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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

制作プロットのメモ「鬼ノ城」

第三部マレヒト@第二章「鬼ノ城」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

■09/08■

未明、忍者ハイタカ、リョウ、タスキ、鬼ノ城を抱える山岳のふもとで待機。

鬼ノ城の眼下に広がる位置の雑木林(忍者ハイタカ、リョウ、タスキが偵察中)幻霧たちこめる。光連衆の軍隊が予測通りの位置に居る。確認した後、別の場所で別の人の気配がしたが、すぐに消える。

訳を確かめるべく位置を探ると、乾人(大乾帝国から来た人)の死体が見つかる。殺害直後の状態。忍者リョウにとっては、聖麻邸に居た知己。

密な雑木林をただよう幻霧。やがて得体の知れぬ忍者と、捕縛された鏡が現れる。あまりにも怪異な光景。鏡が忍者ハイタカ、リョウ、タスキに気付き、助けを求める。※これも不自然。元々、鏡は訓練された忍者では無く、忍者ハイタカ、リョウ、タスキを察知する程の能力は無い。

忍者ハイタカ、リョウ、タスキが反応したところで、鏡を捕縛中の得体の知れぬ忍者が気付き、武器を手に取り急襲の構え。

忍者リョウ、一瞬の判断で刀を使う。鏡を斬り捨てると同時に、鏡を盾にしていた得体の知れぬ忍者に致死レベルの深手を負わせる。

幻霧が切れ、化けの皮が剥がれる。鏡だったものはハリボテ幻影で、得体の知れぬ忍者の正体は、忍者リョウが見破ったところによると、聖麻王室の直属の工作員トップ。忍者リョウにとっては、こちらも知己。

忍者リョウ「幻術野郎」と毒づく。実際に、呪術レベルの高い工作員トップで、幻術使い。聖麻王室では、聖麻王族の傍で華麗な衣装をまとっていた占術師・相談役。忍者リョウ、幻術使いと乾の工作員との間で諍いがあったと察知、「仲間割れか」と確認。

忍者ハイタカとタスキ、いつの間にか周辺樹木に突き刺さっていた毒針の存在に気付く。忍者リョウが刀剣を振りがてら弾いていたもの。

忍者リョウが気付いた理由:忍者リョウは、かつて暗殺指令を受けて鈴鹿峠で鏡を暗殺しようとしたとき、鏡の顔に傷をつけている。今は完治して痕も見えないが、実際に手を下していたリョウは、ちゃんと見える。幻術使いが繰り出した鏡イメージには、その傷痕が無かった。ゆえに偽物と察知できた。

幻術使いは聖麻王室の相談役として、かつて鏡の暗殺を指令した本人だが、忍者リョウの追及には応じず。しかし忍者リョウにとっては、もはやどうでも良い事。幻術使いの方は、「仲間割れか」と確認された件については、別に隠す理由も無いので肯定。乾人との諍いについては、事態が変わったため、彼を活かしておく理由がなくなり殺害したと明かす。

幻術使い、忍者リョウを説得。非公式ながら聖麻王室の血縁に連なる者として、リョウはミカボシの位置にあり、聖麻王室の中興の祖であると共に、大陸に帰還すれば聖麻の大帝国を建国できる「予言された覇者」でもある。

聖麻鏡が予言した中興の祖である。鬼ノ城の契約の箱を手に入れれば、そうなる。※乾人がこれを知れば、リョウを殺害するか、リョウを利用して大乾帝国の権勢を盤石にするか、なので、幻術使いは聖麻王室に忠実な工作員として、乾人を殺害していた。

忍者リョウ、幻術使いの誘惑を拒否。中興の祖としての、あらゆる栄光と権勢よりも、ただの職人である鏡の友人であることを選ぶ。(過去、鏡は自分では知らず、リョウの命を救ったことがある)

幻術使い、激しい失望と共に、最期の息を引き取る。同時に、夜明けが到来。

夜明け、アザミ衆のイオとエリが、忍者ハイタカ、リョウ、タスキのもとへ現れる。聖麻王室の工作員が居る事について速やかに報告しようとしていたが、その前に、聖麻王室の工作員である幻術使いは、大乾帝国の工作員と共に死体になっている状態。

次の段階へ。

鬼ノ城の天守閣。

タイミングをわきまえず押し掛けた大尊教の使者、契約の箱を寄越せ、とコトヒラ軍に迫る。現在、鬼ノ城を軍事拠点として立てこもっているのはコトヒラ派。

大尊教の使者とコトヒラ代表との会談は決裂、コトヒラ代表は、大尊教の使者を城柵に縛りつける。そこへ、夜明けと共にコンピラ軍が攻城戦を開始。大尊教の使者、真っ先に血祭りに。

コトヒラ軍、コンピラ軍、光連衆の軍、金斑・紫銅の軍、かつての紅蓮教団の忍者たちが入り乱れる乱戦に。さらに海側の方から、九鬼軍を含む瀬戸内海の海軍が、混乱が波及しないように包囲している状態。

忍者ハイタカ、リョウ、タスキ、天守閣へ潜入、コトヒラ軍の人員として囚われている御影王と類仁王を救出。天守閣は三つ巴+アルファの争いで大混乱しているところ。

紅蓮教団の代表・赤日と、光連衆・天角がにらみ合い一騎打ちとなるが、光連衆・紫銅が乱入して、両者ともに致命傷を負わせる。天角、あっさりと殺害。天角への復讐に燃えていた紅蓮教団の赤日、衝撃波を受けて、天守閣から落下。

大尊教・四国のコトヒラ派とコンピラ派は金斑・紫銅の攻撃に対して抵抗できず、戦場は血の海に。各軍がそれぞれ逃げ散る。天守閣が争奪戦の場になっていた契約の箱は、呉越同舟となったコンピラ・コトヒラ軍によって運ばれる。

瀬戸内海の海軍の特攻隊、鬼ノ城へ攻め上がる。カモさん、九鬼幸隆、良基、ネコマタ・ハイネは別動隊となり、忍者たちと協同して御影王の救出に専念。

途中で、光連衆と金斑の内戦とかち合う。別にコトヒラ・コンピラの流れ矢が大量に飛んで来る状態。

忍者たちの協力で無事に御影王の身柄を確保。ついでに類仁王も。

金斑・紫銅の軍、持ち前の戦闘力で光連群を壊滅させる。いよいよ紫銅がカモさん一行を襲撃というところで、欠き眉の豹が現れる。欠き眉と紫銅はお互いに憎しみ合う兄弟であり、互いの敵意の方が、カモさん一行への殺意よりも強烈。あっと言う間に兄弟対立へ。

コトヒラ・コンピラの流れ矢の群れ、コンピラ教主に刺さり、その命を絶つ。コンピラ教主、契約の箱を持ったまま崖を落下。流れ矢、良基に刺さる。御影王、動転。カモさんもショック。

欠き眉、紫銅を半殺しにし、コンピラ教主の死体から飛び出した契約の箱を追って、その契約の箱を偶然に拾った類仁王を殺害しようとする。直前で類仁王、かわす(単なる幸運な偶然)。

欠き眉、改めて類仁王を殺害しようとする。直前でネコマタ・ハイネが介入、類仁王の首の代わりに、ネコマタ・ハイネの首が素っ飛ぶ。ただしネコマタ・ハイネは妖怪なので死なない。

ネコマタ・ハイネと同時に、忍者ハイタカが薙刀を持って介入していた。欠き眉の「死の鎌」は、その薙刀に押し留められた状態。欠き眉、忍者ハイタカの始末を決心、一騎打ちへ。

紫銅が復活、欠き眉の動きを妨害。紫銅、欠き眉、忍者ハイタカで、予期せぬ三すくみ。

妖怪コリマタ(狐狸又)が乱入。呆然としていた類仁王の手から、契約の箱を奪い取り、高跳びして逃げる。

欠き眉と紫銅、唖然としながらも、攻撃対象を切り替え、コリマタの後を追う。コリマタの狐の尾を切り落とす。コリマタ、純粋な狸妖怪になる。

高速でその場を去るコリマタ、紫銅、欠き眉。

見送るカモさん側の方は、「幸運だったのか」とポカンとする。御影王、意識の無い良基を必死で揺さぶる。良基の胸には流れ矢が深々と刺さっているが、やがて、ネコマタ・ハイネ「生きてる」と指摘。

カモさんが確かめると、良基は本当に失神していただけだった。流れ矢は胸を貫かず、首元に下がっていたお守り袋に突き刺さって、そこで留められていた。お守り袋の中に入っていたのは翡翠の勾玉。九鬼幸隆、「翡翠は意外に粘る石だから」と納得。

ネコマタ・ハイネが、旅の前に瀬都が勾玉に何らかの呪術を施していた事を明かし、カモさんに詰め寄られる。「後で説明してもらう」

御影王の身柄確保という目的を達し、カモさん別動隊、戦場を退却。

途中、崖下の場所で、紅蓮教団の赤日を発見、瀕死の状態。

カモさんの質問に応じて、紅蓮教団の赤日、欠き眉、紫銅、胡蝶公主について説明。さらに、重陽の節句につなげて、金斑の目的を妨害する呪を唱える。欠き眉と紫銅はもちろん、恐ろしいことをやろうとしている胡蝶公主を、特に死体にしなければならない。

短い弔いの後、カモさん一行、さらに戦場の外へ向かう。流動的な戦局、呪術で難所を切り抜ける。

夕方の刻に近い。鬼ノ城の主力部隊がすべて壊滅状態と言う事で、瀬戸内海の連合軍、鬼ノ城の戦場を包囲、終戦へ向けて整理。

戦場の後始末が始まる。残党狩り。

類仁王、育ちの良さのせいで、残党狩りの光景にショック。人生観が変わる程の衝撃。

カモさん、忍者ハイタカ、タスキ、リョウ、ネコマタ・ハイネ、鏡、事態を再検討。胡蝶公主の大陸での名前はカレフテというらしい。

瀬都の謎の勾玉の呪術についても詳しく考察。以前の道成寺の妖異事件の謎に大いに関わる。

(余談)

妖怪コリマタは狐尾を切り落とされながらも、契約の箱を持ったまま四国へ高飛び。そして隠神刑部となり、四国が化け狸のメッカに?化け狸は808匹いる。

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研究:カバラ言語感覚・象徴と寓意

◆考察および研究のために個人的にノート◆

《カバラー、メルカバー・ヘイハロット文学とグノーシス主義―ゲルショム・ショーレムとユダヤ神秘主義の「起源」問題―/手島勲矢・著より》

(引用者による要約)

ユダヤ神秘主義の研究は、ユダヤ学を構成するひとつの重要な分野である。しかし、ユダヤ神秘主義が学問的分野として認知されたのは、さほど昔ではない。それは、第二次世界大戦後のことであり、ひとえにG.ショーレムの功績といっても過言ではない。

ショーレムは、「自分のカバラー研究の真の目的は、その歴史を描くことではなくて、カバラーの中にある形而上学的意義を言葉にすることであった」と、友人への書簡で明らかにしている。

彼のもっとも純粋な関心は、過去の出来事としてのカバラーの発見にではなく、時空を超えた普遍的なカバラーの「意味」、現在も脈々と生き続けているその「実体」に向けられていた。この意味で、彼はカバリストであった。(事実、ショーレムは、若い頃アブラハム・アブラフィアの瞑想術を実践し、後年、その体験を詩にしている)

※ユダヤ教においては、「神秘家(カバリスト)」とは、ユダヤ教の神秘伝承カバラーを研究し、継承努力した歴史家を指す。

現在、カバラーは、12世紀~13世紀の中世プロヴァンス・ユダヤ社会の中心部に居た人々の間から発生した宗教思想・神秘思想であり、ユダヤ神秘主義とは無関係とされている。

歴史的には、ラビ・アキバやラビ・イシマエルが主人公であるメルカバー・ヘイハロット文学がユダヤ神秘主義テキストの始まりであり、そのテキストの起源を論じることが、ユダヤ神秘主義の起源を問うことである。

ショーレムはユダヤ神秘主義の歴史の一貫性を強調するあまり、メルカバー・ヘイハロット文学の神秘主義を「古代カバラー」と呼んだが、現在一般には、無用な混乱を避けるため、「初期ユダヤ神秘主義」という用語が用いられている。

カバラーには、13世紀のプロヴァンス・スペインに発する神秘思想としての「カバラー(『ゾハル』・『バヒール』などの書物に代表される神秘思想)」と、古代ユダヤ伝承としての「カバラー(ヘブライ語で「伝承」の意)」の二重の意味があるのだが、カバラーの起源問題が複雑化しやすいのは、こうした二重の意味が存在する事にもよる。

・・・重要な用語の説明=『セフェル・イェツィラー』について・・・

ユダヤ教の伝承では父祖アブラハムが伝えた書物ということになっているが、文献学的には初期ユダヤ神秘主義のテキスト群に属する。現在のテキスト形式は6世紀以前に成立していたのは確実で、伝承自体はさらに古く、おそらく2世紀~3世紀にさかのぼると思われる。

このテキストの主題は、ヘブライ語の22文字と10の数字を、神が世界を創造した原理として説明することであるが、2000語足らずの短いテキストである上に、難解で謎に満ちた文言なので、多くの読者がその理解に苦しむ。「10のスフィロット(数字)」という概念をユダヤ教に導入したのがこの書であるが、この書物の興味はあくまでも「数字」としての「スフィロット」であり、数字が宇宙の構造の中で果たす原理的役割に過ぎない。

しかし、大胆なラビ・イツハク・サギ・ナホールは、この「10のスフィロット」を、「数字」ではなく、10の「神の力能」(の存在)と解釈した。このような理解は、12世紀までは存在せず、12世紀から13世紀の南仏プロヴァンスで、急に立ち上がってきたものなのである。以後の「スフィロット」の意味は、サギ・ナホールの解釈した意味でカバリストの間に定着したのだ。

(引用者による要約終わり、以下は引用)

【言語感覚の問題―象徴(シンボル)と寓意(アレゴリー)―】

ショーレムは、哲学者は言語を「アレゴリー(寓意)」として扱い、カバリストは言語を「象徴(シンボル)」として扱うというが、サギ・ナホールの大胆な『セフェル・イェツィラー』の新解釈は、まさにこのカバリスト特有の「象徴」言語の感覚と無関係ではない。

では「象徴」と「アレゴリー」の違いとは何か。実は、それは、中世の聖書解釈問題でもある。つまり、中世のユダヤ哲学者は、合理の観点から聖書に多くの矛盾が含まれていることを認識していて、その聖書の言葉の矛盾を「アレゴリー」として捉えることで解決しようとした。

ショーレムの定義によれば、「アレゴリー」とは「自分の伝えたい意味を他の言葉で言い換える手法」であるが、理性に矛盾している聖書の箇所を「アレゴリー」として読めば、文字通りの意味にこだわる必要はなくなり、テキストの言葉を形而上的意味の〈言い換え〉として理解できる。

しかし、カバリストは、難しいテキストの言葉を「アレゴリー」とは読まず「象徴」として読んだ。ショーレムによれば「象徴」とは〈言語では表せないものの表現〉ということだが、これは「アレゴリー」的言語感覚と本質的に異なる。この「象徴」の言語感覚をショーレムはこう説明する。

〝神秘主義者の意見では、聖書の命令を行なうユダヤ生活の〈具体的な世界〉の中には、言葉で表現できない〈もう一つの世界〉が反映しているのだ。その世界は、了承された定義の形やその他の描写の形などでは表すことができない。それは、ただ「象徴」という様式でのみ現すことのできる世界である。
すなわち、聖書の読者の〈具体的な世界〉を、形而上学の教科書の原理のような、理路整然と整理できる〈真理〉の総体に置き換えるようなことはできないのである。ただ、その世界は〈象徴〉の総体としてのみ出現する。具体性それ自体のなかでのみ与えられ、展開される象徴たちが、その(もう一つの)世界を顕にして、そのベールを剥いでくれるのである。
つまり、哲学的な方法でなく、ヒントのなかからのみ把握できる概念の形で、そのベールを剥いでくれるのである。(ヘブライ大学連続講義『ゲロナのカバラー』21頁)〟

一見、アレゴリーも象徴も同じような「言い換え」の作業に思えるが、両者はテキスト解釈において根本的に異なる。それは前提とするものが異なるからである。

哲学者はある言葉の意味が謎に思えても、最終的に、それを合理的に説明することが可能だと信じる。なぜなら、言葉は「アレゴリー」にほかならないからである。すなわち謎の言葉でもアレゴリーである限り、そこには必ず率直な言葉で〈言い換えできる〉最初の「意味」が存在するのである。だからアレゴリーとして言葉を解釈する哲学者は、謎の「言葉」に対して理性が納得できる「意味」の言い換えを発見するまで諦めない。

しかし、言葉を「象徴」として捉えるカバリストは、言葉に合理的説明を求めない。なぜなら、「言葉」は、最初から「言葉にできないもの」の象徴である。つまり、言葉には最初から哲学者が求めるような「意味」は存在しない。「言葉」が提示するのは、ただ言葉にできない「存在」または「実体」なのである。

したがって、カバリストは、テキストを前に〈why is it?〉とは問わない。ただ、〈what is it?〉と尋ねる。そして、その問いに答え得る人は、その「存在」に出会った者か、またはそれについての伝承を持つ者だけである。

このような「象徴」言語の感覚は、哲学者が持つような、「言葉」に対する懐疑の上には成立しない。ただ「存在」の象徴として「言葉」を無条件に受け入れる上にだけ成立する。

したがって、ラビ・イツハク・サギ・ナホールが『セフェル・イェツィラー』注解で、10のスフィロットを神の内部にあるさまざまな「力」と説明する時、それは決してものの譬えではない。それらスフィロットは、疑いもなく、「ひとつの神」の内部に色々な「力」として存在する「神々」である。

・・・(中略)・・・

このようなカバリストの象徴言語の感覚を考慮するときに、なぜ『セフェル・イェツィラー』で用いられる何の変哲もない「エイン・ソフ(終わりがない)」という形容詞的表現が、サギ・ナホールの手にかかると、スフィロットより高次元の「存在」を意味する名詞へと変じてしまうのか、その理由も理解できる。つまり、「エイン・ソフ」というカバラー用語は、サギ・ナホールによって生み出されたもので、以前には存在しなかったのである。

哲学者とカバリストの間の聖書解釈の違いも、この言語感覚の違いにより説明できる。例えば、「シェキナー(臨在)」や「カボード(栄光)」という聖書によく出てくる神の顕現を表す言葉を、サディア・ガオンなどの哲学者は、合理的な立場から「創造者」(すなわち神自身)とは区別すべきだと考え、それらは被造物(物質的存在)の一部であると主張する。

しかし、カバリストは、シェキナーやカボードも神自身から流出した「神」自身であると抵抗なく主張する。これも、彼らの言語感覚に由来している。つまり、カバリストたちには、自分の解釈が生み出す哲学的矛盾を解決する必要はない。彼らにとって聖書の言葉は最初から「象徴」であって、合理的説明が不可能な「存在」を表しているだけなのである。だから、シェキナーとは何か、カボードとは何か、ただ知る「答え」を断言するだけでいい。彼らの答えの権威は、その答えの合理性の上にはない。

このカバリストと哲学者の言語感覚の違いは、カバラーとグノーシス主義とが結びつくひとつの重要な背景である。つまり、ショーレムにとって、グノーシス主義者の神話的言語とカバリスト(また初期ユダヤ神秘主義者)の言語感覚は、言葉を「象徴」として扱う点において極めて似ているというのである。

・・・《以上、引用》・・・資料テキスト=『グノーシス 陰の精神史』(岩波書店2001)・・・


コメント・メモより転載

《管理人の呟き》何度も何度も引用文献を読み直してみて、やっと「象徴」と「寓意」の違いが分かったような気がします(汗)。西洋の神学者や哲学者は、すごく妙な事を考えているなあ…と感心。とりわけカバリストの脳みそが謎だらけなのだ…という事だけは、理解しました。それもこれも、西洋の心の基盤を作った『聖書』という存在が、如何に大きいものであるか…という事を意味している…という事は、とてもとても明らかですね…(12世紀から13世紀といえば…「二重真理説」などという「ややこしい考え方」が普及した時期でもありますね)^^;
「象徴」と「寓意」の違いは英語に訳してみるときわめて簡単に理解できますけど♪漢字の意味にとらわれてはいけませんね♪ - 丸山光三

黒いお金「阿片」・7終

最終回です。この辺で、スピリチュアルな感じのまとめを:

・・・阿片戦争に始まる〈阿片経済〉と世界大戦の時代をずっと眺めてきまして、やっぱり「神さまみたいな存在」はいらっしゃるかも知れないなと思いました。何故か日本をエコヒイキされてる神さまっぽいです。

占い的に見ると、イギリスの産業革命以来、西洋列強による植民地経済が悲惨の度合いを増してきて、地球全体でのバランスが著しく崩れていたのがよく分かるのです(明や清の支配も結構ひどかったみたいです)。恐れ多くも神さま的視点で見ると、植民地経済は何としても終わらせなければならなかった筈で、何度か、運命的に「不自然なちょっかい」が出されたらしいのですね。そのひとつが、たまたま日本であった。

イギリスが阿片戦争をスタートして以来、植民地経済の環境が苛烈の度合いを増してきた訳で、神さまは、日本のお尻を思いっきり叩きまくった…らしいです。安政東海地震・南海地震。明治維新。

※個人的に、阿片押し売りのメーソン宇宙人=ウィリアム・ジャーディンにはちょっとムカつきます。理由は分かりませんが…あの世に帰って彼を捕まえたら、666×666×666×666×666×666回ぐらい、連続で丁寧にぶん殴ってみよう…と計画しております…☆

ともあれ、何故、日本がいきなり近代国家に変身できたのか、そして、ABCD包囲網が敷かれるまで十分な戦闘力が続いたのは何故なのか…というのは、占い的に見ても謎なのですね。その後も、ほぼ全世界を相手に回して、何年も戦えたわけですし。

日本は、最も濃い「光の相」と「闇の相」を両方とも背負うことになりましたが、結果的に、その重圧に耐え、植民地支配システムを終わらせ、最初は合法であった〈阿片経済〉を、徹底して非合法の存在に変えた訳です。日本が採った方法が世界にとってベストな方法だったかどうかは、今だに分かりませんが、当時の西洋列強はそろって帝国主義&世界征服植民地化事業に狂っていたのであり、ソビエト・カルトも同時に広まっており、当時の条件で、短期間で効率よく世界を変えるには、こういう「どす黒い方法」しか無かったのでは…と思われる節もあります。

戦後に関しては、こんなお話があります:

戦争末期、空から爆弾がいっぱい降ってきましたが、その頃、多くの女性の生理が止まったり、不妊症が増えていたそうです。それが、玉音放送のあった日から次々に回復したそうです(女性の身体は正直なのです…^^;)。そういう意味では、戦後ベビーブーム世代(団塊世代:1947-1949)は、戦後の祝福=神さまのご褒美としての意味もある訳です。ついでに言えば高度経済成長も、神さまのご褒美として授かったものだったのではなかろうか…と思っております。

戦中カルト教育の反動で、一部アカに狂った人が出たのは、いやはや何とも…大学まで進んだ団塊の不幸な一部が、東大紛争(1968-1969)で暴れまわった「世を滅ぼす赤い龍」の下僕で…高卒・中卒の団塊は、真面目で素朴な方も多いのですけれども…今更どうにもなりませんし、どうでも良いことではありそうですが…現首相の年齢を調べると、超・深刻ですね…^^;;;

いずれにせよ1950年以降の出生は占い的に言えば、「別の日本」を作る任務がある訳です^^

・・・この辺で前置き、おしまいです^^

今回は、まったく知らない事柄ばかりでしたので、文献の引用に留めます…^^;

★1960-1970年代のビルマにおけるマオイズムとCIAの麻薬戦争

>>かつてビルマ共産党はビルマ南部を活動の拠点にしていた。それがはるばるワ州の山奥まで引っ越してきたのは中国のおかげだ。中国がビルマ共産党を支援することを決めたのは1967年、文化大革命が猛威をふるっていた時期である。すでに中ソの蜜月時代は終わりを告げ、中国はソ連と親交を深めるビルマを敵視し、中国式社会主義、つまりマオイズムを輸出するため、ラングーン政府に反抗をつづけるビルマ共産党に目をつけた。

当時、人民解放軍情報部のトップだった康生(1898-1975)の肝いりで、すでに1950年代の初めから中国に亡命し、マオイズムに染まりきっていたビルマ共産党の幹部を、当時ビルマ中部で活動していた共産党軍本体ともども、ビルマ政府の権威が届いていないワ州周辺を含む中ビ国境地帯に送り込んだ。地元の土侯や国民党の残党らはこれに抵抗したが、中国の圧倒的な物量戦の前にはなす術が無く、2、3年で駆逐された。中国は、武器や弾薬、食糧などの物資だけでなく、革命の理想に燃える紅衛兵の若者を何千という単位で投入した。…現在もワ軍/党に中国人幹部が驚くほど多く、ともすれば中国人に牛耳られているように見えるのはそのためである。

…1970年、ビルマ政府はソ連寄りの外交を方向転換し、中国と親しい関係を結ぶようになった。以後、中国は公式にはビルマ共産党の直接支援を取りやめるが、そこは国際政治の妙で、戦略物資は流入し続けたと言われる。また、資金繰りに苦しくなったビルマ共産党は、支配下のワ州、コーカン州、ムンヤン地区で、侵入直後に禁止したはずのケシ栽培(※)を復活させ、アヘン・ビジネスで荒稼ぎを始めた。

(※)実際には、共産党侵入直後の方がケシ栽培が増えたという証言がある。それまでは国民党の残党がうろついていただけだったが、1968年にビルマ共産党が侵入してきた後、中国との往来が盛んになり、「毛沢東語録」などを暗記させられたことから、それまでは中国語が聞かれなかった僻地にも、急速に中国語(雲南方言)が浸透することになったという。

近隣のインドシナは常にどこかが戦争状態にあり、金さえあれば武器の調達は容易だったはずだ。…by『ビルマ・アヘン王国潜入記』(草思社1998)高野秀行・著65-66p

>>ラオスは1954年に旧宗主国フランスが撤退してから1975年に共産化するまで、「ラオス国軍は、アメリカ国軍を除いて、世界で唯一、全予算をアメリカ合衆国に頼っている軍隊だ」と揶揄されたほどアメリカとの結びつきが強かった。当時は、そのラオス国軍の総司令官自身がヘロインの精製所や密輸ルートをコントロールしていたと言われ、同国のドラッグ・ビジネスの最盛期でもあった。そのお先棒を担いでいたのがCIAだ。

アメリカの著名な政治学者A・マッコイなどの研究によって、CIAは当時、タイ・ビルマ国境付近の少数民族にケシ栽培を奨励し、彼らからアヘンを安値で買い入れては(メソアメリカ&南米で)ヘロインに変え、それを軍資金にして同じ少数民族の男たちを反共産ゲリラの兵士として死地に赴かせ、莫大な数の犠牲者と難民を出したことが明らかになっている…by『ビルマ・アヘン王国潜入記』(草思社1998)高野秀行・著22p

★ベトナム戦争(1965-1975)におけるマオイズムとCIAの麻薬戦争

(1965.2.7の北爆を開戦として、1975.4.30のサイゴン陥落を終戦とする事が多い)

ベトナム戦争において、北ベトナムを応援する中国共産党は、米軍の慰安所に大量のヘロインを流した。これは一大阿片生産地となった「ゴールデン・トライアングル」と「援蒋ルート」を利用したものだった。また、このルートに食い込んで膨張した新手の阿片業者が、現在にまで続く問題になっていると推測される。

現在分かっている事は、このベトナム戦争下で展開した阿片ビジネス(ヘロインの輸送)に対して、周恩来が黙認、あるいは指導・援助していた事である。その結果、ベトナム帰りの兵士による阿片中毒が、アメリカ国内に蔓延したのだった。

>>マッコイによれば、50年代初期、CIAがビルマ側に逃げ込んだ国民党軍の支援に乗り出し、ここで栽培された阿片がラバの背でタイのチェンマイに運ばれ、CIA提供のヘリや飛行機でバンコクに送られるのを黙認したのがことのはじまりだった。

第一次インドシナ戦争でフランス情報部がラオスの少数民族に栽培を強制し、サイゴンの警察軍に販売権を与え、反ベトミン勢力育成の資金にした経緯は、日中戦争中、日本軍が内蒙古で栽培させた阿片で占領地行政の経費を賄ったのに似ている。が、フランス情報部とちがって、CIAはタイやラオスで、そして米国がゴ・ジン・ジェム政権をつくり介入したときも、その秘密活動資金を得るために麻薬取引に手を出したりはしていないという。

CIAが演じた役割は、副大統領のグエン・カオ・キがかれの空軍輸送機でラオスからサイゴンに運び込み、それが、かれの権力の源泉になり、分け前をめぐって政権内に暗闘がたえず、さらに69年末、香港から送り込まれた職人の手で、「黄金の三角地帯」でヘロイン製造がはじまり、これがベトナムの米軍兵士に売られ、70年代のはじめ、在ベトナムGIの15~20%、2万5000~3万7000人がヘロイン常用者になったという軍医の報告を知りながら、CIAも南ベトナムの米大使館も、何の手も打とうとしなかったことだという。

かれらは阻止すれば政府の崩壊につながることを知っていたからだ。ベトナムから手を引く事、これ以外に米国に流れ込むヘロインを防ぐ手立てはないというのが結論だった…by『オールド上海 阿片事情』山田豪一・著

★カンボジア内戦でも、ポルポト政権は排除できたが、地雷&麻薬禍の排除に苦労している。

《以上》

現在は、「援蒋ルート」の跡地に石油パイプライン(2012完成)が引かれようとしている。

(msn産経)[中国、ミャンマー経由の石油パイプラインを9月着工-中東依存の日本に影響も

>>【北京=野口東秀2009.6.18】ミャンマーから中国に通じる石油と天然ガスのパイプラインが、9月から全面着工されることが17日までに明らかになった。これにより、中国は中東やアフリカで産出される原油を不安定要因の多いマラッカ海峡や南シナ海を通さずに国内に運ぶことが可能となる。世界第2位の原油輸入国である中国にとって原油供給を安定させる動脈のひとつになるとみられ、中国が中東産原油への依存を強めるきっかけになる可能性もある。原油輸入の大半を中東に依存している日本にも影響を与えそうだ。

中国とミャンマーは今年3月、石油や天然ガスのパイプライン建設に関する合意文書に調印した。第一財経日報などによると、中国大手石油会社、中国石油天然ガス(ペトロチャイナ)関係者が15日、約20億ドルをかけたプロジェクトが9月に全面着工されることを明らかにした。

パイプラインはミャンマー西部の港湾都市シットウェーから中部マンダレーを経由して中国雲南省に入り、大理を通って昆明に達する。全長は約1100キロに及び、年間2000万トン、1日約40万バレルの石油輸送を見込む。天然ガスのパイプラインは2012年にも完成する見通し。最終的に広西省南寧まで延長され、年間120億立方メートルの輸送を予定している。

2003年に石油消費量で世界第2位となった中国は、08年5月に原油輸入量でも日本を抜いて世界第2位に躍り出た。国内で消費する石油の約6割を輸入に頼っており、07年の輸入元上位5カ国はサウジアラビア、アンゴラ、イラン、ロシア、オマーン。中東産が45%、アフリカ産が33%を占めている。

現在、中東やアフリカから中国に運ばれる原油のほとんどはマラッカ海峡を通過している。同海峡は通過する船舶が多く、海賊事件も多発しているほか、周辺国のインドネシアでは過去に華人排斥運動が頻発するなど不安定要因がつきまとう。南シナ海も南沙諸島の領有権問題などを抱えている。

エネルギーの安定供給を求める中国政府は、マラッカ海峡ルートへの依存からの脱却を模索していた。そこに外貨を稼ぎたいミャンマーとの思惑が一致し、パイプラインの建設となった形だ。石油消費量が増加の一途をたどる中国にとって、マラッカ海峡を回避することで原油の輸送コストを圧縮する効果もある。

パイプラインの建設をきっかけに中国が中東産原油の調達量を増やせば、08年で原油輸入の86.9%を中東に依存している日本の原油調達に影響が及ぶ恐れがあるほか、世界的な原油価格の上昇につながる懸念もある。

(現在の阿片問題―考察の参考)

  • 「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」=東南アジアのタイ、ミャンマー、ラオスのメコン川に接する山岳地帯を有する三国にわたる大三角地帯。ベトナム戦争~ビルマ=ミャンマー政情不安の頃(1950-1990年代)は、世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯であった。現在では経済成長や取締強化により、タイやラオスでの生産は減少傾向にある。
  • 「黄金の三日月地帯(ゴールデン・クレセント)」=中央アジア、アフガニスタンのニームルーズ州、パキスタンのバローチスターン州、イランの国境が交錯する地帯で、アフガニスタン東部のジャララバードから南部のカンダハルを経て南西部のザランジ南方へと続く三日月形の国境地帯。世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯。
  • ビルマのシナ化と地政学的影響/シナにつける薬-2007.10.7
  • 阿修羅掲示板:イスラエルの、我が祖国・中国/オルタナティブ通信-2007.11.27掲載-2007.12.2投稿(陰謀論を含む)
  • NHKスペシャル「日本軍と阿片」の音楽/たたかう音楽時評-2008.8.19

《おしまい》重いテーマでしたが、お付き合い戴きまして感謝しておりますm(_ _)m