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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作22

異世界ファンタジー6-4窓の雪:遺された手紙

――冬になってから何度目かになる雪が、シンシンと降っている。時刻は真昼の頃だというのに、空が分厚い灰色の雲に覆われている事もあって、辺りは夕暮れのような薄暗さだ。

通りに面した窓からは、ランプの光がさざめくように漏れている。ロージーの部屋も、複数のランプで照らされていた。

身辺整理が終盤を迎えた頃、ロージー自身の私物をチェックしている時に、それは見つかった。

――亡き父の遺骨を納めた時、共同墓地の墓守から渡されていた、父の遺品――ちょっとだけ古い、未開封の手紙。

(私ったら、あれから色々あって――あり過ぎて、すっかり忘れていたんだわ)

近況報告に使われるような、武骨なまでの実用性を追求した封筒。中に入っている紙も、同様だろう。封筒には、やはり武骨で何処か角ばった不器用な文字で、「父より」と、あっさりと書いてある。ロージーは改めて、かすかな笑みを漏らした。

部屋の中からは、ほぼ全ての家具が無くなっており、残っているのは作り付けの棚やコーナーテーブルのみだ。腰を落ち着けるべきソファも、既に無い。ロージーは窓際にランプを置くと、部屋の真ん中に鎮座していた大きなトランクを引っ張ってきて、それを椅子に見立てて、ちょこんと腰かけた。

ロージーはおもむろに開封すると、父からの手紙を読み始めた――

結論から言えば、父グーリアスからの手紙は、ロージーが成人した日に書かれた物だった。

――実はロージーは、成人祝いを自宅で行なっていない。

令夫人の強い希望で、婚約者の実家の方で成人祝いを行なったのだ。ロージーはそこで、ささやかな成人祝いを内々のパーティーと共に贈られたのである。

そして流石に侯爵家と言うべきか、ギルフィル卿の親戚の列席があり、更に執事その他の多くのスタッフたちや、王宮から派遣されてきた占術師の列席があった。父グーリアスにとっては、大いに戸惑う代物であったらしい(祖母はその頃、体調を悪くし始めていて、出席できなかった)。

当主ギルフィル卿が、多忙な公務の間を縫って短い時間だけ挨拶に帰って来た。ロージーの父親はギルフィル卿の直々の祝福に対し、「娘の成人を祝って頂き、ありがとうございます」と、堅苦しく、通り一遍の返礼をするのみだった。

そしてその至極簡潔な儀礼応答は、すぐに王宮へとんぼ返りしなければならぬギルフィル卿にとっては、ありがたい物であったようだ。勿論、婚約者ジル〔仮名〕は公務に忙殺されていて、遂に現れなかった。しかし、父親たるギルフィル卿ご自身が、恐れ多くも短い時間にせよジル〔仮名〕様の代理を務めてくださったのだから、贅沢を言っては罰が当たる。

いずれにせよ成人祝いのパーティーの間、ロージーの父は終始、言葉少なだった。令夫人が気を利かせて、明るい夕べの中での、父と娘の庭園散策の時間を作ってくれたのだが、ロージーが、今まで学習した庭園のあちこちのいわれを説明し続けるばかりで、父親は「うん」とか「ああ」とかしか言わなかったのである。

そんな父親が、あの成人祝いが終わった後のいずれかのタイミングで、ロージーに手紙を書き残していたのであった。

*****

――娘ローズマリーへ

成人おめでとう。お前は小さい頃は身体が弱く、無事に成人できるのかと心配していたものだが。

当主ギルフィル卿から婚約の打診があった時、父としては正直、お前が成人の日まで生きられるのかどうかの方が、気がかりだったものだ。その不安を先方に正直に申し出たところ、仮婚約で良いから是非に、という話を頂いたのだ。

だから、仮婚約という状態とは言え、お前は自分の立場について何ら不安に思う必要はないという事を、此処にハッキリと書いておく。どうも貴族社会では、人付き合いで色々奇妙な事があるようだからな。

いつも恐ろしく忙しいジル〔仮名〕卿とは、何回か王宮ですれ違って、わずかな時間の間だけ立ち話をすると言うだけの付き合いになってしまっているが、彼が聞くのは、いつもお前の事だった。正真正銘の貴族クラスだけあって、気性などは想像できる通りだが、彼になら、お前を任せても良いとは思っている。

(私が言うのも何だが、何というか綺麗な男だ。親バカという事を差し引いても、お前の横に立つに似つかわしい男だと思う)

お前がようやく結婚できる年になったという事で、私も一つ、肩の荷を下ろした訳だ。

どうか、幸せにおなり。

――父より

*****

今は亡き父からの手紙を読みながら、ロージーは静かに泣いていた。

途中で、「何をどう書こうか」と悩んだらしきインクの染みがポタポタと落ちているし、書きかけて修正したらしき痕跡が、そこかしこにある。まさに父グーリアスらしい、短くて、武骨で口下手で、不器用な手紙だ。

しかしそこには、父親でさえ知らぬ貴族社会に足を踏み入れようとしているロージーに対する、気遣いと愛が溢れていた。

(――ごめんなさい、父さん。私、婚約者とは違う人を愛してしまったの――)

更にロージーは、その不実の責任を取るために、ジル〔仮名〕卿との婚約を破棄する。

ロージーは袖が濡れるのも構わず涙をぬぐうと、父からの手紙を丁寧にたたみ、鍵付きの文箱の中に固く封印した。

窓の外の雪は、相変わらずシンシンと降り続けていた。

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異世界ファンタジー試作21

異世界ファンタジー6-3降る雪:街角の噂と贈られた手袋

――結局、ライアナ神祇官が予想した通り、ロージーの休暇は一週間の強制休暇から三週間の忌引休暇に延長した。

祖母の《霊送り》が済んだ後の身辺整理は緩やかながら順調に進み、ロージーは改めて、様々な物思いに沈んで行った。数日ぶりに食料市場に買い物に出ると、人々の喧騒の中から、日々のニュースが断片的に飛び込んでくる。最近の最も大きな話題は、王宮で大きな捕り物劇があったというニュースらしかった。

内容が内容だけあって厳しい箝口令が敷かれているという事だが、王宮出入りの業者や商人たちが「此処だけの話だけど」とぼやかしながら盛んに喋るのだ。具体的な名前や内容は曖昧ながら「悪事千里を走る」のスピードを証明するかのように、大体の内容は、瞬く間に津々浦々に拡散して行った。

大貴族の直系の縁者による大掛かりな汚職が摘発され、その類は大貴族を盟主とする一大派閥にも及んだそうで、久方ぶりに政府中枢を揺るがす大政変に展開しそうだという評判なのであった。

(――きっと、あの監察官は、今すごく忙しいわね…)

目下の山積みの問題が落ち着いたら、彼は、《宿命の人》でもある婚約者と結婚するのだろうか――。ロージーはつらつらと考え、「きっと、そうね」と呟いた。流石に、この冬は忙しいだろう。春あたりになるかも知れない。

婚約者ジル〔仮名〕の実家も、目下、非常な多忙であるらしい。祖母の《霊送り》に際して、一家連名の丁寧な挨拶状と、婚約者ジル〔仮名〕からの「いつも忙しくて申し訳ない」という旨のメモと共に、丁寧な品を受け取ったのみである。

季節柄という事もあって、婚約者からの品は「手袋」である。きっと何かの折に、令夫人から聞いたのかも知れない――いつだったか、亡き父の遺骨を北部辺境の共同墓地に納めに行った時、もう既に強い冷え込みが始まっていた北部に行くにも関わらず、ロージーは手袋を持っていなかった――という事実を。

上質で滑らかな布地を縫い合わせて作られているラベンダー色の手袋には、フワフワとした白い縁取りが付いている。少女らしいデザインだが、今の大人のロージーが使っても違和感の無い品であるというところに、微妙な心遣いが見える。

――市場での買い物が終わった後、ロージーは再びラベンダー色の柔らかな手袋をはめ、乗合馬車で養老アパートに帰宅した。手袋のサイズは、小柄なロージーの手にすんなりと馴染む大きさだった。

(実際に会った事は無いのに、婚約者は何故、私の手のサイズを知っているの?)

ジル〔仮名〕が知っているのは、髪が白緑色に染まる前の、病的なまでに真っ白な髪を持つ幼い少女としてのロージー。今のロージーの姿は知らないはずだし、ましてや、手に触ったこともないのに、何故、測ったかのようにピッタリなサイズを選べるのだろう。母親に当たる令夫人あたりから、サイズを聞いたのだろうか。多忙な中で、品を手に入れるのは大変だろうに――

ロージーは、シクシクとした罪悪感を感じていた――私は、ジル〔仮名〕様を裏切っている。

顔も良く覚えていない、年上の婚約者。何とかして彼の顔を再現しようとしても、胸の中に思い浮かぶのは、あの日、雑木林の中で不意にかち合った、あの黒髪と青い目の、背の高い監察官の姿だ。記憶に辛うじてあるジル〔仮名〕と似たような感じの黒髪だから、印象が重なってしまうのかも知れない。

かの佳き日
澄み明らかなる 青空に
いやが上にも 冴え渡る
――雪白の連嶺よ!

祖母は確かにプロの詩人では無かったが、今になって思うと、予言者と見まがうほどに豊かな直感の持ち主だったに違いない。《運命の人》に強く惹きつけられた瞬間の曖昧な心象を、恐ろしい正確さで切り取っている。

――帰ろうか。両親の故郷へ。そして、胸に秘める恋が生まれた場所でもある、あの雪白の連嶺を望む谷間の何処かへ。

忌引休暇の後半の頃になって、ようやくロージーは、その決心を固めたのであった。

そうと決まれば、養老アパートを引き払う手続きである。身辺整理は、引っ越しを兼ねた本格的な物になった。大きな家具は順次処分し、寄付扱いにしたり中古市場に送ったりする。祖母が生前使っていた書斎代わりの別室には、予想通り未発表の作品の原稿が残されていた。ツテを辿って、クラブサークル配布といった感じの、ささやかな製本を依頼してみようかとも思う。

*****

それほど大量の物に囲まれた生活パターンでは無かったため、身辺整理は意外に早く進んだ。

元々、天寿まで間もない祖母との同居が終わったら、婚約者の実家の方に生活の場を移しませんか――と打診されていたのもある(父が生きていた間は、父と共にいらっしゃいませんか、という話になっていた。武官は体力勝負という事もあって、文官より早く定年を迎える。武官であった父は、そろそろ定年を迎える年頃だったのである)。

――ただ、次の訪問が、最後の訪問という事になるけれど。

《運命の人》。ロージーが見出した、婚約者以外の恋人。これ以上ジル〔仮名〕卿を裏切り続けることは、婚約者として到底、誠実な態度とは言えない。王族のみに付いて回る政略結婚であれば、また別だろうが――伝え聞く限りでは、《宿命の人》は《運命の人》を超える存在であり、単なる存在ではない。人として、最低限の筋は通さなければならない。

ロージーは、いつかの馬車内での告白の事を、締め付けるような胸の痛みと共に、静かに思い返した。あの監察官の婚約者は、《宿命の人》だ。ロージーの告白を受けて、監察官は確かにその思いを受け止めてくれた。だが、《宿命の人》への誠実が、ロージーへのそれを上回った。

その残酷なまでの事実――《宿命の人》とは何と深い存在なのかと、ロージーは改めて思いを噛みしめるのみである。勿論、彼への思いが叶えば良かったという気持ちは、ある。しかし同時に、彼が《宿命の人》と見初めた人をあっさりと手放すような性質であれば、それはそれで、ロージーは逆に微妙な気持ちになっただろう。

ライアナ神祇官は言った。

自然な変化である限りは、《宿命》にせよ《運命》にせよ、問題が多くても納得する結果にたどり着く――と。

締め付けるような胸の痛みは、失恋の痛みだ。あの馬車内での告白は、《死兆星》の影響で恋愛運がおかしくなっていた状態での出来事――いつものロージーには出来ない行為だったかも知れない。

それでも、とロージーは思う。シッカリ告白して、シッカリ失恋した。胸が潰れるような思いは今でも引きずっているが、もうどうにもならないのだという事実が、逆に「もう、これで良いのだ」という安心感につながっていた。

ロージーは唇を噛みしめた。わが不実について、婚約者たるジル〔仮名〕卿に謝罪し、責任を取らなければならない。

――先方の邸宅を訪問し、ジル〔仮名〕様との婚約を破棄する、と述べるのだ。

ロージーは既に、北部辺境に隠遁する事を決めていた――そして今や、訪問の前に送る挨拶状の文面をどうすれば、失礼にならないだろうかと考えているのであった。

異世界ファンタジー試作20

異世界ファンタジー6-2降る雪:《霊送り》

ユーフィリネ大公女の墓穴発言をきっかけとする、王宮における捕り物劇がピークを迎えていた頃。

王宮内部の騒動など全くあずかり知らぬ平民たちの日常は、冬本番の到来と共に、穏やかに過ぎて行った。強烈な寒気に包まれると、灰色の分厚い雲の下、早くも初雪がチラホラと舞い始めた。

養老アパートの一室、ほとんどの家具が運び出されて広々となった居間の床に、熟練の神祇官の手によって、《霊送り》のための魔法陣が描かれた。魔法陣の中央に移動させられたベッドの上には、老女が穏やかな顔で横たわっている。

天寿を迎えたロージーの祖母は、最後の覚醒をしていた。シッカリとした眼差しは、意識が明瞭である事を示していた。

「私たちが分かりますか?リジー様」
「ええ、バッチリ分かるわ」
「天寿の日に、意識がハッキリしている方は珍しいんですよ。よっぽど思い残しや未練があったりします?」

ライアナ神祇官は驚きながらも笑みを浮かべ、祖母の様子を窺っていた。ファレル副神祇官は安静効果のある香料を練り込んだ蝋燭を燭台にセットし、魔法陣の周りに配置している。ロージーは終始、その時が近づいているのを感じて緊張していた。ファレル副神祇官が用意した蝋燭の香りは、祖母だけでなく、ロージーをも落ち着かせるはずである。

祖母は「えーえ、未練は無いけど、大きな思い残しがあるのよ」とユーモアたっぷりに呟いた。

「ロージーの《宿命図》が変な事になってると言うじゃないの。恋愛運が歪んでたなんて、ああ成る程と思ったけど」
「それは、対応済みですよ。王宮に報告に行ったら、即日で王宮の書庫が開いたので、その日のうちにロージー様の成人時の記録コピーを持ち帰る事が出来ましてね――前にも話しましたよね」

ロージーも、その時のことは覚えている。あの日、祖母は珍しく一日中、意識がハッキリしていたのだ。ロージーは、好奇心で目をキラキラさせた祖母の促しに応えて、あの監察官との馴れ初めから最近に至るまでの恋バナ――あるいは相談――を祖母に披露する羽目になり、恥ずかしいやら落ち込むやらで、混乱し通しだったのである。

その日の昼下がりを余程過ぎたころ、ライアナ神祇官とファレル副神祇官は、戻ってくるなり『《宿命図》の歪みが大きく、このままでは不自然な形で《死兆星》が再発する危険があるため、成人時の記録にさかのぼって修正を施します』と説明した。

恋愛運を中心に、通常の範囲に収まらぬ異常変位が見られたと言う。祖母は目をパチパチさせ、『じゃあ、ロージーに《運命の人》が出来たのも、そのせいなの?』と、ロージーの疑問を代弁した。

ライアナ神祇官は、それを否定した。《宿命図》に《死兆星》が発生したことで、《運命の人》との関係に何らかの変化は起きたとは思うが、ロージーが禁断の恋に落ちたのは、それよりも前である。《宿命図》を修正して過去の状態に戻したとしても、あっという間に、現在の状態に合致する自然な《宿命図》となって落ち着くはずだ。

『恋がどうなるかなんて私にも分かりませんが、《死兆星》の影響は弱まりますから、将来に向けてどんな決定をしたとしても、不自然な危機に見舞われることは無くなると思います。AのふりをしたB、Bに見せかけたC、なんていうような不自然な危機にはね』

ファレル副神祇官がライアナ神祇官の補足をした。

あの襲撃事件は、初期の取り調べでは、「公費流用や横流しがバレるのを恐れた業者の企み」という結論が出ていたのだ。実際、ロージーは、「公費流用による不正購入、及び品々の横流しがバレて逃走し、正義の追っ手によって無残な死体にされる」予定だったのである。しかし、真相は全く違う可能性がある――恋愛関係のもつれ、ないしは誤解が、底にあるのかも知れない。ロージーには全く思い当たりが無くても、先方にはそれだけの強い理由があるという事態は、十分に考えられるのだ。

(全く身に覚えのない事で殺されかけるなんて、私ってホントに運が悪いのかも…)

ロージーの手のひらに浮かび上がる《宿命図》は、成人時の記録データを元に、数日にわたって修正と言う名の「オマジナイ操作」を施された。歪みが大きすぎたため、微小修正とは言っても、かなりの変位を修正する羽目になったためだ。特に、無関係と思われた金運にまで不自然な歪みが及んでいたのは、ライアナ神祇官を仰天させたようだった。

ライアナ神祇官は腹に据えかねるといった様子で、『不良神祇官のヤツ、一体どんな《係数》を使ったのよ。全てが終わったら、私が直々に拷問してやろうかしら』などと、物騒なことを呟いていたのであった。

――閑話休題。

祖母は、差し出された孫娘の手を取り、「ロージーが心配なのよ」と呟いた。「ロージーと《運命の人》との間で決着が付くまでは…と思ったけど、こればかりはしょうがないわね」

祖母は遠くを見るような目をして、意味深な笑みを浮かべた。

「ロージーの話を聞いてビックリしたのは、リリーが《運命の人》を感じた時の状況と割と似てるって事なの。季節も場所も全く違うんだけど――人付き合いの都合で、《運命の人》と出会ったと言う他の人の話も割と小耳に挟んできたんだけど、《運命の人》との恋は、雪の影を思わせるイメージ――ひっそりとしたイメージで、共通しているみたいね」

ライアナ神祇官とファレル副神祇官は少し離れたところで様々な作業を続けていたが、祖母の話が佳境に入って来た――今なお謎の多い《宿命図》の話題にも触れて来る――事に気付き、そっと聞き耳を立てていた。

「これは元々リリーのための作品だったけど、友達に結構褒められたのよ。ロージーの方がピッタリしてるかも知れないわ」

そう言って祖母は息を整えると、静かな声で朗唱を始めた。

*****

運命のアストラルシア――
そは 根雪の底に 秘めし星
《宿命》の光の影なす わが命

かの佳き日
澄み明らかなる 青空に
いやが上にも 冴え渡る
――雪白の連嶺よ!

願わくは今しばし 雪な踏みそね
我に微笑む 美(よ)き人よ!

我が恋は 底つ根にこそ 結ぶ恋
涼しき影の 去る前に
汝 意あらば 花とやすらへ

*****

朗唱が終わり、感慨深い沈黙が満ちた。

やがてライアナ神祇官がハッと息を呑んだ。

「リジー様、それは"無名詩人リゼール"の作ですよね?――あら…もしかして…?!」

祖母は恥ずかしそうに顔を赤らめて微笑み、「まあ、私の名前は思ったより有名だったのかしら」と応じた。

「夫や親友に誘われて余暇に始めた趣味の活動だったから、プロじゃないの。流石に本名は、そっち方面に詳しかったら…と思うと恥ずかしかったし、あなたがたの事は一目で気に入ったから、愛称の自己紹介になっちゃったのよ――最後の最後で申し訳ないんだけど、堪忍してちょうだいね。《霊送り》報告書の名前の欄はロージーがサインするから、"まあいいか"と思ったし」

ちなみに"無名詩人リゼール"は、かつての権力闘争のピーク時、殺伐とした世相の片隅で活動開始した抒情詩人として記録されている。辺境出身を思わせる何処か「流行おくれの詞」と「のほほんとした雰囲気」、特徴のある抒情性が、数少ないとはいえ一部の人の関心を引いた。多くの作品はハッキリ言って「ヘボ」であったが、たまに「おや」と言えるような作品があったのだ。先ほど朗唱した小品は、その一つである。

――祖母の変わった秘密主義とユーモアは、最後の最後になっても健在であった。

「何よ、それ」と泣けるやら笑えるやら、不思議に陽気な雰囲気の中で、祖母は穏やかに息を引き取ったのである。竜人の標準的な最期、つまり一片の鱗を残して肉体は光の粒となって蒸発し、夕方の光に同化して行った。もっとも、これは賑やかな見送りを望んでいた祖母の、狙ったことであったかも知れない。

ある意味、祖母もまた、人生の達人と言うべき人だったのだ。