忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

タロット05法王

タロット05法王

カード・メッセージ=「信頼」

主な意味=偉大な師匠、博愛、改善、助言、精神的な充足、良医との巡り合い、援助者、集中力、貢献、目上からの引き立て、寛大、聖なる場所、大いなる知恵、広く深い識見

精神的な支配、あるいは精神的な支持基盤を暗示するカードです。「皇帝」カードが世俗的な力を表現するのに対して、「法王」カードは超俗的な力を表現します

「医術は仁術である」と言われる事がありますが、法王は、その仁術の部分を担当するカードと考える事が出来ます。人間は、物理的な部分だけで生きているのではなく、精神的な部分でも生きている…その精神的な部分の改善と成長を、「法王」カードは促すのであります

上と下から、それも複数の束を持って到来して来る、運命の軌道の群れ。「現在時点」で衝突し様々に分岐する「可能性」の道の複雑さは、人を迷わせます。「法王」は、偏りの無い大いなる識見によって、その迷いの中心を見極め、適切な助言を繰り出す…そのようなイメージで描画してみました

逆位置の場合は、その大いなる識見が、非現実的な見解として解釈されることがあります。抽象的過ぎて、現実には余り意味を持たなくなる…最高の学者や学識を集めたアカデミーが、実際には、現実社会と接点を持たない「白亜の塔」となってしまう…それもまた、現世に確かに現われる、矛盾のひとつなのであります

(たとえば、現代の地球科学の粋を集めた地震予知学会が、実際には東日本大震災を予知し得なかったように/現代のあらゆる防災技術が、実際には、福島原発事故に対して驚くほど非力であったように)

しかし、高い学識によって鍛え抜かれた識見は、素人判断に比べれば、やはり大いなる意味を持っていると申せましょう。「無私の心」という基本的な姿勢は非常に困難なものではありますが、高度な判断を下そうとする時は、その無言の信頼に応えるべく、可能な限り謙虚かつ誠実であれかし…とするものであります

☆タロット連作&解釈の一覧を作成=〔ホームページ更新2013.6.14

PR

感想:浅田真央選手のラフマニノフ

2010.2.26・・・この日、フィギュアスケートのフリープログラムがありました。

浅田真央選手は『鐘(ラフマニノフ)』だそうで…「死線上のアリア」と言いますか、色々と厳しい環境だったようで、さすがに消耗していたようです。難曲なのに、さまざまな高次元イメージに満ちた緻密な演技内容で、感動しました…*^^*

浅田選手の決戦瞬間のホロスコープを見ると、恐ろしく困難な惑星コンディションの下でトリプルアクセルに挑んでいたと言う事がよく分かります。関門みたいなものでしょうか。時々、人生にはそういう重圧に満ちた恐ろしい軌道が用意されておる訳ですが、彼女は自暴自棄にならずに、まっすぐに壁に挑んでいました。心から最大の賞賛を送りたいと思います。

キム選手の方は、スケーターとしてはこれ以上無い、という程の最高の惑星コンディションが用意されていました。ミスの有無に関わらず、金メダルが嫌でも転がり込んでくるという配置です。占ってみる限りでは、彼女のピークは、今回の試合がベストです。故に、今のコンディションを如何に長期間にわたって維持するかが課題でしょうか。演技パターンは今の作品がベストなので、今後はそのアレンジ作品で通すのが良い感じ。

将来性ないしは進化という観点では、浅田選手には、大きな可能性があります。たいてい、空前絶後の作品とか、革命をもたらす名作というのは、こういうタイプの選手が生み出しますね。ただ、決め技はトリプルアクセルという状態が続くなら、金メダルもあと1歩で逃してしまう状態が続くと思いますが…今までの彼女にとっては、トリプルアクセルの完成が課題だったのかなと思われるところもありますし、これから前人未到の領域に踏み入るところかなとも思います。幅をうんと広げてくれるとうれしいです…^^

人生の困難なコースを、真剣に苦しみ悩みつつ、重圧の中で未知の領域に挑み続ける選手と、人生の楽なコースを、玉の輿に担がれつつ、あらかじめ用意された地位と名誉と金銭バックアップを欲しいままにむさぼり続ける選手。

言うなれば「未知への冒険者」と「安全な場所で蝶よ花よ」ですが、どちらに価値を認めるかは、自分が人生の価値をどのように考えるか?によって変わってきます。ある意味、人生の覚悟を映し出す鏡…みたいな感じですね。鮮やかな「二極化(仕分け)」が起きていると思います。それにしても前世の因縁か何かでしょうか、つくづく対照的な2人ですね…^^;


《メモ:ラフマニノフの『鐘』》

ラフマニノフは、ロシア革命の時代を生きた人だったそうです。 ロシア共産革命では、多くの文化人が殺されました。そういった事情もあって、ラフマニノフはソビエト・ロシアを脱出した後、ソビエト政府がいくらコンサート要請を行なっても応じなかったと言う事です。 共産主義革命を賛美しなかった文化人の運命は悲惨なものだったそうです(文化大革命の際の大虐殺やポルポト派の大虐殺でも、同じことが起きたらしい)。

ラフマニノフの『鐘』には警鐘としての意味があり、その内容は、祖国の伝統文化が燃えて滅びてゆく事への焦燥感や悲しみである…という解釈が出来るわけです。炎のような赤と黒の衣装は、そういう解釈の元に選ばれている…と推測されます。

(参照動画・浅田真央 鐘/全日本2009年の作品) http://www.youtube.com/watch?v=A3HSQaJEoJI&NR=1

『鐘』はある意味、少しずつロシア正教に戻っていっているロシア人にとっては、共産革命以前の「古き良き祖国」を象徴するような音楽なのだろうと思われます(=精神的故郷のようなもの?)。

ロシアのタラソワコーチに師事した浅田選手にとっては、この重い象徴を託された曲を演じきることが何よりも大事で、本当は、メダルはどうでも良かったのかも知れないなと思います(推測ですが)。

※近代アヴァンギャルドに走ってからは意味不明なものも増えましたが、伝統的なロシア芸術には、とても深いものがあると思います…

霊と魂の仮説(ヒポテーゼ)

★小説投稿サイトのブログの方に投下していた内容をアーカイブ★

知人との話で、呪いの藁人形(ストーカーが藁人形&五寸釘を持ち出してターゲットを脅迫したと言う事件ニュース)の話から幽霊の話になり、近所のオカルト・ホラー・スポットの話になり、霊魂の話題になっていって、割合に考えさせられる事があったので、思索メモ。

「魂って何?」「霊(≒幽霊とか)って何?」「精神って?」というスピ的な部分の定義から始めないと、間違いなく思索が混乱します。日本語の「霊魂」は、すごく曖昧な言葉ですし…(これで1個の単語なのか、それとも「霊」+「魂」という複合語なのかという事も、実際は分かりにくい)。

「霊&魂の始原学(アルケオロジー)」は、それこそ古代の哲人たちも悩んで来たテーマですし、今の最先端の科学(量子論など)でも、まだまだ扱いにくい領域だと思います。

此処から先は、仮説(ヒポテーゼ)ですが、例えば…;

*****

「魂の有り様」は、実際は、我々にとっては「自我」という形でしか観測できない。それは、「鏡に映った自分」を観測するような物である。

「鏡」に相当するのが「霊」、「鏡を以って観測した自分」に相当するのが「魂」であると定義できる。

※鏡が無ければ自分の顔や背中が分からないように、魂もまた、第三者の目が無いと、なかなか「我が実存」が実感できないという性質を持ってる筈です

量子が波動なのか粒子なのかを、厳密に特定できないのと同じように、鏡像(魂の有り様)もまた、波動なのか粒子なのかを調べるのは難しい。

まず、「霊」は、量子場よろしく場の理論で記述できる。イメージしやすくするため「霊場」と言い表すことにする。

そして、この「霊場」は、宇宙に遍満する超微細エネルギーの傾斜状態である。量子状態に応じて敏感に形状を変え、千変万化する。

※謎の「ダークマター」や「ダークエネルギー」を、「超微細エネルギー」の候補として挙げてみたいと思います。宇宙には分からない事が一杯あります

バリオンが凝集し、原子となり分子となると、超微細エネルギー反応も高まり、化学反応レベルに上昇する。これが、ある一線を越えて活動的になると、生命エネルギーにまで急激に跳躍する…こうして、単純な化学反応に、「細胞」ないし「生命」の意味が付与されていく。

言い換えれば、「生命」とは、「強烈かつ特異的な、活動的な霊場」である。

「魂」とは、こうした膨大な数の「生命エネルギー(=強烈な、かつ特異的な霊場)」の場が統合され、あらゆるエネルギーレベルの反応が一斉進行した果てに現れる物である。

こうしてみると、この宇宙では、「個々の自我(=人間の魂の有り様)」というのは、極めて膨大な数の霊場を統合し、かつ翻弄するという、『極めて稀少性の高い劇的な場』であると言える。しかも、それぞれ個性がある状態――統合パターンがそれぞれ違う状態――である。

※人体の細胞は、37兆個くらい?あるとか…

*****

…と、こんな風に、でっち上げてみる事は出来ますね。どのように考えて行くかは、自由だと思います。

いずれにせよ、『私は、他の何ものにも替えがたい"私"である』という事の本当の意味は、霊&魂の、究極の始原(アルケー)まで到達しないと、ちゃんと言及できない問題だろうと思います。そして、人類の数理的知性は、まだまだ、そこまで到達していないのだろうと思います(ニガワライ)。