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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

青銅華炎の章・古代4

今回は、東アジア大陸の東端を外れて、ユーラシアをひとっ飛びに横断して調べてみました。主に青銅器から鉄器への移り変わりに注目して、騎馬民族の拡大にフォーカスを当てています^^

【青銅器時代から鉄器時代へ・・・ユーラシア情勢と金属文化の変遷】

殷・周の時代と、春秋戦国の時代とで、大きく異なるのは金属です。ことに、鉄の登場は、その武器としての強さからしても、大いなるエポックメーキングでありました。

鉄剣は、青銅器を易々と断ち切ってしまいます。その衝撃が、当時の人々にとって、如何に大きいものであったか…それは今となっては、想像によるしかありません。

それまでの〈前シナ文明〉の世界は、青銅祭祀に支えられてきました。鉄の衝撃によって、その青銅に付随する霊威もまた、ゴルディアスの結び目よろしく断ち切られていったのかも知れない、と想像するものであります。

例えば、呉の干将・莫邪、ないしは眉間尺(みけんじゃく)の物語に登場する、雌雄の剣。鉄の剣です。

新しい歴史神話『史記』・「刺客列伝(第26)」に登場する秦の王は、鞘から抜けないほどに強大な剣を背負い、ついにそれを引き抜き、刺客の股を切断したと語られています。その大いなる剣は、新しい金属…鉄で出来ていました。堂々たる鉄の剣。新たな時代の神話を彩る事になる、新たな主役であります。

ではどうして、その頃に、鉄が西域から到来したのでしょうか。そこにもまた、広大なるユーラシア大陸の情勢の激変が絡んでいた、と考えられています。アーリア民族の大移動、次いで遊牧騎馬民族の拡大です。最大の衝撃が、アレクサンドロス大帝国の発生です。

鉄そのものは、紀元前3500年頃には、メソポタミアで既に使われていました。当時の鉄は、隕鉄を流用したものが殆どではないかと推測されており、本格的な鉄生産・鉄使用には至らないレベルであったようです。

それでも、紀元前2000年頃には小アジアにハッティという鉄の国が出来ており、技術的には幼いながら、製鉄を行なっていたようです。

紀元前2000年を過ぎた頃の小アジアに、東からアーリア民族が侵入してきました。インド=イラン人とも言われています。彼らはハッティの製鉄の伝統を拡大し、初めて鉄鉱石を溶かす溶鉱炉で鉄を量産して、ヒッタイト文化を作ったと言われています(エジプト新王国時代・アマルナ文書、前1400年~前1350年頃)。

やがて、メソポタミア及びインダスの古代帝国は、アーリア民族の侵入で動乱時代(ゾロアスター、リグ・ヴェーダ時代)に入り、古代の青銅文明を支えていた青銅ロードが崩壊したのでは無いか…と推測されています。

青銅の衰退と共に浮上してきたのが、新たな金属、鉄でした(前1200年頃)。

次の時代の西アジアにおいては、ハッティに由来する鉄の技術が、インド=ヨーロッパ語族の間で安定して確立し始めていました。その鉄を使って大いに勢力を振るったのが、例えばアッシリア帝国であります(前8世紀頃)。

鉄文化の成熟では、中央ユーラシアの遊牧騎馬民族が大いに関わりました。

新たに発生したスキタイの騎馬民族は、黒海を通じてギリシャと青銅交易を行なっていましたが、騎馬となると、鐙(あぶみ)、轡(くつわ)などに使うには青銅は重過ぎ、薄く作る事も不可能でした。

【#】スキタイの青銅文化は、黒海沿岸に進出した古代ギリシャ植民都市の影響を強く受けた文化です。この青銅文化は、スキタイ勢力の拡大と共にユーラシア大陸を東進し、黄河中流域のオルドスに広がっていたチュルク系民族に伝わりました。(豆知識=イラン系民族の原郷はウクライナあたり。チュルク系民族の原郷はバイカル湖あたり。)東アジアのそれは、ギリシャ系スキト=シベリア文化として知られています(前7世紀頃)。

青銅文化を押しのけて、新しく登場した鉄の文化。カフカスの雄、スキタイ民族が、これを見逃すはずはありませんでした。

スキタイは速やかに鉄器文化を取り入れ、鉄製の馬具を作ったと言われています。それらを、遊牧型鉄器文化として成熟させたのが、ウラル・アルタイ族です。

アルタイ系統の鉄器生産の中心にいたのが、トルコ系の祖族であるアシナ氏族。チュルク神話に登場する始祖伝承によれば、人間と「蒼き狼」との間に出来た子孫が、後にアシナ氏族を築いたという事です。後世の高車族や突厥(チュルク)族は、ここから出たと言われています。

ちなみに、オルドス青銅器文化(前6世紀~前1世紀)は、スキト=シベリア文化の後継であると考えられており、旧地名にちなんで、綏遠文化とも呼ばれています。青銅器と鉄器の併用があったと言われている文化です。地理的には秦の故地とされる地域と近く、周の時代には、相互影響もあったと推測されています。(注意:直接の歴史記録はありません。考古学的知見による推測のみです)

殷・周の記録では、オルドスの異民族は狄と総称されています。匈奴と関係があると言われていますが、実際は明らかではありません。紀元前3世紀には、オルドス以西の地域に月氏が入り込みました。月氏の正確な系統は不明ですが、サカあるいはスキタイの系統とする考えもあるそうです。

[以上]

今のところは、ここまで…^^

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