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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作10

異世界ファンタジー4-1前兆:呼び出し

冬宮の設営作業は最終段階である。しかし、華やかさの度を増す冬宮に対して、ロージーの心は沈むばかりであった。

――わたくしも、見本市に出掛けておりましたの。青い目の君といらっしゃるのは、どなたなのかと思っておりましたが――

ユーフィリネ大公女の言葉が、いつまでも脳内で響いた。それと共に、別棟のアーケード型回廊から垣間見た光景が思い出された。監察官とユーフィリネ大公女が手に手を取って、親しげに庭園を歩む――あれこそが、真の婚約者同士の姿。

――禁断の恋。

ロージーは、あの黒髪と青い目の監察官への思いを、ハッキリと自覚していた。

*****

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、設置が終わった数々の装飾を点検しながらも、ユーフィリネ大公女のちゃっかりぶりを話題にし、「信じらんなーい」と言い合っている。

二人はロージーに気を使って、ロージーに聞こえないところで内緒話をしているつもりなのだが、壁に耳あり障子に目ありとはよく言った物、二人が余りにも「ブツクサ・ブツクサ」いう物だから、出入りの業者も、下働きやメイドの人たちも、苦笑しながら聞き流すのみであった。

その日の冬宮の作業も済んだところで、出入りの装飾業者が一礼をしながら令嬢サフィニアに声を掛けた。

「令嬢サフィニア、植物図鑑の返却がまだされてないとか仰いましたか?」
「ええ、ガイ〔仮名〕占術師が、さっき――茶会のところで――まだ返却されてないと言ってたのよ。こっちの方はちゃんと返却してあると思うんだけど、業者の方ではどうだったかしら?」
「おかしいですな。最初の打ち合わせと視察で品々の照合に使わせて頂いた後、図版のコピーを取らせて頂きまして、その日のうちに速やかに返却しましたのでございますが。ガイ〔仮名〕占術師ご自身が返却の確認にいらっしゃいましたし」

令嬢サフィニアの脳内で、数多の疑問符がダンスを踊り始めた。

「一体、どういう事かしら?――まあ何かあれば、ガイ〔仮名〕占術師の方から、また言ってくるわよね」

*****

令嬢アゼリア〔仮名〕は婚約者とレストランで会食するとの事で、その日は早く退出して行った。空中階段の上にあるロマンチックなレストランで、夜景を楽しみつつ食事をするという。

令嬢アゼリア〔仮名〕とその婚約者は、《宿命の人》同士という訳では無いのだが、お互いに予感めいた物を感じており、縁を深めるという努力もあって、今は《宿命の人》に近い合致パターンが形成されつつあるという事だった。標準的な竜人のカップルである。

令嬢サフィニアは、今日のガイ〔仮名〕占術師の不可解な言動が大いに引っ掛かっていたようで、「これは聞き出してやるべき事柄かしら」などと言いながら、王宮占術師の事務所のスケジュール表をわざわざ取り寄せて、足の速いガイ〔仮名〕占術師を捕まえるタイミングをチェックし始めた。

ガイ〔仮名〕とサフィニアは《宿命の人》同士である。しかし、このように何とも破天荒なカップルで、ちょっと見た目には「あの人たちホントに婚約者?」と言われるような有様であった。実にお似合いの二人なのだが、知っている人よりも知らない人の方が多いという、奇妙なカップルなのである。

夕方が押し迫り、照明のチェックのやりやすい時間帯になった。

ロージーは女官長のアドバイスに従って、一緒に残った令嬢サフィニアと共に、外に面した回廊や階段を照らすランプを丁寧に見て回る。竜人は夜目が利くのでランプの必要性は余りないのだが、ここでもやはり竜体の能力が反映するのだ。ロージーの様な平民クラスの竜人になると、夜目があまり利かなくなる。ランプはむしろ、メイドや下働き、そして論功行賞で繰り上がって来た人々にとっての必需品なのであった。

静かな時間が続くと、やはり過去の思い出話が多くなる。

ロージーが、婚約者とは幼体の頃の初対面の時以来、直接顔を合わせる機会が無かった、という事を説明すると、令嬢サフィニアは「戦争中でもないのに、珍しいわね」と感想を漏らした。

ジル〔仮名〕が仮婚約している事は割と知られている話で、ロージーは「知る人ぞ知る仮面婚約者」と噂されているそうだ。社交界に出て来ないので、顔を知る人が極めて少なく、「回復力の弱い個体ゆえ顔に醜い傷が残っていて、仮面を付けて出席しているのでは」など、珍獣扱いに近いらしい。ジル〔仮名〕に友好的でない貴公子たちの間では「婚約者の顔(傷)を晒せ・作戦」もあると言う。

虚弱体質の生まれの特徴は、まず何よりも、色素のない真っ白な髪だ。体力が落ちると、髪の艶も消える。ロージーは、王宮に上がる前に髪が白緑色に染まっていてくれて良かったわと、つくづく思うのであった。

「前の王都の権力闘争では色々あったらしいし、今のギルフィル卿は、今の宰相と手を組んで権力闘争の後始末に関わる重鎮だから、かの優秀だという御子息も駆り出されて、忙殺されているってのは当然かもね。その線でローズマリーも理不尽な恨みをぶつけられる可能性はあるんだから、いつか本格的に社交界に出るようになったら、気を付けて」

今は、人脈をたどって、残党を制圧している段階だという。面倒くさい困難な仕事だが、ギルフィル卿その他の人たちの奮闘の甲斐あって敵は弱体化しており、汚職に関わった人脈を辿って、証拠隠滅にいそしむターゲットを追い詰めているところらしい。

「サフィニアは、随分詳しく知ってるんですね…」
「社交パーティに出て、社交ダンスの合間に現代時事に耳を傾けていれば、自然に小耳に挟む話よ。そういえばローズマリーは、ほとんど社交パーティに出て無かったわね。仮面婚約者の二つ名を頂くほどに」
「身体を鍛えるのに忙しかったですから。それに最近は色々あって…」
「ローズマリーが此処まで根性のある人だったなんて意外だわ。それにさっきも――茶会で取り巻きに色々嫌味を言われて――ユーフィリネ大公女にガツンと言い返した時は、ホントにこの大人しいローズマリーが?とビックリしたわよ。人は見かけによらないわね」

ロージーは苦笑した。あの時、倒れないでいられたのは、勇気とか勇敢さとは、全く関係が無い。実際に口に出した言葉とは裏腹に、あの時の自分の心を占めていたのは、嫉妬だった。

自分にはどうしても越えることができない一線、越えることが許されていない一線を、ユーフィリネ大公女は、周りの祝福を受けながら正々堂々と越えて行き、そして彼の手を取る。その事実を分かっているが故の、どうしようもない嫉妬――。

程なくして、メイドがやって来た。

「あの、業者からの連絡がありました。注文と異なる品が――それも余分な数が――入った可能性があるので、冬宮に搬入する前に一度、現物をチェックして頂きたいと。担当の者が倉庫前でスタンバイしています」

令嬢サフィニアが目を瞬かせた。このタイミングでこういうトラブルは滅多にないだけに、珍しい。

「それだったらローズマリーの方が詳しいわね。けど、深刻そうだから私も行こうかしら。王宮内のいつもの倉庫?」
「あ、いえ、そこから二つ端に離れた通路の倉庫だそうです。規定のスペースに収まらず、そちらに一時保管しているそうで」
「分かりました」

ロージーは快諾すると、改めて時刻を確認した。外の光景にも目をやる。いつの間にか、日はとっぷりと暮れていた。晩秋の夕べの空気は、キンキンと冷えている。ロージーはコートをまとうと、荷物を手に取った。

「もうこんな時間だから、倉庫に寄ったら、そのまま自宅に帰るという事で…」
「残りを済ませたら私も行くからね、ローズマリー。メイドさんも、連絡ありがとうね」

*****

ロージーが冬宮を退出して、10分ほど経った頃だろうか。

令嬢サフィニアが、残りの仕事を終え翌日のスケジュールを再確認して、いそいそとコートと荷物を取って、冬宮を退出しようと、そのエントランスに向かって身を返した時。

回廊から全力疾走中の大きな足音が響いて来た。あっという間にこちらに近づいて来ている。ただならぬ雰囲気に驚き、思わずエントランスの真ん中で棒立ちになる令嬢サフィニア。そこへ、血相を変えて、二人の男が飛び込んできたのであった。

「ガイ〔仮名〕さん?!それにそちらの方、どなた?!」

ガイ〔仮名〕占術師は、今まさに外へ出ようとしていた令嬢サフィニアの姿を確認するなり、その肩をつかんで揺さぶり、「サフィが無事で良かった!」と叫んだ。その拍子に、二人目の男の身体が、ドサッと床に落ちた。おそらくは廊下の端から端まで――王宮占術師の詰所の位置も考えると、多くの別棟をも――全力疾走してきたはずだが、流石に竜体の運動能力が高いのか、ガイ〔仮名〕占術師は全く息切れしていない。

対照的に、ガイ〔仮名〕占術師の足元に落ちていた占術師――神祇官と見える男は、物も言えない程に息を詰まらせていた。衣服が不自然にヨレヨレになっている。令嬢サフィニアはガイ〔仮名〕占術師の肩越しにその姿を確認し、目をパチクリさせた。

「もしかして、あなた、ガイ〔仮名〕占術師に抱っこされて、此処にいらしてるよね?」

――正解であった。明らかに平民クラスの者と見える哀れな若い男は、貴族クラス竜人ならではの、ガイ〔仮名〕占術師の突出した身体能力を体験し、驚愕のあまり目を回していたのであった。しかし、男はすぐさま気を取り直した。

「私は、ローズマリー嬢の祖母どのの《霊送り》を担当するライアナ神祇官の弟子、ファレル副神祇官と申します。先日観測したローズマリー嬢の《宿命図》を分析しましたところ、《死兆星》を検出しました――星が命を絶つのは今宵です。ローズマリー嬢と同時行動するご友人にも類が及ぶもので――ローズマリー嬢は、今、何処にいるんですか?!」

まさに今、令嬢サフィニアがロージーと一緒に倉庫へ向かっていれば、令嬢サフィニアも一緒に死んでいたというのだ。《死兆星》――半分以上の高確率で、不自然な死を予言する星――令嬢サフィニアは蒼白になり、一瞬、息を詰まらせた。

「あ、あの、ローズマリーは、私は、じゃなくて、倉庫よ倉庫!これから業者と話し合うところなのよ!」

令嬢サフィニアは、自分でも驚くほどの反応速度で、駆け出そうとしたガイ〔仮名〕占術師の腕をつかんだ。

「いつもの倉庫じゃないわ!二つ端に離れたところの倉庫よ!」
「分かった!」

ガイ〔仮名〕占術師は回廊から野外に飛び出すと、わずかな助走のみで弾みをつけ、冬宮と隣り合う別棟の屋根に、一気に飛び上がった。まるで超能力を使う軽業師だ。後に残された令嬢サフィニアとファレル副神祇官は、唖然とし呆然としながら、その姿が消えるのを見送るのみだった。

「あのう、あのガイ〔仮名〕様は、まさか忍者部隊の出身だったりするんですか?」
「色々やってるとは聞いてるけど。あいつの謎、また一つ増えたわね…ハッ!それどころじゃ無いわ!」

令嬢サフィニアはファレル副神祇官をせかして、常識的な手段で冬宮を飛び出したのであった。

――ここで彼らは、問題の現場に到着する遥か手前で、ガイ〔仮名〕占術師がいつの間にか手配していた王宮の衛兵たちに押しとどめられ、その保護下に入っていた事を付け加えておく。

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異世界ファンタジー試作9

異世界ファンタジー3-3茶サロンにて対峙:激情を奥底に秘め

「ねえ、あの噂、本当?!」
「まさか、ねえ、でも、ねえ…!やっぱ、身分とかアレとか、ねえ」

休憩を兼ねたティータイム。王宮の秋宮と冬宮をつなぐ棟の一角にある広々としたサロンで、王宮に上がっている貴族令嬢たちの声が、けたたましく上がった。見るからに、ゴシップに興じている風である。

ユーフィリネ大公女と取り巻きのグループ、その他の高位令嬢とその取り巻きのグループという風に、たむろする位置が分かれているのが笑える。身分差やその他の、貴族ならではの微妙な理由が重なって疎外されている下位貴族令嬢たちの多くは、華やかなグループを横目で見ながら、そんな冷ややかな感想を胸に抱くのであった。

――目下のゴシップは、今回の冬宮の会場設営で、汚職があったのではないかという内容だ。そして勿論、その俄かに湧いて来たゴシップの話題の中心人物は、名前こそ「あの彼女」という風に遠まわしではあるが、間違いなくロージーである。

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕も、サロンの隅に一席を設けてお茶をしていたが、絶え間なく流れてくるゴシップに、腹が立つやら情けないやら、散々な気分であった。どちらからともなく、こそこそと内緒話を始める。

「ねえ、ローズマリーは汚職してなかったよね」
「してないしてない。彼女、そんな人脈、無いもの。うちもだけど」
「入札なしの一件の業者に賄賂込みで頼まれて結託して…って、冗談じゃないわよ。あの業者と初顔合わせしたの、スプリング・エフェメラル装飾のレイアウト計画が固まってからの話だもの。業者の方だって、スプリング・エフェメラル装飾なんて、こちらから案を説明するまで、チンプンカンプン状態だったわよ」
「私たちで最初のレイアウトを決める時も、クロード名義で特別な植物図鑑を借りて来てもらって、相談するくらいだったもんね」
「業者からの品だけでは足らないって状態で、ローズマリーがわざわざ見本市まで足を延ばして、注文して買い付けているし」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は場の雰囲気に閉口し、野外の席に移動した。するとそこへ、女官長との話を終え、退出して来たロージーが現れた。大人しいデザインの緑のドレスに、喪に服していることを示す黒いリボン。サロンの中の令嬢たちの目が一気に、ロージーの方を向いた。

流石に鈍いロージーも、サロンの方から突き刺さるような視線を感じ、不可解そうな顔でサロンの方を慎重に見やる。

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が、「ローズマリー!」と呼び掛けながら駆け付ける。ロージーは、二人ののっぴきならぬ様子に首を傾げたが、二人の誘導に従って、サロンから距離を置いた。

――汚職の疑いがあるというゴシップが湧いて来た――その説明を二人から聞かされた後、ロージーは絶句する他なかった。監察官のアドバイスに応じて領収書にメモを付けたし、そのメモにしても女官長からサイン不備を指摘されて先ほどサインして来たばかりなのに、これは一体どういう訳なのか。

「監察官のアドバイスに、女官長の指摘?それなら潔白は証明されたような物だから、大丈夫かな」

令嬢アゼリア〔仮名〕が、ホッとしたように呟いた。そして、「それにしても何故――」と首を傾げる。令嬢アゼリア〔仮名〕の視線は、どうしてもサロンの中心人物でもあるユーフィリネ大公女の方を向いてしまう。令嬢アゼリア〔仮名〕は、ユーフィリネ大公女の性格をシッカリと見破っていた。それが、取り巻きから排除された理由でもあった――実際は、自分から飛び出してやったような物だが。

令嬢サフィニアが、いつも購読している占術雑誌を取り出し、顔をしかめた。

「うわ、不吉。この絶好の晴れ週間なのに、《死兆星》の多発に注意、ですって。《ライ=エル方式》による国家レベル速報」

令嬢アゼリア〔仮名〕とロージーは、「常識的に考えて、事故多発、あるいは反社会的勢力による暴動発生の注意警報というところではないか」と応じた。目下、冬宮への備品搬入が急ピッチなのである。《ライ=エル方式》による《死兆星》警報は、ビックリするほど的中率が高いし、とりあえず怪我には注意しましょうね、とうなづきあう三人であった。

やがて、ユーフィリネ大公女とその取り巻きが、茶会の後の優雅な野外散歩を始めた。必然というべきか見え見えというべきか、ユーフィリネ大公女とその取り巻きの集団は、三人とかち合う形になる。

「あんな破廉恥なゴシップが湧いて来るなんて、さすがアレですわね?」
「平民上がりのアレなんて、こんな物かも知れませんわねぇ、オホホ」

尊大に構えた取り巻きが早速、悪意の演奏を始めた。意味深な眼差し、不自然に上げられる口角、斜に構える立ち姿。そして、ユーフィリネ大公女はことさらに「我関せず」といった純真そうな表情をし、最初から最後まで聞こえているだろうに、取り巻きの言葉をいさめる風は無い。

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、「また始まったか」という風に聞き流している。初めてユーフィリネ大公女とその取り巻きに絡まれる事になったロージーは、硬い表情を守って、中心人物たるユーフィリネ大公女を注目した。

取り巻きによる遠まわしな当てこすりは続いた。

「アレが婚約者だなんて、ギルフィル卿も何を考えていらっしゃるのやら」
「まあオホホ、流石にあの汚職の話が公になれば、…ねぇ?」
「オホホ、ねぇ!見本市で見かけましたわよ、青い目の君と一緒のところ。身分違いのアレは、流石に、ねぇ…?」

取り巻きの令嬢たちが、如何にも「破廉恥な女」という風に、ロージーに意味深な視線を投げた。

ユーフィリネ大公女が、そこでやっと「ああ、そう言えば」と口を開いた。玉音の如き美しい声音だ。

「わたくしも、見本市に出掛けておりましたの。青い目の君といらっしゃるのは、どなたなのかと思っておりましたが――」

ロージーは、「青い目の君」というのが誰を差すのか、シッカリと直感していた――あの、監察官の事だ。

――見本市では確かに、監察官と親しく手を組んだ。それは不義密通とは行かなくても、疑われて当然の行動だった。婚約者の居る人と、恋人でもあるかのように振る舞ってしまった。そのどうにも言い訳のきかない事実が、ロージーを打ちのめした。ギルフィル卿や令夫人、そしてそしてジル〔仮名〕卿の耳に、この話が間違った内容で入ったら――と思うと、ロージーは足元が崩れるような気持ちがした。

随分久しぶりというべきか、貧血で倒れそうな感覚がグルグル回る。

――お勤め中は、動揺をあからさまに見せないように。

女官長の言葉が頭の中で繰り返し響いた。ロージーは蒼白になりながらも歯を食いしばり、言葉を押し出した。

「お言葉ですが、私に後ろ暗いところはございません」

ユーフィリネ大公女とその取り巻きが、ハッと息を呑んだ。取り巻きが顔を歪めた。何かしら激しい言葉が飛び出して来そうな気配である。令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕がさすがに気付き、先手を打とうと口を開いた。

「貸し出していた植物図鑑、まだ返却できないんですかー?」

場違いなまでに陽気な男性の声が響いた。令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が、驚きのあまり口をつぐんだ。ユーフィリネ大公女とその取り巻きも、気勢を削がれたように、ボンヤリと声の主を振り返る。

「ガイ〔仮名〕占術師ではございませんか、アージェント卿の御子息の」

どこまでも美しいユーフィリネ大公女が、淑やかに頬に手を当てて驚きを表しながら、輝くような笑みを浮かべた。流石に大公女、主だった貴公子や役人の顔は、全て頭に入っているらしい。

「相変わらず絶世の美女でいらっしゃいますね、ユーフィリネ大公女。先ほど面白そうな話を小耳に挟みましたが、あの冬季装飾の見本市にいらしたのは、まさかのユーフィリネ大公女でいらっしゃいましたか?今年の冬宮の装飾は、見本市から大胆に導入した新型モデルが含まれ、新しい定番パターン装飾の先駆になる可能性があるとかで、常ならず評判が高いとのこと」

ガイ〔仮名〕占術師は人好きのする顔に笑みを浮かべ、歯が浮くようなお世辞を一気に並べたてながら優雅な一礼をして見せた。

「まあ、耳が早くていらっしゃるのね」
「後学のために、どの店を訪ねたか聞いてみても?」
「全ての店という訳ではありませんのよ、ガイ〔仮名〕占術師。民間業者の品々は流石に選外ですしね。上から三番目のコーナーや四番目のコーナーなど――」

ユーフィリネ大公女はガイ〔仮名〕の質問に次々に応じ、取り巻きがキャアキャア言いながら 「流石ユーフィリネ大公女さま」と合いの手を入れていた。令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、「そりゃ違う」と言いたそうにしていたが、先手を取られて具体的な回答をされてしまった手前、ロージーが見本市で買い付けて来ていた事を説明できなくなってしまった。

――そう、冬宮の装飾の評判は、ロージーに帰する物ではなく、ユーフィリネ大公女に帰することが決定してしまったのだ。

異世界ファンタジー試作8

異世界ファンタジー3-2暗雲:中庭にて垣間見

多くの人が予想した通り、翌日からは、次第に冷え込みを強めながらも晴れ渡る日が続いた。

雪と曇天に包まれる冬の前の、特異週間だ。薬草のように徹底的に乾燥させるべき対象は、この週間が1年の最後のチャンスであり、薬草を扱う店が並ぶストリートでは、表通りにも裏通りにも、果ては屋根の上にも、薬草を乾燥させるための棚が溢れた。

王宮においても、冬宮の整備のラストスパートにかかっていた。

冬宮にメイドや下働きの人たちが大勢集まり、俄かに騒がしくなったため、ホッできる無人ティータイムのひと時が無くなった。それと同時に、ひそかな楽しみになり始めていた監察官の同席も無くなり、「これで、あの人との縁も一切終わりになるのだろうか」と、ロージーは一抹の寂しさを感じ始めていたのであった。

ユーフィリネ大公女は相変わらず招待客の名簿をとっかえひっかえして終わらなかったため、令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が冬宮にやって来て、ロージーと共に室内装飾の更新や配置換えの作業に取り掛かった。レイアウト計画は既に完成していたため、業者たちに指示して、所定の場所にセットするだけの単純作業が続いた。

その一方、備品として運び込んだ椅子の数が足りるかどうかが分からず、ロージーは、ユーフィリネ大公女の元を訪れ、とりあえず園遊会の来客の最大見込み数を教えてもらう事にした。ユーフィリネ大公女は、受け入れ窓口として設定した王宮内部の一室に居るはずだったが、ロージーが訪ねた時は不在だった。

ユーフィリネ大公女付きのメイドは「申し訳ありません、ローズマリー嬢」と丁重に返礼しながらも、貴族の爵位を持たないロージーを明らかに見下したような態度で、扉を閉めた。

(女官長に、前例を幾つか紹介して頂いた方が確実かも知れない…)

ロージーはそのように思い直すと、女官長が詰める一角へと足を向けた。

――そこは、王宮に上がる上流貴族の私室が集まる別棟であった。丸々とした印象の繁みを持つ常緑樹が絶妙な配置で植え付けられた庭園を、アーケード型をした回廊が巡る。その回廊は、各々別の棟と結ぶ多くの渡り廊下や空中階段とつながっていた。つまり、王宮の中でも大きな交差点となっていたのである。

その便利な交差点となっている棟の渡り廊下を通り過ぎて、女官長の元へとテキパキと歩みを進める。数人の上級貴族が思い思いに連れ立ち庭園を散策している中で、見知った人影が庭園を移動しているのに気付き、ロージーは思わず足を止めた。

(――監察官…?)

木枯らしに吹かれる黒髪。背丈が高く、カッチリとした衣服をまとった、隙のない立ち姿。秀麗な横顔は、いつもより遥かに硬質な印象だったが、確かに見覚えがあった。

(庭園に出て声を掛けてみようか)

しかしロージーはそこで、下位の者が上位の者に了解なしに話しかけるのはマナー違反であるという、貴族社会の基本的なルールを思い出した。ジル〔仮名〕の実家でもある貴族クラスの荘園邸宅で、みっちり叩きこまれた知識でもある。回廊の柱の影に身を隠したロージーは、彼の取り澄ました表情や雰囲気が驚くほど冷たいという事に気付き、一体どうしたのかと違和感を覚え、そのままそっと様子を窺い始めた。

ロージーが飛び出さなかったのは、正解だったかも知れない。

監察官の姿の隣に、この世の者とは思われぬほどに美しい貴族令嬢の姿が現れた。華やかなウェーブを持つ緑なす黒髪は滝のように腰の下まで流れ下り、冬も近い柔らかな日差しの中、黒曜石のように艶めいて輝いている。髪の一房は黄金色に輝いており、王族の血筋を引く事を示していた。目は深い青紫色。繊細さと華やかさがバランスよく同居する絶世の美貌は、いつまでも見ていたくなるような魅惑に溢れていた。上品な濃い紫色のドレスは、そんな令嬢の姿をいやが上にも引き立てている。

(――あれが、ユーフィリネ大公女?)

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が説明していた通りの姿だ。そして、聞かされていた以上に美しい。老ヴィクトール大公が溺愛する孫娘だと言うが、それも納得だ。そのまま額縁に入れて飾れば、美しい春の女神を描いた絵画の完成だ。

ユーフィリネ大公女は親しげに男に語り掛け、男はそれに返事をしているようだ。ユーフィリネ大公女はしごく淑やかな仕草で繊細な手を差し伸べ、男も応えて彼女の手を取る。とりわけ美しい二人の親密さは特別な関係を思わせた。恋人たちの姿と言うべきか――あるいは、婚約者たちの姿と言うべきか。

頭から冷水を浴びせられたように、全身が急激に冷えた。ロージーは、足を縫い付けられたかのように呆然と立ちすくんだ。

――ああ、監察官の婚約者が誰だったのか今まで謎だったけど、あのユーフィリネ大公女が――

胸が引き裂かれるように痛くて、それ以上見ていられないはずなのに、ロージーの目は勝手に美しい二人の姿を追っていた。やがて二人の姿が、奥の方に見えなくなる。たっぷり1分は棒立ちになっていただろうか、二人の姿が消えて初めて、ロージーの足は催眠術が切れたかのようにガクガクとしながらも動き始めた。再び速足で、本来の目的の棟――女官長が詰める棟――へと向かう。

上司でもある女官長は、いつものように、女官長に割り当てられた女性用執務室に居た。

厳格で知られる女官長はロージーの姿を見るなり、ピクリと眉を跳ね上げた。

「死人のように真っ白な顔をしていますよ。頬をつねりなさい。お勤め中は、動揺をあからさまに見せないように」

ピシャリとした叱責ではあったが、お蔭でロージーは王宮に行儀見習いに出仕し始めた頃の感覚を思い出した。最初はみっともなく声が震えていたが、ようやくのことで、冬宮に運び込んだ椅子の数が足りるかどうかについて、前例の記録を参考にしたいのだという本来の目的を告げることができた。

「裁判が進んで相当数の貴族が整理されていますから、今回は心配する事にはならないはずです。その代わり、論功行賞で繰り上がって来た人たちが多いので、余裕があれば下座の方にも不備が無いかどうか、チェックしておいた方が良いでしょう。冬季は1日中暗くなる日が続くから、特に壁や階段など、隅々の照明の状態に注意して」
「かしこまりました」
「あと、もう一点、領収書に添付されたメモの内容は、これで間違いありませんか」

――それはいつだったか、監察官に指摘されて追加した物だった。入札なしで決めた業者について、その理由――冬季向けの草花枠の装飾を請け負う王宮御用達の業者が、その一件しか無かった事実――を記したメモである。

「間違いありません」
「では、余白にあなたの名前をサインしておきなさい」

文書に不備があったという事なのだが、実際は、それほど大きなミスではない。ロージーは早速、正式名「士爵グーリアスの娘ローズマリー」とサインを入れる。メモを受け取った女官長はうなづき、しっかりと確認印を入れた。

「スプリング・エフェメラルのパターンとは考えましたね。王宮では数日前から、早く冬宮の新しい趣向を見てみたいと、評判になっていますよ。今までバリエーションが少なかった冬季室内装飾に、新しい定番パターンが出来る――新商品による市場活性化も期待できるかも知れません」
「ありがとうございます。いろいろと手探りが多くて――周りのご協力のお蔭です」
「開拓者(パイオニア)ならではの苦労というところですね」

そう言って、女官長は珍しく、厳しい皺が刻まれた顔に、柔らかな微笑みを見せたのであった。