忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作16

異世界ファンタジー5-3王宮神祇占術省:《死兆星》の相

物事には二面性がある。

《ライ=エル方式》を逆転させて、《逆ライ=エル方式》にする。それが《死の呪い》になる。

ターゲットの《宿命図》に潜む《死兆星》の相を《ライ=エル方式》によって分析し、《逆ライ=エル方式》を用いて加害者の側に転写する。すると、加害者は、ターゲットに対する生殺与奪の力を持つのだ。まるで神のように。加害者は、明らかな殺意をもって《死兆星》を活性化させることで、運命そのものを歪ませ、ターゲットを高確率で死に追いやることができるのだ。

「――私の父と夫は、《ライ=エル方式》の暗黒面に気付き、その知識と技術の流出を何よりも恐れ、防ごうとしていました。己の欲望において、他人の生死ではなく運命そのものに干渉する事は、運命そのものの在り方が、絶対に許さないでしょう。人工《死兆星》が巨大化し暴走したら、最悪の場合、国が亡びます。でも、権力闘争の勃発で情報戦が激化して、そこに父と夫は巻き込まれて。それで秘密が守られたというのも、変な話です」

ライアナ神祇官は、何とも言えない表情を浮かべていた。

「幸いなことに、《ライ=エル方式》を逆転させるのは極めて大変な作業です。《天人相関係数》が割り出せないままであれば成功率は極めて低くなりますし、そもそも狙った人物に対して《死兆星》がヒットするかどうかも、分かりません。通常の占術や《ライ=エル方式》による《死兆星》検出で使う《神祇占術関数表》に対して、《天人相関係数》は一種の暗号とも言えますし、暗号の解読が難しいのと一緒ですわね」

ライアナ神祇官は、そこで言葉を切り深呼吸した。いつも落ち着き払っているはずのベテラン神祇官の手元は、細かく震えていた。決心をしてはいたはずだが、「これを言って良いのかどうか」と直前になって不安になっているのが、明らかに見て取れる。

老ゴルディス卿は、慈悲深い眼差しでライアナ神祇官を注目していた。老人が安心させるかのように、一回り若い女性神祇官の手をポンポン叩くと、やがて説明が再開したのであった。

「そして、此処が一番重要なポイントですが、決定的な要素が加わらないと、《逆ライ=エル方式》の《死兆星》は活性化しません」

ガイ〔仮名〕卿とファレル副神祇官は、顔を強張らせながらも説明に聞き入っていた。セルフサービスの茶は、既に冷え切って冷たくなっている。

「だいたいは私の仮説の通りだったな。決定的な部分は、流石に想定外ではあったが――成る程、そういう事か…」

老ゴルディス卿は相変わらず超然とした様子で、ぬるくなってしまった茶をすすった。

「ノブレス・オブリージュ、貴族たるものの責任、持てる者の義務――それが何故、われらが竜王国において、貴族たる者の神聖なる第一の誓いとされているのか、真に恐るべき意味で理解できたかね?ガイ〔仮名〕君にファレル君」

《宿命図》を――運命を操作するのは、力量のない竜人でもできる。《神祇占術関数表》の技術によって。

平民クラスの間では「オマジナイ」の一環として、《宿命図》への干渉が日常的に行なわれているのだ。とはいっても、それは普通の人でも読み出せる領域、すなわち健康運、恋愛運、金運のみである。その影響も微々たるもので、地方の悪徳代官が地元の娘に手を出そうとして「オマジナイ」を仕掛け、娘の恋人にボコボコに返り討ちにされるといった事例レベルに留まる。

一方、一定以上の力量を持った強大な竜人――貴族クラスとなると、《宿命図》の影響は、軽い物では済まない。

その最たるものが竜王の支配権である。大物は小物の運命を左右する。実際には、竜王のそれは公的なもの――竜王国の版図――として発揮され、個人的には、竜王の《宿命の人》のみに留まる。貴族クラスの竜人も大なり小なり、それに準じる。

限度を超えて運命を歪め、《死兆星》を人工的に投入できる《逆ライ=エル方式》は、運命の決定力が大きい貴族クラスにとっては、まさに禁断の木の実だ。その気になれば、己より下位の者たちを一気に抹殺できるのだ。ある意味、自分の手を汚すことなく。

「だから、権力闘争の混乱で、《逆ライ=エル方式》に至る知識が永遠に失われたことは、我々にとっては非常な幸運だったと言えるのだ。そして、その知識を持つ特定の世代の神祇官――《ライ=エル方式》の奥義の完全なる継承者――は、全員、知識封印の誓約を取った上で、諜報員による監視下にある。申し訳ないがライアナ神祇官、これが現実でもある」
「それは十分に理解していますから、お気遣いなく――老ゴルディス卿」
「まあ、まともな竜人なら、こそこそ《死兆星》を操作するよりは、己の頭脳と手足で、正々堂々と気に入らん奴をぶちのめす。第一、《宿命図》を操作できるほどに理解するには、長期にわたり難解な神祇官教育課程を修めなければならん。占術師レベルでは基礎知識のみにとどまるし、出来上がって来た《宿命図》の分析と占いが、せいぜいだ」

ガイ〔仮名〕卿とファレル副神祇官は、無言だった。老ゴルディス卿はガイ〔仮名〕卿に、意味深な眼差しを投げた。

「この機密会議室の中だけの話だが、アージェント卿の令息ガイ〔仮名〕卿が占術師として籍を置いている目的と理由は、だいたい推察しておるから、心配せんでも良いぞ。あれこれ理由をでっち上げて排除することは考えておらんからな」

ガイ〔仮名〕占術師は、老ゴルディス卿の"狸ぶり"に苦笑を浮かべ、「ご配慮、感謝いたします」と応じるのみだった。

ファレル副神祇官は疑問顔で、ライアナ神祇官を振り返った。

「どういう事か分かりますか、師匠?」
「私にも訳が分からないわ。竜人のくせにつむじ曲がりで、獣人もビックリの"狸と狐の化かし合い"をしてるんだから」

老ゴルディス卿はガイ〔仮名〕占術師と数回ほど目配せし、何かを了解した後、「さて」と、話を本筋に戻した。

「ローズマリー嬢の《死兆星》が、不自然なものだとしたら。それは一体、誰によって活性化させられた物なのか。二度目は、あるのか。その二度目が、国家的危機となって暴走したら――私は、忌々しくも恐るべき可能性を想起せざるを得ぬのだよ」

その示唆は、まさに爆弾だった。

ライアナ神祇官は、暗い顔になった。

「《逆ライ=エル方式》に関する知識の情報流出は、多少はあったんでしょうね」
「ライアナ神祇官よ、禁忌を侵した怪しからん不良神祇官の目星は、既に付いている。ローズマリー嬢の出生時と成人時の《宿命図》は、ジル〔仮名〕卿の婚約者になった時点で王宮管理となっているのだ。そして王宮管理の《宿命図》に接触でき、なおかつ《ライ=エル方式》を完璧に駆使し、《死兆星》を精密に検出できるレベルの腕前となると、非常に限られてくるのでな」
「逮捕はしていないんですか?」
「泳がせているのだ。王宮の諜報力は大したものだと言っておこう。奴は奴で知識増大に貪欲な性質でな、幸いそれ以上の《逆ライ=エル方式》の拡散は確認しておらん。今や厳重監視対象だし、オイタが過ぎれば厳重なる尋問により余罪を白状させた上で、死刑にすれば良い。だが、人工《死兆星》に力を与えた貴族が判明しなければ、本当の解決にはならん」

ファレル副神祇官が目をパチクリさせた――「その貴族を、反社会的勢力として指定なさるんですか?」

ガイ〔仮名〕占術師が人の悪い笑みを浮かべた。

「現宰相も、伊達に権力闘争の後始末をされている訳ではありませんのでね。"国家反逆未遂罪"というのは便利な罪状ですよ」

ファレル副神祇官は、一見ヘラッとして陽気なガイ〔仮名〕占術師の苛烈な一面を直感し、一瞬、固まった。そういえば、この青年貴族、その未知の容疑者のせいで、婚約者を失いかけていたんだっけ。

老ゴルディス卿は真剣な目をして、ライアナ神祇官を見据えた。痩身の老人が、ゆったりとくつろいでいる――という風なのに、底冷えする程の威圧感だ。高位竜人の威圧感の前で動揺せずにいられる下位竜人は存在しない。ライアナ神祇官は固まった。

「――改めて問うぞ、《ライ=エル方式》の奥義の完全なる継承者、ライアナ神祇官よ。人工《死兆星》に力を与えた貴族を割り出す方法は、存在するのか?」

ガイ〔仮名〕占術師もファレル副神祇官も、思わずライアナ神祇官を注目した。痛いほどの緊張が満ちる。

PR

異世界ファンタジー試作15

異世界ファンタジー5-2王宮神祇占術省:もう一つの邂逅と議論

ライアナ神祇官が王宮に到着した。

王宮の一般向けの受付窓口のロビーでは、徹夜明けのファレル副神祇官がライアナ神祇官の到着を待ち受けていた。そして、ガイ〔仮名〕占術師、更には信じられないことに、王宮神祇占術省の最高幹部――老ゴルディス卿――が同席していたのであった。

ライアナ神祇官は、雲の上の存在ともいうべき老ゴルディス卿が同席していることに大いに驚きはしたが、《死兆星》という現象を個人レベルで事前に察知できるのは滅多にない事、重要案件の一つと認識して、やって来たのだろうと理解した。自分にしても、近所でこんなケースに巡り合えば、取り急ぎ、詳しい話を聞きに行こうと思ったはずだから。

「――幾久しいな、士爵ライアスの娘ライアナよ。立派な神祇官となり、お父上もご夫君も誇らしく思っておられるだろう」
「わが父と夫を覚えていらっしゃいましたか、老ゴルディス卿」

ガイ〔仮名〕占術師とファレル副神祇官は、老ゴルディス卿がライアナ神祇官に親し気に話しかけていることに驚いていた。二人の若い男たちにとっては、老ゴルディス卿とライアナ神祇官は二回り以上も上の世代である。過去に何があったのかは、若い世代にとっては、ありがちな未知の一つであった。

老ゴルディス卿は、年老いて威厳が増した深い眼差しに懐かし気な光を浮かべ、薄い唇に笑みを刷いた。

「よく覚えている。故・士爵ライアスも故・士爵エルリックも、民間出身ながら優秀な占術研究員であった。ライアス殿とエルリック殿が共同開発した《死兆星》検出方式は、個人レベル・国家レベルを問わぬ適用範囲の広さ、発生時期の特定の正確さ、その検出速度において、今なお他方式の追随を許していない。ライアナ神祇官は、ファレル副神祇官をよく指導していると感心しているぞ」

ガイ〔仮名〕占術師が唖然とした。

「それでは、公的速報に使われている《ライ=エル方式》とは、その二人の名前に由来するものでありましたか…」

老ゴルディス卿は、首を振り振り、苦笑した。

「貴族出身の占術研究員の連中は、民間出身の研究員に非常な嫉妬を向けておってな。目下、権力闘争が勃発した時代という事もあって、色々あったものだ――悲劇もな――まあ、昔の話はどうでも良いだろう」

老ゴルディス卿は、「この場所では都合が悪い」という事で、ガイ〔仮名〕占術師、ライアナ神祇官、ファレル副神祇官をを引き連れて、ハイレベルの防音加工がされた機密会議室へと入室して行った。

機密会議室に落ち着いた四人は、各々セルフサービスの茶を飲みつつ、会議を始めた。

最初にライアナ神祇官が、ロージーの状況や一週間の強制隔離休養などの報告をする。襲撃時のロージーの記憶はショックの影響で断片的であり、全容解明に耐えられるような正確さ精密さが失われている。ロージーの状況が落ち着いた後で、改めて覚えている部分を聞き取り、必要があり次第、襲撃事件捜査の資料としてまとめ、報告する予定である。

老ゴルディス卿は「適切な処置だ」とうなづいた。

「もっとも、祖母どのの《霊送りの日》までもうすぐですから、一週間が三週間に延びるかも知れません」
「ほう、天寿か。――ローズマリー嬢の父親の方は、《死兆星》を伴う横死であったな?」
「ええ、突然でしたね。前の権力闘争による乱れの余波、時勢の物でしょう。反社会的勢力による暴動が原因ですので」

老ゴルディス卿の目がキラリと光った。

「――ライアナ神祇官、今回のローズマリー嬢の《死兆星》は、自然なものだと思うかね?」

ライアナ神祇官は、ピクリと頬を揺らした。手元で、茶器がカタリと揺れる。やがてライアナ神祇官は、警戒心たっぷりの目つきで老ゴルディス卿をにらみ、そしてファレル副神祇官にチラリと視線を走らせ、最後にガイ〔仮名〕占術師の存在を胡散臭そうに眺めた。

「ローズマリー嬢を保護した監察官からは、他に死亡者は出ていないという話を頂いておりますが」
「ほう。そこに注目するとは、やはり引っ掛かる要素があったのだな。ファレル副神祇官が話した通りだ」

ライアナ神祇官は、ますます渋い顔つきになった。してやられた――とでも言いたげな表情だ。

「我が弟子に、誘導尋問をお仕掛けになったんですね?――老ゴルディス卿」

機密会議室の中は、ピリピリとまでは言わないまでも、奇妙な緊張感に満ちていた。

ライアナ神祇官は目がすっかり座っている。老ゴルディス卿は、その眼差しを受けてなお超然としていた。ガイ〔仮名〕占術師はゆったりと腕を組んで落ち着いていたが、その訓練された目と耳は、どんな兆候も逃さないであろう。

一癖も二癖もある者たちによる丁々発止の雰囲気に慣れていないファレル副神祇官は、すっかりオタオタしていた。ライアナ神祇官は「別に失敗って訳じゃないわ、これも学習よ」と、年若い弟子をなだめる羽目になった。

「確認しておきますけど、老ゴルディス卿。此処にいらっしゃるガイ〔仮名〕占術師、いえ、ガイ〔仮名〕卿は、信用できる方ですか?」
「実のところ、ローズマリー嬢と共に巻き込まれかけた、令嬢サフィニアの婚約者なんだ。ライアナ神祇官の言う『誘導尋問』にも立ち会ってもらっている――ローズマリー嬢の婚約者ジル〔仮名〕卿の代理でな。 近衛兵の別動隊にも顔が利くぞ」

老ゴルディス卿は満面の笑みを浮かべ、ライアナ神祇官は大きなため息をついた。

「――老ゴルディス卿がジル〔仮名〕卿の代理と保証しておられるから、信用する事にいたしましょう」

ガイ〔仮名〕占術師はライアナ神祇官に敬意を表して立ち上がり、「信用いただき、感謝いたします」と一礼した。

「我が友人ジル〔仮名〕卿は、この件に関して非常な不快感を表明していましてね。二人の襲撃者は逮捕の際に重傷を負って仮死状態になったんですが、意識が回復次第、尋問する予定でして…まあ、ご想像にお任せいたしましょう」
「半殺し?お貴族様のお怒りって事ですね。あの子の耳には入れたくない光景が展開するんでしょうね」

ライアナ神祇官は、額に手を当ててため息をついた。何年もの間ずっと縁が無かったとは言え、噂のジル〔仮名〕卿は、ロージーを《宿命の人》と見初めた人だ。流石に首を刎ねたり握り潰したりはしないだろうが、貴族クラスの竜人の怒りは恐れるに足る。

――まして、知らぬ間に、ロージーに《運命の人》という恋人ができたと知ったら――

いや、今はそれは差し置くべきだろう。ライアナ神祇官は気を取り直すと、老ゴルディス卿とガイ〔仮名〕卿を交互に見やった。

「ファレル副神祇官は、何処まで話しましたか?」

――その内容は、つづめて言えば、こういう事だった。

ロージーの《宿命図》に現れた《死兆星》は、ロージー個人の命を絶ってなお、複数人の命を奪う大きさを持っていた。それは極めて異常な事態だった。父グーリアスを襲ったような一般的な《死兆星》は、通常一人分の大きさであり、他人を巻き込むようなケースは、ほぼ無い。同じ災禍に見舞われながらも、ある人は生き、ある人は死ぬ、そういう事である。

――昨夜の実際の事件を見れば。こちらは、ガイ〔仮名〕卿による報告である。

ロージーと令嬢サフィニアは、一緒に死にかけるところだった。ロージーを襲った危機は、説明した通りである。サフィニア男爵令嬢についてはガイ〔仮名〕占術師が先回りしたため、タイミングが決定的にズレて、難を逃れた。

驚くべきことに危機は、離れた場所に居たはずの、令嬢アゼリア〔仮名〕にも及んでいたのである。二人の襲撃者は倉庫に侵入する前、王宮に向かう空中を竜体で高速移動していたのだが、令嬢アゼリア〔仮名〕と、レストラン前の空中階段で勢いよく衝突したという。令嬢アゼリア〔仮名〕は、高い空中階段から投げ出され、"墜落死する"ところだった。もしも、婚約者が傍に居なければ。

極めて異常な事態。それは「自然ではない」という事だ。自然ではない、という事は――

――そこまで話が進んだところで、老ゴルディス卿は、あごの前で、しわの多い細い指を組んだ。

「ここから先は、ファレル副神祇官もガイ〔仮名〕卿も知らぬ領域だな。王宮神祇占術省の幹部連中ですら、知りえぬ内容でもある。《ライ=エル方式》の奥義の完全なる継承者にして賢明なるライアナ神祇官よ、この秘密は一人で抱え続けるには重すぎるはずだ。お父上もご夫君も、これ以上ライアナ神祇官に過大なる負担を掛ける事を望むまい」

ライアナ神祇官は、ついに観念した――といった表情で、言葉を継いだ。

「王宮神祇占術省きっての最高の頭脳、老ゴルディス卿の推察される通りですわ。今回の《死兆星》は、人工的に作成され投入されて――しかる後に、加害者側の明らかな殺意によって活性化された物です。感じとしては、《死の呪い》というのが分かりやすいかも知れません」

――機密会議室に、不気味な沈黙が落ちた。

異世界ファンタジー試作14

異世界ファンタジー5-1危機回避の後の夜と朝:神祇官と祖母

――養老アパートの一室。

奥にある一番広い寝室では、祖母がいつものように、静かに寝入っている。

回復を促す効果のある薬草風呂の後、数種の薬草を処方され、ロージーは居間にセットされたソファ兼ベッドに落ち着き、改めてライアナ神祇官による《宿命図》の観測を受けた。ライアナ神祇官の予想によれば《死兆星》は消えているはずだが、実際に読み出してみなければ確かなことは言えない。

更に、《死兆星》に完全に侵されながらも、不自然な横死を回避したケースは非常に少ない。その前後の《宿命図》の変化パターンでも分からないことが多く、目下、国家レベルでサンプル収集が奨励され、研究対象になっているという事もある。

ライアナ神祇官は《宿命図》を抽出する作業を続けながら、ロージーに語り掛けた。

「ロージー様、さっき馬車で送ってくださった監察官、綺麗な男性でしたねえ。無紋の馬車だったから何処のお貴族様か分からなかったけど、お名前は聞いてますか?改めてお礼の品をお屋敷にお持ちできれば…と思うのだけど」
「ごめんなさい、名前は知らないから。それに彼は賄賂を取り締まる側だから、お礼の品をお持ちしても受け取らないわ、きっと」
「窮屈ですねえ。――ま、微妙なケースだから仕方ないですかね…」

ライアナ神祇官は、物思わしげに溜息をついたロージーを、不思議そうに眺めた。

「ロージー様、もしかして今、恋してますか?」

ストレートな問い掛けだ。ロージーは真っ赤になった。

「で、お相手は、あの監察官ですか?――《運命の人》?」

――鋭い。図星を突かれたロージーは真っ赤になったまま、口をパクパクさせるのみだった。

「し、《宿命図》で、そんな事まで分かる物なんですか?」
「んー、《運命の人》は幅があるから、《宿命の人》に比べると特定しにくいのねー。でも私は大勢の人を見てきましたからね、だいたい雰囲気で分かりますよ。ロージー様は恋する乙女の目であの馬車を見送っていたから」

ライアナ神祇官の顔には、憂いが浮かんでいた。婚約者の居る身で、別の恋人ができてしまった。それは間違いなく、禁断の恋。

「ロージー様、今日は大変な日だったから色々お疲れでしょう。もう寝ていてくださいな。一週間の強制的な隔離休養を勧めます――王宮や婚約者殿への連絡は、このライアナ神祇官にお任せくださいね」
「済みません――よろしくお願いします」

ロージーは小さく息をつくと、掛け布団の下に潜り込み目を閉じた。

*****

翌日、ライアナ神祇官はロージーの体調をチェックし、風邪の時と同じくらい疲労レベルは高いが、安定していると判断を下した。そして、早速ロージーの《宿命図》や診断書を携えて、王宮へと出掛けて行った。

空は高く青く晴れ渡り、上空には強い季節風が吹き続けていた。冬の到来を暗示する雲群が少しずつ厚みを増している。

――父と母の眠る共同墓地――あの北部辺境の雑木林は、既に深い根雪に覆われているだろう。

ロージーはあの白いショールをまとい、居間の窓からいつもと変わらぬストリートを眺めながら、物思いに沈んだ。

やがて一刻、祖母の様子を見る時間だ。祖母は一日中眠りに沈むようになったし、特に変化は無いとは思うが――ロージーは以前のペース時間で、祖母の眠る寝室へと向かった。

――祖母の目は、パッチリと開いていた。シッカリと焦点を合わせ、ベッド脇に近づくロージーを見つめていた。

「お祖母さん?」
「ロージー、調子はどう?昨夜は知らない人に襲われていたでしょう?怪我は大丈夫なの?」

昨夜は、祖母は深い眠りの中にあり、意識が無かったはずだ。どうして――ロージーは事態が理解できず、絶句するばかりだった。それが顔に出ていたのであろう、祖母は更にロージーを呼び、傍の椅子に座るように促した。

「やっぱりそうだったのね。私も夢を見ているのかと思ってて。ここのところ、意識が身体を抜けてあちこち浮いている夢が多くて。夢なのか、私が実際に幽霊か何かになってそこを漂っているのか…見ているものは分かるんだけど現実感が無くて」

祖母は、ロージーが襲撃されていたところを、最初から最後まで――妙な形ではあるが――目撃していたのだ。

「すごく嫌な感じがするから、そっち行っちゃダメよ、危ないわよって何度も言ったんだけど、ロージーはドンドン行っちゃって…もう、焦ったわよ。人相の良くない方の男が――何でか竜体もボンヤリと重なって見えるんだけど、貴族クラスと同じくらい大きかったわね――ナイフを大きく振りかぶっていたから、はたき落そうとパタパタ手をやっていたけど。――あら?ロージーのコートがパッと広がっていたけど、あれ、風だったのかしら?」

ロージーは信じられない思いで、祖母の説明に聞き入った。ロージーがショックの余り覚えていない事すら、知っているのだ。

「そ…それじゃ、あの、監察官の、あの人のことも…」

ロージーはそう言いかけながらも、昨夜の馬車の中での告白の事を思い出して真っ赤になった。祖母は目をパチパチさせた。

「…ロージーを助けてくれたのは、その人なの?私はロージーが助かったところを見てないのよ。気が付いたら、あの危ない二人は地面に転がっていて、あの場所には王宮の衛兵がドンドン集まってきてたわ。あの危ない二人…ロージーがやったとは思えない程の重傷だったから、ずっと謎だったんだけど」

祖母は暫し思案に沈んでいたが、やがて何かがパッと閃いたようだ。

「その人、高位の竜人なのね。一定以上の高位の竜人は、何となく気配は伝わってくるんだけど見えてなかったから。多分、存在感とかが、こっちの感覚レベルをオーバーしてしまうのね。 存在感ダダ漏れな人はバッチリ分かるんだけど、礼儀正しく気配を消されたら――何と言うか、遮蔽シールドが掛かってるとか、ベールが掛かってるとか、そんな感じかしら」

ロージーには、思い当たることが大いにあった。

あの監察官は上手に気配を消していたのであろう、高位の竜人に付き物の、気が詰まるような威圧感は、余り感じなかったのだ。感じたのは一回だけ。食堂でナンパして来た金髪碧眼の貴公子から、ロージーをかばった時だ。周囲の気温が一気に下がるような、凍て付いた殺気――あの金髪碧眼の貴公子の威圧感と対峙するには、もう少し気を張っていた方が良かったのかも知れないが、その時でさえ監察官は、ロージーに配慮して必要最小限のみに抑えていたに違いない。

祖母はじっとロージーを見つめていた。そして、不意にニッコリ微笑む。

「ロージー、恋してるのね。その人に」

何で分かるんですか。ロージーは、ライアナ神祇官に続いてのズバリとした指摘に、あわあわするばかりだった。