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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作8

異世界ファンタジー3-2暗雲:中庭にて垣間見

多くの人が予想した通り、翌日からは、次第に冷え込みを強めながらも晴れ渡る日が続いた。

雪と曇天に包まれる冬の前の、特異週間だ。薬草のように徹底的に乾燥させるべき対象は、この週間が1年の最後のチャンスであり、薬草を扱う店が並ぶストリートでは、表通りにも裏通りにも、果ては屋根の上にも、薬草を乾燥させるための棚が溢れた。

王宮においても、冬宮の整備のラストスパートにかかっていた。

冬宮にメイドや下働きの人たちが大勢集まり、俄かに騒がしくなったため、ホッできる無人ティータイムのひと時が無くなった。それと同時に、ひそかな楽しみになり始めていた監察官の同席も無くなり、「これで、あの人との縁も一切終わりになるのだろうか」と、ロージーは一抹の寂しさを感じ始めていたのであった。

ユーフィリネ大公女は相変わらず招待客の名簿をとっかえひっかえして終わらなかったため、令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が冬宮にやって来て、ロージーと共に室内装飾の更新や配置換えの作業に取り掛かった。レイアウト計画は既に完成していたため、業者たちに指示して、所定の場所にセットするだけの単純作業が続いた。

その一方、備品として運び込んだ椅子の数が足りるかどうかが分からず、ロージーは、ユーフィリネ大公女の元を訪れ、とりあえず園遊会の来客の最大見込み数を教えてもらう事にした。ユーフィリネ大公女は、受け入れ窓口として設定した王宮内部の一室に居るはずだったが、ロージーが訪ねた時は不在だった。

ユーフィリネ大公女付きのメイドは「申し訳ありません、ローズマリー嬢」と丁重に返礼しながらも、貴族の爵位を持たないロージーを明らかに見下したような態度で、扉を閉めた。

(女官長に、前例を幾つか紹介して頂いた方が確実かも知れない…)

ロージーはそのように思い直すと、女官長が詰める一角へと足を向けた。

――そこは、王宮に上がる上流貴族の私室が集まる別棟であった。丸々とした印象の繁みを持つ常緑樹が絶妙な配置で植え付けられた庭園を、アーケード型をした回廊が巡る。その回廊は、各々別の棟と結ぶ多くの渡り廊下や空中階段とつながっていた。つまり、王宮の中でも大きな交差点となっていたのである。

その便利な交差点となっている棟の渡り廊下を通り過ぎて、女官長の元へとテキパキと歩みを進める。数人の上級貴族が思い思いに連れ立ち庭園を散策している中で、見知った人影が庭園を移動しているのに気付き、ロージーは思わず足を止めた。

(――監察官…?)

木枯らしに吹かれる黒髪。背丈が高く、カッチリとした衣服をまとった、隙のない立ち姿。秀麗な横顔は、いつもより遥かに硬質な印象だったが、確かに見覚えがあった。

(庭園に出て声を掛けてみようか)

しかしロージーはそこで、下位の者が上位の者に了解なしに話しかけるのはマナー違反であるという、貴族社会の基本的なルールを思い出した。ジル〔仮名〕の実家でもある貴族クラスの荘園邸宅で、みっちり叩きこまれた知識でもある。回廊の柱の影に身を隠したロージーは、彼の取り澄ました表情や雰囲気が驚くほど冷たいという事に気付き、一体どうしたのかと違和感を覚え、そのままそっと様子を窺い始めた。

ロージーが飛び出さなかったのは、正解だったかも知れない。

監察官の姿の隣に、この世の者とは思われぬほどに美しい貴族令嬢の姿が現れた。華やかなウェーブを持つ緑なす黒髪は滝のように腰の下まで流れ下り、冬も近い柔らかな日差しの中、黒曜石のように艶めいて輝いている。髪の一房は黄金色に輝いており、王族の血筋を引く事を示していた。目は深い青紫色。繊細さと華やかさがバランスよく同居する絶世の美貌は、いつまでも見ていたくなるような魅惑に溢れていた。上品な濃い紫色のドレスは、そんな令嬢の姿をいやが上にも引き立てている。

(――あれが、ユーフィリネ大公女?)

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が説明していた通りの姿だ。そして、聞かされていた以上に美しい。老ヴィクトール大公が溺愛する孫娘だと言うが、それも納得だ。そのまま額縁に入れて飾れば、美しい春の女神を描いた絵画の完成だ。

ユーフィリネ大公女は親しげに男に語り掛け、男はそれに返事をしているようだ。ユーフィリネ大公女はしごく淑やかな仕草で繊細な手を差し伸べ、男も応えて彼女の手を取る。とりわけ美しい二人の親密さは特別な関係を思わせた。恋人たちの姿と言うべきか――あるいは、婚約者たちの姿と言うべきか。

頭から冷水を浴びせられたように、全身が急激に冷えた。ロージーは、足を縫い付けられたかのように呆然と立ちすくんだ。

――ああ、監察官の婚約者が誰だったのか今まで謎だったけど、あのユーフィリネ大公女が――

胸が引き裂かれるように痛くて、それ以上見ていられないはずなのに、ロージーの目は勝手に美しい二人の姿を追っていた。やがて二人の姿が、奥の方に見えなくなる。たっぷり1分は棒立ちになっていただろうか、二人の姿が消えて初めて、ロージーの足は催眠術が切れたかのようにガクガクとしながらも動き始めた。再び速足で、本来の目的の棟――女官長が詰める棟――へと向かう。

上司でもある女官長は、いつものように、女官長に割り当てられた女性用執務室に居た。

厳格で知られる女官長はロージーの姿を見るなり、ピクリと眉を跳ね上げた。

「死人のように真っ白な顔をしていますよ。頬をつねりなさい。お勤め中は、動揺をあからさまに見せないように」

ピシャリとした叱責ではあったが、お蔭でロージーは王宮に行儀見習いに出仕し始めた頃の感覚を思い出した。最初はみっともなく声が震えていたが、ようやくのことで、冬宮に運び込んだ椅子の数が足りるかどうかについて、前例の記録を参考にしたいのだという本来の目的を告げることができた。

「裁判が進んで相当数の貴族が整理されていますから、今回は心配する事にはならないはずです。その代わり、論功行賞で繰り上がって来た人たちが多いので、余裕があれば下座の方にも不備が無いかどうか、チェックしておいた方が良いでしょう。冬季は1日中暗くなる日が続くから、特に壁や階段など、隅々の照明の状態に注意して」
「かしこまりました」
「あと、もう一点、領収書に添付されたメモの内容は、これで間違いありませんか」

――それはいつだったか、監察官に指摘されて追加した物だった。入札なしで決めた業者について、その理由――冬季向けの草花枠の装飾を請け負う王宮御用達の業者が、その一件しか無かった事実――を記したメモである。

「間違いありません」
「では、余白にあなたの名前をサインしておきなさい」

文書に不備があったという事なのだが、実際は、それほど大きなミスではない。ロージーは早速、正式名「士爵グーリアスの娘ローズマリー」とサインを入れる。メモを受け取った女官長はうなづき、しっかりと確認印を入れた。

「スプリング・エフェメラルのパターンとは考えましたね。王宮では数日前から、早く冬宮の新しい趣向を見てみたいと、評判になっていますよ。今までバリエーションが少なかった冬季室内装飾に、新しい定番パターンが出来る――新商品による市場活性化も期待できるかも知れません」
「ありがとうございます。いろいろと手探りが多くて――周りのご協力のお蔭です」
「開拓者(パイオニア)ならではの苦労というところですね」

そう言って、女官長は珍しく、厳しい皺が刻まれた顔に、柔らかな微笑みを見せたのであった。

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