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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

占いについて考える

《知人・某氏と、お喋り》

某氏:現代科学の究極のテーマってさ、ものすごくサックリと言うと「宇宙の起源」、「意識の起源」、「生命の起源」なんだってさ

自分:ほほぅ~(左から右へ聞き流す)

某氏:ニュートンから始まる近現代科学は、「現象」を「要素」に分解し、その個々の「要素」から全体を再構成する事によって理解する…という発想のもとに、世界の謎を解き明かして来た訳だ

自分:ふむふむ(ちょっとピコーンと来る)

某氏:さて、現代科学には、20世紀から新しい潮流が生まれて来ていて、現在は2つの流れがある訳だが…

自分:ちょっと待て!メモるから!

某氏:1つはニュートンから始まる近代科学的な手法ね。これ、ニュートン方程式とかに代表される、決定論的な記述法だな。もう1つはギャンブル、つまり確率論から始まった流れだ。現代科学は、この「必然性で世界を読む」と「偶然性で世界を読む」…と、2つの潮流がある

自分:決定論と確率論ね

某氏:量子論はこの2つが両方とも入ってる。だから、決定論的な世界観、つまりニュートン的な常識の中では分かりにくい訳よ。もっとも、微積分が入ってるから、見かけ上は決定論的な数字(観測上の数字)が出てるように見える訳だ

自分:ふーん

某氏:まあ、複素空間なんぞ考えてる点で、すでに半分「あの世」に突っ込んでる状態だけどね

自分:だから観測上の現実の数字が、ちゃんと計算できるんだろうけど(虚数=イマジナリー・ナンバーは偉大だ)

某氏:決定論と確率論に戻るけど。確率論が、面白いんだよな。このジャンルは、複雑系の科学の成立に大いに関与した

自分:複雑系…社会システムとか?そういえば、金融工学なんか、そんな感じだね?

某氏:うん、それもあるけど、生命科学とか地球科学なんかが「複雑系の科学」でね。決定論的な手法が通用しない世界なんだな

自分:占いなんかもそんな感じだね。統計だっていう人も居るし

某氏:いやー、占いは、確率論とか量子論とかよりは、少し話が複雑になるんだ。理論負荷性とか色々あって、解釈の偏りがハッキリ現れる訳だろ。ギャンブルの類を扱う通常の統計学では、「占い」という現象に太刀打ちできないのは、ハナから明らかだ

自分:……ふむ?!

某氏:つまりね、「占い」という行為のほとんどは、山勘というか、インスピレーションと言うか…「想像力の爆発」にあるんじゃないの。「一期一会の偶然性に全てを懸ける」という点で、それはすでに統計じゃないのよ。「繰り返し実験し、結果を再現する」という近代科学的な実証プロセスを拒否する「現象」ってことよ

自分:そういうもんなの?

某氏:占いを要素別に粉みじんにしたところで、占いのダイナミクス…というか、占い的な思考システム、判断プロセスの仕組みが解ける訳じゃなかろう。たった1枚のカード、たった1本の棒、たった1コのシンボル(記号)、そんなもの幾ら分析したところで、決定的な何かが出て来るわけじゃ無いし

自分:まあ、それはそうかもね

某氏:考えてみろ。全くの偶然に出て来た、例えば1枚のカード。「何故、そのカードが出て来たのか」、過去・現在・未来にわたって、因果律はまるで無いんだ

自分:そういえば、ニュートン力学とかは、過去・現在・未来にわたる運動方程式が組み立てられるから、その時点の物体の位置と速度を測定するだけで、全体像がパパッと計算できるよね

某氏:それが決定論的、て事だよ。現在の状況が確定すれば、全過去も全未来もいっぺんに確定する。因果律のゆえだ

自分:で、占いに使われるカードには、そういう因果律は、まるで無い、と。そこに、人間の想像力が加わる事で、有意な偏りが生まれる…ふむふむ

某氏:占いは、単純な決定論・確率論に基づくところの、近現代科学の手に負えるような対象では無いよ。むしろ、生命科学や地球科学と同じように、「複雑系の科学」の対象として考えるべきなんだ

自分:複雑系の科学…

某氏:代表的なのは、カオスだな

自分:カオスとか、フラクタルって事ね

某氏:これね、「無限」に足を突っ込んでる問題なんだと思うよ。私見だけどさ、占いって、基本的に「有限」から「無限」を組み立てるプロセスだろう? 有限個の手掛かりを元にして、無限の世界を想起…想像している。或いは、創造している。そのプロセスは、数学的にはカオス方程式で表現されることになるんだよ

自分:カオス方程式…むむむ

某氏:占いが存在する時空は、カオスである…それでさ、いったん想起した「無限」の選択肢をいっぺんにかきまぜた後、1つの解…というか、場合によっては、かなり正解に近い占い結果を引きずり出してくるわけだろ? 無意識の力でも意識の力でもどっちでも良いけどさ、それなりに「深淵の怪物」に近い物を感じるよ。ニーチェ的な意味のね


カオスに関する補足――カントール「無限は底なしの深淵だ」

「無限」を数学的に議論するプロセスの中で、カオスの性質は明らかにされてきました(数学の中では、「集合論」と呼ばれるジャンルとなります)。

カオスの方程式は、「真のカオス解は存在するが、それを計算する事は永遠に不可能」という「不可能問題」を内包しています(ゲーデルの不完全性定理と同じ構造)。

近接した時空間における解は「近似的な数値解」という形で導き出せるのですが、時間幅を長くとって何回も計算し続けると、最初はミクロレベルの誤差の範囲内に収まっていた筈のズレ(揺らぎ)が、無視できない程に大きくなってしまうのです。

以下、楽しくて分かりやすい動画(※ツイッター動画・注意)

▼二重振り子を50本,一斉に揺らした場合…未来では、50本すべての振り子が、それぞれ全く異なる軌道を描くhttps://twitter.com/lotz84_/status/866661941279834112

▼三重振り子を100本,一斉に揺らした場合…未来では、100本すべての振り子が、それぞれ全く異なる軌道を描くhttps://twitter.com/tkmtSo/status/867737885734129664

▼ローレンツ方程式(カオス方程式の一種)に従って、1000個の点を一斉に運動させた場合…1000個の点が、それぞれ、未来においては別々の場所に到達しているhttps://twitter.com/jmitani/status/868103931422883840

※何となくボヤッとした全体分布図が出来ていますが、これを「アトラクター」と言います。ローレンツ方程式が描き出すアトラクターを「ローレンツ・アトラクター」とも言います。勿論、アトラクターには色々な種類があります⇒レスラー・アトラクター、ウエダ・アトラクター、ラングフォード・アトラクター等。カオスにおける個々の解は、だいたい、アトラクター近傍に引き寄せられるようにして分布する…という性質を持っています。

※カオス解の群であるアトラクターは、フラクタル構造をしています。時空間の様々なスケール(階層)の中で、パラレルに存在しているという事でもあります。


某氏による私見の補足(メモより編集)

近代物理学が描き出す決定論的な方程式からは、未来永劫にわたって決まる絶対的な解が出て来るだけです。

ところが、現実には、原因が決定論的であっても、結果は決定論的ではないという場合がありうるのです。それがカオスです。決定論的な方程式が決まっていても、未来には、そこから、全く予想の付かない、モンスターのようなものが出現する事がある。

――カオスでは「真の解」は存在するけれど、それを機械的なロジック計算によって確定的に導き出す事は、不可能です。

しかも、現在の位置とエネルギーを割り出して計算してみたところで、過去の状況を正確に再現できる訳ではありません。そこには不確定性の"揺らぎ"があります。カオスにおいては、時間の前後にわたる因果律は、ハッキリした物では無い。

自然とは何でしょうか。自然は完全に決定論的ではなく、確率論的でもありません。必然性と偶然性とが入り交ざり、無限の深みにまで至る程の、揺らぎとランダムさを現出しています。

現実の人間の運命もまた、自然と同様に、完全に確定性/不確定性と言える訳では無いでしょう。生まれた国、時代、社会環境、身体的限界(性別)、などといった拘束条件があり、場面や状況が似ていれば、大体の人は似たような選択や行動をとると予想できます(社会心理、集団心理etc)。

この辺りに、「占い戦略」があるのかも知れません。有限個のシンボル数に集約しパターン化した「取っ掛かり(=易、占星術など各種の占いスタイル)」を以って、「無限」という"底知れない深淵"と格闘する。

そして、無限の選択肢の中から(究極的には、完全に対立する「Aか、Bか」という二つの選択肢の中から)、或る種の偏りをもって(験を担ぐなどして)一つの解を選び出す。

このような判断は、占いでは恐らく普通の事であって、極めて生命的・意識的な行為です。機械には、こういう判断は絶対に出来ません。論理矛盾に陥って、フリーズしてしまいます。

※例:此処にネズミが居るとします。少し離れた位置Aにチーズがあります。反対方向に、等距離の位置Bにチーズがあります。ネズミはA:チーズ、B:チーズ、どちらを選ぶべきでしょうか――というような問題☆彡
⇒お腹を空かせたネズミは、しばらく考えた後、AかB、どちらかをパッと選択します。機械は判断できず、デッドロック状態になります(笑)


例に挙げた「ネズミの判断タイム」、「占いタイム(手掛かりを得てから、結果を出すまでのタイムラグ)」は、同じ性質のものなんじゃないかという意見があります(正しいかどうかは、分かりませんが)。

この「空白タイム」は、人工知能の研究分野においても、非常に興味深いものだそうです。こういう、どっちつかずの、いわば「判断が宙づりになる時間帯」というのは、機械にはありません。生命(意識)のみが持つ、特別な時間だと考えられます。

実際、「予測」「想像(サイコロを振る)」「直感」「創造」といったメカニズムが、どうやって発生するのかは、今でも解明されていない謎です。「量子振動やカオスといったものが関わっているのは、ほぼ確からしい」という言及があるだけです。

生命(意識)が持つ、特別な時間――カオスが躍動する、と言う意味では、カイロス的な時空でもあるかも知れません。詩的には「神話的時間」と呼ばれて来た、いわば「狂気の時間」であろうと思われます。

思考を整理し編集するためのツールとして使われて来た、各種タロットカードや占星術記号…その組み合わせや解釈のワザには、興味深いものがあります。

本来の占いとは――占いが発祥した古代においては――プレ数学&科学と並んで、"無限"の深みに挑むための思考スタイルだったのでは無かったか、とも思われます。恐らく、権力と結び付いたために、変質は早かったのでしょう。

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論考・身体のわだつみ

違和感の正体を見極めるのは、実は難しい。


何故ならばそれは、非言語の領域に属するものだからだ。


違和感の根拠となっている知覚は、身体という名の、闇の領域に属する。「身体知」「体験知(暗黙知)」に直結するものであり、マニュアル言語化を拒否するものなのだ。


違和感――それは、身体や世界の《相転移》を精妙に知覚する「未だ知られざる器官(能力)」が感じる感覚である。違和感を感じる身体と、他界の存在とは、密接に関係している。


他界――それは、この「現世」を発生する《無限》の場だ。あるものをあらしめる、限界の無さだ。


我々の身体には、そういう異次元の知覚能力を発達させる可能性が開かれているのだ。


違和感を感じる知覚がよく発達しており、かつよく制御しえた人を、我々の先人は、「審神者(サニワ)」と呼んだ。ゆえに、この「未だ知られざる知覚」を、「サニワ感覚」と表現しても良いだろう。


『境界知のダイナミズム』(瀬名秀明、梅田聡、橋本敬・著/岩波書店)では、以下のように論じられている。

「違和」を感じ、そこに何かを見出そうとする私たちの知のあり方を、境界の知、すなわち「境界知」と呼ぼう。境界を発見することで、私たちは新たな行動に転じ、自分のあり方をデザインし直そうとして、次の状況を引き寄せる。違和感の正体を見極めることで、私たち人間の持つ新しい「知」が見えてくるのではないか。

「サニワの能力」を通じて見極めた「違和感」を言語化する――という作業には、常に、非言語領域のものを言語化するという困難が付いて回る。


古代のサニワが、あらゆる既知の神々の伝承や神学・哲学に通暁しなければならなかったのは、こうした言語化の困難に直面せざるを得なかったためだ。サニワは、更に、人間そのものについての、深い総合知をも持っていなければならなかった。


違和感の正確な知覚と、その言語化。それは、《無》から新たな概念や言葉を生み出すに等しい荒業だ。


「我々は、自分が体験した《現実》を、正確に、ありのままに言語化できるのか?」


――思考は言語によって構成される。世界とは言語だ。


この厳粛な事実を基底とするこの現世においては、全ての《知/思考》は、言語化されなければ世に存在することはできない。世に存在しえなかった《知/思考》は、人に伝わらない。文化として後世に残ることもできない。


身体知も暗黙知も、この条件下においては、同様なのだ。


違和感を生み出す身体知は、「未だ言語化されざる知」でもある。


身体とは、《無限》から授かった「有限の器」だ。無限の地平線が――無限の他界が、有限の身体の中に折り畳まれている。《無》から《有》を生み出す場としての身体の中では、《無》と《有》とが対立しあい、あらゆる可能性を秘めた《運命》という名の、壮大な渦を巻いている。


身体とは、言語を生成する場だ。そしてあらゆる時空を、あらゆる世界次元を生成する、「私」という名の場だ。生命をも生成する、母なる深淵…それを、「身体のわだつみ」と名付けよう。


現代の問題として、我々は、余りにも身体から遠くなってしまったという事実がある。現代は、身体と心とが、互いにすれ違ったまま、漂流している時代である。


現代人の身体は、ただ平板で薄っぺらい。寄る辺も無く、命の終わりまで空しく時を重ねるだけの物体に成り果てている身体が、余りにも多いのだ。違和感をただ感じているだけで、それを言語化できず、説明も出来なくなっているというのは、そのような理由によるのだろう。


現代の我々の言語概念は、全き《無/無限》との対決の果てに、多くの《言語》《意味》を切り出してきた古代人の、驚くべき知性の自主性に依存している。


このような我々が、古代人の高度な身体感覚―身体知を取り戻すことは、やはり容易なことでは無い。


しかし、新たな時代の新たな知を確立するためには、たとえわずかではあっても、言論のための言論に依存しない、生命本来の身体知を取り戻す必要があるだろう。そして身体知を言語化するための「知性の自主性」を、我が身の内に確立することから始める必要があるだろう。


探索者は、明るく整備された道を歩む者では、決してありえない。探索者は、報われないことが多いということを覚悟するべきだ。


「探求―理解―表現」という行為は、本来は、地図も無くして未知の魔境を探り出すに等しい、極めて難解なものなのだ。理解に至るまでの道なき道は、どんなに迷っても、自力で探さなければならない。それが「知性の自主性」ということであろう。


理解の段階まで到達したところで、行きっぱなしで帰還して来ない人も居る。


表現とは、異次元からの回帰だ。違和感の言語化を含めて、他界なるものの表現のプロセスは全て、「行きて帰りし物語」ないし「永劫回帰」のスタイルを取る。


古代のサニワが、苦心の末に、違和感の正体を「あだし神」と表現したように――である。


「違和感」を含む身体知は、既知の「世界」に反逆する可能性を秘めている。


身体が、現代の価値観において、最底辺の領域に押し込められた存在であるからだ。「世界」への反逆は、常に、最底辺の領域、或いは境界(マージナル)から発生する。


違和感の正体を見極めることは、「新たな世界の創造」という可能性をも秘めている筈なのだ。

制作プロットのメモ「雨竜島・3」

第三部マレヒト@第七章「雨竜島・3」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

■09/24■

大潮が近づき、満ち潮・引き潮の規模が大きくなる。聖麻の海軍の残りの分が到着。雨竜島の交易はいっそう盛んになり、物資を運ぶ船が次々に入港。

宿では、カモさんと迫さんが瀬都兄の扱いについて秘密相談。目下、護岸工事の人員としてカモさん側の方からは身柄保護など手出しできない状態。それをどうするか。

瀬都兄については、胡蝶御前サイドに詳しく知られてはマズイという事情もある。ついでながら、胡蝶御前の使い魔に相当する妖異な蝶(季節外れの蝶に見える)がヒラヒラと周辺を飛び、監視されている状態。

鏡と九鬼青年は海岸を散策して様子見。満潮の刻がドンドン夕方へ向かってズレて行っている。

満潮の刻。新たな物流船が雨竜島の港へ入港。

カモさん滞在の宿へ新たな知らせ。「カモ殿を探している船長が来ている」「渡辺党でも手練れの者でおろそかな対応は出来ない」迫さん、不思議に思う。カモさん早速疑惑。何か、渡辺党を騒がせるような妖異事件を別に起こしていたのか?という疑惑。

カモさんは一種のトラブルメーカーなので、妖異事件が多すぎて逆に思いつかない。

午後の後半、話題の船長が来ていると言う港近くの町角へ。

面を合わせて見ると、確かに以前に世話になった渡辺党の船長。淡路島でも一緒した。新しい到着メンバーは宮廷役人にしてカモさんの友人である鹿深氏と、カラス忍者メンバー器物屋さん。

情報交換。瀬戸内海は妖異事件・鬼ノ城の話題でもちきりで、朝廷へも騒ぎの話が届いている。新たな神=隠神刑部の新登場など、冗談ではあってもミカドの権威を危うくするほどの騒ぎ。

当座の情報交換は終わり、宿の中で改めて要点に移る。

要点その1。鳩屋敷内閣は機能不全に陥っている。色々マズいが、御前会議などの政局の主導権は常陸宮が取ったので、目下、宮廷の混乱などは心配しなくて良い。原因は瀬都の新発明のおかしな薬。重陽の節句の行事で、行列の大暴走を起こした。

要点その2。月末月初の妖異事件、大きな彗星。淡路島に星下りしたヤツ。同時に地震が起きた。震源地は鈴鹿峠。鈴鹿峠に有翼の豹神像が出た事件のおさらい。

要点その3。その妖異があったと同時に、瀬都は夢遊病を発症したうえ空中浮揚した。敷星に触れたことがあったので、妖霊星と共鳴する回路が出来ていたかと言う解釈。巫女体質。

要点その4で終わり。瀬都は不可思議な異形の像を持っていた。鈴鹿峠の有翼の豹神像の分け御霊と解釈できる。

同席していた鏡父、職人の目で、豹神像の有翼部分は聖麻鏡に由来するものと確信。胡蝶御前サイドは、聖麻の神鏡の力を奪取して、自らの復活神話として利用しようとしている。ついでに鬼ノ城で、かつての工作員=紅蓮教団の代表・赤日が死亡した事も情報交換。

有翼の豹神像についてさらなる検討。鏡、別筋で、色々考える。直感が来る。

次の瞬間、胡蝶御前の使い魔の蝶の群れが侵入。その怪異の力で、あっと言う間に有翼の豹神像を持ち去る。

オオゴトだが、カモさん、もっと別の懸念事項を告げる。瀬都兄を見付けたが、難しい状況にある。どうやって身柄確保するか。事情を聴き、鹿深氏は呆れながらも、選んだメンバーと共に交渉作戦など立案。実は鹿深氏は交渉ごとのプロ。

■09/25■

雨竜島の竜宮城の城門前に大宰府役人の出張所がある。瀬都兄の買戻し交渉に臨む鹿深氏一行、まず知り合いの大宰府役人を訪ねる。役人を説得し、人買い交渉のバックアップを揃える。役人の方は鹿深氏やカモさんと協力した経験があっただけに意外にノリノリ。

正午の頃、西海岸へ赴く。新たな地盤沈下による陥没穴が出来ていて、工事現場は多忙を極めているところ。工事が落ち着いたら人買い交渉ということにする。

鹿深氏、強力の御礼に、役人たち向けにということで雨竜島の異変について説明。雨竜島からの全島避難を可能とするよう、今から準備しておくべき。地盤沈下がヤバいので役人の方も納得ではあるが、そこまでオオゴトになるかどうかについては半信半疑。ひとまず、雨竜島出入りの商人たち船主たちと事前に取り決めておくということでまとめる。

夕方ごろ。工事が落ち着き、工事事務所へ乗り込む。人身売買の交渉。かなり押し問答となり揉めたが、役人の交渉力でもって無事に話がまとまる。人買いヤクザ側のほうは色々不平不満。物騒な気配。

深夜。人買い猫太夫にして猫仮面(正体はネコマタの七尾)、瀬都兄が休憩している掘っ立て小屋を訪れ、買戻し交渉が成立したことを告げ、連れ出す。瀬都兄は、前もって、人買いカボチャドクロ刺青の親分たちに疲労困憊にさせられていて動けない筈だが、ネコマタ七尾の妖力でもって、寝ぼけながらも歩かされる。ほとんど夢遊病の状態。

人買いヤクザたち、有り得ない事態に驚きながらも、瀬都兄を不法に取り返そうと武器を用意。あらかじめ予測済みのカラス忍者たちが襲い掛かり、表面上は事なきを得る。

■09/26■

未明。雨竜島、渡辺党へ割り当てられている船着き場。瀬都兄、船長の船へ連れ込まれる。説兄、夢遊病の状態から目覚め、知らない場所に居るので驚く。船長、興味深く瀬都兄を眺め、「あの奇妙な女の子(瀬都)と兄妹だけあって似てるな」と感心する。

カモさん、瀬都兄を無事に身柄確保との報告を聞き、一安心。

夜が明ける。雨竜島は嵐の前の静けさ。不吉な地鳴りは続いているが、それだけ。雨竜島の役人たちが、全島避難も可能なように各部署を走り回っている事を除けば、ほぼ平穏。

西海岸の工事現場の方では、地鳴りが大きい。作業員たちが不安になって騒いでいる。雇われている身だが、機を見て逃げ出すべきかどうかヒソヒソ話が始まる。逃げ出すべきだと言う意見が出る。

鏡と鹿深氏、休養を兼ねて意味深な会話。雨竜島の異変と豹神の復活との関係について。神話的な出来事。妖霊星について改めて再考。鹿深氏、鏡青年に感心。「難しい事を考えてるんだな、こりゃカモ殿の扱う領域だろう、助けにならなくて済まんな」

鹿深氏の方では、鏡の中で何が起きているのかについては或る程度、推測が付いている。鏡=星の添え星。その役割は神話的な領域に関しては、とても大きい。

■09/27■

聖麻海軍と瀬戸内海の海軍が同時に雨竜島へ停泊。瀬戸内海の海軍の代表は村上氏。村上氏は朝廷からの令状を持っていて、それを宣言する(読み上げる)。芝賀長官の長年の汚職が判明し、朝廷はこれを重大視している。よって、芝賀長官を捕縛し、朝廷へ連行しなさい、という内容。

あまりにも急転回な令状に、島の人々、全員でビックリ。役人たちがパニック。大宰府の役人側はビックリしながらも歓迎の構え。芝賀長官と、大宰府の長官・帥ノ宮は互いに対立する立場。

カモ一行も呆然。訳知りの鹿深氏「驚いたか、カモ殿よ」。船長も「常陸宮はすごい御方だ」と改めて感心。常陸宮は政局の名手。かつては絶頂期の大尊教の教主と対立した事もあり、その頃は教主の頑迷ぶりに呆れて手を引いた事あり。その後、聖麻亡命へとつながる戦争があり、苦い気持ちになった因縁あり。

聖麻王は急激な情勢変化に戸惑い。瀬戸内海の海軍全体に睨まれていることもあり、芝賀長官を裏切り、捕縛する側に回る事を決心。

芝賀長官、喚き散らす。大銭屋も裏切ったのを悟り、その辺に居た金斑に八つ当たり。だが、八つ当たりした先が悪かった。欠き眉の豹、本人だった。欠き眉の豹、冷笑し、芝賀長官をあっと言う間に始末。

雨竜島の地鳴りはますます進んでいる状態。大銭屋、おっとりと出て来て、芝賀長官の死体を満足そうに眺める。有翼の豹神像を懐から出し、神事を始める構え。

夕方、雨竜島の西海岸。地鳴りの激化と共に、崖崩れが始まる。落石が止まらない。「ヤバイでやんの」と作業員たちが騒ぐ。

■09/28■

雨竜島の大地の異変が、誰の目にも明らかなレベル。地面がグズグズになり、石垣などが崩れている。芝賀長官が行方不明と判明し、総勢あげて捜索が始まったが、まだ見つからない。

雨竜島の海岸(地盤が露頭に出ている箇所)では、大きな地割れが増えている。地盤ボロボロ。偵察に出ていた九鬼メンバー他、ビックリ。他メンバーも三々五々集まって観察。

迫さん、山伏としての感覚で異変を察知。地割れから水が浸み出している。近くに別府温泉があるので、温泉でも湧いたかと言う話になるが、水を確かめると海水。海水が地上へ浸み出しているということ。

混乱と動揺が続く城下町。ふとした際に、ユカル王子、物陰から鏡を目撃してギョッとする。いろいろ思う所があるが、ひとまず、すれ違う形。


旧プロット

■09/29■

大潮~満潮09:00ごろ、欠き眉の豹と大銭屋が上陸。金斑の中で紫銅は叛逆者扱いとなっていてハブられている。大銭屋、欠き眉と相談。

カモさん、09:00ごろの大潮の様子を観察、鹿深氏や役人たちと共に雨竜島全体に警告を発す。御触書作成。次の満潮が近づいたら、必ず船に避難。

正午ごろから地鳴りが続く。島の人も聖麻王族のメンバーも気味悪がる。ユカル王子、再びエビス狛犬キジムナー像を赤く塗る。地鳴り泊まる。14:00干潮と同時。

ユカル王子、聖麻メンバーの間で「地鳴りを停止させた」英雄扱い。

21:00ごろ大潮、岸壁がかなり崩れる。