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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作33

異世界ファンタジー9-3告白:ボーイ・ミーツ・ガールの真相

――結局ロージーが気付いたのは、居間とつながる続き部屋の、壁の隅に沿って設置されたコーナーソファの上だった。体が冷えないように、厚手の毛布を掛けられている。厚い生地のカーテンの隙間から見える窓の外は真っ暗で、ソファ近くの低いテーブルの上にはランプが煌々ときらめいていた。夕食の時間は、とっくの昔に過ぎ去っていた。

ロージーは目を覚ました後、暫くの間ボンヤリと瞬きしていた。やがて思考がクリアになる。

ランプの光の向こうに人の気配があり、ロージーはギョッとして身じろぎした。毛布の中でバタバタするが、手に力が入らない。

「無理して起き上がらなくても構いません――気分は如何ですか、ロージー」
「監察官…」

まさしく記憶にある――そのままの、朗々とした低い声だった。男は向かい側の椅子から立ち上がると、優雅ながら自然な動作で、ロージーの頭の側で角度を持って連結されている部分の座席に、そっと腰を下ろした。

「私がジル〔仮名〕です。今まで名乗っていなかったですね、驚かせてしまって申し訳ありません」

切れ長の深い青い目が、窺うようにロージーを見ていた。ロージーは無言のまま、ジル〔仮名〕と名乗る、あの監察官を見つめていた。笑うべきか泣くべきか、それとも他の――例えば怒るべきか、改めて驚くべきか――とにかく、余りにも色々な、いわくいいがたい思いで一杯になっていて、何も言えなかったのだ。

カッチリとした宮仕えの衣服では無く、ラフな私服をまとった監察官――ジル〔仮名〕の姿を見るのは、初めてだった。男の顔には笑みは無かったが、わずかに身を乗り出してロージーに注目しているその様には、確かな気遣いが感じられた。

ロージーの思考は急に回転し、直前の記憶を振り出した。

あの時、玄関ホールからロージーを見上げて来た、その綺麗な面差しには、驚愕の表情は感じられなかったのだ。さすがに少しは、驚愕はしてはいたかも知れないが、それは枝葉末節であり、もっと別の――疑念や疑惑のような――例えば何かを確認しているかのような表情だったのだ。

ロージーは男から視線を外し、微妙に眉根を寄せた。

――最初、共同墓地で出会った時は、この男、私が「ロージー」という名前である他は、何処のどういう者なのか知らなかった――というのは、確実だ。では、何処で、ジル〔仮名〕は私が、士爵グーリアスの娘ローズマリーだと分かったのだろう?

ロージーの頭の上で、ジル〔仮名〕の溜息が落ちた。

「――ロージーは本当に、考えている事が顔に出ますね。今、私が何故に驚いていないのか、考えているんでしょう?」

ロージーは思わず、ムッとした。頭の出来が違うからでは無いだろうか。ちょっとだけ、ひがんでしまう。やがてジル〔仮名〕の大きな手が、長い指が、最初はためらうように、ロージーの白緑色の髪を撫で始めた。

「私も最初は、ロージーが誰なのか知りませんでした。私が覚えている『ローズマリー』は、肩の辺りで真っ白な髪を切り揃えていた幼体で…触れると壊れるんじゃないかと思うくらい脆い印象だったですから。私が共同墓地に行った時に探していたのは、白い髪を持っている、それらしい女性でした」

ジル〔仮名〕は言葉を切った。どういう言い方をすれば良いのか考えているらしく、目を伏せて沈黙している。やがて、ジル〔仮名〕は、あの滑らかな低い声で、また語り出した。

「私が昔、ローズマリーに《宿命の人》を感じたのは本当です。あの時は、まだ小さかったから信じる信じないは自由ですが、あの時から私にとって唯一の人でした。理屈ではありません――この辺は竜人の男なら分かりますが、説明しにくいですね」

それはそうなのだろう。身体レベルで次元の異なる対象を理解するのは、難しい。ジル〔仮名〕は『唯一の人』という形で確信したらしいが、当時のロージーが抱いたのは、幼すぎる事もあってか、淡い好意でしか無かった。

ジル〔仮名〕はロージーの白緑色の髪の感触が気に入っているらしく、いつまでも撫で続けていた。

「雑木林で、ロージーを突き飛ばしかけて――咄嗟に捕まえた身体は華奢で、とても軽かった。人体もそうですが、随分、小柄な竜体の持ち主だと思いました。すぐに気配を収めましたよ、怖がるのは目に見えていたから。今だから言えますが、ロージーと目が合った時、『ローズマリー』に感じた時とは比べ物にならない程、直感を――心を揺さぶられました」

ロージーはビックリして、ジル〔仮名〕を見上げた。――そんなに?

ジル〔仮名〕は絶妙な角度で小首をかしげ、なまめかしい流し目をくれた。ロージーは息を呑んで固まった。多忙な毎日の中、鏡の前で練習しているはずは無いし、本人は意識すらしてもいないのだろうが、最初の頃と比べて色気が数倍くらい割り増しされているような気がする。誘惑されているようだ。不意にやられると心臓に悪い。

「ロージーの白緑色の髪に触りたかったですよ、あの頃から。王宮で再会した時、触るチャンスが出来たと思いました。昔のロージーが虚弱体質だったろうという事は一目で分かったので、大人になった『ローズマリー』に触れる練習になるという心積もりもありました」

雑木林での事は奇妙に隅々まで覚えている。確かに彼は、不自然なほどにロージーの白緑色の髪をジロジロと眺め――いや、穴が開くほど見つめ、注目していた。ロージーは赤面して目をギュッと閉じ、頭を引っ込めた。一瞬、男の手から髪が離れた。

「私が、ロージーが何処の誰なのか分かったのは――あの襲撃事件からずっと後になってからの事でした」

意識を回復させた襲撃者二人の白状した内容は、ジル〔仮名〕その他の官僚を驚かせる物だった。冬宮装飾に関して、会場設営担当の令嬢を2,3人ばかり、公費流用や横流しの罪をかぶせておいて、死体にして転がすつもりだったと言う。

冬宮装飾に関する汚職の疑いが持ち上がり、監察機関は冬宮装飾の取引に関する資料を集め始めた。提出されていた正規計画書に沿った契約先のサイン証明付きの領収書に混ざって、公費流用や横流しに相当する領収書が大量に見つかったと言う。

そこで、冬宮設営に関わった令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕、そしてユーフィリネ大公女やその取り巻きの元へ、「必要とあらば証人喚問せよ」という指示を与えられた監察官スタッフと衛兵が、事情聞き取りに向かった。

勿論、令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、ロージーが関わったのは計画書に沿った物だけだと証言した。

「女官長に、冬宮装飾にまつわる取引記録を、非公式のメモを含めて提出するよう要請しました。あの入札なしの業者の領収書に関する但し書きのメモを見つけて――思わず女官長に確認しましたよ、このサインは確かに本人の物と保証できるのかと」

ジル〔仮名〕の声は、ささやきに近いものだったが、ロージーの耳には良く響いた。

(――確かに、あのメモには正式名をサインしたわ。「士爵グーリアスの娘ローズマリー」…)

「筆跡証明が使えたのは幸運でした。ロージーの潔白は証明されています」

ロージーは「そうですか」と応じた後、おや、と言う風に目をパチクリさせた。「――じゃ、誰が汚職していたんですか?その人が、襲撃者だったんですか」

「それは機密ですから今のところは話せません。王宮神祇占術省の老ゴルディス卿からロージーに出ていた《死兆星》に関して補足説明を受けましたが、ロージーの災難は本質的に"とばっちり"で、全て運の悪い偶然が重なったせいだそうです」

ジル〔仮名〕の説明が終わり、ロージーは内容を反芻し始めた。部屋の中は暫くの間、静かだった。

「――婚約破棄をしたいそうですね、ロージー。理由は、クリストフェルですか?」

ロージーの心臓が飛び上がった――そして、ランプに照らされたジル〔仮名〕の顔は、笑っていなかった。

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