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更新情報

▽《物語ノ本流》コーナー
http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html

第二部「タタシマ」/第九章「八重潮」全70ページ

(キャプション)不穏な思惑の漂う花洛朝廷をあとにして、一行は再び旅に出る。最終的な目的地は鎮西の国、九州。 最初の寄り道は明石海峡を渡った先の淡路島。そこでは奇怪な銅鐸盗難事件が発生していた…

制作期間3.5ヶ月となりました。

マンガハックへの公開:2021.05.04~2021.08.14の間に実施。

原稿の作業期間:2021.04.18~2021.08.13
なお、各パートをまたいで記録してある全体ノンブル番号においては、目次・表紙コミコミで、976ページに到達。


興味深い記事をメモ

●科学ニュースメディア@ナゾロジー
https://twitter.com/NazologyInfo/status/1410146587196542976

脳に光線を見せる「新しい錯覚」が見つかる
https://nazology.net/archives/91962
ある会社のロゴから新しい錯視が見つかりました。下の画像は円の中心から光の筋が見えます。この「光線」を見せる錯視は今までなかったそう。黒円の線の量が少ない箇所を明るい点と脳が誤認し、錯覚が起きるとNYUが報告しています。

2021.07.16付キャプチャ

●生物学的・脳科学的な話

「自由意思は存在するのか」という研究。

昔、治療の必要があって「左と右の脳みそを切り離す」という手術が行なわれていた事があったそうです。(今はやっていないと思います)

「自由意思は存在するのか」研究の一環で、手術の結果、左と右と別々の脳みそになった被験者さんを対象に、ある興味深い実験が行われました。

1.右側の脳みそに向かって、耳を通じて「向こうの角まで歩いて下さい」と依頼する。
2.被験者さん(右側の脳みそ)は、依頼された通りに角へ歩いて行く。
3.そこで、被験者さんの左側の脳みそに向かって、耳を通じて「あなたは何故、歩いているのですか?」と質問する。

…論理的に考えると。

左と右の脳みそは切れていて、連絡は無い筈なので。

右脳から情報を受け取っていない左脳は、「さあ?何故、私は歩いているのでしょう?何処へ?」というような反応をする筈…

4.被験者さん(左側の脳みそ)は、このように答えました「喉が渇いていたので、あの角にある自動販売機のジュースを買おうと思って歩いていたのです」

( ゚д゚)

この被験者さんは決して嘘を言った訳では無く。「本当に、自らの自由意思で(事前に依頼をされた覚えは無く!)、目的の角へ向かって歩こうと思っていた」ということでした。

そして実際、被験者さんは本当に喉が渇いていて、その目的地である角には、そのジュースを並べた自動販売機が存在していました。

( ゚д゚)

此処から先は、まだ論争が続いていて、決着していない部分であります(…だそうです)。結論は保留。

●中国の問題は『量の問題』に帰着する

世界史bot@history_theory
https://twitter.com/history_theory/status/1424902119304302594
山田慶児『混沌の海へ』朝日新聞出版 1975

中国人は、枚挙的な記述とその分類により、世界を体系的に把握しようとした。
だがそれは、世界の規則性と統一性を示しはしない。
それを把握するには別の原理が必用だった。
量的認識とパターン認識がそれである。
世界の多様性は、量への還元により一つの平面に射影される。
量的関係に何らかの規則性が発見されるならば、世界の統一的な像がその上に描き出されよう。
しかも、事物と現象の量的な把握は、国家統治や生産と流通の不可欠の手段でもある。
中国人は量的な観測・観察・測定・実験・調査・計算・記録・説明・思索のおびただしい資料を残している。
正史には志(誌)と呼ばれる部分があり、そこには量的認識の氾濫が見られる。
天体の位置と運動についての、暦計算についての、楽器の音程についての、祭器や車や衣服の規格についての、人口についての、官職の定員と俸給についての、刑法の量的規定についての、貨幣や経済政策や土木事業についての。
しかも、量は事実として投げ出されているだけでなく、量を秩序づけ、様々な量の間に連関をつけ、何らかの規則性を発見しようとする志向がそこに働いている。
中国の天文学は代数的天文学であり、ギリシアの幾何学的天文学との鮮やかな対照を示している。
天体の運動は、すべて仮想的な球面上において、赤道座標系に基づいて量的に把握される。 惑星系の幾何学的な構造は問われない。
観測された量はいくつかの現象の複合であるが、その諸要素を量的に分離しながら、ひたすら計算を進めてゆく。
それだけに、計算法の発展には目覚ましいものがあり、たとえばニュートンの補間公式に匹敵する補間法が生まれたのは6世紀、隋の時代だった。
中国人は、天体運動を自然に備わる数として捉えたのである。
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