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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

京都&奈良探訪の記録

こんこんと眠ったお蔭で、体調が戻ってきて、いつもどおり元気になってまいりました。気温も上がってくれたので、助かりました…(週末に向けてまた気温が急降下するみたいですが、今度はしっかり防寒対策するので、多分、大丈夫)…^^;

忘れないうちに、2010.4.11-4.12京都&奈良探訪の記録をば。

早朝の新幹線で京都駅まで飛んでいったのですが、京都駅到着の直前に、いきなり新幹線が「ガクン」といって、駅じゃ無い所で急停車しました。

これは、事故を起こした新幹線の影響を受けたもので、しばらくそのまま立ち往生していました。「接触事故」とか「人が線路に立ち入って新幹線と接触した、現在、現場を調査中」とかいう車内放送がずっと流されていて、消防車のサイレンとかもすごくて、非常にハラハラさせられました…

※ツイッターでも運行情報が提供されていました。便利になったものです(汗)
当時の運行情報=http://twitter.com/superexp_tokai/status/11964383721
※当時の事故を報じた記事・・・【新幹線に飛び込み男性重傷…京都駅】
11日午前9時30分頃、JR京都駅(京都市下京区)で、東海道新幹線の上りホームから男性が線路に飛び込み、博多発東京行きの「のぞみ6号」(16両)にはねられた。JR東海によると、この事故で、米原―京都間で上下線23本が最大49分遅れ、約2万1000人に影響した。京都府警七条署によると、男性は足など数か所を骨折する重傷で病院に搬送されたが、命に別条はない。青森市に住む52歳と説明しているという。小走りで線路に飛び込む姿が目撃されており、同署で状況を調べている。
<2010年4月11日14時31分/読売新聞>

事故の男性、無事で良かったです。やっぱり、この混沌とした世相は何とかしなければ…orz(悩)

ともあれ、何とか京都駅に着きまして…そこでも消防関係者とか緊張感のあるザワザワが伝わってきていましたが、速やかに移動して、観光バスの中に無事おさまりました。

二条城の城門とお堀を、バスの窓から見学。二条堀川とか、印象的な町名にシミジミ。そういえば、途中で、牛若丸と弁慶が決闘した事で有名な五条大橋を垣間見しました(どうも実際の決闘の舞台には、諸説あるようです…^^;)。

御所・点景1

碁盤の目の区画というのは、やはり物珍しい印象があります。京都御所まで行くと、団体観光バスの大群でビックリしました(=自分も観光バスに乗ってやってきたので、他人のことは言えませんが…^^;)。京都御所・春の一般公開は、今年は4月11日(日)が最終日だったそうなので、さもありなん…と納得。幸い、暖かく穏やかな曇天といったお天気で、携帯カメラで色々と撮影しました。

行列が密集していまして、写真の状態でも、割とすいている方ではありました(汗)。折り良く一番前のポジションを取れた時に、何枚かゲット。御車寄を1枚。順路途中の、構造的に面白い部分を1枚。紫宸殿を1枚。何だか幽霊屋敷みたいな屋外の建物を1枚。幽霊屋敷みたいな建物は、ドラマチックな錆び感や怪しげな存在感が興味深く、制作中の物語の中で、「怪奇な幽霊スポット」か何かで活用してみようかなと考えています。

御所・点景2

その後、清涼殿の周囲の写真も一緒にゲット。衣装を着けた人形展示を一番前のポジションでゲットできたのは、ラッキーでした。赤い着物を着て刀を振り回しているのが「久米舞」。白い着物と黒い尻尾(正式な名前は知らない)を着け、葉っぱの付いた枝を持って振り回しているのが「大和舞」。十二単を着て扇を掲げているのが「五節舞」。

結構おしあいへしあいでしたが、いろいろ見られて、楽しかったです(広かったです)*^^*

お昼~昼下がりの時間帯は、嵐山・嵯峨野の野歩きで、渡月橋から祇王寺まで歩き回りました。竹林に感動。渡月橋がかかってる川は桂川というそうで、向こう側の山に点々と桜の木があって、ナニゲに良さげな雰囲気でした(この辺の山って、野から急に山が立ち上がってる感じの地形なのですね。何だか神秘的な生き物が住んでいそうだなと思いました)

朝食を満足に取っていなかった上に昼食抜きだったので、その後はお腹が空いて、足がガクガクし始めていました。途中、金閣寺も見学しましたが、空腹でフラフラになっていた事もあり、外国人観光客が密集していて、写真どころではありませんでした。知人いわく、「すごい金ぴかー、中国語がたくさん聞こえてくるー」。中国人観光客がものすごく多かった感じ。割と行動が派手で、大声でしゃべっているので、結構目立っていたようです…^^;

日が暮れかけた頃に清水寺へ到着し、そこで夕食となりました(ちゃんとした食事を予約)。清水寺で、「春のライトアップ夜間拝観」がありまして、夕食後に拝観というプログラムとなっていたのでした。こちらも同じく、4.11最終日だったようで、外国人もいっぱい集まっていました。いやはや…

食事が終わって屋外に出てみると、何と、雨脚は弱いものの、本格的な雨が降っておりまして…気温が急激に下がっていました(正直、この気温変化は驚いた…)。昼間はお天気が良好だっただけに、傘の方はうっかりして手持ち荷物に含めておらず、しばらくの間、知人と顔を見合わせて呆然としておりまして…^^;;;

…しばらく様子をうかがっていると、雨脚が少し弱くなってきまして、「この位だったら傘なしでも行ける!」と相談の上、雨の隙を突いて清水寺の屋根のある場所まで一気に駆け上がりました。

ところが、空腹を抱えて野歩きをした後に本格的な食事をして、急激に冷え込む雨の中を一気に走り回る…という、やっぱりハードなプロセスが効いたのか、身体に何らかのトドメの限界が来たみたいで、いきなり強烈な眩暈と頭痛と腹痛が始まりまして…^^;;;

原因=貧血と、身体の急な冷えと、以前から溜まっていた頭痛&疲労&ストレス…かも…^^;;;

ええと、脂汗というか、汗がいっぱい出るけど、全身鳥肌が立っているような、いないような…眩暈と腹痛は、緊張と緩和の波を持って何度も繰り返しやって来て、しまいには根負けして、ヨロヨロと手すりにしがみつきまして…ちょっと意識が朦朧としていたので覚えていないのですが、後で知人が言うには、真っ青で丸くなって震えていたとか…(うーむ…)^^;;;;;;

(一応、清水の舞台直下の桜のライトアップや、清水ビーム?っぽいのは、しっかりと目撃☆)

清水寺門前町のお店の方が快くお手洗いを貸して下さり、大変助かりました m(_ _)m<感謝

眩暈と腹痛の30分?で、10年分くらい憔悴した感じでしたが、幸い当日のプログラムはこれでおしまいで、後はホテルでゆっくり休めました(洋式シャワーでお風呂なしのホテル)。本格的サバイバル環境でしたが、体調の異変が速やかに治まったのは、きっと神仏のご利益のお蔭ですね…;^^ゞ

吉野への道

次の日は、吉野山の山歩きでした。朝から雨でしたが、バスに乗って県境を越えると、雨上がりになってきました。途中で飛鳥を通過。雲たなびく幻想的な大和三山(畝傍山・耳成山・香具山)をバス窓から見学。葛城エリアや橿原エリアは面白かったです。1枚目の写真が、葛城山系の写真です。高松塚古墳やキトラ古墳のある地区を通過し…山登りの道に入ると、向こう側に吉野の山々が見えてきまして、この辺りが中世・吉野南朝の本拠だったのだと思うと、不思議な気分になりました。

今度はしっかりと手荷物に傘を用意して、山登りしました。左側が中千本で、右側が上千本。下千本は爛熟シーズンで、中千本が満開シーズン、上千本が咲き揃いシーズンにあたっていました。どうも天候の交代タイミングだったらしく、急に雲(というか、霧)が目前に広がり、やがて雨天に変化。なので、くっきりした桜の写真は、ここまで。とても良いタイミングに恵まれたと思います。

金峯山寺・仁王像・他

金峯山寺の門の仁王像が面白く、両方ゲット。ちなみに左下の仁王像と一緒のポーズを取っている人物は、たまたま写り込んでしまった通行人で、自分でも無いし、知人でも無いです(天候は悪かったですが、押すな押すなの状態で、これでも何とかラッキー・タイミングでゲットしたものです)…^^;

正午頃、雨は本格的な降りになり、篠突く雨…ザーザー降りで、雨脚が跳ねる状態になりました。小回りが利くように小さな傘でしたので、大雨にはちょっと対応できない部分がありまして、あっという間にズボンの裾周りとか、靴の中とか、あちこち濡れてきましたが、これは致し方ない…^^;

やがて金峯山寺の方角から「ほら貝」の「PoOoo-OoO-ooo(?)」というような轟音が響きまして、「何だろう?」と言うことで、近寄ってみますと…何やら火事っぽい煙が傘群の上に見えたものですから、大変ビックリしました(右下の写真)。

引き続き頑張って近づいてみて、傘群の向こうに、本物の炎を発見。正午頃と言う事もあって、お腹の空いたらしいグループが抜けたので、幸運にも良く見える位置を確保(あ…ちなみに、この日も昼食抜きでした…^^;)。

蔵王堂・点景1

柿色の着物を着た修験者が大勢ならんで、輪っかの付いた金属棒を振って、般若心経らしき呪文を延々と唱えていました。そして、大量の葉っぱを載せている火やぐらの前で、代表者らしき修験者が、何かを書き付けて糸で束ねた木の板らしきものを、刀で糸を切って、次々に投げ込んでは手を合わせ、一礼を重ねている…という光景。

…たぶん「護摩焚き」と呼ばれている儀式だと思うのですが、非常にオカルトでした。正午の篠突くような雨の中、巨大で不思議な護摩壇らしき火やぐらを組んで、大勢の修験者が楽器を鳴らし呪文を唱えて、五色の布で結界した中世の蔵王堂の前で、神秘的な火をボンボン燃やしている…という…

蔵王堂の屋根からは滝のような感じで雨だれが流れ落ちてきますし、雲(≒濃霧)はドンドン流れ込みますし…一瞬、山深い吉野に栄えた日本中世の異形の王朝の姿が立ち現れてくるようで、急に連想された神秘的なイメージの鮮やかさ、力強さもあって、圧倒されました…

蔵王堂・点景2

ところで、修験者の背中をじっくり見た事が無かったので、非常に興味深く眺めていました。で、修験者がお尻に毛皮を垂らしている、というのは、この時初めて知りました。よく見てみると、その毛皮に、かつて動物だったものの尻尾が本当に付いているので、目を丸くしてしまいました(多分、狸の毛皮)。

今まで、何故ああいう毛皮をお尻につけるのか不思議でしたが、この雨でひとつ、納得したことがあります。座るところが雨で濡れて泥だらけになっていても、ああいう毛皮が付いていれば、お尻を濡らさずに腰を下ろせるのですね。冬でもお尻を冷やさずに済みますし…さすが山野を駆け巡る修験者、何ともサバイバル的・実用的な知恵だと感心しました。

で、その後は再び観光バスに乗って、伊賀エリアや鈴鹿エリア、関宿・亀山エリアを通過。通過だけでしたが、伊勢志摩はとても気に入った処だったので、再び近くまで行けたので、良かったです…^^ゞ

そして名古屋駅から新幹線に乗って、無事に帰宅の途につきました。で、最後になりましたが、やっぱり吉野の雨で、割と濡れネズミ状態だった…というのが失敗だったみたいで、夕方から夜にかけて関東地方に入り込んだ寒気で、また身体が冷えて、体調を崩しかけてしまいまして…(苦笑い)。

出発時の気温予想を参考に、ずっとヒラヒラの薄着状態でしたので、まさか急激に真冬のような寒気が入ってくるとは夢にも思わなかったです。

いやはや…じっくり振り返ってみると、こういう気象変化の大きな旅行環境で、本格的な風邪にならなかったのは、本当に運が良かったです…^^;


FriendFeedコメントより転載

《管理人の呟き》渡月橋がかかっている川の名前を間違えたことに気が付いたので、修正しました^^;(保津川⇒桂川に修正)…京都はとても人気の高い観光スポットという事もあって、外国人もいっぱい居て、にぎやかでした。後で思い出してみると、中国人観光客がものすごく多かった…というのが印象深いものでした。ずっと中国語が途切れず続いていた感じでしょうか…金閣寺では、中国語の感嘆(叫び声?)もあったような…^^;
>金閣寺では、中国語の感嘆(叫び声?)もあったような…では笑えました。彼らにしてみれば理想の建物に見えたのでしょう。そのセンスが、あのアグネス・チャン御殿にも脈々と続いているのですねえ♪ - 丸山光三
《返信》コメントありがとうございます^^金閣寺の前で会話ボリュームが跳ね上がっていたので、会話なのか感嘆なのか、ちょっと分からない状態でした。やっぱり黄金の輝きというのは、非常に魅力的に感じるみたいですね。
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伊勢参詣の記録・後篇

伊勢2日目は、分厚い雲の下でした…(しかも寒かった☆)^^;

団体バスに揺られて、志摩パールロードなる道路を通過し、真珠専門店にて真珠製作工程など見学。いろいろな色や形の真珠があって面白かったです。バロック真珠とか。

…殆どの真珠製品が数万から数十万というお値段で、圧倒されました…^^;;;

※頑張って、フォーマル用に国産真珠の首飾り(小)を購入しました。フォーマルとは言っても、そういう場面には殆ど縁が無い生活ですし、死ぬまでに何回身につけられるかは分かりませんが…、とりあえず一生のお付き合いという事で…^^

後で英虞湾を撮影した観光パンフレットを入手して見てみると、複雑な多島海という感じで、なんとも海賊向きのエリアだ…と感心。そういえば、鳥羽エリアは昔、本当に海賊の王国だったようです。伊勢海賊とか。この辺は興味を惹かれたので、もうちょっと歴史資料を探して、調べてみようと思います。

海産物土産店で、生きた伊勢海老や大きなアワビにビックリした後、内宮を参拝…ガイドさんの説明を一通り覚えた後、ここでもやはり制限時間に追われて、境内を走り回りました。

火除橋(工事中)

宇治橋は架け替えられたばかりという事もあって、白木がきれいでした。写真は、火除橋と呼ばれている部分の小さな橋ですが、工事中のもの。工事中の橋には、何故か惹かれるものを感じます。

五十鈴川と菊御紋の御殿

五十鈴川を拝み、折り返して順コースを行くと、紫地に白い菊の御紋の幕を張っている、御殿(?)のような建物に出会いました。御紋が御紋なので…、もしかしたら、皇族がお使いになる建物…でしょうか。参拝が終わって引き返す時に、もう一度「そーっ」と見てみたら、胸に赤いリボンをつけた大勢の年配の男性が集まって、何か待っているらしいところでした。これも大変、不思議に思いました…^^;

内宮のご本体までは、かなり距離があったように感じました。勢い余って、途中で逆コースを辿ってしまいましたが(汗)、何とかTV放送でおなじみの場所に辿り着きまして…なかなか感慨深いものがありました。歴代総理の伊勢参拝の報道シーンで、幾度となく見ておりましたので、ちょっとボーッとしまして…^^;

…内宮の写真を撮影するのを忘れてしまいました…^^;;;;;;;;

次の遷宮は平成25年だそうで、案内柱が塀の前に立っていました。今の日本はまさに亡国の危機にありますが、次の遷宮の時にも、「日本」が残っていたら良いなと思います(…頑張るしか無いですね)…^^;;

荒祭宮が、少し離れた分かりにくい場所にあったのは、意外と言うべきか…こちらの方は撮影のチャンスがあり、撮影にトライしましたが、またしても「何だかぼんやりした輪郭の画像」しか撮影できず、諦めました…(絶対に何か、訳の分からない妙なモノが関与している??…としか思えなかったです)…^^;;;

もうひとつ印象に残ったのは「滝祭宮」という小さなお宮です。拝殿に向かうと、左側に五十鈴川が流れているのが見えるのですが、それがナニゲに良さげな感じでした。

時間が無かった事もあって、全体的に(全速力で走り回ると言う)あわただしい参拝になりましたが、なかなか面白い探検でした。普通は、工事の人は、グレーやベージュのつなぎを着ていますが、伊勢神宮の敷地内では、工事の人も白装束というか…白いつなぎを着ている…というのが興味深く、面白かったです(何と、ヘルメットも白だったのでした。工事用コーンや工事用車両は、さすがに色々な色でしたが)…^^;;

当日は雨の天気予報が出ていて、雲も分厚くなって急に気温が下がっていましたが、伊勢神宮の神域探検の間は雨にたたられなかったので、何だかついていたような…(宇治橋を引き返す頃にパラパラ降り始めましたが、傘を差すほどの降りでは無かったです)

おかげ町の猫の彫刻

その次に「おかげ横丁」を色々歩き回り、赤福(=これはオハギですね=)を買って町並みを見学。「おかげ町」の中心部(?)の建物の梁に乗っていた猫の木造細工が面白かったので、パシャリ。誰がこの猫の彫刻を作ったのかは分かりませんでしたが、作った人は、かなりユーモアがあると思いました。

五十鈴川郵便局が、時代劇風で面白かったです。郵便ポストも、明治初期の頃の目安箱スタイルで、なかなか気分が出ておりました。さらに通りかかった酒屋の杉玉に感心して、パシャリ。

郵便局のポストと酒屋の杉玉

…で、結構ビックリした件:

スピリチュアル・カリスマおじさん(?)のE原氏(紋付袴ファッション)が、報道カメラを構えたTV局の方の数名と一緒に「おかげ横丁」に来て、何かをしゃべっているのを目撃しました。E原氏は、何やら両手を天に向けて、神がかり風の陶酔した感じ(?)でしゃべっていました。パワースポットの魔法とか、スピリチュアル予言とか…でしょうか…、思わず口をあんぐりしてしまいました(紋付袴の金髪おじさんが、いきなり道端で神がかりになるのだから、すごく変というか…正直、怖かったです)…^^;;;

おかげ町で昼食(=名古屋飯とかいう、お刺身を載せた炊き込みご飯でした。美味しかったです=)を済ませ、団体旅行バスに飛び乗って、今度は夫婦岩を訪問。バスに乗った後、雨が本降りという感じになったので、ちょっと心配しましたが…。夫婦岩に到着するころには小降りから降り止みになっていて、神域と海岸を走り回れたので、助かりました…*^^*

夫婦岩とシャコガイ

上は「夫婦岩」を撮影したもの。下は「シャコガイ」です。

シャコガイの写真で、貝の形をした看板に何が書かれてあるかと言うと:

オオシャコガイ(沖縄産) Tridacna gigas (dinne)
〝此の貝は世界最大種で最長1.5M 重量230kg
1萬年の年齢のものがある これは推定150年〟

1万年も生存する貝なんて、鶴1千年・亀1万年もビックリの長寿貝だと思いました。永遠の命を約束する物質とか、長寿薬(仙薬)が採れるのでは無いでしょうか…^^;

二見浦からの太平洋

そして最後に、二見浦からの太平洋を撮影して、〆としたのであります。砂浜に下りてみると、打ち上げられた貝殻がいっぱいでした。貝殻を踏みつつ砂浜を歩き、はるか彼方の水平線を眺めていると、何ともいえない不思議な気持ちになりまして…^^ゞ

潮騒を聞きつつ、帰宅の途についたのでありました…^^

(関東地方に帰ってくると、首都圏内でケーブルが切れて電車ストップとかいう騒ぎがあって、そんな変な事になっているとは露とも思わなくて、超ビックリしました・汗)

伊勢参詣の記録・前篇

14時間くらい寝ておりまして…旅の疲れも何とか取れたかと…;^^ゞ

2010年3月22日~23日にわたる1泊2日で、お手ごろ価格で適切&充実スケジュールで提供されていた旅行会社の団体プランがあり、それで伊勢参拝を兼ねて、伊勢志摩エリアの観光に行ってきました。

春分の日と隣り合わせに重なったのは、お勤めの都合と私的な都合と旅行会社スケジュールの兼ね合いから決まった、ただの偶然の日程ですが…

1泊2日で伊勢志摩を回ろうという訳ですから、大急ぎのスケジュールになる事は覚悟しておりましたが、制限時間内に、土地勘の無い未知のスポットを全速力で走り回るという感じになったので…けっこう疲れたわけです(伊勢志摩エリアの神域の敷地って、思ったより広い)…^^;;

まずは1日目。お天気が良く、冷たい風があるものの陽射しは暖かでした。

新幹線の豊川駅で下車し、団体観光バスに揺られて、豊川稲荷を参拝。

ガイドさんの説明を聞いてビックリしたのですが、豊川稲荷は、本当は稲荷神社ではなく、仏教のお寺の方がご本尊様でいらっしゃるのだそうです。いわゆる神仏習合かも。オキツネさまは、本来は門番的な存在だったのだけど、そちらの方が有名になってしまわれたのだとか…

※聞くところによれば、豊川のお寺は曹洞宗らしいです。そうは見えないのですが…^^;

豊川稲荷にて

写真はケータイのものなので小さいのですが、記念に豊川のオキツネさまを撮影。何だか、今にも動いて「コーン」と鳴きそうな雰囲気でした。もう1枚は、門扉に使われている留め金装飾(?)の付いた扉板です。金物装飾の細工と、扉板の模様が面白いと思って、パシャリ。

ガイドさんの説明によれば、樹齢130年のケヤキの1枚板をキレイに2枚に分割して、扉の板に使っているのだそうです。木の模様もキレイに分かれていて、向かって左側の板は凹形、右側の板は凸形の凸凹模様になっていて、2枚を重ね合わせると、今でもぴったり凸凹が合致するらしい(是非、見てみたい…)

滑らかな扉板をナデナデしつつ、昔の職人技に感心したのであります…^^

他にもいろいろ撮影しましたが、去年の台風で倒れた境内の木が再び立てられて、たくさんの支え棒をセットされつつも、しっかり根付いていると言うお話は、ちょっと感動モノでした(パッと見て枯れ木みたいだった)。

薄墨桜

後は、豊川稲荷の境内を抜けた向こう側の、公園みたいな空き地(?)の端に、岐阜県から持ってきた…という薄墨桜が生えており、ちょうど桜の花がきれいに咲いていて、目の覚めるような思いを致しました。

ケータイなので色再現が限られておりますが、ちょうど正午の頃で、陽射しも差していたお蔭か、本当に幻のような、限りなく白に近いスモークピンクに光っているのです。暫くの間、時間を忘れて見とれておりました…*^^*

次に三河に移動して、八丁味噌の施設を見学。宮内庁ご用達だそうです。明治40年代の味噌のお樽がごろごろとあって、ビックリでした(しかも見上げるほど大きくて、味噌の匂いがすごいのです…^^;)

徳川家康の生誕地という三河、今でもパワーみなぎる土地らしく、不思議な印象のあるところでした。今ゆっくりと思い返してみれば、味噌ソフトクリーム(珍味?)は食べたかったかも?(制限時間が短いので、ソフトクリームを買う時間は無かったのですが・笑)…^^;

豊川&三河訪問の後は、団体観光バスに揺られ揺られて、途中の高速道路の渋滞に巻き込まれつつも、四日市・鈴鹿・津・松阪と移動して、伊勢外宮に到着(微妙に、制作中のコミックで採用予定になっているコースですね)。

…そういえば、途中で四日市コンビナートの光景が見えたのですが、港湾施設や煙突が大きいので、とても感心しました。大きな川が何本も横たわっており、その川にかかった吊橋をいくつも通りまして…、近代都市において、港湾と橋脚は深い関係にあるという…今更ですが、ちょっとした知見を得たのであります。印象に残ったのは大きな丸屋根の建築物。正体不明で、なんとも不思議な建物でした。

で、伊勢外宮を参拝。制限時間が40分で、敷地を目一杯に走り回りまして…

現地の位置関係や距離関係をつかめたのは、大きな収穫でした。歴史資料マップや写真集だけでは広さの感覚が具体的に想像できませんでしたし、例えば亀石が本当に亀の形をしているとか、多賀宮が本当に山の上にあるとか…(階段を全速力で駆け上りました・笑)、その辺を実際に見られて良かったです…*^^*

…後は、この日の外宮のオカルトなお話を追加:

外宮にて

伊勢外宮のご本体の写真は、何故か上手く撮れませんでした。

周りを取り巻く塀とかは、ちゃんとクリアに撮影できたのですが、鳥居と、鳥居の内を含む部分は、注意深くカメラを固定していても、画像がぼやけたようになってしまうのです…(勿論、撮影許可されているエリアから、遠慮深く遠巻きにして撮影しました。無神論的センスではありますし、霊感もありませんが、神域で無礼を働く勇気は無いです・汗)

使える時間ぎりぎりまで粘って、3回くらいトライしておりましたが、やっぱりユラユラとした感じの画像しか撮れなかったので、クリアな画像は諦めました…(そんなオカルトな…とは思うのですが、神さまは実在していて、神秘的な振動をしていらっしゃるのでしょうか…???)

ここにあるのは、ぼやけてしまったものの、1番クリアに近い感じの画像です…^^;

※クリアに撮影できれば、制作中のコミック背景に応用が利くので、そういう画像が欲しかったのですが…このたびのケータイ写真3枚(ボヤケが大きいものの、ひととおり形態は読み取れる状態)と、近所の図書館にある資料写真集を参考に、という事で…

伊勢にて春分の日没

こんな感じで1日目が終了し、ホテルに到着…^^

写真は、宿泊ホテルのエレベーターホールの窓から撮影した日没の様子です。ちょうど山の向こうに日が沈んでゆく瞬間で、ラッキー・タイミングでした(部屋に入った後で、もう一度同じ場所を見てみたら、もう夕日が見えなくなっていました)。

この日没シーンは印象に残ったので、制作中のコミックでも、山の向こうに日が沈む夕暮れのシーンを仕込んでみる予定です。

ちなみにホテルはビジネスホテル様式で、その日の夕食も、翌日の朝食もバイキング様式でした(この辺りは、フトコロの都合によっています。夜のご馳走にかける予算が無かったのです)。でも、バイキングに「伊勢うどん」がついていまして、伊勢の風味を堪能しました(笑)