忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

創作につながるかも各種メモ

「知らない誰かとパソコン通信をしている」という奇妙な夢の中で、このメッセージがパソコン画面に流れたのを見ました。

《神秘的な伝言のメモ:メッセージの送り主は不明》一人一人は苦しんでも、誠実にひとつずつ応えてゆくことで、未知の環境にも適応してゆくものです。それが『命の実績』です。逆に、一人一人楽をし、よその人の回答を持ってきただけで済ませている場合――それは『災厄の種』となります

夢の中ながら、しっかりと文字で目撃したので、しっかりと記憶。不思議な夢でございます


《プチ箴言》

■専門家は、自分の専門分野で必ず間違える(クリストファー・コーカー)
■登場人物の行動を律しているのは、自らが正しいと信じ、それを他人にも認めさせようという強度の思い込み(世界解釈)なのだ(久間十義)
■子ども達は多かれ少なかれ純粋な世界観というのを持っていて、正義は貫かれ、悪は裁かれ、皆が納得した平和な結論があると思っている。だけれど、現実世界はそうではないから、どこかで反抗期のようなものを経て人は社会と折り合いをつけていくのだけれど、この純粋な世界のまま生きていく人がいる(為末 大)

《モンブラン氏ツイッター@MontBlanc04/創作パワーの死をもたらすもの》
https://twitter.com/MontBlanc04/status/1632568370590801920

・アウトプットの決定的な低下=ゆるやかな死
・作品がテンプレ化、単一化~ワンパターンになってゆく
・センス残高が無くなった状態
・インプットを止めればアウトプットが低下して創作者としては死ぬ

雑誌、中吊り広告、Webサイト、ネット記事、どんな些細な事でも読み込んでみること。
あなたがデザイナーならそれを読み込んで、咀嚼をする。
そして少しでも「アウトプット」をすること。
実際に作れではなく、インプットした記事に対しての自分なりの着地点を話すくらいは出来るようにしておく。
料理もそうだけど、レシピだけ覚えただけで、美味しいものが作れるとは限らない。
例えばセンスによって1回目で美味しく作れたとしても、美味しく作れた理由を「センス」で片付けていると、何度も同じものを作る、別のものを作る時に味が落ちていく可能性だってある。
これはその人のなり、立場、価値観によって違うことだと思うけど、
「センス」というのは何をインプットするか、そしてそのインプットによって、選択や選別をする時に「どれにするか」なのかもしれない。

「劇的」とされる36シチュエーション

1哀願(歎願)/2救助(救済)/3復讐(復讐に追われる罪禍)/4近親間の復讐/5逃走(追跡)/6苦難(災害)/7残酷なまたは不幸な渦に巻き込まれる場合/8犯行(謀反)/9戦い(不敵な争い、大胆な企図)/10誘拐/11不審な人物または問題(謎)/12目的への努力(獲得)/13近親間の憎悪/14近親間の争い/15姦通から生じる残虐(殺人的な姦通)/16精神錯乱/17運命的な手抜かり(浅慮)/18知らずに犯す愛欲の罪/19知らずに犯す近親間の殺傷/20理想のために自己犠牲/21近親者のための自己犠牲/22情熱のための犠牲/23愛する者を犠牲にする場合/24三角関係(優者と劣者の対立)/25姦通/26不倫な恋愛関係/27愛する者の不名誉を発見/28愛人との間に横たわる障害/29敵を愛する場合/30大望(野心)/31神に叛く争い/32誤った嫉妬/33誤った判断/34悔恨/35失われた者の探索と発見/36愛する者の喪失


推理小説の犯人像メモ
山育ち(川上)犯人は遺体を海へ隠す/海育ち(河口)犯人は遺体を山へ隠す
特に異界と感じる場へ(洞窟、暗がり、バラバラ分散、等)

大陸性「天国、地上、地獄」上下構造/島嶼性「異界=島の外」

日本は島国パターン、黄泉平坂の構造は不明。竜宮は海中だが上下構造は不明


《2012.5.21/金環日食》

環太平洋の広域で日本時間21日、月が太陽と地球の間を横切り、月の影によって太陽の円周の光が指輪のように見える金環日食が観測された。日本で今回ほど多くの場所で金環日食が観測できたのは、実に932年ぶりだという。写真は、東京都内で観測された金環日食(2012年5月21日撮影)。(c)AFP/KAZUHIRO NOGI

《2012.6.4/部分日食》

岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」と部分月食=4日午後8時3分、日吉健吾撮影(朝日新聞)

《2012.6.6/金星の太陽面通過》

6日午前10時、岐阜市長良、長良川公園(400ミリレンズと1.4倍テレコンバーター、遮光フィルターを使用)(岐阜新聞)

[金星通過、太陽にほくろ-今世紀最後、県内でもくっきり](岐阜新聞2012.6.6)

金星が太陽の前を黒い点となって通過する「金星の太陽面通過」が6日朝から観察され、好天に恵まれた県内の多くの地点で、太陽に“ほくろ”が付いたような姿が見られた。岐阜地方気象台によると、この日の県内は早朝、太平洋上にある台風3号から伸びた雲がかかっていたが、台風が東に移動するにつれ午前8時ごろから急速に雲がとれ、観測に絶好の天候となった。岐阜市内でも午前7時すぎから金星が太陽の左方から徐々に重なり始め、同10時30分ごろには最も太陽の内側に入った。午後1時30分ごろ、金星は太陽から抜け始め、壮大な天文ショーは約6時間半にわたって繰り広げられた
【金星の太陽面通過】太陽と金星、地球が一直線に並んだときに起こる現象で、金星の軌道が地球の軌道に対して傾いているため、まれにしか起きない。105.5年、8年、121.5年、8年…という周期で繰り返し、前回は2004年に見られた。18,19世紀には、当時最大の謎の一つだった太陽までの距離を測るため、欧米列強が世界中に観測隊を派遣。明治政府ができて間もない1874年に米国やフランス、メキシコの観測隊が来日した。観測地の横浜、神戸、長崎には記念の石碑などがある

▼新潟トンネル爆発-音速超える「爆轟」発生か-天井付近のメタンに引火?(産経新聞2012.6.1)

新潟県南魚沼市で作業員4人が死亡したトンネル爆発事故で、約500mに及ぶ資材の散乱などの被害状況から、トンネル内部で音速(秒速約340m)を超える爆風を伴う「デトネーション(爆轟(ばくごう))」現象が発生したとみられることが31日、専門家への取材で分かった。事故から1週間が経過。県は事故前後の状況から、空気より比重の軽いメタンがトンネル天井付近に滞留、何らかの原因で引火して爆発したとの見方を強めている。
爆発は5月24日午前、入り口から約1200m奥で発生したとみられる。トンネル入り口の資材置き場にあった重さ約5キロの鉄板が500mも爆風で飛ばされ、入り口付近の山の斜面も大きく崩れた。1300m地点で発見された作業員4人の死因は爆風による外傷性ショックで、入り口から約100m離れた場所にいた作業員3人も爆風で重軽傷を負っている。
爆風の威力などから、青山学院大の林光一教授(エネルギー・燃焼論)は、換気がされない密閉された空間で起きやすい爆轟現象が起きた可能性を指摘。林教授は「筒状のトンネルが大砲のような役割を果たし、強力な衝撃波が発生した可能性がある。現場付近に響いた大きな爆発音もデトネーションの発生を裏付けている」と分析している。
一方、国土交通省北陸地方整備局によると、爆発事故前の4月25日~5月23日の間に5回、作業員が点検作業のため入り口から1400mのトンネル最奥付近まで進入した。いずれの日もガス検知器を携行していなかったが、作業員にガスによる体調不良などはなかった。県防災局は比重が0.55と空気より軽いメタンガスが地中から出て、高さ約7.5mのトンネル天井部分に徐々に滞留、下層では呼吸が可能な酸素濃度が保たれていたとみている。
トンネルは上り勾配(約3%)で未貫通。このため、メタンガスはトンネル奥でより濃度が高くなっていたとみられる。事故発生直前、トンネル内では2層になっていた空気とメタンガスが作業員の進入などによって対流して混ざり合い、「爆発が発生する条件が整った」(県防災局)との見方もある。トンネル最奥の約1400m付近の地下30~40mにはメタンガスを多く含む地層の「西山層」がある。
事故後、トンネル内からはメタンガスのほか、メタンが爆発した際に生成されるエチレンが検出されていた。
【デトネーション=爆轟(ばくごう)】・・・発生した炎が空気の圧力や温度を高めながら広がり、音速を超える爆風を引き起こす現象。トンネル奥など密閉された空間で発生しやすい。通常の爆発と異なり、爆風に炎が伴うのが特徴。爆風の速度は秒速約1千メートルに達する。爆轟に必要なガス濃度はガスの種類によって異なるが、メタンでは5~15.5%。

▼急増する原因不明「不明熱」ストレスによる心因性発熱と判明(ポストセブン2012.6.2)

忙しく頑張りすぎる現代人に、原因不明の発熱「不明熱」が増えている。体温が上がるだけでなく、全身の倦怠感や集中力の低下で仕事の能率が下がり、イライラが募るなどの症状が続く。1990年以降発熱の機序が解明されたため、これらの症状が感染による発熱とは違い、ストレスが原因の心因性発熱という病気であることがわかってきた。心因性発熱は風邪など感染症による発熱とは違うので、市販の解熱剤は効かない。
九州大学病院心療内科の岡孝和准教授に話を聞いた。
「恒温動物が心理的ストレスにより体温が上がることは、動物実験では当たり前のこととして知られていました。人間もストレスで体温が上がりますが、通常37℃を超えることはなく自覚はありません。急性や慢性の心理的ストレスによって、体温が37℃以上となる場合、心因性発熱と診断しています」
心因性発熱は3つのタイプがある。1つ目は強いストレスで急に体温が上昇し、ストレスがなくなると熱が下がるタイプ、2つ目は慢性的にストレスがかかり、37-38℃の微熱が持続するタイプである。1と2が合併するのが3つ目のタイプで、乳幼児は1タイプが多く成人は2か3のタイプが多い。
診断は発熱の原因になる身体疾患の有無、血液検査で炎症反応の有無と解熱剤の効果を検査する。炎症反応がなく、解熱剤でも熱が下がらない場合は心因性を疑う。また3-6か月前の仕事や生活環境など心理社会的背景を聞き、ストレスがあるかどうか確認する。さらに心理的ストレステストで体温が上がればストレス性と診断される。他にも、掌や足底の発汗や不眠も診断のポイントになる(取材・構成/岩城レイ子)
PR

詩歌鑑賞:千家元麿「海」「星よ」

「海」

海が見える
充溢した歓喜で
張り詰めたやうな
海面の美しさ
何といふ静かな力のこもつた海
永遠の緑を深く湛へて
盛り上がつている海
日に輝いて純白な帆が
花のように流れている

「星よ」

星よ
地球の友達よ
君達の方にも人類はゐますか
君達の方の生活はどうですか

差別と区別・考

【差別と区別】http://homepage2.nifty.com/Daiou2/インターネット研究会Jさまより転載

「インターネット研究会J」の管理人さまは、トラブル処理のような事をやっておられるようなのですが、最近の記事に、非常に考えさせられた内容があったので、今後の思案のために保存させていただきます…m(_ _)m

―以下、転載(読みやすさのため改行加工させて頂いております)―

私が調査を苦手とする事件はいつも共通している。それは、ある特定の外国人犯罪。いわゆる在日系とかいう人が行為を行うと、困難が一つ増えるので困る。
悪い事をした人がいる、そして、その人には何らかの仲間がいる…とする。証拠をコツコツ集めて解明したとしましょう。すると…「差別するヒドい人」のレッテルが貼られる時がある。悪い事をした人が、たまたま在日系であり、仲間に在日系が多くいただけの事。調べたらそう出たのだから仕方がない。私がしたのは差別ではなく区別である。
どうやら、これを混同する人たちが多いようだ。現在、日本では特に偏重しているように見える。
差別と言うのは理由説明なく「在日は悪質」と言ったり「あいつはXXだ」と言い放つケースの事を言う。別に国籍は関係ない。日本人同士が根拠なく言いあっても同じことなのだ。
被害者は実際に被害に遭っているので、こういう理屈も理解が早い。
問題は『区別』を『差別』と勘違いしている人たちだ。「差別するな」と憤る人は正義感が強いが、少し踏みとどまって読んでほしい。
何十万の人がいて、犯罪率は日本人の○倍とか、なぜ在日外国人でも国別の傾向があるのか? どうして犯罪率に差が出るのか?ある特定の国が増える、この原因を知っているだろうか。
犯罪をするかどうかのギリギリの境界にいる人は多い。どの国の人でもだ。
その時に一回は偽名が使えるとしたらどうだろう。簡単に犯罪に走る人が出てくる。偽名というと悪いイメージかもしれない。偽名は「通名」と言って銀行などのカードが本名と2枚作れる。凶悪犯罪で一回逮捕されても、別の名で生きれば別人としてお天道さまの下を堂々と歩ける。一回逮捕された経験から、次はこの程度で止めれば逮捕されないなど把握し、スキルが高くなる。問題だ。
逮捕された在日アメリカ人が通名を使ったとしよう。微利・呂(ビリー・ロー)で写真は目が青い。ハッキリ言って恥ずかしい。だから在日アメリカ人は本名がメインで殆どの人が通名を使わない。不要だ。
国によるんだが、通名を好んで使う○○系があるからこそ問題となっている。私は一つだけを使えばいいじゃないかと思うし、どうしても二つ必要と言う理由は理解しにくい。
環境が人を変えることも多い。社会で出世したらその立場に似あうように頼りがいが出たりする。逆に、悪いことをするのに有利な法律があれば、悪者へと簡単に落下するのも同じだ。調べたことがあるのに差別と言うなら問題はない。知らないのに差別を正義感で使うのは、間違ったことをしでかすケースが多い。
犯罪率が6倍というケースがあるようだが、こういう場合を「区別する」という。原因になっている法律があるのなら、修正していくのが必要だ。犯罪は少ないに越したことはない。
悲しいことに、被害者が声を上げても、被害を受けてない第三者が「差別するな」と抑える傾向がある。「差別しない」というのは立派な姿勢である。それを私は否定しているわけではない。私自体、60か国以上を訪問し国籍で人間を見ないのに、差別主義者と言われて閉口したこともある。
よく共通するのは、加害者が「差別されて私は悲しい」というので同情心に訴えかけられて、いつの間にか加害者に加担してしまったというものだ。悪い結果が出てからでは遅いんだ。加害者は本当に差別されていたのか?具体的に悪さを指摘されてたのじゃないか?いい加減ではなく確かな根拠があって悪さを指摘されていたのなら、それは差別ではなく区別である。
何の根拠もなく○○系は悪いとするのが差別である。ネットの記述を含め、特にこれの区別が必要。
知るキッカケがあったら勉強すればいい。間違えてたら学びなおせばいい。
くどいほど「差別と区別」の繰り返しをしてますが、わざとです。

―以上、転載終わり―


(コメント)・・・人間はどうしても事前調査を怠り、人の意見に流されて、楽な判断をしたがる生き物であります。こういうバランスある姿勢を養うのは非常に大切だけど、ものすごい根気と忍耐力が必要で、日常生活に追われる一般人には、困難なことでもあると思いました。

最近は、「電力は足りたか?」「足りていなかったか?」で論争が起きているのを見かけましたが、このモノの見方にも、差別と区別が混同されているケースの方が、ずっと目立っているように思いました。

あとは、放射能に関する様々な意見がネットに広がっているようですが、これは、意見を述べた人物の「その前後の行動」を、じーっと観察して判断するしかないと思います。

こういう時代なので、ツイッターでもブログでもホームページでも、「その意見(情報)を選択した責任」というのが生じてまいります。「解釈には責任が伴う」という事であります。それは言論の時空を構成する、我々自身の責任でもあり。

個人的には、自らの専門分野の話を分かりやすく論じること無く、いつの間にか、人気取りのための一方的な主張や政治的なアジテーションに移行したりしていたら、「その人物は信用できない」という基準を設けて、判断しておりますが…(その論で言ったら、マスコミは殆ど「信用できない」グループに入るかも)

占い的なモノの見方になりますが、基準のハッキリしないテーマに関しては、「善人が悪人になり/悪人が善人になる」という奇妙な逆転現象が増える傾向があるので、決定や判断についてはくれぐれも、一呼吸置いて、慎重に…という事しか言えないですね(「思い込み」が一番怖いです)