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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作32

異世界ファンタジー9-2対面:その人の面差し

ロージーは緊張してしまい、いつもより茶器の片づけに手間取ってしまったが、無事メイドに茶器を引き渡せたのでホッとした。

令夫人は居間の扉の前でロージーを手招きした。ロージーは令夫人の後に従い、居間から玄関ホールに降りる階段に向かった。令夫人はロージーの先に立って階段をどんどん下りながら、「バカ息子にガツンと言ってやるわ」などと、こぶしを振り回して物騒な事を宣言しているのであった。

ロージーの心臓が、早鐘を打ち始めた。階段を下りているのだから、足をシッカリ踏みしめようとするのだが、頭がフワフワしているせいか、身体全体の感覚が頼りない。ショールをしっかり巻いているはずなのに、気が付くと震えていた。

(――ジル〔仮名〕様って、どんな人かしら?)

ロージーは階段の中ほどから、緊張しつつ、玄関ホールの方を眺めた。

先に玄関ホールでスタンバイしていた執事が玄関の扉を開け、「お帰りなさいませ」というような事を言い、一礼する。ジル〔仮名〕と思しき黒髪の若い男が、大股で入って来た。背が高く、宮仕え風のカッチリとした衣服を着ている。すっきりした体格だが、一見しただけで、その衣服の下の身体は良く鍛えられたものである事が分かった。

ロージーの前に居た令夫人が早速、息子を説教し始めた。これが日常らしく、誰も驚いている様子はない。

「まあ、まあ、ジル〔仮名〕!今頃、執事の速達に気付いたんでしょ!気付くのが遅すぎるわよ、このバカ息子!ローズマリーが、いったい何日、お前を待っていたと思ってるの!」

背の高い男がピタリと足を止め、面を上げた。心持ち長めの黒髪が揺れる。何かを言いかけるように口を開き――

令夫人の後に続くロージーと、階段の中ほどを振り仰いだ男の目が、合った。男は綺麗な顔をしていた。

「――ロージー」

低く、滑らかに響く声。余りにも深く記憶に刻まれた、あの声――ロージーは、頭が真っ白になった。

切れ長の深い青い目が、ロージーをじっと見ていた。玄関ホールの中央に立って見上げて来る男は、確かにあの監察官だ。

令夫人は、なおも説教を続けようとしていたが、ジル〔仮名〕の「ロージー」という呼び掛けに気付いて、不意に言葉を呑み込んだ。次いでジル〔仮名〕の視線の先を辿って、自分の後ろに居るロージーを振り返った。ロージーは、真っ白を通り越して蒼白になっていた。再びジル〔仮名〕を見、サッとロージーを見る。令夫人は目を見張ったまま、口をポカンとさせていた。

たっぷり一分は経過しただろうか。

若い二人は、彫刻か何かのように固まってしまったまま、お互いから視線を外そうとしない。令夫人は、キョロキョロしながらも「ね、ねえ」と声を震わせた。

「ロージーって?あなたたち、いつの間に、そんな関係に?」

知ってみれば成る程、「ローズマリー」の愛称は「ロージー」に違いないだろう。しかし、平民社会よりも遥かに様々なルールに縛られている貴族社会――愛称を呼ぶのは、余程、特別な関係で無ければ有り得ない事なのだ。そして平民出身とは言えロージーは、貴族社会に足を踏み入れるに際し、その細々としたルールを了解していたはずなのだ――

白いショールの端を、ブルブル震える手で固く握りしめていたロージーは、遂に糸が切れた操り人形のように、カクンと膝を折った。誰かが息を呑む音がした。ロージーは失神したようだ、身体がゆらりと傾き、頭が身体の傾きに従って沈んだ。ロージーの頭は、階段の手すりにぶつかってゴツンという音を立てた。

ロージーは階段の上にくずおれ、そして半ば仰向けになる形で倒れた。

令夫人が、「イヤァ?!」と叫んだ――

*****

ロージーの意識が遠くなったのは、緊張の余り息を止め、そして呼吸することを忘れていたのが原因であると言っておこう。

監察官――今や、ジル〔仮名〕卿と同一人物である事が分かった訳だが――の、動きは早かった。一段飛ばしで階段を駆け上がるとサッとロージーの身体を抱え上げ、物問いたげに令夫人の方を見やる。

令夫人は、「とりあえず居間のソファに」と指示した。

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