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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

道で見た変なもの

お正月早々、不気味でオカルトな写真です…^^;

何度見直してみても、虫にさほど詳しくない自分には、謎の生き物なのです。近所の道端で見かけたものなので、割に有名かつ日常的な生き物であるとは思うのですが、大きさがすごかったのです。

…ええと、体長およそ20センチ程でしょうか…

(印象では「そのくらいの大物」って感じなのです。多分、「変なものに遭遇した」という恐怖の記憶が大部分なので、大きさは割り引いて考えたほうが正確かも・汗)

『風の谷のナウシカ』みたいに勇気を振り絞って、この高速移動する「お化け虫」に急接近して写真記録した自分に、やんやの拍手(※とっさのケータイ写真なので画質は悪いです)☆orz

この「お化け虫」は、幸い、素晴らしいスピードで(多分、本来の住処である)藪の中に消えてゆきました。うーん。いったい何故、人里に現れたのであろうか…などと、アレコレと面妖な内容(主にファンタジー系)を連想してしまいました。

…そのうち、制作中の《物語》に、この「お化け虫」キャラを使うかも知れません。

(実は既にスペクタクル・シーンが浮かんだのですけれども☆笑)

…それはともあれ、この「お化け虫」の名前が分からない…^^;;;

年末年始という妙な時期に、「とっても変なもの」を見たわけですから、2010年は、何か不思議で面白そうなことがあると良いなあ、という風に考えております。

《補遺の与太話を少し》

いわゆるオカルト雑誌『ムー』的なものは結構好き…というか、かなり趣味です(科学関連の正式な理論と研究は、とっても真面目にやっていたのですが…「サイエンス」に魅了されたという、そもそもの原因が、『ムー』的なものなのです…);^^ゞ

…現実と妄想の境界線が広がっている、あの「怪しさ」や「胡散臭さ」、「夢いっぱいの不思議」といったカオスが、やっぱり良いのです。ああいう世界は、健全な意味で未知への好奇心とか想像力をかきたてられます。子供が居たら、一番に読ませたい雑誌が、『ムー』ですね(笑)^^

たとえば、ネッシーなどの未確認生物の調査、宇宙人捕獲作戦やツチノコ捜索などといったものは、如何にもムニャムニャな科学者ハカセが「論理的なのに胡乱な解説」をするのが、やっぱり「ウリ」なのでは無いかと…(ちなみに、美月は、「ツチノコは絶対居る…」と信じているほうです。宇宙人捕獲はさすがに微妙ですが…)。

※蛇足ですが、2012年アセンション説というのも、そういう風に、過剰に不安になったり無視したりせずに、現実と妄想との境界線を「ムー的に真剣に考究して楽しむ」というスタンスでよろしいのではないかと思います。実際、アセンション説というのは、学問的にも興味深いテーマだったりするのですね…^^;

この「お化け虫」を追いかけていったのも、元はと言えば、「恐怖」のほかに「好奇心」もあったからだ…と、今にしてシミジミしております。

「お化け虫」そのものは、やっぱり怖いですけれども…捕獲網を持っていたら、無謀にも捕まえていたかも知れません…^^;

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リーメンシュナイダー小話

★ティルマン・リーメンシュナイダーという中世ドイツの神秘主義彫刻家★

ヨーロッパ中世の神秘思想を論じた各種文献をつらつらとめくっていると、気になる名前に出会いました。

中世ドイツの彫刻家、ティルマン・リーメンシュナイダー(1460-1531)。

彼は神秘主義に生きた芸術家であり、彼の彫刻はいずれも、深い観照の体験から来る稀有の完成度に達している作品なのである…と、評価されています。ロマンチック街道沿いに多くの作品を残しておられるそうです。

特にリーメンシュナイダーの神秘主義思考がよく表現されているといわれる作品が、「ロザリオの中のマリア(薔薇の花冠の中のマリア)」と呼ばれる作品だという事です。

ドイツ語では多分、「Maria im Rosenkrantz」と綴られている作品。この作品で扱われている薔薇の象徴性は、うっすらと、錬金術的-宇宙思想における薔薇の象徴性とも、微妙につながっているような…という気配が感じられるのだとか…^^

ちょっと驚いたのが、あの井筒俊彦氏が、中世ヨーロッパの神秘思想にも踏み込んで論じておられる事でした。

今後の勉強のために、気になるくだりをメモ:

〝歴史的概念としての《Mystik》は、イオニアの自然体験および密儀宗教に端を発するヘレニズムと、旧約聖書に端を発するヘブライズムの二大宗教思潮が基督教を通じて相合流し、中世カトリック教会の盛時を経て近世に入り、ついに16世紀スペインのカルメル会的神秘主義に到って絶頂に達する観照精神の長くかつ複雑な伝統である〟

呪術的・魔術的な色彩はむしろ、神秘主義そのものにとっては邪道であるらしいのですね^^;

〝・・・西欧の神秘主義に関する限り、プラトニズムはギリシアにおいてはついに完結せず、かえって基督教の観照主義によって真に窮極の境地にまで到達するものである・・・〟

…もし、こういったものが西洋人のミスティックの伝統だったのであれば、今の魔術的色彩の濃い西洋文明のありさまは、いったいどういう訳であるのか…はなはだ疑問に思えてまいります。

この辺りは、自分でも整理しきれていませんし、大した結論は出せておりませんが…;^^ゞ

(ご紹介)アムゼルくんの世界(Die Welt des Amselchens)-2010.1.25エントリ「内と外」に、リーメンシュナイダーの弟子と言われている人の、彫刻作品の写真が載っています。リーメンシュナイダーの芸風がよく継承されていると思います…^^

twitter覚書:努力論

https://mobile.twitter.com/masatheman/status/330073685513891841
昨今の本邦の情勢ですと アベノミクスが成功しても、その成功を認めるのが嫌で嫌でもうそれでもそれでもひたすらに嫌で その嫌嫌嫌大嫌いを実現する為に、アベノミクスの成功の恩恵に預かる事を拒否し 貧困を自ら求める人が必ず発生します。(知人からのメール)
https://mobile.twitter.com/masatheman/status/330074765693956098
例えば、塩分は絶対不可欠ですけど取りすぎると万病の元です。だから、医者は塩分を控えろといいますけど 同時に医者は熱中症対策に塩分の摂取を勧めます。言っている事が矛盾しています。しかし、医者の言っている事は矛盾しておらず合理的です。(知人からのメール)
https://mobile.twitter.com/masatheman/status/330075318859743233
運が悪い人は、運を良くする事が大嫌いです。もう忌むべき存在です。吐き気がするくらい大嫌いです。(知人からのメール)
https://mobile.twitter.com/masatheman/status/330075730165784577
なんつうか、勝てない人がいますよね。色々と。そういう人って勝つのが大嫌いだったりします。能力が足りないとか、必要な方法論を取得していないとか、そういう話ではなくて、勝つ事が大嫌いで、ついでに勝つ為の方法が大嫌いだったりします。(知人からのメール)
https://mobile.twitter.com/masatheman/status/330198424119029762
ネガティブな思考が大好きそうな顔している 兄ちゃんが 「アベノミクスで株価が上がってもいい思いをするのは大企業ばかりで我々の暮らしは一向に楽にならない、もっと何とかして欲しい」 だからアベノミクスは大成功します。(知人からのメール)
https://mobile.twitter.com/masatheman/status/330198775702376448
ちなみに、この手の兄ちゃんがアベノミクスに期待していますと言っていたら大失敗します。まぁ、単に類友の法則を適用しただけですけど。(知人からのメール)
https://mobile.twitter.com/masatheman/status/330200024258592768
そもそも成功していない人が、「失敗しろ!」と願っても、その願いは成功しない→つまりその「失敗しろ!」と願われたこと(この場合はアベノミクス)は、逆に成功してしまう、ということか。

https://mobile.twitter.com/sui_sei/status/317566553077972992
Geshi Chizue(下司 智津惠)@sui_sei
夢よ叶え、と願い続けたって叶わない。願い続けて叶う人は、その願いに向かうための努力をし続けているはず。夢に向き合い続け、どうしたらいいか考え続けているから、努力も大変と感じなくなってる。だから、願い続ければ叶う、という誤解が生まれる気がする。
https://mobile.twitter.com/northfox_wind/status/316894819693785088
翼の折れたきたきつね。もふもふ@northfox_wind
何度でもいうが、自然エネルギー革命、そんなものはない。地道な努力とその広がりと、スピードアップ、それの繰り返しで成長しているだけで、革命なんかじゃない。努力の繰り返しの延長線上での急激な成長があるだけ。なぜ、地道な努力を称賛せず、革命革命ビバ革命なんて唱えてるんだい、汗をかけ
https://mobile.twitter.com/azukiglgbot/status/317562261336121344
加藤AZUKI bot@azukiglgbot
「まじめにやっている」ことを免罪符に、自分が「何を」やっているのかを反芻できないままマジメに打ち込むのは本気でマズイと思うんだがなあ。過去の多くの「過ち」は、それをしている最中は皆マジメにそれを頑張ってたんだしさ。
https://mobile.twitter.com/ayammin/status/318190410595979264
佐々木あやみ@ayammin
「電動車椅子は使わないで努力するのが素晴らしい」 「補聴器や手話なんか使わずに聞いて喋る努力をするのが素晴らしい」 「発達障害でも他の子どもと同じ所で同じ方法で学習する努力をさせるのが素晴らしい」 その努力は本当に必要な努力なのか。 努力させる方向を間違っていないか。
https://mobile.twitter.com/kurage313/status/318192601461301249
海月@kurage313
「普通に」あわせる努力も最低限大事だけどな、「他に楽できる方法」があるならそれを使ってなにが悪いのか、という気分にはなるのである。障害者ライフはいかに生きづらさを解消するために手を抜くかが大事なのである。っか、文明が進歩してるんだからそれに合わせていいじゃない。

以上のツイッターをまとめて、文明論の方向から思案/文明を進歩させるのは、厳しく、たゆみない努力。激しい競争を生き抜いたものが、文明を進歩させる。その多くの人の血と汗を犠牲にして成り立ってきた「文明の進歩」という果実を、最も享受するのは?そして、エネルギー不足の時代を生き抜く力の無いものは、淘汰される運命かも知れない?