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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2010.7.27ホームページ更新

新しく以下のページを追加しました=[華夏の時空3.・・・黄河乱世ノ章

元となった過去エントリ:

思索の放浪(思いつきの覚書)
前シナとシナとその後・前篇〉・〈前シナとシナとその後・後篇
シナ研究:中原の呪縛・1
序文のようなもの(春秋から秦・漢までの大雑把な私見)
シナ研究:中原の呪縛・2
【匈奴大帝国】・・・前篇(匈奴の膨張)
シナ研究:中原の呪縛・3
【匈奴大帝国】・・・後篇(漢と匈奴の国際関係)
シナ研究:中原の呪縛・4
黄老思想と陰陽五行説・・・漢代における神秘哲学思想
シナ研究:中原の呪縛・5
「新」帝国の貨幣政策・・・古代東アジアの巨大デフレ・スパイラル
シナ研究:中原の呪縛・6終
三国/南北朝・五胡十六国時代・・・退嬰と混沌の果ての「華夷秩序」

プチ更新・・・[迷宮のミノタウロス](原題=派閥の力学・考シリーズ)

「メサイア・コンプレックス」の参考にしていたサイトがいきなり行方不明になり、引用元が失われた状態になってしまったので、大変困惑しております…orz

一応、旧アドレスはそのままにし、「現在リンク切れ」という隠しコメントをつけてあります。

それと共に、新しく見つけた「メサイア・コンプレックス」の参考資料となるサイトに紹介リンクを張りました。ページの中ほどにありますが、こちらにもご紹介:

・・・ブログ『愚者の侃々諤々』さまより
抑圧と「メサイア・コンプレックス」(1)
抑圧と「メサイア・コンプレックス」(2)
抑圧と「メサイア・コンプレックス」(3)

ブログ『愚者の侃々諤々』の著者はクリスチャンらしく、『聖書』を元にした文章をメインに著述されています。文章はとても長いですが、丁寧に読めば、要旨は分かりやすいのでは無いかと思います…^^

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2010.6.23ホームページ更新

以前にお知らせしていました通り、ブログに今まで掲載していた一点もののイラストを並べて公開しているページ〈深森ノ画廊〉を作りました^^

直通アドレス=[http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/gallery.html

さすがに、「一生懸命描いたけど、アマチュアでシロウトな所が抜けてないから気恥ずかしい」という事で、こそこそ…と、リンクを作ってあるので、すぐには見つかりにくいかも知れませんが…(イラスト系という事で、「物語ノ本流」に付けた「説明書(画風の説明)」の部分に、「深森ノ画廊」へのリンクを付けてあります)…^^;

…お知らせだけじゃ内容が薄いので(笑)、現在、気になっている箴言など…^^

岡潔(おか・きよし)の箴言・・・

人の情緒は固有のメロディーで、その中に流れと彩りと輝きがある。メロディーがいきいきしていると、生命の緑の芽も青々としている。そんな人には、何を見ても深い彩りや輝きの中に見えるだろう。
ところが、この芽が色あせてきたり、枯れてしまったりしている人がある。そんな人には何を見ても枯野のようにしか見えないだろう。これが物質主義者とよばれる人たちである。
生命の緑の芽の青々とした人なら、冬枯れの野に大根畑を見れば、あそこに生命があるとすぐわかる。生命が生命を認識するのである。こうした人にはまた、真善美の実在することも分かる。しかし、物質主義者には決してわからない。
物質主義とは何であるかといえば、「初めに時間・空間というものがあって、その中に自然というものがある。その自然の一部が自分や人の肉体即ち自分や人である。自然は物質である。だからすべては物質によって説明がつく」というので、ここまでならば物質思想であるが、そうとしか思えないということが加わっているから物質主義である。これが今のたいていの日本人には仏教でいう先入観としてはいっている。
その結果、今たいていの日本人は自分が死ねばそれきりだし、生まれぬ前の自分などというものはないと思っている。これが仏教でいう偏見である。これが実に困るのである。

ヒュパティアの箴言・・・

生きると言うことは、世界が広がっていくことである。人生を旅すれば旅するほど、より多くの真実を理解できるようになっていく。戸口にあるものを理解することは、その先にあるものを理解するための最善の準備になる。

2010.4.17ホームページ更新

…朝の冷え込みが強く、早朝は雪が積もっていました…天変地異まっただなか??…

新しく、以下のページを追加しました。

》時ノ神楽・・・花綵列島に寄す:直通アドレス
http://mimoronoteikoku.tudura.com/garden/waka/57tutae_02tokikagura.html

ページ内容は、当サイトのオリジナル詩歌となっております。一部、独自に組み合わせて作った詩的な言葉があり、読みの曖昧さを避けるため、右側に仮名多めの、振り仮名バージョンを添付しております。


後日、海と橘について詳細を調べていると、とても興味深いページが見つかりました。

「伊勢の海」と「橘」とは、確かに、日本列島の古代史の深い部分でリンクしていた…と言えるようです。それは確かに、確固たる祈りの世界、神話時空を織り成していて、例えば「わだつみの神学」、「海の彼方の常世の神学」とでも言うような、ある種の…光と影の入り交ざる何か、を感じられるものでした。

「海」と「橘」の入り交ざる物語、時空を超えた神話めいたもの…は、昔も今も、不思議な形で私たちに語りかけてくるものである…という風に思います。その深い部分が、古代日本人の象徴感覚&言語感覚で解釈されて、一篇の神話物語として象徴的にまとめられたものが、たとえば「弟橘媛の物語」だったのかも知れない…という想像が出てきました。

…時を超え、生と死とがうねる巨大なワダツミ、荒らぶる大自然へのひたすらな畏敬の念…

二見浦で感じた「何ともいえない不思議な気持ち」を詩歌にしてみて…かつて古代人がこの光景から感じていた「何か」に、上手く共振できたかも…という点で、割と正確なクリーンヒットとなった筈…と、ちょっとだけ、自画自賛

※参考・・・伊勢志摩と二見浦を旅行したときの記録
伊勢参詣の記録・前篇=http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/402/
伊勢参詣の記録・後篇=http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/403/

《海&橘に関する資料》

以下の文章は、(たぶん一般民間の)調査研究論文《橘について》より
http://kamnavi.jp/jm/tatibana.htm

◆常世の神の依り代、橘

橘は立花で、これは柱などと同じく神の依り代。 太古よりこの国に自生している常緑樹であり、美しい実と香しいにおい、さらに神の遣いである蝶の幼虫が育つ樹木であり、神の坐す處と世俗とを結ぶものとして尊ばれてきた。

◆海・橘・常世

常世は海の彼方にあると云う幻想は古来からのものと思います。
垂仁天皇の時代のこと、天皇は田道間守に命じて、時じくの香の木の実(『日本書紀』では非時香菓)を持ち帰るように常世国に遣わしました。『日本書紀』では「遠往絶域。萬里蹈浪。遥度弱水。是常世國」と表現しており、いかにも海を越えて遠方におもむいたようです。
垂仁天皇の時代、天照大神は「是の神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰する国なり。」と、当地に鎮座する託宣を出し、伊勢に落ち着いたのが伊勢神宮の創建譚。重浪はシキナミと訓みます。天照大神が常駐することによって、常世となり、神宮は常宮となった。
伊勢神宮とその禊ぎ場である二見浦との間の伊勢市黒瀬町に橘神社(祭神不詳)が鎮座、ここは浜郷神社(伊勢市通町)の摂社ですが、海上遥かから重浪にのって寄り来る常世の神の依り代の橘が神木であったものと思われます。現在も柑橘類の木が生えているとのこと。

・・・・・・《以上、引用》

引用元サイト=『神奈備』古代史探求サイト>http://kamnavi.jp/index.htm