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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

黒いお金「阿片」・4

一応、資料に何度も目を通してみたのですが、何だかこちらの頭が混乱してきた事もあって、理解してないところが多いです。同じグループの中に派閥が3つも4つもあって、互いに「タヌキとキツネの化かし合い」を競っているようで、正直、訳が分からなくなってまいりました…^^;

今回のテーマは、魔都・上海の繁栄/軍閥割拠/中ソ国境の混乱。

  • 1865年=香港上海銀行を先駆として、欧米の金融機関が次々に上海営業スタート。
  • 1871年=香港と上海を結ぶ海底通信ケーブルが開通し、日本の長崎にも延伸。
  • 1882年=蒸気機関車が鉄路を走り始める(それまではラバが車両を牽引)

義和団の乱(1900-1901)…白蓮教系・義和拳教を奉じる秘密結社「義和団」による外国排斥暴動。

《1900年-1910年代》

列強・清国内の民間資本・各地の有力者によって大陸内に鉄道敷設が進む(敷設の目的には、鉱山採掘利権などが関わっていた)。清の民間資本家と各地有力者は利権回収運動を起こして鉄道利権を回収していたが、清朝の延命を図る北京政府がこれらの利権の国有化を進めると、再び外国借款の代償として諸外国に譲渡されるのは必至であるとして資本家&民衆の反対運動が起こり、これらの暴動が辛亥革命(1911)につながった。

阿片バブルに沸いた上海には、大陸各地から船員や港湾労働者、各種商人、難民、ヤクザが大量に流入し、出身の郷土単位ごとの互助組織「幇」を形成。最初は多くの「幇」があったらしいが、上海では(おそらく多くのヤクザ的抗争=械闘を通じて)、最終的に「紅幇」「青幇」の二大秘密結社が、「上海黒社会」の支配者になった。

※第二次世界大戦の直後のころは、上海住民の4人に1人が、黒社会に属する者だったらしい…^^;

上海は極東最大の都市として発展し、イギリス系金融機関の香港上海銀行を筆頭にアジア金融の中心となる。上海は魔都或いは東洋のパリとも呼ばれ、ナイトクラブやショービジネスが繁栄した。こうした上海の繁栄は、民族資本家(浙江財閥など)の台頭と労働者の困窮化をもたらし、労働運動が盛んになっていた。

【幇会三宝(幇の三資金源)】=烟(阿片)、賭(賭博)、娼(売春)

東清鉄道(ロシア帝国による鉄道工事=1898満州での権利取得&建設-1904完成)

※シベリア鉄道はイギリスを恐れさせ、日英同盟(1902)のきっかけとなった鉄道だった。

東清鉄道の地図資料=[http://keropero888.hp.infoseek.co.jp/map/eastchina.html

>>ウィキペディア「東清鉄道」より:

ロシア帝国は1891年2月にシベリア鉄道建設を正式決定し、5月よりその建設に着工した。1897年にウスリー線(ウラジオストク~ハバロフスク)が開通、続く1898年には中部シベリア線(オビ~イルクーツク)、1900年にはザバイカル線(ムィソーヴァヤ~スレチェンスク)もそれぞれ開通し、シベリア鉄道全線開通まで残るはアムール線(スレチェンスク~ハバロフスク)およびバイカル湖周辺のみとなっていたが、そのどちらも地勢が大変険しく建設が困難な状況であった。

その頃のロシアは、日清戦争(1894-1895)直後の日本による遼東半島の領有を三国干渉によって阻止しており、その見返りとして清国の李鴻章より満州北部の鉄道敷設権を得ることに成功していた(露清密約)。そのためロシアは、建設困難なアムール川沿いの路線ではなく、短絡線としてチタから満州北部を横断しウラジオストクに至る鉄道路線を構想し、1897年、形式上は露清銀行によって「東清鉄道株式会社」(大清東省鉄路)が設立された。

さらに1898年3月、旅順大連租借条約が結ばれると、ハルピンから大連、旅順に至る南満州支線の敷設権も獲得し、満州支配を進めた。東清鉄道本線は満州里からグロデコヴォ間1510キロで、シベリア鉄道と連結させるために西側は満州里とキタイスキ・ラズエズトーを結ぶザ・バイカル鉄道355キロ(完成1901年)、東側はグロデコヴォとニコリスク・ウスリスキーを結ぶウスリー鉄道97キロ(完成1903年)も建設された。南満州支線772キロも1903年1月に完成している。最後の綏芬河・グロデコヴォ間10キロが完成し、シベリア鉄道と完全に連結したのは1903年7月、日露戦争(1904-1905)勃発の半年前であった。

日露戦争(1904-1905)

実際の戦闘については省略。極東におけるロシアの南下政策が止まり、日本は満州利権をロシアから奪う形となった。これ以降、華北・華中・華南全土におけるロシアvs日本の抗争が激化する。ロシアの工作はモンゴル・新疆方面に集中。

第一次世界大戦(1914-1918)…数々の資料があるので省略

第一次世界大戦の戦場となったヨーロッパで、鎮痛剤として、阿片が急に広まる。阿片中毒の害に脅かされた事により、阿片を禁止する国際条約の整備が進んだ。イギリスがこれを真面目に施行し始めたため、イギリス租界における紅幇の勢力が衰退。大陸の〈阿片経済〉は地下経済となり、第一次世界大戦バブルと絡んで、いっそう濃密に発展拡大する。

ロシア革命1917―シベリア出兵1919(日米連合)…数々の資料があるので省略

このころ、ロシア革命の混乱から逃れてきたロシア難民が上海に流れ込み、都市サービス・娯楽産業に従事した。第一次世界大戦によるバブルで上海経済が膨張し、阿片消費量も増大。日本の商社が多数、上海に進出。

《1910-1920年代》

軍閥割拠(1916-1928)

1911年の辛亥革命で孫文を初代大統領とする「中華民国」が成立していたが、1912年から袁世凱(北洋軍閥)が大統領となった。内ゲバの末に袁世凱が皇帝を自称して「中華帝国」としたが、1916年に袁世凱が死ぬと、大陸は軍閥割拠状態になった。(※1928-1949=南京国民政府)

>>中華民国について詳しく=[中華民国というペテン]シナにつける薬-2008.1.19

互いに争った軍閥は互いに莫大な資金を必要とし、急速に〈阿片経済〉に組み込まれていった。このネットワークを提供したのは多数の国際的な闇商人であったらしい。最も活躍したのが青幇(当時のボス=杜月笙)で、彼らが暴利と言ってよいほどの最大の利益を上げた(確実なデータは無いが、そういう風に推測できる)

杜月笙は四川軍閥のルートを持っており、一大阿片産地となっていた四川省重慶市に「三鑫公司」支店を開き、ヘロインの産地直送をスタート。四川省軍閥の「ヘロイン大王」こと陳坤元と「阿片大王」こと葉清和が、現地の精製工場を経営したという。当時のヘロイン取引量=250万元/月(=3000万元/年)

  • 1920年代後半の全阿片消費量=10億元超/年(内、大陸阿片=8億元、海外阿片=2億元)
  • 上海における〈阿片経済〉の利益=4000万元~1億元/年
  • 単純に逆算すれば、各地の軍閥や海外闇商人があげた阿片の利益=9億元超/年

1920年代には阿片禁止令が施行され、衰退した紅幇に代わって、阿片取引は青幇&フランス租界の独壇場になった。外国商社は密輸ビジネスにいそしみ、各地の軍閥の地元で闇阿片が公然と増産され、また軍閥は、「領地」内の護送ビジネスからも利益を挙げた。「京杭大運河」周辺の種々利益が大きかったのはいうまでも無い。張作霖の軍閥が支配した満州では、東清鉄道ルートを使った〈満州阿片フリーマーケット〉が繁栄した。

青幇のボス杜月笙は、前ボス黄金栄に代わって権力を振るう。フランス租界の治安悪化に付け込み、フランス当局を脅迫して、最新式の武器供与を獲得していた。その際に、租界における阿片の闇取引の公認と賭博場の営業許可も付いていた(フランス官僚も、青幇からの賄賂で篭絡されていたと言われる。ちなみに青幇は糞尿処理やゴミ処理を独占しており、労働者ストライキを扇動する事で租界のインフラを止め、フランス当局を脅迫していたという)

1919.7.15=カラハン宣言…東清鉄道についての疑念が大きくなり、中ソ関係がさらに複雑骨折する伏線となったらしい。多国間でも対応が揉める。事情説明があまりにも奇々怪々なのですが、情勢の変化を機敏に利用できなかった上に、大陸情勢に最悪の形で飛び込む羽目になった日本外交って、一体…^^;;;

モンゴル情勢(1919-1920)

安徽派-北京政府はソビエト工作によって確立したモンゴルの自治を破壊しようとした。

1919年、軍隊と共にウルグ(後のウランバートル)に押しかけた徐世昌将軍は、モンゴル自治政府バダムドルジ閣僚会議議長に対して、ボグド・ゲゲン(活仏)、閣僚、閣僚代理が署名した「自治を放棄する請願書」を出すように要求。その請願書を元に、中国大総統の名前でモンゴル自治を廃止する旨を宣言。

このため、モンゴル民族解放運動の機運が高まり、それに乗じてコサックのG・M・セミョーノフ&R・F・ウンゲルンが中央アジア帝国を樹立するべく征服活動を拡大。ちなみにセミョーノフはチンギスハンの子孫を名乗っていた。

1921年、ウンゲルンはウルグを占領し、ボグド・ゲゲンを汗として即位させ、北京政府を大混乱に陥れた。同じ頃、張作霖は殆ど絶対的な満州君主となっており、北京からウンゲルン討伐軍を要求されていたが、その動きは鈍かった。その結果、モンゴル周辺では、コミンテルンに指導されたモンゴル革命グループ(後にモンゴル・パルチザン)と北京政府(その実は軍閥)とセミョーノフ&ウンゲルン(コサックで反革命勢力)が分立するという奇怪な状況になる。

これについてコミンテルン・極東書記局は次のように記録した:

「ウンゲルンによるモンゴル奪取は、コミンテルンとソビエト・ロシアが革命基地を失う脅威を作り出した。…沿海州はセミョーノフ、モンゴルはウンゲルン男爵、満州は張作霖というように黒い緩衝地帯が日本によって作られている。…コミンテルンとソビエト・ロシアの戦闘任務は、この緩衝地帯、少なくともモンゴルの鎖を壊すことである」


FriendFeedコメントより転載

《管理人の呟き》現代の満州阿片ビジネス。張作霖・張学良の軍閥がよみがえったのかと思いました。シンクロし過ぎ…^^;/日本向け覚醒剤製造,ウラジオストクで薬物拠点摘発:ロシア連邦保安局は13日、極東ウラジオストクで覚せい剤の一種アンフェタミンを製造していた薬物密売グループの拠点を捜索し、複数のロシア人の男を拘束したと発表した。同保安局は、ロシア国内だけでなく日本向けの製造拠点だったとみて調べている。拘束者の中には、薬物犯罪で日本での服役経験があり、改名を繰り返していた2人のほか、かつてロシア科学アカデミーに所属していた化学専門家も含まれているという。グループは薬物を高く売りさばける日本への密売ルートを構築していたというが、同保安局は日本での密売先などについては公表していない(2010.2.13ウェブニュースより)
だんだんと深みにはまって行くようですね、ダイジョウブですか?このあたりの歴史は状況が絡み合って非常に複雑だし国共両側からの歴史「認識」つまり捏造歪曲があるので日本や欧米の歴史家も苦労するところでしょう。毛沢東などが田舎の山村地帯でゲリラ戦を実行している30年代も、情報封鎖で上海などではほとんどその事実が知られてなかったようです。今だって農村が実際どんな状況にあるのかシナの都会でも、まして外国ではわかりません。「革命」はすでにかなり深く進捗しているかも知れませんよ。 - 丸山光三
《返信》脳みその混乱が続いておりますが、休養を取りましたので大丈夫だと思います。軍閥時代の記録を見て、殆どは単純な逆算や憶測に過ぎないのですが、"一つの中国"というよりは、"部族割拠&テロリスト割拠の状態のアフガニスタン"だと思いました。この時代は、世界的にもアル・カポネとか、国家権力に匹敵する無法マフィアが大きく輝いた時代だったみたいですね。必然として、闇商人ネットワークとか、"政治とカネ"的な地下人脈が急成長した時代…と見て間違いないかと。現代の国際金融グループとか、黒い噂の殆どが、この時代に出来たものみたいですね…
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