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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作28

異世界ファンタジー8-1点景:公務と引っ越し

冬特有の、重苦しい灰色の雲が空全体を覆っていた。先日の雪は融けずに残り、道路の端々に寄せられている。

――今夜は、また雪が降るかも知れない。

ロージーは、あらかじめ先触れに当たるギルフィル卿の邸宅宛の挨拶状で、「我が婚約者ジル〔仮名〕卿と直接、顔を合わせて話したい大切な事があるので、彼のご帰宅の時まで滞在させてください」という旨の希望を追記していた。令夫人からは、すぐに「歓迎しますよ、出来ればいつまでも滞在してくれれば嬉しいわ♪」という旨の返し状が来た。

返し状を養老アパートの扉の前まで配達してくれた先方の邸宅の召使は、「久しぶりに奥方様のご機嫌が上向いている」と、ニコニコとして近況を付け加えた。令夫人が張り切ってロージーの部屋を整えているそうで、ロージーは、そんな令夫人に対して、改めて申し訳ない気持ちで一杯になったのであった。

*****

忌引休暇が終わった後、ロージーは王宮に上がり女官長を訪れ、休暇が長期化した件について、お詫びとお礼を述べた。

「立て続けにご家族を亡くされて、大変でしたね」

女官長はそう気遣うと、「少し話がある」と言い、仕切りの隣にある応接スペースにロージーをいざなって、お茶を出した。

そして、おもむろに、女官長は説明を始めた。ロージーが危機に陥った、あの倉庫前の襲撃事件は、様々な理由があって厳しい箝口令が敷かれているという事だった。直接の関係者は既に拘束したのだが、想像以上に多くの反社会的勢力につながっており、捜査期間が延長しているそうだ。

婚約者殿の実家の方でも当然、令夫人などが、その襲撃事件について色々聞いては来るだろうが、ロージーが直接の被害者だという事は、今のところは事件調査における機密保持の面から、明らかにしないように――と、女官長は念を押した。

「――さて、ローズマリー嬢。令夫人から小耳に挟んだのですが、婚約者ジル〔仮名〕卿と共に永久滞在する運びとなったそうですね。このたびは正式なご婚約を成立するとか」

ロージーのあごが落ちた。いつの間に、そんな話になったのか。女官長はロージーの様子を観察すると、眉間をもみ始めた。

「予想した通り、ローズマリー嬢からの申し出では無かったようですね。あなたは、期待に応えようと真っ当に行動している割には、その辺りは驚くほど後ろ向きな態度を通していましたから、正直言って、今回の話には違和感を感じていたのですよ」
「お騒がせして申し訳ありません。色々――考える事が多くございましたもので」
「ジル〔仮名〕卿との今後の関係も含めて、という事ですね。彼とは長く縁が無い状態が続いていると言っていましたが、その辺を整理するという事ですか?」

ロージーは「そのつもりでいます」とうなづいた。

女官長はカップを口に含みながら、眉を跳ね上げた。「令夫人が喜ぶような話には、ならないようですね」

ロージーはうつむいた。この訪問に先立って、女官長に辞職願を提出してある。女官長は既に、ロージーが何処か田舎に引っ込むつもりなのであろうと察しを付けているのだ。

「既に決心した事に、とやかく言うつもりはございませんが。ローズマリー嬢、あなたへの評価はすこぶる高いのです。女官長として評価するなら、ローズマリー嬢は貴族令嬢レベルの公務がお出来になります――個人的には、あなたが田舎に隠遁するという話を非常に残念に思っていますよ」

ロージーは思わず顔を赤らめた。知らないうちに、ずいぶん出世していたらしい。

女官長は、再び眉間をもみ始めた。「確認しますが――今の時点で、ジル〔仮名〕卿とは、まだ一度も顔を合わせていない?」

顔さえ知らぬ相手なのだ。取り繕ってもしょうがない。ロージーは困った顔をしながらも「ハイ」とうなづいた。

女官長の、眉間をもむ手が止まった。女官長は首を傾げ、カップを持ったまま視線をあらぬ方にやっている。次第に女官長の目が細くなった。キュッと細まった目の思わぬ迫力に、ロージーは固まった。何か、変な事を言ったかしら。でも――

「ローズマリー嬢、倉庫前の襲撃事件についてですが、あなたは、その時の記憶は混乱していませんか?ショックの余り現場の記憶が完全に飛ぶケースも多いそうですが、あなたは見かけによらず根性がある人だから…」
「断片的にではありますが、現場の記憶は一応、覚えていると思います…ストリートで停車した馬車の中で、頭が元通りになったという感じで、監察官に送って頂きまして――現場の証言が必要であれば、覚えている限りはお話ししますが…」

女官長は無言で茶を飲み干した。そして、「異常な状況だったのだから――あるいは…」と、ブツブツと呟き始めた。

ロージーが首を傾げていると、女官長は空になった自分のカップを皿に載せ、ロージーをチラリと見やった。

「お茶が冷めないうちに、どうぞ」
「頂きます」

やがて茶器が下げられた。女官長はロージーが送った辞職願を取り出し、「保留」と書かれた箱の中に納めた。

「状況次第では変わる可能性もありますから、これは春まで保留にしましょう」

目をパチクリさせるロージーに、女官長は更に言葉を重ねた。

「このたび、王宮内で大獄の件が続いていた事は知っていますね?冬季の最後の公務と言っては何ですが、貴族名簿が大幅に変わったので、方々に新しい名簿の編集を依頼していまして――持ち帰りで良いので、一部の貴族名簿の再編集を任せたいと思います。こういう仕事は、社交界の出番が多い令嬢には、なかなか依頼できませんのでね」

いわば在宅のタイプライター仕事である。それなら、先方の邸宅の中でも可能だ――むしろ、養老アパートよりは、警備のシッカリしている邸宅の中での方が、安心して仕事ができるだろう。ロージーは、その公務を引き受ける事にした。


8-1@金髪碧眼の貴公子

女官長の執務室を退出し、幾つかの別棟を通り過ぎ、貴族名簿を管理する書庫に向かう。ロージーは女官長の指示書に従って必要な文書を取り出し、箱詰めにして行った。なかなかの量があって一箱だけでは済まず、数箱の山になる。その上、タイプライターをお借りするのだから、大旅行にも匹敵する荷物量だ。

(夕方には雪が降る見込みだから、急がないとね)

ロージーが、書庫、倉庫、回廊の間をちょこちょこと走り回り、あっちから鍵付き台車、こっちから箱、そっちから持ち出し用備品――と色々な物を移動していると、「ロゼッタ嬢じゃないか!」という声が掛かった。

記憶にある声である。ロージーが訝りながらも振り返ると、そこには、近衛兵の制服をまとった金髪碧眼の貴公子が居た。

(いつだったか、役人向け食堂の前でナンパして来ていた貴公子だわ)

相変わらず威圧感ダダ漏れだ。ロージーが思わず、強張った笑みを浮かべて後ずさると、金髪碧眼の貴公子は「あ、そうか」と、この間のように気付いて、そそくさと気配を収めたのであった。そうやって、落ち着いて面する事ができるようになってみると、やはり見惚れる程の美貌である。近衛兵の華やかでかつ洗練された制服もあって、女性に人気があるに違いないのであった。

金髪碧眼の貴公子は「デリケートなんだね、君」と言いながら、輝くような笑みを向けて来た。「だけど、それも良いかも」――金髪の貴公子は、野外と回廊を仕切る優雅なデザインの鉄柵に腕を掛け、ロージーの足を止める位置に身を落ち着けた。

「奇遇だね、ロゼッタ嬢。この辺は王宮に近い区画だから、君みたいな小さくて可愛い子は余り来ないんだよ」
「女官長の指示で、こちらに参っておりますから」
「公務って事?俺の持ち場は大抵この辺りだよ。じゃあ、これから、この辺で君と会える訳だ」

何となく、周囲の人目をチラチラと感じる。主に高貴な方々からの、威圧感を込めた眼差しだ。ロージーは落ち着かなくなった。仕事の途中だし、早く解放してくれないかしら。

「いえ、在宅公務をさせて頂きますので、こちらへは、半月かひと月の間に一度という感じですので…」
「社交界の夜会とかには出席しないの?エスコートしてあげても良いけど」

ロージーはキュッと眉根を寄せた。真剣に怒っているのだが、妖精のような儚げな面差しだけに、迫力は皆無である。

「私は忙しいんです、他の令嬢をお誘いになってください!第一、私はあなたの名前を知りません!」

――たっぷり一分間、沈黙が落ちた。そして、金髪の貴公子は腹を抱えて、陽気に笑い出した。

「ハハハ!最高だね、面白いよ君!ホントに俺の事、知らなかったんだ!知らないふりして関心を引こうとしてるんじゃ無いかと思ったんだけど――ハハハ!ホントに知らなかったなんて!参った!」
「お貴族さまの笑いのツボは、ハッキリ言って謎です」

金髪の貴公子は再び笑い出した。笑いすぎて涙目だ。絶対に埋め合わせしてもらわなくちゃ。くそぅ。ロージーはすっかり、プンスカ状態である。激怒した時のライアナ神祇官の真似をして、ダン、と足を鳴らし、腰に手を当てて仁王立ちになった。

「女性を笑い者にした罰に、仕事を手伝って頂きますわ!あれと、これと、それ!箱を全部、台車に載せてくださいな!」
「喜んで力仕事をさせて頂きます、お嬢さん」

流石に貴族クラスの竜人は怪力である。台車の上に、あっという間に多くの箱がてんこ盛りになった。ロージーは、本気で目を丸くした。金髪の貴公子は「ホントに可愛いね」と真面目に呟き、ロージーの手を取ると、優雅な仕草で口づけをした。

「俺はクリストフェルだ。エヴァライン公の次男。よろしくね、ローズマリー嬢」

そこで金髪の貴公子は、不意に何かに気付いたかのように硬い表情をした。離れた別棟の一つに視線を投げる。貴族クラスの竜人の視力ではバッチリ見えるのであろう、「彼が居るな」などと意味深に呟いていた。しかし、平民クラスの竜人であるロージーの視力では、何も分からない。

そして金髪の貴公子クリストフェルは、疑問顔のロージーに向かって最高に魅力的なウインクをくれると、「じゃあ、またね」と言い残し、愉快そうな笑い声と共に立ち去って行ったのであった。

――バッチリ、不敬罪をやってしまったわ。ロージーは一瞬、頭がクラリとした。

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異世界ファンタジー試作27

異世界ファンタジー7-5裁判所:《宿命図》の暴走

裁判所の中は、予期せぬ事態にパニックになりかけていた。

ユーフィリネ大公女は、仕切りで隔てられた隅の小部屋に控えていたが、その小部屋から、恐ろしい絶叫が響き渡ったのだ。

何事かと、監視人が仕切りを開ける――そして、声を上げることも忘れ、絶句した。

ユーフィリネ大公女の両手のひらからは、見上げる程の大きさの、まばゆい炎が激しく燃え上がっていた。《宿命図》が暴走した炎だ。ユーフィリネ大公女は余りの苦痛で、人の手の部分を竜の手に変化させたらしいが、《宿命図》の炎はなおも激しく、竜の手を鱗ごと焼いていたのである。鱗の焼け焦げる、嫌な臭いがした。

「《宿命図》の暴走事故です!グレード高!神祇官および高度治療師の救急出動を要請します!」

孫娘に甘い老ヴィクトール大公は「早く何とかしろ!」と車椅子の上で喚き続けていた。裁判長と裁判員たちは、裁判所にある種々の机や椅子を移動し、関係者たちを素早く脇に寄せ、神祇官と治療師が動けるスペースを確保している。

同時に、監視人と勇敢な衛兵が手を組み、苦痛にもだえているユーフィリネ大公女の身体を、小部屋から引き出した。暴走した《宿命図》の炎は、竜の鱗を突き刺すほどの凄まじい熱気を発しており、二人とも「あちち」などと呻いている。

永遠にも思える数分が過ぎた後、「神祇官と治療師です!」という大音声と共に、衛兵が裁判所に駆け込んできた。後に、ウルヴォン神祇官、ライアナ神祇官、ファレル副神祇官が続く。そして遅れて、老ゴルディス卿とガイ〔仮名〕占術師。

「床に魔法陣を敷くわよ!ファレル、援護!」

ライアナ神祇官は紐を取り出すと、ファレル副神祇官に一端を握らせ、自分は一端にペンを巻いて駆け出した。ファレル副神祇官の持つ一端には細い棒が取り付けられており、それを床に突き刺して固定する。ライアナ神祇官は、素早く円陣を描いた。

此処から先は、治療師の資格を持たぬ者にとっては難しい領域である。ライアナ神祇官は息を整えると、自分の両手のひらに《宿命図》とは異なるパターンを浮き上がらせた。「ハッ!」という気合と共に、両手のひらを今しがた描いた円陣に向ける。すると、円陣の中に、ライアナ神祇官の手のひらに浮き上がっていたパターンが、拡大転写された。

続いてウルヴォン神祇官がファレル副神祇官と共に、ユーフィリネ大公女の身体を円陣の中に運び込む。ライアナ神祇官は肩で荒い息をしていた。治療のための魔法陣は、一時的にとは言え恐ろしく気力を奪うのである。

ライアナ神祇官が有するのは平民クラス向けの治療の技術であり、それは先天的に強い回復力を持つ貴族クラス向けのそれより、効果が高い。ゆえに治癒魔法陣の効果は、絶大だった。ユーフィリネ大公女の両手に燃え上がっていた《宿命図》の炎が急速に弱まり、やがて消えて行く。

治癒魔法陣の真ん中に横たわったユーフィリネ大公女は、意識が朦朧としていた。その手は既に人の手に戻っており、見たところ火傷は無く綺麗な白い手のままである。しかし、ドレスの袖は、先ほどまで激しく燃えていた炎の熱を証するかのように、真っ黒焦げになっていた。

老ゴルディス卿が感心したように、「落ち着いたようだな」と声を掛ける。呆然としていた裁判所の面々は、それでやっと息を吹き返したかのように、身じろぎし出した。一人が「御足労頂き感謝いたします」と呟いた。

老ヴィクトール大公が車椅子を動かし、「ユーフィリネ!」と声を掛ける。

ウルヴォン神祇官が「まだ近づかないでください」と制した。ライアナ神祇官は息が落ち着いてくると、円陣の中に入ってユーフィリネ大公女の手を取り、チェックし始めた。ユーフィリネ大公女の意識は、急に回復して行った。

「ダメージが大きいわね。竜体の手の方で鱗がほとんど剥げてしまっているから、新しく鱗が生えてくるまでの間、人体で過ごすことを強制します。だいたい半年ぐらいね。肌理がかなり乱れているから、鱗は綺麗には生えて来ないけど」
「そんな!」
「あれ程の炎を出したのよ、手が付いたままで幸運だと思いなさい。肌理のダメージは深いところまで行ってるから、回復力が落ちてしまってるし。今はまだ若いから綺麗だけど、もう少し上の年齢になったら、シワやシミが急に増えて、荒廃した手になるわ」

ユーフィリネ大公女の顔が蒼白になった。死にも近い宣告だ。ライアナ神祇官が治癒魔法陣を解除し、「歩ける状態になったから、椅子にでも」と声を掛けた。裁判所のスタッフの人たちが、近くのソファにユーフィリネ大公女をいざなうが、ユーフィリネ大公女は呆然としたまま、足を動かすのみだった。

次いでウルヴォン神祇官が、ユーフィリネ大公女の両手のひらを手に取り、観察し始める。その顔は、だんだん難しい物になって行った。ライアナ神祇官とファレル副神祇官は哀れみの表情を浮かべて、美しい令嬢を見ていた。

「私たちが思っている通りかしら、ウルヴォン神祇官?」
「間違いありません、ライアナ神祇官――老ヴィクトール大公閣下、非常に残念なお知らせをしなければなりませんが…」

老ヴィクトール大公が、目を険しくした。「早く言え」

「ユーフィリネ大公女の《宿命図》は、生命線を残して、全て破壊されました。お嬢さまの《宿命の人》も、この世には存在しなくなったという事です。竜体の力量もほぼ消滅しておりまして、平民クラスと同等か、それ以下になっておりますので、貴族社会の中では、身体がお辛いかも知れません。このまま貴族令嬢としての地位と立場を守るおつもりであれば、今のうちから、適切な落ち着き先を探された方が良いでしょう。荘園の別荘や修道院などと言ったものになりますが」

ユーフィリネ大公女の反応は、激しい物だった。キンキンと不協和音が響く、うら若い乙女の絶叫は、裁判所全体を揺るがした。

「嘘よ!嘘とおっしゃい!私はまだ若いのよ――結婚すらしてないのよ!社交界だって、お茶会や、恋人や…!流行のお洒落だって、これから…これからだっていうのに!あんた、一生、許さないわよ…!」

*****

しかし、現実は現実であった。ユーフィリネ大公女は、癇癪が収まると頭が冷静になってきたようで、平民クラスと同様に、高位竜人に対する本能的な恐怖感を覚え始めていたのである。裁判長が少し眼差しを険しくするだけで、ビクッとするのだ。

目下、ユーフィリネ大公女の事故の後始末や、その怪我を癒す期間を取るため、臨時的に閉廷となったのだが、しかる後の将来の裁判はスムーズに進むであろうという感触を、裁判所の面々は感じていた。


7-5@追加の議論と錯綜する真実

――騒動が片付いた後。

老ゴルディス卿は、再び機密会議室の椅子にくつろぎつつ、再び集まったウルヴォン神祇官とガイ〔仮名〕占術師、それにライアナ神祇官とファレル副神祇官の面々を順番に眺めた。

「ユーフィリネ大公女の《宿命図》は、どうして暴走したのかね?ウルヴォン神祇官、お主が方式を仕掛けたと言う謎の貴族令嬢とは、ユーフィリネ大公女の事だったのではないか?」

ウルヴォン神祇官は、難しい顔をしていた。

「声が明らかに違うんです。あの謎の令嬢の声は、もうちょっと、こう、澄み切った響きの妙音というような…」
「そうか。ウルヴォン神祇官がそういうなら、そうなのだろうな。《宿命図》が破壊されると、大抵は性格が変わってしまう物でな。声は変わりにくい要素だ。ユーフィリネ大公女は、性格は以前と全く同じ――変わっておらなんだ」

ガイ〔仮名〕占術師が生真面目に眉根を寄せ、何かを思い出すように顔をしかめる。

「もしもの話ですが、一人の竜人が、複数人の《宿命の人》を持った場合は、どうなります? ある種の獣人のように、一夫多妻とか一妻多夫とか、そういうような感じで。一対多の、本気の恋愛関係と言うか…」

ライアナ神祇官が「まさか」と呟く。ファレル副神祇官もうなづいていた。民間の竜人にとっては、理解しがたい感覚だ。老ゴルディス卿は、思い出したぞ、と言う風に、やおら頭に手をやった。

「…ユーフィリネ大公女の、あの噂は真実なのかね?お気に入りの貴公子を何人も身辺に侍らしているとか」
「当たらずといえど遠からず、でしょうね。子供の頃から絶世の美少女だったユーフィリネ大公女の周りでは、子供の頃から貴公子たちが角突き合わせていましてね。決闘沙汰に発展した争いも多かったものですから」

ウルヴォン神祇官はそれを聞くと、「それなら、もしかしたら可能性は、あるかも知んないです」と呟いた。

「竜人の恋愛運の研究で浮かび上がって来た事でして。《宿命の人》と《運命の人》は、ご存知ですよね。竜人の恋愛運が同時並行で耐えられるのは、理論的にはその二種類までらしいんですよ。本能的に有する嫉妬深い性質が関係しているみたいなんですが、三人以上の多方面の恋愛関係が長く続くと、恋愛運が、その重圧に耐えられず焼き切れてしまうようです」

ウルヴォン神祇官はそこで言葉を切り、盛んに首をひねり始めた。

「しかし多人数の恋愛で、あそこまで大きな炎が出るとは思いませんでしたよ。貴族クラスは、やっぱり違うんですね」

ライアナ神祇官は、「付いて行けないわ」と呆れたように首を振った。ファレル副神祇官は穏やかに苦笑を浮かべた。

――真実は、果たしてどうだったのか。

それは幾つかの隠された出来事や事実誤認が重なる中で、永遠に分からないままになったのであった。

異世界ファンタジー試作26

異世界ファンタジー7-4王宮神祇占術省:未消化の謎あるいは問い

――というような顛末であった――と締めくくり、ウルヴォン神祇官の説明は終了した。

「はあ…全く何というか、善意から出た災厄…しかも飛び火付き…って、どうしようもないわね!」

ライアナ神祇官は呆れ返って、椅子にヨロヨロと腰かけた。全くの善意が、悪意に変化してしまう。何という虚しさ、愚かしさ。ウルヴォン神祇官は、全くの善意で行動したのである。悪意など一片も無かったのだ。もしこれが本当に最初の狙い通り成功していたなら、事態は一層ねじれるものの、一時的には一石三鳥だったであろう。

「飛び火って、どういう事なんだい、ライアナ神祇官?」
「耳かっぽじって良く聞きなさい、ウルヴォン神祇官。あんたの失敗した実験の直撃を受けたのは、私の顧客の血縁だったのよ。もう少しで、祖母より先に孫娘が死ぬという、とんでもない悲劇を目撃するところだったわ。その子、婚約者が居るのよ!巻き添えになった令嬢たちもね!あんたの実験は、ターゲットを完全に外してるじゃないの。よりによって!その破廉恥な!何処かの!悪女の!とばっちりを受けるなんて!それも《宿命の人》どころか、《死兆星》となって出現するなんて――ホントに信じられないわ!」

ウルヴォン神祇官は、本当に申し訳ない――と言った様子で、床の上に小さくなっていた。

「ごめんね」
「ごめんで済めば、この世に問題は存在しないッ!」

ライアナ神祇官はひとしきり激昂していたが、元々サバサバした性格である。怒りは激しいが、それが収まった後は、キレイさっぱり忘れるのだ。ファレル副神祇官が手際よく茶を給仕し、ライアナ神祇官は一服して、そろそろと落ち着き始めた。

老ゴルディス卿にしても、ウルヴォン神祇官のような優秀な頭脳を失うのは惜しいのだ。人知を超越する運命の力が働いたのであろう、最小限の被害で済んだことは喜ばしいことだし、ライアナ神祇官の効果的な「お仕置き」のお蔭で、ウルヴォン神祇官はこれ以上無いほど反省している。これ以降は、禁忌の領域に踏み込む事は決して無いだろうと、老ゴルディス卿はホッとしていた。

ガイ〔仮名〕占術師は手際よくウルヴォン神祇官を立たせ、最寄りの椅子に座らせた。

「ウルヴォン神祇官、幾つか確認しなきゃいけないんだが、誠実に答えてくれるね?」
「勿論です、僕に分かる事なら」

ガイ〔仮名〕占術師は早速、未消化の質問を始めた。

「問題の貴族令嬢の正体は、今でも分からないか?」
「ええ、さっき話した通りです。そもそも恋愛相談コーナーって、偽名でもOKなところだし」
「一度目は《死兆星》という形で災厄が弾けたけど、二度目はあるのか?」
「あ、それは無いです。元々不安が大きい実験って事は分かってたし、一度しか発動しないようになってます。一度発動したら、方式が壊れるようにセットしたんですよ。平民クラスのオマジナイ操作と同じです」

ライアナ神祇官が、「賢明な対応ね」と口を挟んだ。

「連続発動されたら、ローズマリー嬢の身がもたなかったわよ。あの《死兆星》のお蔭で、あっちこっち《宿命図》が歪んでしまってて。何日間も異常変位を修正する羽目になったんだから」
「ホントにごめん…」
「二度としないって、反省してくれれば良いわ――あ、そう言えば、謎の貴族令嬢の声は聞いた訳よね、ウルヴォン神祇官。もう一度聞けば分かるんじゃないの?」
「多分――だけど、余り自信は無いよ、ごめん。一応、声も美人だったよ、あの令嬢」

*****

ウルヴォン神祇官が白状した内容は、全ての個人名を伏せる形で調書に取られた。正義感に酔って暴走した一人の神祇官の愚かな行為の記録ではあったが、神祇官としての倫理を徹底するための、貴重な教訓になるはずである。

機密会議室の面々は一礼を交わし、扉を開けて廊下へと繰り出した――と、そこへ、血相を変えた衛兵が現れた。

「ちょうど良かった、神祇官の皆さま!王宮神祇官は皆、老ヴィクトール大公の案件の証拠固めに出払っていて――裁判所にて、ユーフィリネ大公女、《宿命図》暴走の事故でございます! 取り急ぎ、公爵令嬢の体調の確認、及び怪我の治療を要請します!」