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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作19

異世界ファンタジー6-1重鎮と摘発

王宮の中心部に近い場所にある、広大な貴族用控室――その、応接間。

老ヴィクトール大公は、車椅子の上でふんぞり返っていた。年老いて皺だらけになった大きな身体を、竜王国第一の権勢をいやが上にも示す華やかな衣装が取り巻いている。白髪のみになった頭部と、立派なカイゼル髭。老いてなお眼光は鋭かった。

不機嫌の極致にある老ヴィクトール大公は、やはり高位竜人に相応しい、凄まじい殺気と怒気を放出していた。

応接間には、非友好的な笑みを浮かべて立つ客人たちが居た。

彼らは、先触れなしに押しかけたのだ――近衛兵の別動隊を伴い、老ヴィクトール大公の部屋を守る多くの門番と衛兵――ただし王宮の手配では無く、老ヴィクトール大公直属の私兵たちである――の妨害を、暴力をもって排除して。

「無礼な。ハーディン〔仮名〕宰相――それに、宰相補佐ロートシルト卿、ギルフィル卿、ダウランジル卿」
「本来なら老ヴィクトール大公のおっしゃる"下々の者"を差し向けるところでございますよ。数々の重要会議を差し置いて直接出向いた我々の配慮に、感謝頂きたいですね」

ハーディン〔仮名〕宰相の皮肉には、定評がある。老ヴィクトール大公の額に、青筋が立った。

「孫娘の――ユーフィリネの罪状は、事実無根だ。知らずやった行為に、責任を問う事は出来ない。そのように処理すべきだ。あの子には、まだまだ将来があるのだからな」

宰相補佐ロートシルト卿が、呆れたように首を振った。

「御冗談を。貴族クラスに留まらず、平民クラスまで巻き込んだ巨額の汚職ですよ。彼女は正当な貴族特権を行使したつもりでしょうが、まさにそういう確信犯でなければ出来ぬ所業です。それだけでユーフィリネ大公女の、貴族社会における名誉は地の底まで落ちること必定。人の口に戸は立てられぬ。悪事千里を走る。老ヴィクトール大公閣下の派閥は口を濁すでしょうが、それ以外の、民間を含む多くの声は、コントロールできないでしょう」

老ヴィクトール大公は、ギリッと歯を食いしばった。撫で斬りにするかのような鋭い眼光が、ハーディン〔仮名〕宰相を貫く。

「竜王と宰相の名において、ひねり潰せ。即刻、対応しろ。孫娘に対する名誉棄損の代償は、懲戒免職と身分剥奪と死刑だ」

ごり押しをも超越すると言うべき、余りにも無茶苦茶な要求だ。ハーディン〔仮名〕宰相は皮肉っぽく眉を跳ね上げて見せた。

「私は竜王では無い――絶対君主でもありません。法律と慣例を守る事を強制はするが、それらを変える事はできませんよ」

老ヴィクトール大公は、しぶとかった。眉間に皺をよせ、わずかに首を傾げてギルフィル卿をにらむ。

「ギルフィル卿、ご子息ジル〔仮名〕君は以前からユーフィリネに懸想していたな。クリストフェルとの決闘は今でも語り草だ。それに引き換え、婚約者の娘とは長い間、縁が無いという噂を聞いているぞ。悪くない話を提供するが、如何か」
「お断りします」

ギルフィル卿の回答は、短く、明快だった。次いでギルフィル卿は、背後に控えていた近衛兵の別動隊に合図した。

「ユーフィリネ大公女の部屋を、徹底的に捜索せよ」

老ヴィクトール大公は「止めろ」などと抗議していたが、残りの私兵は高位竜人に圧倒されて怯えているままであった。

老大公の血縁と思しき私兵隊長が、「おのれ」と言いながら白刃を抜き放った。近衛兵の別動隊の面々が息を呑む。

――勝負は一瞬で決着した。ダウランジル卿が信じられない反応速度で動き、素手で取り押さえたのである。実を言えば、ダウランジル卿は近衛兵の教官を務めてもいるのだ。

今回ハーディン〔仮名〕宰相がわざわざ動いたのは、老ヴィクトール大公という、権力闘争の生存者にして最大の「貴族特権の癌」に切り込むための、滅多にない好機だったからだ。孫娘たるユーフィリネ大公女に、貴族特権の正当性を過大に歪めて教育していることからして、その思想の歪みぶりは、察するに余りある。

――なお、この強制捜査で、ユーフィリネ大公女の部屋からは、ペーパーカンパニーの振込口座や数々の業者との秘密契約、それに公費で不正に購入した数々の、小ぶりでも高価な装飾品などが押収されたことを、付け加えておこう。

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異世界ファンタジー試作18

異世界ファンタジー6-1問答:踏み込む役人たちと令嬢

冬宮の設営は完了し、後は人の移動を受け入れるのみになった。先に使用人たちが移動してホテルよろしく各々の貴族たちに割り当てられた控室の私物を完備させ、しかる後に王族や貴族たちが入って来るのである。

公務明けとなった令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、冬宮の主会場で貴族たちに囲まれて、輝かんばかりのユーフィリネ大公女を、微妙な眼差しで見つめるのみだ。貴族たちの招待名簿をひっくり返している以外には大して活躍しなかったはずのユーフィリネ大公女が、見物客第一弾の貴族たちの間で、冬宮の装飾についての賛美を独占している。

「ユーフィリネ大公女は、取り巻きの令嬢たちと一緒になってローズマリーの怠慢をチクチク吹聴してるけど、最終盤のところでローズマリーが活躍できなかったのって、この間の襲撃事件のせいだわ。サフィニアは一足の差で危機に突っ込むところだったって言うじゃ無いの、どうしてバシッと言わないのよ」
「ガイ〔仮名〕から口止めされちゃってるのよ。彼が真剣になるなんて滅多に無いし、ただならぬ何かがあるみたい。二度目の危機も起こりかねないから、護衛がくっついてるって脅されたし」

――それは脅しとは言わないのでは?と、令嬢アゼリア〔仮名〕は本気で首を傾げた。会場をくるりと見回す。ガイ〔仮名〕占術師が用意したと思しき護衛の姿は、影も形も見えない。よほど上手く紛れているのであろう。

(まあ、サフィニアとガイ〔仮名〕は既に《宿命》の盟約を交わして、正式な婚約者同士だからね。《宿命の人》として合致した者同士で《宿命》の盟約を交わすと、竜体の能力が底上げされる。実際、ガイ〔仮名〕はサフィニアが何処に居るのか、やたらと勘が働くし)

令嬢アゼリア〔仮名〕は、ドレスの下でこっそりと足の具合を直した。先日の夜、暴走族よろしく竜体で飛来して来た二人組と出会い頭に衝突して、空中階段の上から放り出された時、足首をくじいたのだ。軽傷ではあるが、夜会に使うような華やかなサンダルや細いパンプスは、まだ無理だ。軽傷で済んだのは、ひとえに同伴していた婚約者の、近衛兵としての能力のお蔭である。

ちなみに、かのレストランを含めて空中階段に居合わせていた人々は、滅多に目撃することのない近衛兵の身体能力を目の当たりにして興奮した。若手の近衛兵の間ではトップクラスの実力を持つクリストフェルですら感心したという尾ひれもついた。

その金髪碧眼の貴公子クリストフェルは、目下、ユーフィリネ大公女の恋人の第一候補であると言われている。今も、目の前でユーフィリネ大公女の手を取って、見物を楽しむ貴族たちと共に、主会場のあちこちを視察している。本格的な警備体制を組む際の下見という名目だが、別の要素をも楽しんでいるのは明らかだ。

「ユーフィリネ大公女は、相変わらず殿方に人気があること。夫になる人の苦労は、想像するに余りあるわね」
「王族に最も近い公爵令嬢だから、王女並みに相当数のスペアがあってしかるべき、だそうだけど。ヴィクトール公爵のお眼鏡にかなわない求婚者…っていうか恋人候補は、片っ端から排除されてるそうだし、これはこれで割に合うのかも知れないわ、何せ筆頭公爵ですもの」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が内緒話に花を咲かせていると、監察機関に所属するスタッフ数名――下位の監察メンバーが、逮捕権を持つ検察機関所属の衛兵のチームと共に主会場に入場して来た。

見物に来ている貴族とは明らかに異なる一団の登場で、主会場の中には戸惑いのざわめきが広がった。

「監察の人と、検察の人じゃないの。汚職があったのかしら?」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、嫌な予感がした。そして、その予感は的中した。

中年の監察官スタッフたち数名は、引き連れている衛兵たちと共に令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕の前に立つと、必要とあらば証人喚問をする旨の文書を披露したのである。一斉にざわめく貴族たち。

「このたびの冬宮設営にて、室内装飾業者の一と不正に結託し、認可された計画書の内容を大幅に超える品の購入ないし横流しをした疑いが浮上している。領収書の合計と決算報告書の数字が合わぬのだ。申し開きあらば、この場にて簡潔に披露せよ。内容次第によっては、この文書に従い、証人喚問に移行する」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、開いた口が塞がらない。二人は一斉に顔を見合わせ、野次馬と化した主会場の大勢の貴族たちに目をやり、そしてその中心に居るユーフィリネ大公女とその取り巻きの令嬢たちを眺めた。

ユーフィリネ大公女は口に手を当てて、純真そのもので驚愕の表情を浮かべている。その取り巻きの令嬢たちは早速、「まあ信じられない!」「お育ちが卑しいと…ねぇ?!」などと、口を歪め、ささやき交わしていた。

スプリング・エフェメラル装飾は、初めての試みだけあって品が少ない。ロージーが最初に突き当たったように、対応できる王宮御用達の室内装飾業者が、一件しか無かったという有様である。貴族御用達となっている数々の室内装飾業者でも、件数こそ増えるが事情は同じである。冬季草花装飾に対応できる職人そのものが、少ないのだ。

冬季草花装飾の市場は、冬季の定番だった歴史装飾に比べると、遥かに小さい。王宮における冬宮の装飾をきっかけとして、多大な需要が発生したらどうなるか。当然、市場価格が、実物の価値を越えて高騰するのである。

注文が殺到する直前のタイミングで、見本市などで冬季草花装飾を手掛ける業者を引き抜き、品物と合わせて独占してしまう。その後、価格が高騰した状態で、ペーパーカンパニーを窓口にして注文をさばく。差額による収入は、莫大な物になるだろう。

スプリング・エフェメラル装飾の計画を事前に知りえるがゆえの、汚職の疑い。

――それに相当するタイミングで物品購入にタッチしていなかった令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕にとっては、寝耳に水の疑いだ。疑いを掛けられた根拠を説明されると、二人は揃って、「はあ?!」と反応するのみであった。

業者の選定や見本市での買い付けは、まさにロージーが担当していた仕事であるが、平々凡々な平民たるロージーには、それだけの大掛かりな汚職を可能とする人脈は無い。ギルフィル卿やジル〔仮名〕卿の人脈が使えれば可能ではあるだろうが、仮婚約者に過ぎないロージーに、王都の貴族クラスの人脈にタッチできる力があろうはずが無い。

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、そのように、疑いが事実無根である事を申し開きした。

監察官スタッフ代表は、「では、一の業者と入札なしで契約したのは?」と質問を重ねた。

「まだ監察機関に文書が行ってないんだと思いますが、問題の領収書に、理由を書いたメモを添付していると聞いてます。私たちが知る限り関係した業者はその一件だけだし、品そのものが少ないので、後は見本市で品ごとに買い付けしていたそうです――それも、公費を使って購入したのは、きっちり領収書の分のみです――全て、契約先のサイン証明付きの」

令嬢サフィニアの説明に続き、令嬢アゼリア〔仮名〕が説明を始める。

「私たちは別の仕事を担当していたし、室内装飾関係は完全にローズマリー嬢にお任せしていたので、くだんの室内装飾業者とは契約締結の時に顔をつなぐために、立会人の下、王宮内にて同席したのみで、見本市には一回も行っていませんでしたの――」

――そこで、令嬢アゼリア〔仮名〕は、ある事に気付いて、目を丸くした。そのまま、驚愕の表情でユーフィリネ大公女の方を振り返る。令嬢サフィニアも遅れて、令嬢アゼリア〔仮名〕と同じ事実に思い至り、唖然として同じ方向を見やった。

流石にユーフィリネ大公女も、ハッとした顔になった。取り巻きの令嬢たちの顔が、これ以上無いほど、凍り付いた。

――いつだったか、サロンでお茶をした際にロージーに絡んだ時、ユーフィリネ大公女は何と言ったか。

――『わたくしも、見本市に出掛けておりましたの。青い目の君といらっしゃるのは、どなたなのかと思っておりましたが』

取り巻きの令嬢たちのうち一人が、「な、何よ…!」などと口ごもり、更に何か言おうと口を開いた時。

何処に潜んでいたのか、ガイ〔仮名〕占術師が意味深な笑みを浮かべながら、ふらりと現れたのであった。

「あの時、確かにおっしゃっていましたよね、ユーフィリネ大公女。見本市にて訪問したと言う、数々の業者の名前も――」

ほとんどロージーが手掛けていた冬宮の装飾。その評判が高まり、その評判に続く賛美をちゃっかりと横取りしようとして、ユーフィリネ大公女が決定的な失敗を――巨大な墓穴を掘ったという事を、その指摘は、無慈悲にも暴露していたのである。

異世界ファンタジー試作17

異世界ファンタジー5-4王宮神祇占術省:《死兆星》の相

語るに落ちる――というべきか、ライアナ神祇官の顔は蒼白だった。「イエス」だ。

「最初に申し上げておきますが、老ゴルディス卿。事例そのものが存在せず、結果から逆算した仮説レベルの物でしかありません。人の命を左右する実地調査は――人体実験は――最も忌むべきことです。問題の神祇官の持つ《天人相関係数》データが、完全な物かどうかも分かりませんし」

ライアナ神祇官の声は震えていたが、やがて、仮説の説明が始まった。

《死兆星》に完全に侵されながらも、不自然な横死を回避したケースは非常に少ないという事は、良く知られている。人工《死兆星》は、一種の《死の呪い》だ。ゆえに、《呪い返し》の考え方が適用されうるのである。それは「容疑者の不自然な死」という結果となって現れるだろう――「一対一の間で成立する、ごく単純な呪い」として考えるならば。

「今回、《死兆星》を回避した直後のローズマリー嬢の《宿命図》を分析し、別の要素が入って複雑化するであろうという仮説――というよりは、予想でしかありませんが、容疑者の不自然な死が分散する可能性がある、という予測を立てています」
「ふむ。竜体の力量差によって、人工《死兆星》は回避されうる。よって、周囲条件によっては、犯人に逃げられる――犯人を突き止められない――可能性もあるという事だな」

ガイ〔仮名〕占術師とファレル副神祇官は、「どういう事でしょう?」といわんばかりの顔つきだった。

老ゴルディス卿は「今回は、一気に3つもの事例を手に入れたからな」と言い、肩をすくめた。

ライアナ神祇官も、「《死兆星》ポイントに介入し、災厄を弾いた人たちが、揃って実力持ちでしたからね」と呆れ気味である。

つまり、こういう事だ。大物が小物の運命を左右するという基本法則に帰着するのだ。加害者は、間違いなく、ロージー、令嬢サフィニア、令嬢アゼリア〔仮名〕よりも高位の竜人である。そのまま何もなければ、彼女たちは半分以上の高確率で死亡していた。しかし、彼女たちは《死兆星》を回避したのである。

何故か。

いずれのケースも、《死兆星》活性化ポイントにおいて、保護者ないし守護者にあたる高位竜人の介入があったためだ。それにより、《死兆星》が回避された。それは同時に、人工《死兆星》を活性化した加害者は、保護者ないし守護者にあたる高位竜人よりも下位であるという事実をも示すのだ。

ガイ〔仮名〕占術師とファレル副神祇官は、納得しつつも眉根を寄せ、難しい顔をして考え込んだ。

「単純に考えると、令嬢たちより上位、我々より下位、ですか?どれくらいの貴族が、その条件に当てはまるんでしょうね」
「中堅貴族の、ほぼ全員という事になりますね」

ライアナ神祇官は、直近のロージーの《宿命図》を再読しつつ、こめかみをもみ始めた。

「仮に《呪い返し》が成功したとしても、人工《死兆星》ですから、その後どうなるかは全く予測できません。何処かの無関係な部分に飛び火されたら悲惨な事になります。今回は、《死兆星》は不十分な形で――弾かれた上澄み部分だけ――返されて、襲撃者たちに不完全な形で重なっています。襲撃者二人は、幸い、竜体としても十分に大きい力量の持ち主でしたので――死んではいませんね。どれくらい半殺しになったのかは、そちらにお任せしますが」

老ゴルディス卿は、再びあごに手を当てて考え始めた。

「ライアナ神祇官、その《呪い返し》は、どのような方法でやるのだ?」
「一応、父と夫の未完成の理論に基づけば、仕掛けられた《天人相関係数》を更に天地反転するという方法になります」
「だが、問題の不良神祇官が、完全に正しい《天人相関係数》を持っているかどうかは分からない」
「ええ、だから問題が難しくなっているんです。 《死兆星》を喜んで引き受けたいと言う程に狂った自殺志願者が必要な人数だけ用意できれば可能でしょうが、《呪い返し》にしても致命的な災厄を生み出す可能性がある以上、許される事ではありません。《天人相関係数》は文字通り、天と地と人の均衡に介入するものですから」

ライアナ神祇官は溜息をつきながら、ロージーの《宿命図》をテーブルに置いた。ファレル副神祇官が《宿命図》を手に取り、しげしげと観察し始める。やがて、ファレル副神祇官はふと思いついて、《死兆星》が出現した時の《宿命図》を懐から取り出した。後学のため、記録に取っていたのである。

《死兆星》が出現した時の《宿命図》と――《死兆星》を回避した後の《宿命図》。いずれも《神祇占術関数表》の可動範囲を超える歪み――異常変位がある。命を絶つ《死兆星》の相だ。活性化していた間、その影響で生命線が切れかかっていたという事実は、その凄まじい重圧を如実に示している。回避し、部分的に弾いた結果、20%ほどの歪みは解消したが――

「師匠、《宿命図》をオマジナイ操作する事で、《呪い返し》に準ずる効果を期待する事はできるんですか?」

一瞬、呆然とした空気が広がった。老ゴルディス卿は「まさか」と絶句している。ライアナ神祇官は再び、こめかみをもみ始めた。

――平民クラスは、「オマジナイ」感覚でしょっちゅう《宿命図》を操作する。健康運、恋愛運、金運に限られるが、小物ならではの流されやすさが、微々たるものとは言え効果を出すのだ。

「流石に、《宿命図》への干渉は、貴族クラスは難しい――でも、ローズマリー嬢は平民クラスだから…」

老ゴルディス卿は首を振り振り、「民間ならではの発想だな」と感心しきりであった。仮に何かマズイ事態が発生したとしても、平民クラスならではの個人的影響に留まる。健康運、恋愛運、金運。最悪の事態を想定したとしても、病気になったり、失恋したり、損失を出したりする程度だ(とは言え、個人的立場では心理的なショックは大きいだろう。場合によっては自殺したくなるほどに)。

ライアナ神祇官の表情には、次第に活力がみなぎってきた。無意識のうちに席を立ち、ウロウロと歩き回り始める。

「ファレル副神祇官、前と後とで、どこら辺の異常変位が――と言うか、ダメージが大きい?」
「ざっと見た限りでは、一番大きいのは恋愛運です」
「案外、ヒットしたかも知れないわ。保護者ないし守護者の種類からして――ローズマリー嬢の個人的事情もね」

ガイ〔仮名〕占術師が思わず反応した。

「ローズマリー嬢の個人的事情って、どういう事ですか?」

亀の甲より年の劫――老ゴルディス卿は、こっそりと「それを聞くのは、野暮と言うものでは無いかね」などと呟いたのであった。