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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

制作プロットのメモ「不知火」

第四部トキサヤ@第一章「不知火」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

■10/04■

カモさん、ハイタカ、リョウ、ハイネ、早馬で移動。

早朝から昼下がりにかけて、薩摩街道を南下。大宰府・発~松崎~府中~筑紫平野。

道中、ふと朝隈山の鬼について再検討。リョウ、顔見知りの胡乱な高位貴族を思い出す。鏡父子とは遠い血縁だが歴史上の先祖が同じ。聖麻の財務部門の重役を務めている鏡・中光という人物。

日暮れの近い夕方、松風の関で、襲撃あり。一戦交える。襲撃者の正体は胡蝶御前の手下。玉手箱の争奪戦ステージから、「神の杖(ウアス杖)」の争奪戦ステージへと変わっている。襲撃者は光連衆のふりをしていたが、ハイタカが着物を剥ぐと、特徴のあるヒョウ柄の刺青が無い。代わりに、「神の杖」を模した刺青がある。※この時は意味の分からない謎の形というイメージ。

襲撃者たちは「もはやこれまで」と、呪術的な自決。「シャクラ/サクラ」という謎の呪文。

カモさん一行、襲撃者たちを呪術的に封印しつつ死体を弔う。空気が妙な気配。

夜、山鹿宿に到着。少し休憩。ヤツマタ仲間の老人がやって来て、温泉に招待する。温泉に入りながら報告会議。不知火の怪異が続いている。

■10/05■

早朝、山鹿宿を発。熊本~日向往還の道へ。阿蘇山の横を通る。阿蘇五岳。

深夜、高千穂に着。五ケ瀬の集落。ヨドミ宅へ移動。リョウ、鏡の姿を確認し、緊張が取れて失神(疲れすぎて、不覚を取った形)。

■10/06■

カモさん、ヨドミと秘密の話し合い。鏡、リョウの対応。リョウ、松風の関で遭遇した怪異な襲撃について鏡に説明。ついでにヤツマタ仲間の話も追加。鏡、自身の高飛びの時の異様な見聞と合わせて、しばし思案に沈む。

体力回復と温存のため、1日かけて高千穂の里に滞在。

■10/07■

高千穂を出発。ヨドミも同行。カモさん、ハイタカ、リョウ、ネコマタのハイネに、鏡、イオ、タスキ合流する形。

情報交換。ヨドミは猫仙人と会合した事があると明かす。大和国・三枝祭。タタライスズの神縁によりてという要素を含む。神仏習合は「治癒」の点でつながっている。神話の治癒=中興という考え方?

■10/08■

カモさん一行、日向往還を伝い、熊本に到着。山鹿宿のヤツマタの話を確かめるため、一応、島原湾へと移動してみる。ヨドミ「黒之瀬戸」という直感が閃く。

小規模な地震あり。次に山鹿宿のヤツマタが舟を仕立ててやって来る。光連衆かどうかは分からないが得体の知れぬ外国集団が瀬戸へ集結しているので監視しなければならない。

カモさん一行、合流して黒之瀬戸へ向かう。潮汐が弱く、瀬戸の真ん中の作業に好都合。奇怪な集団、海中から怪しげな杖を引き上げる。

奇怪な杖が引き上げられると共に怪異な潮流。工作員たち、カモさん一行に気付き、真相をごまかすため襲撃。カモさん一行、防戦。

胡蝶御前の妖術が発動する。胡蝶御前の幻影が現れ、ヨドミと激論の応酬。ヨドミ、巫女としての能力を持って、神の杖の発動を抑え込む。

海が荒れ、工作員ごと神の杖を飲み込む。胡蝶御前、工作員を見捨てて、幻影が消える。

事が済んだ後、海面は静穏化。ヨドミ、胡蝶御前の性別に言及。

鏡、黒之瀬戸の怪異について思案に沈む。

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制作プロットのメモ「高千穂」「大宰府」

第三部マレヒト@第九章「高千穂」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

たかちほのくしぶる峰ぞ仰がるる天の鈿女のはじめと思へば
藤原俊成/夫木抄、巻廿一、雑三(9036)

■09/30■

日食(真昼)、鏡青年、乗っていた船から落ちて海中へ。イオ、タスキ、後を追って救助作業。鏡青年はユカル王子に弓矢で撃たれていて怪我。

イオ、タスキ、鏡青年の身柄確保、3人は海の中で不思議なものを目撃。

混沌の海から新たな事象が生まれる(海上で進行していた戦いなどのアレコレについて、その象徴的な部分が海の中に反映される形。海の底=無意識領域に、様々な情報が流れ込む)

水銀の巫女が出て来て、鏡青年に水銀の壺を託す。

聖麻の国章の改変が起こる。新生の神と「ユカル王子の聖麻」の結びつき。※従来の聖麻ではない

イオのアザミ衆としての異能を通じて、3人は、海中から地上(高千穂)へ高飛び。

鏡は意識がなくなったため、詳細を覚えていない。怪我によって体調を崩し、高熱で寝込む。

■10/04■

高千穂、集落の中の一軒家。

鏡、昼ごろに意識が戻る。ヨドミと名乗る老女の家。

弓矢による怪我は処置済み。タスキが付き添っている状態。聖麻のその後の話など、簡単に情報交換。

イオの方も、非常な長距離の高飛びをしたため、体調を崩して寝込んでいる。

■10/05■

未明、聖麻の神(旧神)による幻夢(透視・神夢)。母親の死の真相が展開する。聖麻の王宮としている邸宅の、数々の蔵の間=殺害現場。

夜明け、日の出。朝食の刻、鏡は長い夢で少しボンヤリ。タスキが起こしに来て、朝食の世話。

イオは既に体調が戻っており、老女ヨドミと共に早朝の外出中。

鏡は、イオと老女ヨドミの行き先に少し興味を持ち、タスキが案内する。

峡谷の一角、慰霊の場。かつて死亡していたアザミ衆の幼女・露の弔いをしていた。

老女ヨドミ、日食の間に何があったかについて、鏡視点での話を聞き、新たに考察。

まもなくカモさん一行が鏡を探して高千穂を訪れる見込み。カモさんが到着したら、また詳しく話を、ということになる。


第三部マレヒト@第十章「大宰府」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ
柿本人麻呂『万葉集』3-304

*****

■09/30■

深夜、別府の港の宿場町。

カモさん一行、宿場に宿泊。鏡父も一緒に行動。夕食後、今後の行動方針などの計画。

■10/01■

別府の港を出港。カモさん一行が乗ったのは船は渡辺党のベテラン船長の船。出港間もなく、沿岸を雨竜島沈没の後の大量の漂流物が浮遊し、他の船も航行に難儀。

国東半島を回る。宇佐神宮が派遣した船と、海上で出逢う。

宇佐神宮の船に従い、渡辺党の船長の船(カモさん一行)、宇佐神宮最寄りの港へ寄る。

昼頃、カモさん一行、宇佐神宮の鳥居をくぐる。宇佐の神託「ユツ・イワムラの瀬戸」を受ける。日ノ巫女の託宣、水銀の託宣(水銀の巫女)。日=杼つながり。瀬都の兄が何となく思い出し、織物や糸の話になる。雪森郷で瀬都は機織りをよく手伝っていた。

カモさん一行、宇佐神宮を出発。関門海峡~壇之浦~小倉。

夕方、小倉に着。小倉の城の城下町の市場を散策。

市場のとある屋台店で、吉野ケ里あたりの古墳から出てきた品を扱っている。いわくありそうな水銀の壺。ネコマタ2匹で、宇佐神宮の神託とつなげてピコーンと来る。水銀のカゴメの鳥など、8月の謎の台風とつながる。

夜、小倉の城下町の宿場に宿泊。

鹿深氏、いろいろと直感し、思うところがある。シヅ・倭文(しとり)~機織りの神とつながる。ミカボシとも多少のかかわりが思い浮かぶ。

■10/02■

小倉を出発。カモさん一行、北九州の街道をゆく。

■10/03■

北九州の街道。おもに唐津街道。大宰府を目指す。日没後、大宰府の官衙に到着、近くに売宿を取る。かねてからカモさん一行を見張っていた帥の宮が、早速、宿へ足を運ぶ。瀬都の兄、仰天しきり。

帥の宮とカモさん、しばらく気心の知れた押し問答。

■10/04■

カモさん一行、鏡青年を探すための特別チームを分ける(ハイタカ、リョウ、カモさん、ネコマタのハイネ)。朝駆けの形で、いそぎ、高千穂へ出発。速度を稼ぐため、乗馬。

帥の宮と共に、鏡父や鹿深氏などは、特別チームを見送り。大宰府の官衙をひとめぐりして、海外の情勢などを少し耳にする。

太宰府天満宮の宿場町に滞在の為の宿を取る予定。鹿深氏の一行、大宰府天満宮へ向かう。サヤ糸や職人の話。鹿深氏、再び思案に沈む。辻占、夕占あり。

みづひきの-白糸はへて-織るはたは-旅の衣に-たちや重ねむ
天(あま)つ星-道も宿りも-ありながら-空にうきても-思ほゆるかな

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天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)

日本の中世神話に登場する矛。一般的に記紀に登場する天沼矛の別名とされているが、その位置付けや性質は異なっている。中世神話上では、金剛宝杵(こんごうほうしょ)、天魔反戈(あまのまがえしのほこ)ともいう。宮崎県・鹿児島県境の高千穂峰山頂部(宮崎県西諸県郡高原町)に突き立てられているものが有名(ウィキペディア)

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《水銀についてのメモ/世界大百科事典より抜き書き》

水銀は適量を用いれば新陳代謝を促す作用を持つため、中国では丹砂から作った丹薬は不老長寿の薬として道士の秘術とされたが、一方で、永遠の生命を得るべくこの延命の薬を飲みすぎて死亡した皇帝や貴族も多かったらしい。日本でも即身仏(ミイラ)の一部から水銀が検出されている。

高野山は全山が水銀鉱脈の上にあり、その壇上には高野明神と丹生明神の2神が地主神として祀られており、麓の天野にも丹生都比売神社がある。

また即身仏が多く出た湯殿山の奥の院の宝前の付近からは高品位の水銀が検出され、近年まで「ゆあか」と称する水銀含有の聖水が売られていた。真言修験の徒も単に精神的な修行に従っていただけでなく、水銀を求めて入山し丹薬を製して服用したり、これを商って暮らしていた者もあったと思われる。

《水銀についてのメモ/東方出版「インド錬金術」佐藤任・小森田精子訳・著》

仏教の聖典「華厳経」が中国語に翻訳されたのが3-4世紀ごろ、その中に水銀の薬効や長寿の霊薬に関する記述があり、そこには赤色を作りだす辰砂が多く使用された記録があります。その配合や実験に関わったのが聖典を訳した仏教僧であり、インド大乗仏教、特に密教と関わりのあった高名な錬金術師もいたことから、空海も関心を持っていたとの説もあります。

占星術ノ試論:《障害》とトランスサタニアン

佐村河内守氏のゴーストライター問題が炎上している事を受けて、身体障害&精神障害というものについて、占星術が物語る人生論という面から考えてみました:

占星術的には、個人の要素は、太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星という七つの惑星によって暗示されているとされ、個人の枠を超える要素は、天王星・海王星・冥王星、つまり土星より遠い星=トランスサタニアンによって暗示されているという風に考えられているそうです。

土星とは非常に多義的な意味を与えられた「境界」の惑星であり、個人の枠に留まらず、社会システム、或いは時代の区切り、マナー、ルール、倫理、自律、厳格なる先人、といった意味もあるそうです。

《以下、試論です》

障害というのは、先天性であれ後天性であれ、人間の生き方や社会的な可能性を著しく制約するという意味で、極めて土星的な要素として働くと考えられます(土星の凶星としての働き)。

土星とは、境界的な要素を持つ惑星であり、同時に偉大なる凶星です。故に、身体障害や精神障害は、「社会の壁」や「人間関係における壁」を伴うだけで無く、「人と人との境界」・「人と社会との境界」そのものを歪める可能性に満ちているという事が、充分に認識されている必要があるのでは無いでしょうか。

身体障害や精神障害は(そして、老化に伴う様々な不調や障害も)、歴史的には、極めて目に触れにくい存在として扱われてきました。それ故に、それは必然として、人間の闇の領域、或いは社会の闇の領域としての意味を持つと考えられます。そして凶星は、闇の領域でこそ、その凶星としての本領を発揮する…

土星の外側に広がる闇の領域とは、即ちトランスサタニアンの領域であります。

この事実は重要であります。

何故なら、身体障害や精神障害といったものは、そして、老化に伴う痴呆などといった障害も、その本質は、トランスサタニアンから来ると考える事が可能だからです。

トランスサタニアンは、時に人間や社会を滅ぼす要素として働きます。介護問題が深刻化して貧困や親族殺人といった社会問題を招くように、或いは、障害者手帳の不正取得によって財政を圧迫するように、社会を動揺させる要素としては、無視できない影響力を持っています。

社会倫理、社会常識、法律の運用、適切な管理、社会救済システムの充実などといった土星的な要素が、太陽・月・水星・金星・火星・木星の各要素と共に、如何に磐石であるか、如何に改善されているかが、運命を左右すると言っても過言では無いと言えるかも知れません。

土星の軌道が防御シールドとなり、トランスサタニアンから来る禍いや重圧を防ぐと言われています。

次に、障害と個人の問題です。これは人によって大きな個人差があるだけに、安易な一般論化は、それ自体が危険ではあるかも知れません。

個人が、身体障害にせよ精神障害にせよ、直接、トランスサタニアンから来る本質…障害を背負うというのは、個人の人生の中で、一体どういう意味を持っているのか。

個々の当事者では無いだけに推論の域を出る事はできませんが、トランスサタニアンから来る「障害」という要素は、その人の、個人の人生や世界への眼差しというものを、相当に変形させる要素として働くのであろうと想像する事は可能です。

身体障害や精神障害は、それ自体、トランスサタニアンとしての重圧を持っている(だからこそ、我々はそれを、人を深い意味でボロボロにするもの…障害であると定義するのかも知れません)。健常者なら七つの惑星を回るところ、障害者は強制的に、常時トランスサタニアンの側に押しやられ、若い頃から土星の外側を回っているのかも知れません(社会的に「障害者=見えない存在」とされた時代の名残を、現在もまだ引きずっているのは事実だと思われます)。

子供の期間(8歳-15歳)や青少年の期間(16歳-25歳)は、各々、水星・金星で暗示されていると言われていますが、障害者の場合、そこにトランスサタニアンが絡み、各々、天王星と海王星の凶星としての作用が降りかかってくると考えられます。

凶星としての天王星は破壊や革命としての作用で知られる惑星であり、凶星としての海王星は混乱や迷走としての作用で知られる惑星です。いずれにしても、想像する限りでは、穏やかな作用では無さそうです(ことに幼少時に既に障害を持っていた場合、障害の影響に悩む事無く子供時代や青少年の時代を過ごせたと言う障害者は、ほぼ皆無かも知れないという事は、これだけは一般的に言えるかも知れません)。

「周囲とは明らかに異なる自分/障害を持つ自分」という認識は、ようやく独り立ちを始めた未熟な自我を破壊するのに充分すぎる重圧を持つと思われますし、その後に来る「障害者としての自分の確立」という作業は、近くにロールモデルとなる目標や対象が存在しない場合、どうしても海王星ならではの、アイデンティティの迷走や混乱を伴う作業になるに違いありません。

そして、このようなトランスサタニアンの凶星としての作用は、障害者個人の世界観や社会(土星的な要素)に対する考え方に、間違い無く甚大な影響を及ぼすと予想できます。

(「老化による衰え」という一般的事例でも、「私はまだまだ若い!」という風に、自分の身体の老化と衰えを否定する人が多く見られます。障害者の中でも多分、同じ事が起こるのだと類推できます。この場合、老化による衰えどころか、文字通り「障害」としての認識をせざるを得ず、想像する限りでは、それは宗教的な意味で言う「業苦」に等しいもののように思えます)

占星術の議論を信じるとすれば、トランスサタニアンの本質と向き合うと言うのは、総じて個人の努力の枠を超える問題です。巨大な凶星を使いこなす事は、人間には非常に難しい事だと言われています。障害者もまた「人間」と言う存在枠を超え得ない以上、「障害」として降りかかるトランスサタニアンの重圧と渡り合うのは、非常に難しい作業であると想像する事は可能です。

故に、障害者の場合、健常者以上に、「意識して土星を使いこなしている」のでは無いかと考えられます。トランスサタニアンから来る重圧と渡り合うための土星枠は、障害の影響を可能な限り小さくし自力で管理するための枠ともなり、ある時は自分を守るために他人をシャットアウトする防御シールドとなり、同時に、自分を封印する呪縛ともなる…

(土星は人間にとっては負担となる要素でもあるので、殆どの健常者は、「意識的に土星を使う」という事は、余計な困難と面倒がある分、やりたがらないと思います。むしろ土星の要素から逃げるし、土星的な要素からは一時的にせよ逃避可能というのが、健常者の特権かも知れません。障害者は、もっと重いトランスサタニアンと渡り合う必要があるので、土星的要素を省くという選択自体が存在しない状態だと思います)

占星術の側面から考えてみる限りでは、健常者には到底理解できない、「トランスサタニアンの重圧による、枠そのものの歪み」という事情が、障害者の人生に重くまつわりついているという事が指摘できるかも知れません。

しかし、社会性を無視した、自分本位な土星の使い方は、一般的に、必然として、「人間関係における歪み」「社会と自分との関係における歪み」となって現れると言われています(その典型的かつ巨大な事例が、オウム真理教の教祖であった麻原氏であろうと思われます。麻原氏は視覚障害者だそうです)。

土星は、通常なら30歳ごろに人生初の重圧をもたらす惑星であると言われています。

幼少時に障害者になってしまった場合は、幼少時からトランスサタニアンの重圧を受けているとすれば、土星は、トランスサタニアンとの密接な渡り合いのために、30歳前に既に「傷つけられ、歪められた星」となっているのかも知れません。

障害者にとっては、30歳ごろというのは、自分と他人の関係&社会との関係を仕切る土星そのものの、歪んだ重圧に耐えつつも「歪み」の破壊にとりかかるという、二重の矛盾に満ちた苦労をする時期であるのかも知れません。

障害者にとってのサターンリターンが、土星どころか冥王星の力として作用する可能性や危険性は、多分あります。冥王星は、凶星としては最強のダークサイドを持つ惑星であり、無意識の力や、破壊のための破壊を暗示すると言われています。

このサターンリターンという、人生の試練のステージをきちんと果たせなかった障害者は、自身の「歪みを持ちながらも卓越した土星機能」ゆえに、自身が悪魔的な存在として見られてしまう、悪魔的な存在に変容してしまうと言う可能性に、「スピリチュアル的な意味で気付くべきである」と言う風には思うのです。第二の麻原の出現を防ぐためにも…

※聴覚障害者として知られる作曲家・佐村河内守氏(2014年時点、50歳)のゴーストライターの事件は、世間の耳目を集め、実際に、障害者に関わる制度変更を政府に検討させるという影響をもたらしています。ゴーストライター新垣隆氏が曲を書き始めたのは、公開資料によれば佐村河内守氏33歳の時だそうで、時期的には、佐村河内守氏のサターンリターン期間に相当するようです。障害者ゆえの土星枠を間違った方法で扱ってしまい、冥王星よろしく暴走させてしまったのでは無いかと想像するものですが…これも、時代ゆえの運命?

健常者にも障害者にも共通して言える事は、人生の境界と出逢う時、太陽から始まる七つの惑星の要素が(特に土星の要素が)、その時までに、どれだけ人生における深みや厚みを達成できたかが、やはりポイントである…と言う風には思われるのであります。

社会的にトランスサタニアンと渡り合うという作業においては、やはり「闇の惑星から来る本質」に対する理解や、土星枠に相当する社会福祉の努力が、社会リスクの低減に大きな効果を発揮すると申せます。社会問題化しているという事実は、我々の社会システム、即ち我々の土星要素の地道な改善が、なお求められているという事を示していると言えましょう。