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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2021年06月-08月のイラスト&ケータイ写真

【ケータイ写真】8月分

ナンチャッテ家庭菜園で収穫した野菜たち

同居ワンコの家の記念写真&ワンコ寝姿

なお、ワンコ寝姿2番は、画像編集ソフトを使用して背景を張り替えたもの。某所に展示されていた大シャコガイの写真を使用。

●2021年06月25日、制作イラストをツイッターに公開したもの

イラストタイトル『ゴリラ印ジューンブライド』
テーマ「ゴリラゴリラゴリラ」に関連して

制作時間:3時間(※10~11日間、細切れ制作タイム総合)

意外や意外の1000倍「!?」…という気持ちで制作。コミカル宣伝ポスター風。洒落&ユーモアを前面に押し出して。

●2021年07月25日、制作イラストをツイッターに公開したもの

イラストタイトル『雷電の夜』
テーマ「夜空」に関連して

制作期間=9時間(構図を考えたり、線画の整備をしたりするのに時間がかかった)
(特記事項)ファッション・デザイン画ボディの比率を参照

●2021年08月25日、制作イラストをツイッターに公開したもの

イラストタイトル『大潮』
テーマ「海」に関連して

制作期間=9時間(※10~11日間、細切れ制作タイム総合)

元イメージモデルは、茨城県・大洗(おおあらい)海岸。オーソドックスに波立つ海。湧き立つ雲海。天空の海。3種類の海のファンタジック競演。

イラストタイトル『大潮』のラフ画

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2021.08.15ホームページ更新

更新情報

▽《物語ノ本流》コーナー
http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html

第二部「タタシマ」/第九章「八重潮」全70ページ

(キャプション)不穏な思惑の漂う花洛朝廷をあとにして、一行は再び旅に出る。最終的な目的地は鎮西の国、九州。 最初の寄り道は明石海峡を渡った先の淡路島。そこでは奇怪な銅鐸盗難事件が発生していた…

制作期間3.5ヶ月となりました。

マンガハックへの公開:2021.05.04~2021.08.14の間に実施。

原稿の作業期間:2021.04.18~2021.08.13
なお、各パートをまたいで記録してある全体ノンブル番号においては、目次・表紙コミコミで、976ページに到達。


興味深い記事をメモ

●科学ニュースメディア@ナゾロジー
https://twitter.com/NazologyInfo/status/1410146587196542976

脳に光線を見せる「新しい錯覚」が見つかる
https://nazology.net/archives/91962
ある会社のロゴから新しい錯視が見つかりました。下の画像は円の中心から光の筋が見えます。この「光線」を見せる錯視は今までなかったそう。黒円の線の量が少ない箇所を明るい点と脳が誤認し、錯覚が起きるとNYUが報告しています。

2021.07.16付キャプチャ

●生物学的・脳科学的な話

「自由意思は存在するのか」という研究。

昔、治療の必要があって「左と右の脳みそを切り離す」という手術が行なわれていた事があったそうです。(今はやっていないと思います)

「自由意思は存在するのか」研究の一環で、手術の結果、左と右と別々の脳みそになった被験者さんを対象に、ある興味深い実験が行われました。

1.右側の脳みそに向かって、耳を通じて「向こうの角まで歩いて下さい」と依頼する。
2.被験者さん(右側の脳みそ)は、依頼された通りに角へ歩いて行く。
3.そこで、被験者さんの左側の脳みそに向かって、耳を通じて「あなたは何故、歩いているのですか?」と質問する。

…論理的に考えると。

左と右の脳みそは切れていて、連絡は無い筈なので。

右脳から情報を受け取っていない左脳は、「さあ?何故、私は歩いているのでしょう?何処へ?」というような反応をする筈…

4.被験者さん(左側の脳みそ)は、このように答えました「喉が渇いていたので、あの角にある自動販売機のジュースを買おうと思って歩いていたのです」

( ゚д゚)

この被験者さんは決して嘘を言った訳では無く。「本当に、自らの自由意思で(事前に依頼をされた覚えは無く!)、目的の角へ向かって歩こうと思っていた」ということでした。

そして実際、被験者さんは本当に喉が渇いていて、その目的地である角には、そのジュースを並べた自動販売機が存在していました。

( ゚д゚)

此処から先は、まだ論争が続いていて、決着していない部分であります(…だそうです)。結論は保留。

●中国の問題は『量の問題』に帰着する

世界史bot@history_theory
https://twitter.com/history_theory/status/1424902119304302594
山田慶児『混沌の海へ』朝日新聞出版 1975

中国人は、枚挙的な記述とその分類により、世界を体系的に把握しようとした。
だがそれは、世界の規則性と統一性を示しはしない。
それを把握するには別の原理が必用だった。
量的認識とパターン認識がそれである。
世界の多様性は、量への還元により一つの平面に射影される。
量的関係に何らかの規則性が発見されるならば、世界の統一的な像がその上に描き出されよう。
しかも、事物と現象の量的な把握は、国家統治や生産と流通の不可欠の手段でもある。
中国人は量的な観測・観察・測定・実験・調査・計算・記録・説明・思索のおびただしい資料を残している。
正史には志(誌)と呼ばれる部分があり、そこには量的認識の氾濫が見られる。
天体の位置と運動についての、暦計算についての、楽器の音程についての、祭器や車や衣服の規格についての、人口についての、官職の定員と俸給についての、刑法の量的規定についての、貨幣や経済政策や土木事業についての。
しかも、量は事実として投げ出されているだけでなく、量を秩序づけ、様々な量の間に連関をつけ、何らかの規則性を発見しようとする志向がそこに働いている。
中国の天文学は代数的天文学であり、ギリシアの幾何学的天文学との鮮やかな対照を示している。
天体の運動は、すべて仮想的な球面上において、赤道座標系に基づいて量的に把握される。 惑星系の幾何学的な構造は問われない。
観測された量はいくつかの現象の複合であるが、その諸要素を量的に分離しながら、ひたすら計算を進めてゆく。
それだけに、計算法の発展には目覚ましいものがあり、たとえばニュートンの補間公式に匹敵する補間法が生まれたのは6世紀、隋の時代だった。
中国人は、天体運動を自然に備わる数として捉えたのである。

面白さを感じるポイント・考

■https://twitter.com/ozakimasaya/status/1081731396865937408

ストーリーを波乱や意外性に富んだものにすることにフォーカスしてプロットを作ると、主人公がストーリーに翻弄されるだけの受け身状態になってしまう危険性がある。この場合は一旦出来たプロットをよく検証して、主人公が主体的に動き、魅力的に見えるように修正する必要がある。

■https://twitter.com/HizenHumitoshi/status/1061988795422101504

【引き込まれるプロローグの書き方】
・登場人物は少数で始める(主人公を出す)
・作品のテーマを提示する(主人公が取り組む課題を出す⇒決意&覚悟へつなげる)
・今後明かされるだろう「謎」を作る(きっかけとなる異変&事件を出す)
・独自設定は控えめに(二話目以降にも小出ししていく)
・世界観は大きく
・テンプレを使う場合は+αの独自性を示す
上記のことを前提に、しかし書きたいものを書く

■読者さんをグイグイ引っ張っていく要素は3つ

・謎(ミステリー)
・伏線(ドラマ)
・論理的決着(締め)

この3つが適切に配置されている作品は、論理的には、いずれも面白さを感じさせるパワーがある筈。

「適切に配置する」というのが難しいかも。作者さんごとに色々あると思われる。

・謎→何でも良い。
・伏線→過不足なければ何でも良い。ただし王道(テンプレ)が鉄板。
・論理的決着→ロジック破綻さえ無ければ、竜頭蛇尾でも、ぜんぜん大丈夫。

■作者さんが意外に気付いていない、見逃しやすい部分。

・伏線の配置
・キャラの配置

メインストリームを構成する「伏線の配置」「キャラの配置」要素については、キッチリ整備。商業出版であれば、編集者さんから指摘されるかな~と思われる部分。

■理想的な面白さを演出する、ストーリー演出パターン
⇒「尖る(尖っている面白さ)」と言われている部分。主人公メインに構築するのが理想。

言い換えてみると…「山になるように配置する」?

※ロジック的に美しく伏線を張る、という作業は、執筆経験が積み重なれば、何となく出来てくる、つかめて来る部分。

そこから先、「山になるように配置する」というのは、なかなか難しい。ストーリー&ドラマ演出の技術の結晶のようなものか。高難度クエスト。

■最も効果的な「伏線」ドラマとは=「鮮烈な映像として記憶に残るモノ」。

読者さんの記憶に残る事こそが重要。長編であればあるほど、「忘れがたい記憶」となる伏線の重要性が高くなる(読者さんの記憶力は、そんなに良くない)

ただし、全部の伏線ドラマをパワーアップすると、それこそ「詰め込み過ぎ」となり、「山のような形」にならない。かえって逆効果。

特に、多数のキャラが(一言の脇役キャラに至るまで)それぞれ華やかな見せ場を持つような作品は、難しい。どうしても詰め込み過ぎになり、たくさんの山が出来るため、メインの面白さが鋭く尖って来ないケースが多い。

推敲とか改稿というのは、「主峰を尖らせる」ために、数々の高い連山となっているテキストを必要最小限まで削る(というか、広大で魅力的な裾野になるように再配置する)…という作業だと思われる。

「尖る面白さ」を作り出すのは、あくまでも作者さんの筆100%。予想外の面白さ、規格外の面白さ…通常のロジック計算や経験では到達できない、神秘的な領域。

(高い山をたたえる詩歌に、「神々の座を仰ぐなり」というフレーズがあった、と記憶していますが、そんな感じ)

■原稿に、正解は無い、と言われている。

何がウケるのか。面白いのか。正解は無い。

商業出版マーケットに関しては、「そのストーリーが、どれだけ広く、速く、多くの他者との共有となりうるか(どれだけ多くの他者をスピード動員できるか)」という事のみが、基準になる。

*****

【脚本ベースのストーリー組み立て&構成】

■全体ストーリーは、エンディング(主人公が目的ゴールに到達した場面)から、逆算して考える。

エンディング⇒オープニング⇒プロットポイント1、2、と決めて行った方が、枚数オーバーになりにくい(※90分~120分制限の映画ストーリー、10万字~20万字の読切タイプのストーリーを構築しやすくなる)。

■三幕構成(序破急)=設定1:対立2:解決1。
2時間映画の場合、基本形30分:60分:30分。構成の都合により長くなったり短くなったりする。設定30分の内、最初の10分が最重要。理由は後述。

・全体ストーリーは、主人公の人生において、最も意義深い「熱い一瞬」を切り取るものとする。主人公のイキサツの全体を語る形式とは、ちゃんと区別しておく(ヒロイック・ファンタジー形式などの超・長編小説の場合は、主人公のイキサツ全体を語るのは有り)。

■セリフの表現力・説明力に頼らなければ成り立たないような脚本は、脚本としては弱い。

オープニングは「事件(ホットスタート風)」から始めるのが、セオリー。
「最初の5分~10分(小説だと最初の1000文字~2000文字)」が勝負。なおかつ、そのオープニング事件は、山場の盛り上げを期待させるくらいの、ハイレベルのテンションで、ドラマチック&ミステリアスに語られる。「ほぼ全ての伏線を含みつつ、なおかつ興味深い内容」であるのが理想。

各キャラは、完璧に演じ切る。

相手役や敵役となる「他者」が、ちゃんと表現されていない事がある。これは「ストーリーの立体感・奥行が無い」状態なので、プロット段階から大工事する必要あり。

ディテールには細心の注意。「対比」、「調和」の演出(=描写)効果を使いこなす。←これをマスターすれば、描写・演出の専門家への道が開ける。

■【脚本タブー、三大項目】観客に「つまらない」と判断される定番要素

(1)登場キャラに、設定説明セリフや、ナレーション科白を言わせる。
※初心者の脚本で多いケース。役者をやり切れていない、「他者」が的確に表現されていないパターン。観客にとっては、しらける展開。

(2)伏線の無い(伏線が非常に少ない)場面を入れる。
※初心者の脚本で多いケース。舞台セット説明だけの為のシーン。観客にとっては、労力を使う割に無意味な展開。

(3)多重の回想シーン(回想シーンの途中で、更に別の回想シーンが重複する)
※初心者の脚本で多いケース。ストーリー構成・配列に失敗している作品では、この場面が必ず出て来る。観客にとっては、退屈な(飽きて来る)展開。

*****

1.語り手は、一人称主人公や三人称主人公を超えた「汎世界キャラクター」である。

ストーリー内の出来事を振り返り、新たな発見につなげ、新たなストーリーへと牽引する「役回り」。この役回りは、ストーリー内部で活躍する各種のキャラクターには不可能な事でもある。

2.冒頭パート(書き出しパート)では、語り手は自らの状況が衝撃的である事を説明しなければならない。

ジェットコースター的なスタートは、傍観者/観客をいきなりストーリー世界に引きずり込む。重要な決断が下った瞬間、事件発生、告白、クライシス、etc。

重大な場面に立ち会った瞬間、傍観者は、他人事ならぬ興味をいだいてくれる。

3.語り手は、登場キャラクターの内面にある「個人的な動機」から話を始めるべきである。

「さあ、これから話をしよう」というスタートでは、傍観者/観客の好奇心や集中力を強く引き出すことは出来ない。

「重大事案が発生した。『ここだけの話』ということで、心ならずも秘密を明かしておくが、実は、こういう訳が…」というように、偶然に立ち会った傍観者/観客を巻き込むような始まり方(ストーリーの秘密情報を共有し始めるという状況)を構築してみよう。

4.序章パートは、「ストーリーの謎と真実」を適切に開陳するものでなければならない。

それは往々にして入れ子的な構造を持っている。ストーリーはエピソード(シーン)の織物である。

序盤から壮大な戦いの場面や謎を提示しても、すぐに了解してもらえるわけではない。伏線同士の連携を最大限に活用しつつ、片手に収まる程度、「チラ見」程度のエピソード量にまとめてみよう。

5.語り手は、ストーリー世界において、全知全能の神の如き存在であってはならない。

神視点による語りは、総じて弱い。何故なら、その語りは「ドラマ(劇的)」ではなく、単なる「出来事の連続」と、「その解説」に過ぎないからだ。感動が平坦になりがちだ。

6.そのストーリーは、ストーリー世界そのものの変容をもたらす、特別なものだ。

ストーリー構造を、単なる時系列に沿った退屈な枠組みにしてはならない。単なる出来事の列挙は、ストーリーでは無い。

登場キャラクターと、ストーリー(或いは運命)との、のっぴきならぬ対話・対立という、スリリングでダイナミックな構造を立ち上げ、ドラマ性をもって語らなければならない。

※確立した技術論・方法論のようなものは見つからなかった。「このように各要素や各シンボルを並べれば、もっとドラマチックになりそうだ」という、直感的な目論見のもとに組み立てていくやり方で良いと思われる。

繰り返すが、キャラクター同士の対話・対立構造を、神視点で語ってはならない。

それは各キャラクターの内面テーマに落とし込まれた形となるのが相応しい。各キャラクター自身の成長・変容ストーリーとして、ドラマチックに語られなければならない。

7.ストーリー「腹八分」という終わり方を意識すること。

謎のうち80%は明らかにされた、だが残りの20%は、より一層、深い謎へと沈んでいった。そういうエンディングは、そのストーリーに、偉大な余白を与える。

傍観者/観客は、謎のまま残された20%の部分に対して、好奇心と考察をいだくことを通じて、そのストーリーに単なる「意味の発見」以上のものを見い出す。

8.優れたストーリーは、新たな未知の可能性の発見へとつながる側面を持っている。

ストーリーに登場するキャラクターたちが、語り手の中にあるひとつひとつの側面(視点)であるという点を、最大限、活用しよう。ストーリー内部において、今まで気づかなかった事、知らなかった事、曖昧なままやり過ごしてしまった要素。

語り手は、各々のキャラクター視点を通じてストーリーの謎と真実を探り出し、新たな創造的な気付きを成し遂げてゆくのである。

そしてこの各々の「発見/気付き」という行為は、各要素が連携しつつ、ストーリーのクライマックス局面へと集中するベクトル構造を与えられている必要がある。この連携構造は、ストーリー途中で迷子にならないように、あらかじめプロットで綿密に計画しておいた方が良いパターンが多い。「やらせ」などの不自然感には、注意。

9.語り手の意図や思考を最も反映するメイン・キャラクターを厳選する事。

それがストーリーの基点、すなわち主人公となる。

1人の主人公だけでは不充分ということであれば、サブ主人公を用意するのもアリ。しかし、メイン・キャラクターの数は、ごくごく少数に限定しておかなければならない。

当たり前ではあるが、傍観者/観客は、数多くの視点でストーリーを眺めてくれるわけではない。かといって、神視点となると、ドラマ性やスリリングな秘密や感動が失われるため、退屈になる。


【ストーリーはエピソードの織物である】【シーンはエピソードが噴き出す"場"である】

個別のエピソードが構成するネットワークの内部に出来る空隙。

配列の間合い、距離、絵的な(空間的な)配置の間に出現してくる別の意味の時空…そういった「空白のあわいに宿ってくる(到来する)何か」が「ものがたる」という事も、無いわけではない。

ただし、時系列に沿ってエピソードが整理構築されていない場合、非常に理解されにくい作品となることが多い(人間の脳みそは、基本的に一次元的なストーリー認識をする)。

*****

■文章にかぎらず、どんな仕事も「身体化した」と言えるところまでもっていかないと、ほんとうの意味で自在に使いこなすのは難しい。そうなってはじめて「自分」を使いこなせるようになる。(しかけ人たちの企画術/後藤繁雄)