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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

青銅華炎の章・古代5

(追記)アムゼルさまのご指摘により、一部修正です

【諸子百家の時代・・・文明の大断絶と思想の大混乱】(前)

春秋戦国時代(前770年~前221年)の思想革命とは、「怪力乱神を語らず」・・・人間理性の自覚とその普及にあります。合理的思考と太古の呪術的思考との闘い。思想的大混乱。その結果が、諸子百家の旺盛な活動でした。

周の政治権力が弱まると、文字もまた統一性を失い、地方ごとに異なる字体が発達しました。

一般に複雑な字体の方を「籀文(ちゅうぶん)」と言い、簡便な字体の方を「六国古文」と言います。漢字(=と言うより、「文字」の地域的流用=)が爆発的に広まったのは、殷・周による文字の独占が終わってからの時代・・・春秋戦国時代の事でした。

地方で発達した多様な字体は、後世に天下統一した秦によって、再び規格統一される事になります。

◆秦の字体=篆文(てんぶん)。
◆焚書は異体字を滅する為の政策という説もあり。
◆坑儒は周代以来の諸夏思想を滅する為の政策という説もあり。

春秋戦国の時代には、王道/覇道という概念が論じられました。

天下統一するには、法律(法術)・軍事・経済・外交・官僚体制といった多種多様な統治技術が必要であり、これらの成熟が、巨大帝国「秦」の誕生を促します。

「覇道」とは、大陸交易圏の急速な拡大に伴って生じてきたものであり、実に徹底した合理的思考の結晶でありました。


(少しの私見)

中国史における春秋戦国時代末期=前3世紀から前2世紀、アレクサンドロス大帝国の衝撃によって、トランスオクシアナ=マーワラーアンナフルを横断する大陸交易の市場のすさまじい拡大がありました。このことは、東アジアの果てで、「覇道」という概念が何故に発生したのかを考える際に、重要になってくると思います。

何故ならこの時期から、ユーラシア大陸交易路を横断する遊牧民族&騎馬民族の活動が大きくなり、シルクロード交易や、騎馬民族による大帝国(たとえば匈奴帝国)の時代が始まっているからです。ソグドの民、匈奴=フン族の民、クシャーナ氏の民、エフタルの民、いずれもトランスオクシアナの交易路に栄えた民でありました。

「覇道(中央集権による統治の技術)」もまた、西域から到来した概念では無かったでしょうか。東アジアもまた、アレクサンドロスによる、大いなる歴史分断の衝撃から逃げられなかったのです。

(私見、終わり)


群雄割拠と同時に起きた、思想的大混乱。この文明的カタストローフが、〈前シナ文明〉の断絶を引き起こしました。

その文明断絶の深い痕跡を、古代シナ神話の大断絶という事象に見る事が出来ます。

〈前シナ文明〉と〈後シナ文明〉とは、青銅祭祀の始原たる〈上古諸州〉の神話(=古代シナ神話=)伝承の〝血〟を受け継いだか否かによって、決定的に分断されます。

殷・周の諸王国は、〈前シナ文明〉。そして、秦・漢といった諸王国は、〈後シナ文明〉です。そしてこの間に、連続はありません。

春秋戦国時代に起きた文明的カタストローフ・・・古代シナ神話の大断絶とは、それ程に大きな出来事であったのです。秦・漢は、殷・周の後継者では、決して、あり得ないのです…

つづきは次回。古代シナ神話の断絶、という事象を、詩的・物語的に考察です

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