紀元節前後を目途としてまず民間から血盟団が行動を開始すれば、これに続いて海軍内部の同調者がクーデター決行に踏み切り、天皇中心主義にもとづく国家革新が成るであろう」というのが井上の構想であった。井上日召は、政党政治家・財閥重鎮及び特権階級など20余名を、「ただ私利私欲のみに没頭し国防を軽視し国利民福を思わない極悪人」として標的に選定し、配下の血盟団メンバーに対し「一人一殺」を指令した。
血盟団に暗殺対象として挙げられたのは犬養毅・西園寺公望・幣原喜重郎・若槻禮次郎・団琢磨・鈴木喜三郎・井上準之助・牧野伸顕らなど、いずれも政・財界の大物ばかりであった。

中野孝次・著『暗殺者』岩波書店より(小説を通じて心理考察)

非人間的行為を非人間的と名づけるのは、何ら積極的な行為ではない。それはしばしば、ニヒリスティックな自己憎悪に対するアリバイ以外の何物でも無いからだ(ドイツ小説家ノサック)。
彼らのあの「暗い偏執の匂い」は一体何に由来するのか。・・・
わたしは思い浮べる。かれらが生れ育った土壌を。かれらが突きだされていった先の社会を。そのなかでかれらをとらえた思い、絶望、怒り、無力感を。そこからかれらが脱出原理として縋りつくにいたった思想を。かれらを支えた誇りと狂信を。それは決して別の世界のことではない。わたしやわたしの肉親や友人たちが生き呼吸していたと同じ状況の中にあったものであって、かれらもまたただふつうの生活者の一人だったはずである。

血盟団の一行を狂信的な日蓮主義者として済ます事が出来ないのは、彼らを支援したのが決して一部の軍人たちだけでは無かったからだ。彼らの裁判が始まった時の世論には同情論が強く、30万の減刑嘆願書が寄せられている。

昭和初期の当時は、世界大恐慌に発する長期不況、農村の疲弊、貧富格差の増大と労働紛争の激化など、社会の激変と混乱が続いていた。血盟団の思想的指導者・井上日召は、「昭和維新」という世直しにより民衆を救済する、命をかけた「不惜身命」の行動こそ宗教的実践と説いた。血盟団が唱えた右からの革命は、借金による一家離散や口減らしのために娘を売りに出すと言った苦難にあえいでいた農民たちにとって、声を発する事が出来ない彼らの声を代弁する物だったのである。

作家・岡村青氏は、井上日召に焦点を当てた著作『血盟団事件』の中で、次のように考察している。

戦前の日本において日蓮主義者から多くの国家主義者が出た宗教的背景として、日蓮主義者の殉難・殉教の精神が挙げられる。つまり仏の永遠性は、現実社会の中で苦悶する民衆を救うという「菩薩行」、その実践を通してその真価が問われる、と日蓮主義者は考えた。己の誇りと信念をかけて、仏の慈悲・利他的感情に基づく「一殺多生」を奉じた国家主義者の心情は、その実、自爆テロリストと変わらない物であった。

※大正~昭和初期は、高等教育を受けた近代的中間層・テクノクラートが大量に形成された時代でもある。社会混乱と不安が続く中で伝統的な尊厳や位置を見失い、孤独に漂流する多くの若者たちが、「国家とは何か/社会とは何か」について考え出し、「善く生きたい」「人のために生きたい」という、責任感や公共善の意識を高揚させていたのも、また事実であった。

◆近代の影を直視した夏目漱石による著作『こころ』より

「かつてはその人の膝の前に跪ずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
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読書:『人格系と発達系〈対話〉の深層心理学』老松克博・著/講談社選書メチエ2014

人格系の定義=「意識」に偏る。一言で言えば常識人。世間への過剰適応、神経質、倫理

発達系の定義=「無意識」に偏る。非常識、天衣無縫、直感的、パニック、預言的

人間は「人格系」と「発達系」のブレンドである。どちらかに偏ると病的になり、あるいは、本当に心の病を発したりする。自己の中のブレンド状態が一方向に偏ると「投影」が起き、他人の「人格系要素」あるいは「発達系要素」を憎み、攻撃する。他人とのトラブルは、こうして発生する。外面の問題は、内面の歪みの問題が投影されたものに他ならない

無意識は二層に分けられる。表層に近い方は私的無意識で、「経験はしたけれども忘却・抑圧した事象」から成り立つ。深層は普遍的無意識(集合的無意識)であり、その内容は人類共通かつ「普遍の元型」である

例:元型「プエル」=思春期に活性化する元型。束縛を嫌い、向こう見ずで変人・超人に憧れるパターン。ギリシャのイカロス神話が代表的。父親の制止を振り切り独創的高所へ到ろうとする行動は「プエル」パターンに従っている

「集合的無意識」は常に「個人の意識(表層意識・自我)」に向かって全体性回復(個性化≒高次レベルへの成長)のためのメッセージを送るが、その内容は常に太古のイメージによって語られるため、分かりにくい代物になっている(翻訳作業が必要)

意識の偏りを補償しようとして無意識が発信するメッセージは、夢に見られるイメージばかりではない。各種の葛藤や心の病(神経症、うつ病、パニック、妄想)といった強硬的なスタイルもある。この状態が無いと、あまりにも歪み、偏ってしまった意識は、方向転換できないのである。意識の状態を感知する超能力センサーなど、我々は持ち合わせていない

意識と無意識は、間に「イメージ(イマージュ)」を置いて対峙する

「イメージ」は夢見、想像する。その〈想像〉に現れる対立・闘争、折衝・交渉、和解・妥結のストーリーは、全て「人格系(意識)と発達系(無意識)の対話」である

実際、無意識が介入し始めると、〈想像〉のストーリーは、意識の思い通りに転がって行かなくなる。各種の葛藤や心の病といった「難問」に関しては、似たような場面、同じ場面が繰り返し「イメージ」に現れてくるのである

(難問は、「個人的な問題」の事もあるし「集団的な問題」の事もある。集団的な問題の場合は、社会不安の盛り上がりに応じて、ショッキングかつ幻想的な預言の形を取るケースがある。オカルトブームや終末予言の流行といった現象は、一応の目安にはなる、と考えられる/第一次&第二次世界大戦の折に起きたオカルトブームは有名である)

対立・闘争、折衝・交渉、和解・妥結の繰り返しの対話的なプロセスの中で、次々にイメージは紡ぎ出され、一個の絵ないし一篇の物語の形になって行く。短編の事もあるし、長編の事もある。元型が深く関与するため、おおむね神話と同じ内容、或いは神話的な内容になる

これらの〈想像〉による、意識と無意識との対話のストーリーは、螺旋の軌道を辿る。繰り返し同じ「メッセージ光景」が現れるが、高次への道を登るたびに、立ち位置が上昇してゆくため、過去の軌道が眼下に一望でき、深い意味で理解できるようになる訳である

螺旋の軌道の性質上、意識の偏りに起因する「難問」は、軌道をひとつ回っただけでは終わらない。難問の内にある間は、「二歩進んで三歩後退」といったような、円環的な永劫回帰とも思える繰り返しプロセスを辿るのが普通である。人間の成長・拡大は、一直線に行なわれるものではない

「個性化≒全体性の獲得」とは、人間の心の成長と発達のプロセスである。誰もが自身の個性化の道を歩む。このプロセスにおいては、無意識の〈無限〉から来る諸内容が、人間、動物、植物、鉱物、怪物、神、悪魔など、ありとあらゆる「イメージ(≒マレビト)」となり、絶え間なく意識の領域を訪れる

〈想像〉とは、これら「マレビト」との適切な関係性を築き、そしてなおかつ、対立・闘争、折衝・交渉、和解・妥結といった対話的なプロセスを通じて、全体性(個性化)を実現するという試みに他ならない

表層に近い「私的無意識」は、いわば無意識の「蓋」であり、イメージの通路の障害となるものである。障害によって意識へのアクセスを失い、抑圧された無意識は、「禍ツ霊」となって隘路に殺到する。こうして人間は、心身の病気を発症する

暗黒面で言えば、人格系は「嫉妬し欲望する神」であり、発達系は「破壊し裏切る神」である

病気を作るものと病気を癒すものは、基本的に同一である。如何なる神々も、善神としての側面と悪神としての側面を持つ。病毒として作用するものこそが、霊薬となる。中でも、傷を負う神、自身が傷を負って癒された神は特別である。そのような神は、傷を負った人間を癒し救う力を持つ

※占星術で「キロン(カイロン)」と呼ばれる癒しの星が知られている
ギリシャ神話では、ケイローン(カイロン)は、アポロンから音楽、医学、予言の術を、アルテミスから狩猟を学んだとされ、そのイメージから「医学」「癒し」「占星術」「教育」といったテーマを持った星だとされている。小惑星カイロンの持つテーマは、「傷ついた癒し手」である。同時に「癒し手の魂の傷(暗い側面)」である。この両義性は、「癒し」というテーマを考える上で、とても重要な意味を持つ

自我や意識には、癒しの力は無い。魂の暗い側面が、底知れぬ領域に由来するのと同じように、癒しの力もまた超越的・原型的なものであり、意識の外側の遠くからやって来る

「想像」のプロセスを深めてゆくと、意識と無意識が描く螺旋の軌道も、高くまた深くなる。「癒しの力」を直接的に感ずる程に超越的な領域に入って行くと、超越的なイメージに出会う事にもなる。その経験は、また宗教的体験でもあり、心理学的には「ヌミノース(根源的・戦慄的な畏怖)」と言う

※この時、我々の意識は、根本的変容を遂げるのである※

意識と無意識は螺旋の軌道を描いて、より高所へ上昇(或いは、深部へ下降)する

螺旋を重ねる程に、より高所ないし深部での作業となる。自我の器量もまた要求される。実際の工事作業のように、一回の判断が命取りになりかねない、複雑怪奇な状況になるのである(高所からの墜落や、深部での落盤といった事故を考慮しなければならない)

〈想像〉のプロセスの中で高次の存在に出会ったり、神秘体験の境地に至ったりすると、その瞬間に、誰でもインフレーションに陥るので注意を要する。自我が、大いなるものとの一体感の中で高揚して足が地に着かなくなり、現実的な認識や判断が出来なくなったり、誇大な万能感に取り憑かれたりするのである。この現象は、ほぼ自動的に生起するので、防ぐのはかなり難しい

この類の境地(神秘的融即)では、善悪・真偽の区別は意味を失う。そのような地平に至って、なお独善にも狂気にも陥らずに居るのは難しい事である。高いところまで行った宗教家が墜落する事があるのは、こういった理由によるのである

いわゆる宗教の邪教化や、カルト、セクト、一部の自己啓発セミナーにまつわる不可解な事件の多さが、それを物語っている

意識と無意識が描く〈対話〉=〈想像〉螺旋の軌道は、対立・闘争、折衝・交渉、和解・妥結の繰り返しのプロセスであり、「道程こそが目的地である」というパラドックスを含んでいる

意識と無意識は、完全に一体化する事は、決して無い。和解が成立したとしても、両者の軌道は、厳しい間合い・均衡を持った漸近線として描かれる。合体して一つになれば、それは「涅槃」と呼ばれる状態であり、「死(活動停止)」と同等である

我々の生命も同じで、例えば我々の心臓も微弱な電流によって動いているが、プラスマイナスの両極があってこそ動く。男性と女性があるから新たな生命が生み出される。地球上に、熱帯と極地との激しい温度差があるから、各地を豊かな季節が彩る

畢竟、創造とは、意識と無意識の対峙に伴う「苦しみ/癒し」を通過して来る、ダイナミックな物である


…人生をはじめるに当って、まずわれわれは、われわれを取り巻く環境世界と戦うための基礎を作るために、周囲から独立した自我意識を発達させる。

このはじまりの極からわれわれの螺旋が展開する。それは小さく始まるから、最初の一巡にはあまり時間がかからない。幼児における成長発展のスピードは非常に大きい。幼児の時から、われわれは途方もなく遠い旅に出る。

そして再び故郷にもどるまで、われわれは生活圏全体を一巡しなければならない。その回転の輪の一つ一つは次第に距離を長くし、その発展の過程は赤道もしくは折り返し地点に達するにつれて、ますますゆるやかに、かつ安定するようになる。この発展の相は「陰陽」の二つの次元においても見ることができる。一方の円が閉じられると、反対の芽がバランスを保つために逆の方向に向かって発達し、そして「わが家へ向かう」に従って、螺旋回線のスピードは増大する。

どの輪も、全体の発展の中で、完結と円環を記しつづける。しかしその各々は全体の一部にすぎず、その完成と円環も一つの始まりにすぎない。したがって螺旋上の一回転は「完結した」姿を示すと同時に新しい局面の始まる出発点を示している。危機と決断の瞬間は、それが理解をもって為される限り、成長の瞬間であり、イニシエーションの瞬間である。その瞬間は存在の特定の状態からの開放もしくは死であるとともに、次の状態への発展もしくは再生である。

イエーツの言葉で言えば、「人は二つの永遠の間で、いったい何度生き、そして死ぬのだろうか」。

大抵の伝統、神話、宗教もしくは伝説はこの二つの永遠、つまり生命の螺旋の二つの極について語っている。・・・『螺旋の神秘』、ジル・バース著、平凡社

「人の肉体は、人を愛してくれています。ですがもし私たちの方が肉体や、自らの命を愛さなければ、すぐ肉体に愛想を尽かされ、捨てられてしまうでしょう」
外科医バーニー・シーゲル
「成長した私たちの脳が、私たちがどう生きたかを教えてくれているのです」
ダライ・ラマ
「人の肉体はすべて心の内にある。だが人の心は肉体を凌駕する」
ヨガ行者・作家ジャック・シュワルツ
「宇宙とは巨大な機械ではなく、巨大な意思なのではないか」
物理学者・天文学者ジェームズ・ジーンズ

ドミニク・リーベン・著『帝国の興亡(上)』『帝国の興亡(下)』(日本経済新聞社2003)を読みました。すごく分厚い本で、読み終わるのにえらい時間がかかりました^^;

ロシア帝国・ソ連について膨大な考察があります。上下2巻もの。

上巻は、「帝国」という言葉が思想史・社会史上、どのように受け止められてきたかと言う考察が、圧巻でした。それから、近代史の帝国(ヨーロッパ列強)が急激に拡大したその理由の中に、「難病(熱帯性伝染病)の克服」という医療技術の発展が挙げられていたのは、ビックリしました(マラリア熱の治療法の発見とか…)^^;

確かに、熱帯にはびこる伝染病を克服した後は、熱帯の国々の征服はスムーズだったろうと思われました。軍事技術と医療技術は、帝国支配・植民地支配を確約するテクノロジーと言えるかも知れません。

「何を以って、国民ないし帝国臣民となすか?」の考察も面白かったです。民族的純潔を問わなかったローマと漢の古代帝国について、帝国臣民であるか否かを決めたのは、帝国中心部の文化(使用言語の制限)・振舞い・ライフスタイル等への同化であった…という指摘は、改めて目からウロコでした。古代帝国は、都を中心とした文化的優位性・経済的優位性に彩られており、中心部と周縁部との対立に伴う勃興と衰亡は、シーソーゲームよろしく進行していった…

※プロテスタント系の近代海洋帝国は、血統主義を織り交ぜた「帝国」を採用(血の純潔や肌の白さを重視)

近代の西洋列強という形で現われてきた帝国主義の下、海外植民地の獲得に邁進した近代国家は、程なくして自らのうちに、「ナショナリズム」という強烈な敵を生み出すことになった…その進行を早めたのは、都市住民と都市住民に提供されたマスコミ・システム(新聞の購読など)。

それ以前は、王朝支配スタイル(農民的・宗教的・地方的)ならではの連帯感や忠誠心が殆どでしたが、マスコミを通じて、より可燃性を高めた都市型ナショナリズムが高揚した訳です…

ビクトリア朝末期イギリスのアーサー・シーリー卿の指摘=「国家が国民性の限界を超えて進んでいけば、国家のパワーは不安定で不自然なものになる」という内容は、非常に興味深いものでした。

下巻は、ロシア帝国(帝国以前・ツァーリ帝国・ソビエト連邦)の考察…という内容でした。最後のパートは「帝国以後」というタイトルで、帝国崩壊した後の変容の考察…といった内容。こちらは近現代史を辿ると言う形で、興味深く読みました。

帝国崩壊に伴う脱植民地問題に関しては、先住民が植民地化の際に、非常に人口を減らされていたため、さほど深刻なものにはならなかった…という風に見ることができるようです。とは言え、かつて同じイギリスの植民地だったアメリカと南アフリカは、その後、非常に対照的な運命を歩むことになりました(人口学的要素による差もあり)。

以下、興味深い文章を記録:

・・・ドミニク・リーベン・著『帝国の興亡(上)』より

◆革命的マルクス主義者が20世紀に作り上げようとした新世界秩序にとって、神と帝国主義は最大の敵であった。とはいえ、マルクス自身はヨーロッパの海外帝国というテーマについて曖昧な立場を取っていた。マルクスは、ヨーロッパ資本主義が先住民の経済を破壊したことを気の毒に思ったが、その一方で、ヨーロッパ資本主義は進歩への原動力であり、先住民を「威厳が無く停滞した、植物のような生活」や「獣のような自然崇拝」から目覚めさせ、長期的には本当の意味での人間らしい合理的な生活を希望させるようになる、と考えた。

◆帝国と言う文脈でEUについて語ることは、とりわけ「帝国」ということばがドイツ語の「ライヒ」(ナチス時代のドイツ第三帝国も指す)に相当するため、怒りや不安を呼び起こさざるを得ない。EUはドイツがヨーロッパを支配するための手段であるとする見方は、イギリスに限らず根強い。ドイツはその広さ、経済力、地理のために、ヨーロッパがどのような形になっても、したがって現在のEU内部でも、突出した地位を築くことが出来る。ヨーロッパ地政学の基本的法則が20世紀末になって再び作用しているのである。

ドイツとロシアはヨーロッパ大陸で潜在的に最も強大な国家としての地位を保ち、一方が衰退すれば、他方が興隆する関係にあった。1918年のブレスト・リトフスクでロシアが敗北、解体したときこそ、ドイツがヨーロッパを支配する20世紀最大のチャンスだった。逆に、1945年にソ連が勝利し、ドイツが分裂したことで、東・中央ヨーロッパにソビエト帝国を樹立できたのである。さらに、ソ連崩壊はドイツ統一、ヨーロッパ大陸でのドイツの突出、ほとんどの東・中央ヨーロッパにおける地政学的な「無主の地」の出現へとつながった。この地域に帝国が存在しないことが、バルカン半島での紛争がこれほど破滅的で長期にわたってつづいている理由のひとつにほかならない。

こうして1985年から91年の出来事は、近代ヨーロッパ史の重大な問題を再び明るみに出した。どうやってドイツのパワーをヨーロッパ大陸の平和と繁栄へ向けさせるべきか。

両大戦の発火点となったサラエボからダンツィヒ(現在はポーランドのグダニスク)にまで広がる東・中央ヨーロッパはソ連の支配で沈黙を強いられ、西側が直面した大きな軍事的、地政学的挑戦には、アメリカが責任を負ってきた。ソ連崩壊でこうした情勢は根本的に変わり、その過程でヨーロッパにおけるアメリカの軍事的立場も損なわれている。

このように古くて新しい現実に対し、EUは潜在的であれ、答えを提示している。もしヨーロッパが本当に、世界の秩序と安定の柱になるつもりならば、それはヨーロッパの旗のもとにドイツのパワーを動員することによってのみ可能なのである。

ヨーロッパの国民国家レベルでの伝統的なバランス・オブ・パワーの戦術は、もはや道理に合わず、大陸の資源や潜在能力の浪費でしかない。現在のドイツ連邦共和国はウィルヘルム皇帝の帝国(ライヒ)とは非常に異なり、ナチス帝国とはまったくかけ離れている。

ヨーロッパは、アメリカのグローバルな覇権の影響下にあるのだから、バランス・オブ・パワーの戦術は二重の意味でばかげている。しかし、EU枠内であれば、ドイツのパワーを効果的に動員できるのと同時に、制限できる可能性もある。このことは、フランスのエリートがEUを評価しているという根本的な現実とも一致している。彼らがEUを評価しているのは、ドイツ人に対して歴史的に培われた恐怖心を抱いているからであり、ドイツ人自身もEUを評価しているのは、彼らが――少なくともヘルムート・コールの世代は――自らに対して、またドイツのパワーに対しても、歴史的な恐怖心を抱いているからである。

相互依存がますます進む世界で、ヨーロッパ統合を支持する論理は常に、ヨーロッパ大陸の運命を左右するようなグローバルな問題でヨーロッパが大きな発言力を手にするということにあった。EUはすでに国際貿易に関し、そうした発言力を保っている。通貨ユーロが成功すれば、国際準備通貨としてのドルの独占的な地位も弱まるだろう。また、もし生態環境の問題が深刻になれば、一体となったヨーロッパは間違いなく、一連の小国よりも大きな発言力を持ち、アメリカとは異なる政策を発展させることもできるだろう。グローバルな貧困の問題について明らかに独自の立場をヨーロッパがとるケースも考えられよう。

・・・ドミニク・リーベン・著『帝国の興亡(下)』より

(ロシア)西部国境では文化的に劣っていて、しかも弱いと感じているロシア人の意識は、西ヨーロッパ諸国の海洋帝国主義に見られた文化的な傲慢さとは、まったく対照的だ。西部国境の「ロシア人」住民に一定の特権と保護を与えるよう提唱した元陸軍大臣のアレクセイ・クロパトキン将軍(1848-1925、日露戦争で極東軍総司令官。奉天の会戦での敗北後、左遷された)は次のように述べている。「平等や自由の理念は、文化的に弱い民族にとっては危険であり、逆に強い民族にとっては有利である」。これはまるで、自信に満ちた帝国主義者の発言でも政策でもない。むしろ、これは東南アジアやアフリカで中国系住民やインド系住民の経済的・文化的支配に対抗しようと躍起になっているポスト植民地時代の民族主義政府の発言と政策である。

このように、ヨーロッパとアジアにおいてロシアの帝国主義が異なっていた背景には、根本的に重要な点がある。エリートや政府の視点に立てば、ヨーロッパにおけるロシア帝国のほうがアジアでのロシア帝国よりも、はるかに重要だったのである。ひとえにこれは文化の問題であり、エリートは自分たちをヨーロッパ人であると感じていたからだ。

セルゲイ・サゾノフ外相(1861-1927。1910-16外相。革命後パリに亡命し、自衛軍政府代表を務めた)は1912年の議会でこう述べている。「ロシアがヨーロッパの列強であり、その国家が成立したのも、黒いイルトゥイシ川(西シベリア地域を流れる大河)ではなく、ドニエプルやモスクワ川の岸だったこと……を忘れてはならない」。この発言を聞いたロシアの議員で、ロシアの文化的、歴史的本質をめぐる外相の理解に同意しなかった者はほとんどいなかっただろう。

だが、それよりもはるかに現実的で重要な要素があった。西部国境地帯は、ロシアにとっての唯一の脅威――ヨーロッパからもたらされた――からのロシアのパワーの政治的、経済的中心地を守っていたのである。加えて、西部国境地帯はロシアのアジア地域に比べて、はるかに豊かで人口も多かったため、歳入の増加や軍事力の強化に著しく貢献してもいた。これは特に、19世紀から20世紀にかけてのウクライナにあてはまる。1900年までにウクライナは、主な農業地域であり穀物輸出の一代中心地となっていたため、国際貿易のバランスをとる上でも、ひいては近代化に不可欠な外国からの借款をロシアが受け取るためにも重要であった。1914年に先立つ50年間には、ウクライナ東部も炭鉱業と冶金産業の中心地になった。こうして、1917年から18年にかけて起こりかけたように、ロシア帝国がウクライナを失えば、ロシアはもはや帝国でも大国でもなくなってしまう恐れがあった。…(中略)…1980年代までに、もしウクライナの巨大な人口がなかったら、ロシアはソ連の中で孤立し、文化的に異質で経済的に後れ人口も急増しつつあった南部周辺地帯の「ムスリム」に囲まれていただろう。

もし、そうなっていれば、政治的には帝国を維持することも不可能で、それがロシア人の利益にもならないことが間もなくわかったに違いない。実際のところ、1991年秋にウクライナが独立を決意したわずか数日後に、ソ連は崩壊したのである(モスクワでの保守派クーデターの失敗直後、ウクライナは8月24日に独立を宣言。12月1日の国民投票で九割以上の賛成を得て独立宣言が承認された。独立国家共同体CIS誕生は12月8日で、ゴルバチョフは25日にソ連大統領を辞任した)。

◆陸上帝国と海洋帝国では医療の歴史も異なっている。…(中略)…もし人間の死が帝国の強制する最も高い代償であるとすれば、虐殺あるいは搾取よりも、むしろ病気こそが帝国のもたらす最大の犯罪であった。アメリカ大陸やオーストラレーシアでは、先住民が免疫を持たない病気が流行し、虐殺に匹敵するような結果がもたらされた。

黒死病(ペスト)がヨーロッパで大流行したのは、モンゴルがユーラシアのほぼ全域を統一したためだ、というウィリアム・マクニールの主張が正しければ、ヨーロッパ人もかつて、図らずも帝国の膨張の犠牲者になったわけである。ロシア人の到来以前のシベリアでは、ほとんど天然痘は確認されていなかった。ロシアによる膨張はおおむね、単一の生態内で膨張していったため、大半の住民(シベリア北部の一部住民は除いて)はすでに、ロシア人がもたらした病気に対する免疫を持っていた。

◆植民地化や帝国をめぐる西ヨーロッパ人とロシア人の考え方を分け隔てるのに、地理は重要な役割を果たした。ジョン・エリオットはこう述べている。「『恐ろしい海』を渡っていくという経験は、ヨーロッパからの移住者に数世代にもわたって深く刻み込まれた」。いったん「新世界」に足を踏み入れれば、植生や気候、動物が明らかに本国とは異なっていたから、入植者自身、新しい生活を踏み出すのだという気持ちを新たにした。グロスターシャー(イングランド南西部の州)には結局、カンガルーなどいないのである。

一方、ロシア人入植者は、川を下り、ステップ地帯を越えていくという先祖伝来の移動方法を踏襲していたため、そこがロシアとはまったく別の場所であるという感覚を受けなかったようだ。現在のロシアでも、植民地と本国を区別する強力な伝統的感覚を欠いていることが、ポスト帝国時代におけるロシアの国境線の正統性や安定に関して、重要な結果をもたらすかも知れない。

・・・《以上》・・・

(補遺)筆者の説によれば、バランス・オブ・パワーが17、18世紀に遊牧民社会から定住社会へと完全に移行するまで、ロシアは遊牧民からの侵略と圧力に弱かったという。このため、モンゴル帝国、次いでキプチャク・ハーン国の影響下にある間(1240年代から15世紀後半まで)、ロシアは徹底的にヨーロッパから切り離されていたと見ることができる。

その後のロシアは3世紀にわたってヨーロッパの影響を受ける形になったため、19世紀になってからいきなり西洋列強と対峙した中国や日本とは、全く異なる帝国概念を培うことになった。

ただし、ロシア人が抱く帝国概念を考察する際、地理的ファクターは確かに重要だが、過大視すべきではないという(地理的決定論の尺度では、ロシア人の帝国概念を説明し切れない部分がある)。

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