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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

《物語》を物語るための問い

■宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化しておのれの心の楽しみとす。これを智と称することかと思う。
―南方熊楠

■細微分子の死は微分子の生の幾分または全体を助け、微分子の死は分子の生の幾分または全体を助け、ないし鉱物体、植物体、動物体、社会より大千世界に至るまでみな然り。ただしこの細微分子の生死、微分子の生死、ないし星宿大千世界の生死は斉一に起こり一時に斉一に息まず、常に錯雑生死あり。
―南方熊楠

■萬象ニ天意ヲ覺ル者ハ幸ナリ 人類ノ為メ國ノ為メ
―1931(昭和6)年、信濃川大河津分水堰修復工事竣工碑文、青山士技師

■いかに生きているかという事と、いかに生きるべきかという事とは、甚だしくかけ離れている。為すべき理想を欲し、為されている現実を顧みぬ人は、身の破滅を招くに至る―マキャベリ

■盗みにおいて愉快だったのは、盗む[物]ではなく、盗む[事]だった―アウグスティヌス
(※悪事の成果よりも、悪事を反復する事に耽溺する。心の貧しい人間は、繰り返し虚勢を張るという行為で空虚な喜びに溺れる)

■庭が芸術として目指すのは、現実の風景の魅力を忠実に模倣し、本物の伝えるのと同じ印象を同じように伝えることにある。/小泉八雲

■沈黙だけがいつも最後に残る。そして沈黙にほとんど接するように表現しえぬものを表現しようとやって来るものがある。音楽である。/オルダス・ハクスレー『夜の音楽』

■本は、それが終わるところで終わっているのでは決してありません。本は、膨張を続ける小さな宇宙なのです。/アントニオ・タブッキ『他人まかせの自伝』和田忠彦/花本知子・訳

■活きた者は皆無限の対立を含んでいる、即ち無限の変化を生ずる能力をもったものである。―西田幾多郎『善の研究』

■白川静
すべて偉大なるものは、複数的であり、対極的であるのです。そういう両極のものが矛盾し、向かい合うというところに、強烈な芸術運動が生まれる。
ことばは手段にすぎない。しかしその手段にすぎないことばをはなれて、道を説くことができるであろうか。無限定なる道を説くには、概念の限定をこえなければならない。その概念を拒否する表現の手段が、寓言である。虚のみが、実をあらわしうるのである。

【道】をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。人はその保護霊によって守られる一定の生活圏をもつ。その生活圏を外に開くことは、ときには死の危機を招くことをも意味する。道は識られざる霊的な世界、自然をも含むその世界への、人間の挑戦によって開かれるのである。

■白川静(https://twitter.com/sizukashirakawa/status/909681809620819968)
【文】はまた「天の文」「地の文」「人の文」といわれるように、その内的な生命の外へのあらわれをもいう語であった。

■漢籍名言(https://twitter.com/kann_seki/status/876038818675150848)
数(すう)を極め来を知るこれを占と謂い、変に通ずるこれを事と謂い、陰陽測られざるこれを神と謂う。『易経・繋辞上伝』
◎因果の理法を極めて来を知ることこれを占と言い、変化の理法に広く通ずることこれを事と言い、これらの理法でも知り得ないこと、これを神・神妙な働きと言うのです。

■宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 ブルカニロ博士の言葉より
おまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わり すべてにわたるようでなければいけない。
それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。
ああごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえは、あのプレシオスの鎖を解かなければならない。

■事変俳句について
俳句は、ひつきよう、境地の詩であると思ふ、事象乃至景象が境地化せられなければ内容として生きないと思ふ。
戦争の現象だけでは、現象そのものは俳句の対象としてほんたうでない、浅薄である。
感動が内に籠つて感激となつて表現せられるところに俳句の本質がある。
事実の底の真実。――
現象の象徴的表現、――心象。
凝つて溢れるもの。――
―種田山頭火『其中日記』


■格言メモ/ラテン語

■Tempus est quaedam pars aeternitātis. 時は、永遠の中のある一部分である。/キケロー「発想論」

■Dum vītant stultī vitia, in contrāria currunt./愚かなる者たちは、欠点を避けようとして反対の欠点に入りこむ。/ホラーティウス『風刺詩集』

Stultum facit Fortuna, quem vult perdere.
運命は、破滅させんとする者を愚者にする。(プブリリウス・シュルス)

Fortuna vitrea est; tum cum splendet frangitur.
運命は、ガラス製。輝く時に砕け散る。(プブリリウス・シュルス)

Levis est fortūna: id cito reposcit quod dedit.
運命は軽薄である。与えたものをすぐに返せと催促する。(プブリリウス・シュルス)


■土方巽(舞踏家)

生まれてきたことが即興なのだから、舞踏は一度としてくりかえされたことのない必然を創造しなければならない

■『アイオーン』高野史緒・著、ハヤカワSFシリーズJコレクション2002

私はただ知りたかっただけだ。かつてこの世に何があったのか?この世界には何があるのか?これからどうなっていくのか……そして、何故、そうなるのか?何が決めている?真理と呼べるものはあるのか?魂を救うとか、良く生きるとか、そんなことは思わない。私はただ、知りたかっただけだ…
…だが、人は結局、気づいてしまうものだ。全てを知ることはできないのだと。人は何故、そのようにできているのだ。神が、神々が造ったのか、進化の結果、人間という生物になったのか、いずれにせよ…何故、どうせ得られもしない答えなど望むように出来ているのか?
時間、空間、脳、五感、言葉、意味…我々は全てにありとあらゆる限界を課されている。古(いにしえ)の賢者たちは、この限界、世界と人間とを隔てる強制力を〝アイオーン〟と呼んでいた。もうすでに何百年、いやおそらく何千年も前に、幾多の賢者たちが諦めたように言っているにもかかわらず、何故、問うことを止められないのだろう?
私は東の果てまで行ったが、結局、あるのはただ、それぞれの勝手な理屈ばかりだ。何処へ行ってもそうだ。科学があろうが、信仰があろうが、結局は何処も同じだった…

■心理学的観点から見る「夜の旅」

「ナイト・ジャーニー」とも呼ばれ、無意識への旅ないし集合意識(「神」と呼ばれるもの)の深層部への旅を意味する。「英雄の試練(未知の世界への冒険)」に属するジャンルの神話物語は、「夜の旅」と全く同じ構造をしている。

「行きて帰りし物語」、「帰らざる物語(世界の秘密を知って/偉業を成して天へ召される)」という異なるバージョンがあるが、いずれの神話物語についても、その全編を貫くテーマは「イニシエーション」もしくは「死と再生」だ。

“自立すること”と“孤独になること(精神的な意味で「死」を贈与されること)”が、実に同じ意識フェーズの裏表であることと関係するのである。


■『神話の詩学』著者=ロシアを代表する碩学エレアザール・メレチンスキー

序文から抜粋:

・・・『神話の詩学』について言いますと、この本は、歴史詩学を論じてきた私の一連の研究、すなわち、言語芸術の古型からの文学の発生、とくに神話という古型からのその発生と、数多の文学ジャンル形成とを論じてきた私の研究の中核に位置しています。・・・
本書の表題は、いくぶんか厳密さを欠いているように見えるかもしれない。神話創造には、無意識的な詩的創造の原理があるだけなので、何らかの神話をとりあげて、芸術固有の手法、表現方法、文体などという詩学的問題に関して語るわけにはいかないはずだからである。
しかし、神話には、感覚的、具体的な形の普遍的表象の変容がつきものだ。
すなわち、芸術に固有ではあるが、ある程度は神話から受け継いだともいえそうな、まさにそうした形象性が備わっているのである。
太古の神話は、ある種混交的な統一体であって、宗教と太古の哲学的観念(神話的源泉が乗り越えられていく過程で形成された)の萌芽だけでなく、芸術の萌しも、わけても言語芸術の萌しも潜ませていた。
芸術形式は、神話から、具体的、感覚的な普遍化の方法も、混交性そのものも直接受け継いで用いている。

解説部分からの抜粋:

歴史詩学は何よりも、詩学的諸形態とカテゴリーを(最広義における文学の〈言語〉を)その生成のありさまと形成の歴史的論理とにおいて研究する。
そのため、理論詩学が古典的形態の方を注目するのに対して、歴史詩学は、とくに初期、早期の形態、移行段階の形態の方に注目する。

■「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。すなわち国防は軍人の専有物にあらずとの結論に達す」加藤友三郎

■人間は超人になれるか(思想的進化)
《http://twitter.com/t_ota/status/11527323061》
《http://twitter.com/t_ota/status/11527400804》
《http://twitter.com/t_ota/status/11527466378》
〝意味〟や〝物語〟に縛られて生きていた人間が、これからは〝強度〟に満たされて生きるようになる、そして人間は〝超人〟という人間を超えた存在あるいは〝動物〟や〝機械〟といった非人間的存在になる――
この図式は、かつてポストモダンの思想が好んで用いたものであった。この図式は一見したところきわめて魅惑的で、そこに〝現代思想〟が大いに流行した理由もあるわけだが、端的に言って全く間違っている。人間は〝超人〟や〝動物〟や〝機械〟になることはできず、あくまで人間であり続けるしかない。また〝意味〟や〝物語〟から逃れることもできない。
「物語が終わり、人間は…になる」という言い方すら、新しい一つの"物語"であるに過ぎない――それも、聞くに堪えないほどお粗末な。


■星と境界についてのメモ/「摩多羅神はどこから来たのか?」より

ラテン語TER-MINUSは境界、制限、終局、限界などの意味があり、ローマのテルミヌス(境界神)の語源。TARAはサンスクリット語STRIに由来、「まき散らす、拡大する、拡散する」などの意味があり、英語STARになった。星とターラー(多羅)は切ることが難しい
ターラーは、「救い」と「夜空に輝く星」の意味を併せ持った境界神である。
ターラー(TARA)にはサンスクリット語で語源的には川を横切る、運ぶ、超越するなど、また、解放する、逃れるなどの意味がある。
ターラーが救度菩薩と言われるのも、冥界との境界においてこの女神が援助の手をさしのべてくれると信じられているからである。

■冬から春の草「よもぎ」・・・沖縄・九州「星の草」神話的に「冥界との境界の草」可能性あり

「よもぎ」語源:
・『萬葉集』大友家持の長歌…「余母疑/よもぎ」
・中国語「艾草」…「艾/ガイ」、漢方薬の一種
・『和名類聚抄』源順、10世紀前半~漢字「蓬」初出。「本草云艾一名」…艾草のことを一名では「蓬」ともいう、和名では「與毛木」である、とする。「蓬」は不老不死の「蓬莱山」に由来。薬効の強調のためか
・九州全土の方言で「フチ」。沖縄県の方言で「フーチバー」。「フツ」「フチ」は琉球地方で「星」の意味。日本語「ほし」の語源
※日本神話の武神フツヌシは『星の王』の意味を持つ。「星の世界」は「死の世界」であり、「よもぎ」>「よもの木」>「黄泉の木」解釈が可能
・西洋/オウシュウヨモギ:Artemisia vulgaris…防虫、魔除けの魔法の草として儀式・儀礼に使用
ヨモギ属の学名Artemisia:月と狩猟の女神アルテミスに由来。ギリシャ神話の神だが、トルコ由来。生と死の二面性を持つ女神とされる(安産と豊穣/疫病と死)
冬から春の季節、「死(月・蛇・冥府・地下)」から「生(太陽・現世・地上)」へ移行する季節とされた。早春の草である蓬を、冥府の世界から送られて来た草(アルテミシア)と名付けた可能性あり。別名「蛇草」
※早春に芽を出して地表を覆うカキドオシやキランソウの別名「地獄の窯の蓋」


■ジョルダーノ・ブルーノ
「諸君が広大な天空を見上げる時、太陽も諸惑星も地球の周りを回っているように見える。そして、青空は青い壁のように見える。この青い壁は、諸君の認識能力、知覚能力がそこまでしか達していないために、そのように見えるのだ。しかし、諸君の限られた感覚が壁しか見ようとしないところには、無限の空間が拡がっている。そこには無限の宇宙が存在しているのだ」

■思考は言語によって構成される/アンカー効果
―さよう、太陽と月が寄り添えば、金と銀がそろい踏み、この世を革命する光輝、いっさいのものが手に入ろう―/―賢者の石をものにしても、石に賢者がご不在では―/―この世は仮面舞踏会、監獄舞台の檻の中で、クルクル茶番を踊ります―

■ゲーテ
「別の人生を願わない人はすべて、この世の人生においても死んでいる」
(ひとつの生と死は、その外側にある無数の他の生と死によって基礎づけられるゆえに)

■エレノア・ルーズベルト
「偉人は考えを論じ、凡人は出来事について話し、つまらない人間は噂話をする」

■アリストテレスの四原因説αἴτιον、アイティオン
質料因(希: ὕλη, hyle, ヒュレー)
形相因(希: εἶδος, eidos, エイドス)
作用因(「始動因」や「起動因」とも)(希: αρχή, arche, アルケー)
目的因(希: τέλος, telos, テロス)

■ロゴス=理性, 言語, 理義, 留め置き&集め置き(ピン止め)
~カテロゴス(=カテゴリーの事)

■モイラ=運命, 人々への配分
クロートー「糸を紡ぐ」/ラケシス「糸を割り当てる」/アトロポス「糸を断つ」

■二コマコス倫理学(アリストテレスの著書を息子ニコマコスがまとめた物)
徳=選択にかかわる「性格の状態(ヘクシス・プロアイレティケー)」における「中庸(メソテース)」

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国際感覚■外交経験の深い政治家や外務省の見解を間違っていると言い、我が国際感覚こそスタンダードと叫ぶ類=一義的・一方的視点で判断する性質。海外についても国内についても同相の発言をしがち。※情報収集能力/インテリジェンス能力/複眼的思考/解像度

(備忘メモ・いつか創作に活かせるかも)階段でズッコケて、数段ほど、サスペンスドラマ場面みたいに転げ落ち。背中と腰の各所、数時間ぐらい痛み。死を見たような気がする一瞬、謎ですが「恋に落ちる」と似た心身状態になる可能性あり。人類の脳ミソについて興味深い考察ができそう。

「日本のメディアにはヒューマニズムがない。人間愛がない。なのに妙なセンチメンタリズムだけがあり、悲惨さを楽しもうとする」上岡龍太郎

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