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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2013.6.14ホームページ更新

◆制作中の物語・第一部-ヤツマタ/第九章-妖霊星(後篇)のページ分割が終わりました。

★こちらのアドレスから正式公開版に飛べます(ホームページ版・物語の本流)
http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html

第九章-妖霊星(後篇)は割とスムーズに内容がまとまった章で、下書きから完成までのブレや迷いは少ない方でした。第六章-門前町や第七章-斎ノ宮で示していた伏線は半分くらい回収しており、ある意味では「折り返し点」とも言えます

今回の章では、ワンクッションおいた複雑な形の、けれども確かな愛情というものを、それなりに提示する事が出来たかなという感じです。

瀬都とカモさん夫妻は直接の家族では無く、更に貴族/平民という公的な身分差もあるため、互いに一線を引いた注意深い関係を築いています

この世には、密着するばかりが親しさではなく、「互いに適切な距離を置いた親しさ」という形もある。

もちろん瀬都はまだ子供なので、「自分は縁あって女童として雇われていて、小間使いをしている」という以上の細かい社会関係は余り理解しておらず、気取りの無い話しかけをしています

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2013.3.29ホームページ更新

◆制作中の物語・第一部-ヤツマタ/第八章-妖霊星(前篇)のページ分割が終わりました。

★こちらのアドレスから正式公開版に飛べます(ホームページ版)⇒[物語ノ本流

★現在の創作状況⇒「物語ノ目次」:物語の中の時間(旧暦カレンダー)の覚書を更新(当ブログ過去エントリ)

◆2012年12月から2013年3月にかけて、過去コミック作品の修正&差替をおこないました

修正内容はコマ割の整理(入れ子コマが煩雑になった部分を整理)、制作に使用しているソフト「コミックスタジオ」が3.0版から4.0版にバージョンアップしたのを受けての場面演出の見直し、説明不足だった科白部分の見直しであります(ストーリー全体では大きな修正はナシです)

コミック画像を修正&差替した章は以下の通り
序章「清ら月は道野辺に照り」・・・主に場面演出の見直し
第一部ヤツマタ・第一章「十六夜」・・・入れ子コマの整理、科白の整理、トーン修正
第一部ヤツマタ・第二章「鈴鹿峠」・・・入れ子コマの整理、場面の演出、トーン修正
第一部ヤツマタ・第三章「坂下宿」・・・入れ子コマの整理、場面の演出、トーン修正
第一部ヤツマタ・第四章「伊勢道」・・・入れ子コマの整理、トーン修正

物語の序章「清ら月は道野辺に照り」については、今でも、「もっと分かりやすく演出する方法は無かったのか」と思案&反省中です。とはいえ、今の時点で既に350ページを越えている内容を、16ページの内容で予兆しよう、というのは流石に無茶であったのかも知れないと思われるところですorz

次に何か別の物語を創作する際には、この反省を生かしてみたいと思います(もし、そのチャンスがあればですが…)

この制作中の物語、キャラクターが増えて内容が出来てくると、様々な外伝やエピソードのアイデアが浮かび上がってくるもののようであります(例えば、越国出身である瀬都が如何なる運命によって上京する事になったのか、同じく越国出身である柚羅の父親は元々は越国の役人であったがどんな仕事をしていたのか、カモさんと澄江御前のなれそめ、宮廷での人間関係、等)

2012.6.2ホームページ更新

◆制作中の物語・第一部-ヤツマタ/第七章-斎ノ宮のページ分割が終わりました。

★こちらのアドレスから正式公開版に飛べます(ホームページ版)
物語の本流
http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html

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《宮沢賢治・著「銀河鉄道の夜」を全編再読》

改めて、「答えの無い問い」「解けない謎」が、「宇宙幻想」という形で、これほど美しく表現された物語があっただろうかと、シミジミと感動

最近の研究によれば、「銀河鉄道の夜」には最終的な定稿が無いそうです。物語の流れを変えた複数のバージョンがあり、作品そのものとしては「異形」。この異形の物語を最終的に完成させるのは、読み手の詩的感性に任された状態なのだそうです

以下の引用は、宮澤賢治の最後の文章(書簡)。様々に考えさせられます

あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんが、それに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。
私のかういふやうな惨めな失敗はただもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふうものの一支流に誤って身を加へたことに原因します。
僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが、何か自分のからだについたものででもあるかと思ひ、
自分の仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからか自分を所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して、却って完全な生活をば味ふこともせず、幾年かが空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り世間を憤り、従って師友を失ひ憂鬱病を得るといったやうな順序です。

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《2012年6月の印象深い時事》

▼帰還した6月13日を「はやぶさの日」に認定(読売新聞2012.6.13)

小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還した6月13日が、「はやぶさの日」として日本記念日協会に認定された。宇宙航空研究開発機構の施設がある神奈川県相模原市など全国6市町が、偉業をたたえようと申請していた。宇宙機構・相模原キャンパス(相模原市)で13日、登録証の授与式が行われ、加山俊夫・同市長が「次の小惑星探査プロジェクトも全力で応援したい」とあいさつ。元はやぶさプロジェクトマネジャーの川口淳一郎・同機構教授は「記念日を制定していただき、大変ありがたい」と感謝していた

(コメント)ちょっと大袈裟すぎるかなと思いましたが、良い話かも知れません