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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作27

異世界ファンタジー7-5裁判所:《宿命図》の暴走

裁判所の中は、予期せぬ事態にパニックになりかけていた。

ユーフィリネ大公女は、仕切りで隔てられた隅の小部屋に控えていたが、その小部屋から、恐ろしい絶叫が響き渡ったのだ。

何事かと、監視人が仕切りを開ける――そして、声を上げることも忘れ、絶句した。

ユーフィリネ大公女の両手のひらからは、見上げる程の大きさの、まばゆい炎が激しく燃え上がっていた。《宿命図》が暴走した炎だ。ユーフィリネ大公女は余りの苦痛で、人の手の部分を竜の手に変化させたらしいが、《宿命図》の炎はなおも激しく、竜の手を鱗ごと焼いていたのである。鱗の焼け焦げる、嫌な臭いがした。

「《宿命図》の暴走事故です!グレード高!神祇官および高度治療師の救急出動を要請します!」

孫娘に甘い老ヴィクトール大公は「早く何とかしろ!」と車椅子の上で喚き続けていた。裁判長と裁判員たちは、裁判所にある種々の机や椅子を移動し、関係者たちを素早く脇に寄せ、神祇官と治療師が動けるスペースを確保している。

同時に、監視人と勇敢な衛兵が手を組み、苦痛にもだえているユーフィリネ大公女の身体を、小部屋から引き出した。暴走した《宿命図》の炎は、竜の鱗を突き刺すほどの凄まじい熱気を発しており、二人とも「あちち」などと呻いている。

永遠にも思える数分が過ぎた後、「神祇官と治療師です!」という大音声と共に、衛兵が裁判所に駆け込んできた。後に、ウルヴォン神祇官、ライアナ神祇官、ファレル副神祇官が続く。そして遅れて、老ゴルディス卿とガイ〔仮名〕占術師。

「床に魔法陣を敷くわよ!ファレル、援護!」

ライアナ神祇官は紐を取り出すと、ファレル副神祇官に一端を握らせ、自分は一端にペンを巻いて駆け出した。ファレル副神祇官の持つ一端には細い棒が取り付けられており、それを床に突き刺して固定する。ライアナ神祇官は、素早く円陣を描いた。

此処から先は、治療師の資格を持たぬ者にとっては難しい領域である。ライアナ神祇官は息を整えると、自分の両手のひらに《宿命図》とは異なるパターンを浮き上がらせた。「ハッ!」という気合と共に、両手のひらを今しがた描いた円陣に向ける。すると、円陣の中に、ライアナ神祇官の手のひらに浮き上がっていたパターンが、拡大転写された。

続いてウルヴォン神祇官がファレル副神祇官と共に、ユーフィリネ大公女の身体を円陣の中に運び込む。ライアナ神祇官は肩で荒い息をしていた。治療のための魔法陣は、一時的にとは言え恐ろしく気力を奪うのである。

ライアナ神祇官が有するのは平民クラス向けの治療の技術であり、それは先天的に強い回復力を持つ貴族クラス向けのそれより、効果が高い。ゆえに治癒魔法陣の効果は、絶大だった。ユーフィリネ大公女の両手に燃え上がっていた《宿命図》の炎が急速に弱まり、やがて消えて行く。

治癒魔法陣の真ん中に横たわったユーフィリネ大公女は、意識が朦朧としていた。その手は既に人の手に戻っており、見たところ火傷は無く綺麗な白い手のままである。しかし、ドレスの袖は、先ほどまで激しく燃えていた炎の熱を証するかのように、真っ黒焦げになっていた。

老ゴルディス卿が感心したように、「落ち着いたようだな」と声を掛ける。呆然としていた裁判所の面々は、それでやっと息を吹き返したかのように、身じろぎし出した。一人が「御足労頂き感謝いたします」と呟いた。

老ヴィクトール大公が車椅子を動かし、「ユーフィリネ!」と声を掛ける。

ウルヴォン神祇官が「まだ近づかないでください」と制した。ライアナ神祇官は息が落ち着いてくると、円陣の中に入ってユーフィリネ大公女の手を取り、チェックし始めた。ユーフィリネ大公女の意識は、急に回復して行った。

「ダメージが大きいわね。竜体の手の方で鱗がほとんど剥げてしまっているから、新しく鱗が生えてくるまでの間、人体で過ごすことを強制します。だいたい半年ぐらいね。肌理がかなり乱れているから、鱗は綺麗には生えて来ないけど」
「そんな!」
「あれ程の炎を出したのよ、手が付いたままで幸運だと思いなさい。肌理のダメージは深いところまで行ってるから、回復力が落ちてしまってるし。今はまだ若いから綺麗だけど、もう少し上の年齢になったら、シワやシミが急に増えて、荒廃した手になるわ」

ユーフィリネ大公女の顔が蒼白になった。死にも近い宣告だ。ライアナ神祇官が治癒魔法陣を解除し、「歩ける状態になったから、椅子にでも」と声を掛けた。裁判所のスタッフの人たちが、近くのソファにユーフィリネ大公女をいざなうが、ユーフィリネ大公女は呆然としたまま、足を動かすのみだった。

次いでウルヴォン神祇官が、ユーフィリネ大公女の両手のひらを手に取り、観察し始める。その顔は、だんだん難しい物になって行った。ライアナ神祇官とファレル副神祇官は哀れみの表情を浮かべて、美しい令嬢を見ていた。

「私たちが思っている通りかしら、ウルヴォン神祇官?」
「間違いありません、ライアナ神祇官――老ヴィクトール大公閣下、非常に残念なお知らせをしなければなりませんが…」

老ヴィクトール大公が、目を険しくした。「早く言え」

「ユーフィリネ大公女の《宿命図》は、生命線を残して、全て破壊されました。お嬢さまの《宿命の人》も、この世には存在しなくなったという事です。竜体の力量もほぼ消滅しておりまして、平民クラスと同等か、それ以下になっておりますので、貴族社会の中では、身体がお辛いかも知れません。このまま貴族令嬢としての地位と立場を守るおつもりであれば、今のうちから、適切な落ち着き先を探された方が良いでしょう。荘園の別荘や修道院などと言ったものになりますが」

ユーフィリネ大公女の反応は、激しい物だった。キンキンと不協和音が響く、うら若い乙女の絶叫は、裁判所全体を揺るがした。

「嘘よ!嘘とおっしゃい!私はまだ若いのよ――結婚すらしてないのよ!社交界だって、お茶会や、恋人や…!流行のお洒落だって、これから…これからだっていうのに!あんた、一生、許さないわよ…!」

*****

しかし、現実は現実であった。ユーフィリネ大公女は、癇癪が収まると頭が冷静になってきたようで、平民クラスと同様に、高位竜人に対する本能的な恐怖感を覚え始めていたのである。裁判長が少し眼差しを険しくするだけで、ビクッとするのだ。

目下、ユーフィリネ大公女の事故の後始末や、その怪我を癒す期間を取るため、臨時的に閉廷となったのだが、しかる後の将来の裁判はスムーズに進むであろうという感触を、裁判所の面々は感じていた。


7-5@追加の議論と錯綜する真実

――騒動が片付いた後。

老ゴルディス卿は、再び機密会議室の椅子にくつろぎつつ、再び集まったウルヴォン神祇官とガイ〔仮名〕占術師、それにライアナ神祇官とファレル副神祇官の面々を順番に眺めた。

「ユーフィリネ大公女の《宿命図》は、どうして暴走したのかね?ウルヴォン神祇官、お主が方式を仕掛けたと言う謎の貴族令嬢とは、ユーフィリネ大公女の事だったのではないか?」

ウルヴォン神祇官は、難しい顔をしていた。

「声が明らかに違うんです。あの謎の令嬢の声は、もうちょっと、こう、澄み切った響きの妙音というような…」
「そうか。ウルヴォン神祇官がそういうなら、そうなのだろうな。《宿命図》が破壊されると、大抵は性格が変わってしまう物でな。声は変わりにくい要素だ。ユーフィリネ大公女は、性格は以前と全く同じ――変わっておらなんだ」

ガイ〔仮名〕占術師が生真面目に眉根を寄せ、何かを思い出すように顔をしかめる。

「もしもの話ですが、一人の竜人が、複数人の《宿命の人》を持った場合は、どうなります? ある種の獣人のように、一夫多妻とか一妻多夫とか、そういうような感じで。一対多の、本気の恋愛関係と言うか…」

ライアナ神祇官が「まさか」と呟く。ファレル副神祇官もうなづいていた。民間の竜人にとっては、理解しがたい感覚だ。老ゴルディス卿は、思い出したぞ、と言う風に、やおら頭に手をやった。

「…ユーフィリネ大公女の、あの噂は真実なのかね?お気に入りの貴公子を何人も身辺に侍らしているとか」
「当たらずといえど遠からず、でしょうね。子供の頃から絶世の美少女だったユーフィリネ大公女の周りでは、子供の頃から貴公子たちが角突き合わせていましてね。決闘沙汰に発展した争いも多かったものですから」

ウルヴォン神祇官はそれを聞くと、「それなら、もしかしたら可能性は、あるかも知んないです」と呟いた。

「竜人の恋愛運の研究で浮かび上がって来た事でして。《宿命の人》と《運命の人》は、ご存知ですよね。竜人の恋愛運が同時並行で耐えられるのは、理論的にはその二種類までらしいんですよ。本能的に有する嫉妬深い性質が関係しているみたいなんですが、三人以上の多方面の恋愛関係が長く続くと、恋愛運が、その重圧に耐えられず焼き切れてしまうようです」

ウルヴォン神祇官はそこで言葉を切り、盛んに首をひねり始めた。

「しかし多人数の恋愛で、あそこまで大きな炎が出るとは思いませんでしたよ。貴族クラスは、やっぱり違うんですね」

ライアナ神祇官は、「付いて行けないわ」と呆れたように首を振った。ファレル副神祇官は穏やかに苦笑を浮かべた。

――真実は、果たしてどうだったのか。

それは幾つかの隠された出来事や事実誤認が重なる中で、永遠に分からないままになったのであった。

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