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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作25

異世界ファンタジー7-3王宮神祇占術省:白状する神祇官

――結論から言えば、ウルヴォン神祇官は、キリキリ白状した。

《宿命の人》は、非常に出会いにくい存在だ。それが竜人の出生率の低さ、弱体化のしやすさと連動している。それに竜人の気性もあいまって、負傷率・死亡率の高さも連動しているという有様だ。生物学上のこの弱点、どうにかならぬものか。

根っからのロマンチストでもあるウルヴォン神祇官は長年、思っていたのだ。《天人相関係数》そのものに介入して、《宿命の人》を人工的に作り出せれば、解決できるのでは無いだろうか――と。

(少し考えてみれば分かるが、それは倫理的な面で厄介な問題を発生するのだ。遺伝子DNAそのものを、手前勝手な都合で、限度を超えて改変してしまおうという事態に近い。正体も作用も分かっている部分に限っての微小変化だけなら、病気を治すとか、そういった理由での改変は辛うじて許されるかも知れない。しかし、種族の存続に関わる基本を、大きく変えようとする事は――?)

それはともあれ、ウルヴォン神祇官は、自らの目的と行為に何ら疑問を抱かず、突っ走った。種族を救う事だから、絶対的に正しい事だから――と、何年も、何十年も。

その問題の性質上、ウルヴォン神祇官が特に注目したのは当然、恋愛運だった。正体も作用も分かっている部分に限っての微小変化、すなわち《神祇占術関数表》の及ぶ限りのサンプル事例を集め、理論と検証を繰り返した。

例えば令嬢アゼリア〔仮名〕のケースである。淡い予感を抱いた者同士が、一定以上の長い付き合いを得て、《宿命の人》同士に近い合致パターンを作り上げるのだ。《宿命の人》同士には完全には及ばないものの、ウルヴォン神祇官は、《神祇占術関数表》が効果的に作用するポイントを、ついに見つけた。本人の素質とポテンシャル開花の状態が決定的に作用してしまうが、それは間違いなく注目するに足る有効なポイントだった。

そのポイントに集中する事を目指して、《逆ライ=エル方式》を参考に、いわば《逆・恋愛運方式》とも言えそうな方式を作り上げたのである。勿論、実際に使用する前に、穴が無いかどうか徹底的に検討しなければならない。それは、憧れの先達ライアス神祇官が、「もし、そんな局面を見出してしまったとしたら」と、繰り返し繰り返し注意した事でもあった。

――かつて《逆ライ=エル方式》という禁断の木の実を見出してしまった、ライアス神祇官である。同僚や弟子たちの誰かが、自分と同じように《天人相関係数》の秘密に首を突っ込み、好奇心のままに暴走して、取り返しのつかぬ事態を起こしてしまうのを恐れたのであろう。《死兆星》が関わる事もあり、ライアス神祇官は直前で踏みとどまった。しかし《死兆星》では無い領域に関しては?

――結果から言えば、ウルヴォン神祇官は暴走した。

「あれは、今でも覚えてるよ。朝っぱらから快晴でね、室内装飾専門の見本市が開かれてた――二日目のやつだ。研究はドンドン進んでいてね、いつものように《宿命の人》と《運命の人》のサンプル比較をやってたんだ。サンプル収集という事もあって恋愛相談には出来る限り対応してたからね、そういう相談が来るのは、不思議な事でも何でも無かったんだ」

恋愛相談という性質上、男性はマスクをして人相を誤魔化し、女性はベールをかぶって人相を隠して、恥ずかしそうな様子でやって来る。相談に乗る分には、顔が分からなくても良いのだ。手のひらから《宿命図》を読み取れば良いのだから。

――その日の夕方、その相談者はやって来た。完全に人相の分からない、濃い色のベールをかぶって。

このような話になって来るとは――機密会議室に居た者は皆、無言で、ウルヴォン神祇官の説明に耳を傾けていた。

ウルヴォン神祇官は、ダラダラ流れる鼻血を止めていた布を詰め替えると、その時の記憶を改めて振り返った。

「明らかに貴族クラスの令嬢…それも相当、身分の高い令嬢だね。濃いベールで隠されていて人相は分からなかったけど、これは凄い美人だなと直感したよ。自分の美貌に自信持ってる人って、相応の振る舞いをするからね」

――離れてしまったあの人の心を、もう一度、繋ぎ止めたいのです。

相談者は、そう告げた。事情を聞いてみれば、その人は《宿命の人》にうつつを抜かし、自分を振り返らなくなったと言う。

《宿命の人》がその人に現れたのなら、いさぎよく身を引いた方が良い。ベタな知恵だが、「失恋には新しい恋」だ。己の力量と努力次第で、もっと素敵な殿方を射止めることは十分に可能だと、最初は、ウルヴォン神祇官は、まともな返答をしたのである。

――でも、先生。その《宿命の人》は、どう見ても「ハッタリ」なんですわ。彼女は、手練手管に長けた、卑しい悪女ですの。あの人は、すごく真面目で、女性に慣れていない性質で。悪女の手練手管に惑わされて《宿命の人》と勘違いしているだけだと、わたくしには分かりますの。此処では言えないけれど、確かな根拠もありますし。ああ、わたくし、あの人が大事なんです。心配で心配で。

謎の令嬢は本当に困り切っているようだった。だが貴族クラスの《宿命図》は、平民クラスのそれと同じ感覚で扱うことはできない。それに第一、悪女の手練手管に落ちてしまったと言うなら、その貴族男性は、それだけの人物に過ぎなかったという事ではないか。

――時間が無いんですの。助けてください、先生。

聞いてみれば、その悪女なる人物は平民クラスの女だという。で、あれば。その女の恋愛運に干渉するという方法も考えられるが。平民クラスの《宿命図》は管理が雑だし、第一、名前も分からないのでは、とっかかりが無い。

すると、謎の令嬢は《宿命図》のコピーを取り出した――これが必死で探し当てた、あの悪女の《宿命図》です。

令嬢は本当に必死だったらしい。そこまで恋い焦がれられて応えないとは、その貴族男性も随分、罪な奴である。ちょっとは苦しんでみれば良いのだ――それが、きっかけだった。かねてから考えていた理論を検証する機会ではないか。

《宿命の人》を人工的に作り出す。その作用を、悪女なる平民クラスの女に施そう。悪女も、その悪女に篭絡されている貴族男性も、謎の令嬢も、いっぺんに救う事が出来る。一石二鳥、いや三鳥だ。ただ、《逆ライ=エル方式》の形をしているから、力を与える貴族が無ければ話にならないのだが――

――居るではないか、目の前に。高貴なる貴族令嬢が。気配を探ってみれば、十分に合格点だ。

ウルヴォン神祇官は、悪女の《宿命図》のコピーを分解し、それで《逆・恋愛運方式》を作成した。そして、貴族令嬢の手のひらに転写した。手のひらが竜の手に変化した時、ターゲットの運命を変える力が発生する。そのように説明した。だが、いずれにせよ最終的には、令嬢の力量と努力によって彼を振り向かせるべきなのだよ、と付け加えたのであった――

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異世界ファンタジー試作24

異世界ファンタジー7-2王宮神祇占術省:鉄拳を振るう神祇官

「吐け。白状しろ。キリキリ吐いてしまえッ!」

一言ごとに拳が振るわれ、中高年の男性神祇官の顔が、赤く腫れあがって行った。

――此処は機密会議室。老ゴルディス卿とガイ〔仮名〕占術師が、ライアナ神祇官及びファレル副神祇官と会談したところである。

機密会議室には、先日と同じ四人が集まっていた――そこに、もう一人が加わっていた。

新しく加わった一人こそ、誰あろう、王宮の諜報員が泳がせていた、いわゆる不良神祇官である。その不良神祇官、名前を士爵ウルヴォンと言い、ライアナ神祇官とは、長きに渡る学生・修行時代の同窓だったのだが――

ライアナ神祇官は恐ろしい剣幕でウルヴォン神祇官につかみかかり、鉄拳をお見舞いしているのであった。その見事な懲罰たるや、老ゴルディス卿とガイ〔仮名〕占術師が、二人して恐れ入って、壁に背を張り付ける程である。ライアナ神祇官が激怒した時どうなるかは、弟子になって長いファレル副神祇官にとっては、先刻承知の事実であったのだが。

「フ、ファレル副神祇官よ…ライアナ神祇官は、ずいぶん性格がお変わりになったようだな」
「あれこそ師匠なんですが、老ゴルディス卿様。昔の師匠は、一体どんな人だったんです?」
「ああ、彼女は、かつて日陰に咲く花の如き楚々たるうら若き乙女、ささやくような声で話す大人しい淑女だったのだ。あのように声を荒げて、無抵抗の男に暴力を振るうところは見たことが無かったんだよ」

猫をかぶっていたんじゃ無いだろうか…などと、ファレル副神祇官は、ある意味、罰当たりな事を思った。あるいは、かつての権力闘争による混乱の影響で、大切な人を次々に失ったという強烈な体験が、人格にも変化をもたらしたのかも知れない。そして――民間で神祇官としてやってゆくには、貴族相手とはまた別の率直さと逞しさが必要だ。

いずれにせよ、ファレル副神祇官にとっては、ライアナ神祇官は尊敬すべき師匠なのであった。

手首をあらかじめ縛られていたため、ウルヴォン神祇官は、ほぼ無抵抗だった。今や顔はボロ雑巾も真っ青という風である。

――ユーフィリネ大公女の尋問が終わりに近づき、ヴィクトール老公の派閥の半分以上が崩れた。 きっかけはユーフィリネ大公女の墓穴発言だったとは言え、余りの展開のスピードに疑念を抱いたライアナ神祇官が、老ゴルディス卿に不良神祇官との面会を申し入れた。老ゴルディス卿があっさりと承知したのは驚きではあったが――ライアナ神祇官にとっては、表も裏も知り尽くす同窓生だったのだからして、老ゴルディス卿の考えている事は、何となく予想はできたのである。

ウルヴォン神祇官は、最後にドウと床に叩きつけられ、涙と鼻水と流血をまき散らしながら、情けない声で抗議し始めた。

「ひ、ひどい。本当にライアナなの?僕の知ってるライアナは、こんな人じゃない」

少年がそのまま中高年になったみたいだ。神祇官となってその後、政争に無関係な研究者の一人として、安全な王宮の一角でぬくぬくとした環境に恵まれて暮らしていたためか、成長が見られないのであった。

ライアナ神祇官は、「な・さ・け・な・い!」と一語ずつ切って強調した。ダン、と足を踏み鳴らし、腰に手を当てて仁王立ちする。

「ひどいのは、どっちよ!人の研究結果を私的利用した上に、被害者を出しやがって!まあ死人は出なかったけどね、あんたのせいで半殺しの重傷者と複数の怪我人が出たの!我々が神祇官などという超困難なコースを選んだのは、こんな情けなくて下らない事をやるためじゃ無いでしょう!」

ウルヴォン神祇官は、必死そのものの形相で、ブンブンと頭を振った。なけなしの良心はあるようだ。

「そうだよ、僕だってそうなんだよ。僕は何とかして《天人相関係数》を極めて、この世の真理を解き明かそうとしてたんだ。偉大なる先達、士爵ライアス殿のように。ライアス殿は、どういう手法を用いて《逆ライ=エル方式》を導き出したのか、それは《死兆星》以外の個別の狭い事象にも及ぶものなのか、僕が、それを明らかにして証明したいと思ったんだ」

ライアナ神祇官は深いため息をついた。それは、《ライ=エル方式》の奥義に辿り付いたライアナ神祇官を含め、同世代を生きたという幸運があって、その叡智の一端に触れえた全ての研究者が、かつては抱いたであろう望みだった。

――しかし、それは大それた望みでもあった。

「で?それで、その証明は上手く行ったと思ってるの、ウルヴォン神祇官?あんたが《天人相関係数》に介入して、人工《死兆星》を現出させる羽目になったのは分かってるのよ。王宮の一角に流血と混乱を生み出した末に、得たものはあったのかしら?」

ウルヴォン神祇官は、上手い具合に周囲の内出血が進んでパンダ目になった目を、パチパチさせた。うーん、と考え込んでいる。

「実は、あれは失敗だったのかなと考えてるんだよ。僕が意図したのは《死兆星》じゃ無いんだ。全く別の謎の解明の方が、僕にとっては一大事だったからね。うーん、《神祇占術関数表》のレベルでは100%に近い確かさで証明できたし、それをグレードアップして…理論的には自信は、あったんだけどなぁ…変だなぁ」

ライアナ神祇官は再びウルヴォン神祇官の胸ぐらをつかみ、無慈悲に揺さぶった。ウルヴォン神祇官の鼻血が飛び散った。

「吐け。白状しろ。キリキリ吐き尽くせ。でなきゃ、あんたが15才の時やらかした、超絶☆キャー恥ずかしい事をバラすわよ」
「そんな、止めてよ!僕の人生がメチャになる!言う、言うから、止めて!」

老ゴルディス卿もガイ〔仮名〕占術師も、ライアナ神祇官の尋問の、想像以上の手際の良さに口をあんぐりしていた。だいたい神祇官と言う存在、やたら優秀な頭脳の持ち主なのである。《宿命図》なぞというとんでもない代物に日常的に関わっている人々、尋問のはぐらかしなどお手の物という、特殊な意味で面倒な連中なのだ。

「超絶☆キャー恥ずかしい事って何だろ?」
「聞かない方が幸せかも知れません」

ガイ〔仮名〕占術師の質問に、ファレル副神祇官が妙に青ざめた笑みで応じた。「"男"に関わる黒歴史って、そういう物でしょう?」

異世界ファンタジー試作23

異世界ファンタジー7-1裁判所:手中の妖光

王宮の最高裁判所で、老ヴィクトール大公の孫娘ユーフィリネ大公女の裁判が始まる。

裁判長と裁判員が何ページもある書類をさばきながら相談している様子が、ユーフィリネ大公女が控えている小部屋から窺える。

全く忌々しい事に、ユーフィリネ大公女は犯罪者扱いされているのだ。皆がひれ伏し、かしずくべき大公女なのに!

ユーフィリネ大公女は、先立って体験した怒涛の出来事を、目のくらむような怒りと共に思い出した。

あの日、ガイ〔仮名〕占術師が無礼極まる態度で、ユーフィリネ大公女の発言を証言した。

そこから先は、嵐に巻き込まれたようだった。

監察官スタッフと衛兵は素早くユーフィリネ大公女を取り囲み、取り巻きの令嬢たちは恐れを成して逃げ散ろうとしたが、ユーフィリネ大公女と共に、「重要参考人だ」と言う言葉と共に拘束された。その後は何日間も、悪夢のような尋問が続いた。取り巻きの令嬢たちは早くもギブアップしたようで、ユーフィリネ大公女が見本市で何をしていたかをペラペラ喋ったのである。

(――全く、わたくしが犯罪者扱いなんてどういう事?!秘密よ、と口止めしたのに、全く役立たずの女たち!)

クリストフェルは、流石に変わり身が早かった。早すぎた。令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が驚愕の眼差しでユーフィリネ大公女を振り返るや否や、その後の異様な事態を察知して誰よりも早く壁際へと後退し、「何の関係もない」と言わんばかりの野次馬となったのである。近衛兵の身体能力に、別の意味で感心する。

元々クリストフェルは少年の頃に、淡い予感を抱いた少女との間で婚約が決まりかけていたのだが、何せ金髪碧眼の、とりわけ目立つ美少年だったのだ。ユーフィリネ大公女は、孫娘に甘い老ヴィクトール大公におねだりした。「あの子が欲しいの」と。クリストフェルも満更では無かったのだろう、老大公の手が回って婚約をオシャカにされても、それ程困った顔をした訳では無かった。

そもそも、《宿命の人》とまで見初める対象には、滅多に出会えないのだ。淡い予感を抱いた相手と少しずつ関係を育てて――いわば《宿命》の関係を育てて――そして、その地道な蓄積の上に、結婚して夫婦となるのが普通だ。

(そんな地味な関係なんて、意味ないわ!《宿命の人》と出会えば良いんだから!)

そんなユーフィリネ大公女は、「あの子って良い」と思うたびに、老ヴィクトール大公に頼んで手を回してもらった。そうして、いわば「見目の良いお気に入り」が増えて行った。回数を重ねるうちに、淡い予感といった物に対する感覚は薄れて行った。「相手そのもの」を誠実に良く見ようとすることが面倒くさくなって、単に「あれ、良いわ」という感覚だけで動くようになったためだ。

ある日、ユーフィリネ大公女の目に留まったのは、ジル〔仮名〕だ。彼は、まだ婚約者が居なかった――いわばフリーだ。噂に聞くところでは、《宿命図》が狭量で気難しいタイプで、かなり相手を選ぶらしいという事だった。

(でも、綺麗な顔してるじゃない。キープしとこうっと)

ユーフィリネ大公女もジル〔仮名〕卿も、その他のクリストフェル卿といった「お気に入り」たちも、あの頃は、まだまだ子供だったのだ。子供ゆえの独占欲。それは恋や愛そのものでは無いのだが、子供たちにとっては、それが恋であり愛だったのだ。

ユーフィリネ大公女は、他の令嬢たちが憧れるような見目の良い貴公子たちが、ユーフィリネ大公女を独占しようと互いに角突き合わせ決闘するという行動に、得意になり、喜びを感じていた。貴族特権の延長だ、何を間違っているという事があるだろう。

だが時が経つと共に、その子供っぽい関係にも変化が訪れる。とある年、夏の園遊会でクリストフェルとジル〔仮名〕が決闘したのは、そんな変化期の中の一コマであった。二人の実力は目下、互角であったが、その日は、呆気ないほど速やかに決着が付いた。長続きしなかったことに失望したくらいである。

ジル〔仮名〕は完全敗北した事で何か悟ったのか、その後は礼儀正しい無表情を守り、ユーフィリネ大公女に近づかなかった。クリストフェルが不思議がったくらいであるが、クリストフェルはユーフィリネ大公女を独占する機会が増えたことで満足しきりであった。

(ほとぼりが冷めれば、またいつもの関係に戻るわよね)

そんな風に思っていたユーフィリネ大公女を驚かせたのは、ジル〔仮名〕が《宿命の人》を見出し、だが相手にも事情があったのか、仮婚約したという噂であった。ジル〔仮名〕は元々表情の少ない性質だったが、いっそう無表情になって行った――ユーフィリネ大公女が見る限りでは。何年も何年も、そういう状態が続いた。

(ほーら、相手を間違えたのよ。わたくし以外にはいないのに)

その有様が、ユーフィリネ大公女の自信を支えていたのである。時が経ち、見目麗しい少年たちは青年となった。何人かは「お気に入り」の入れ替えがあった。顔に傷を負ったり身体に傷を負ったりして、いわば「傷物」になった人たちは、お払い箱である。そういう日々が、これからも続くと思っていたのだが。

あの日、愕然とするような光景を目撃した。「お気に入り」の一人だった彼が、ユーフィリネ大公女には絶対に見せなかった顔を、別の女に見せていた。いつの間にか気が付いてみれば、そう言えば、あの人も。あの人も。それは手ひどい裏切りだ。

小部屋に押し込まれていたユーフィリネ大公女は、再び怒りを燃え上がらせた。今、最も忌々しいのは、あの監察官だ。全くもって、あの監察官が、あんなに無礼者だったなんて!

黒髪と青い目の監察官はユーフィリネ大公女の余罪を余すところなく指摘し、老ヴィクトール大公の手が回っていただろうに、無慈悲にも満場一致で裁判所送りにしたのである。今まで別の人に向いていた、あの凍て付くような眼差し。その秀麗な顔には、一切笑みを浮かべない。それを真っ向から受けて思わず萎縮してしまったことには、自分の事ながら、返す返すも腹が立つ。

そう、腹が立つ。ユーフィリネ大公女は、険しい眼差しで己の手のひらを見た。あんな奴、死んでしまえ。

ユーフィリネ大公女は、監察官の婚約者が《宿命の人》である事を知っていた。《宿命の人》を失った竜人は――

その有様を想像し、口元に、酷薄な笑みが浮かんだ。

(そう、私には力があるのよ。誰も知らない力が)

ユーフィリネ大公女は、身体の一部を慎重に竜体へと変化させた。手首から先だけが、鱗に覆われた竜の手になる。紫を帯びて黒く輝く美しい鱗だ。金色で縁取られているのは王族の血筋の証。手のひらに相当していた部分で、《宿命図》に似た何かがが輝き出した――