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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

プチ雑記:ユリ根を食す

興味深い体験だったので、絵日記風に記録です(2016/1/11作成)

ユリ根に関する知識

カリウム含有量は野菜類の中ではトップクラス。100gあたり740mg

球根(ユリ根)を食用とするのは中国と日本のみ

漢方「百合(ビャクゴウ)」:滋養強壮・鎮咳・去痰・利尿・イライラ解消

※中国では古来よりイライラなどの症状に百合をよく処方したことから、ヒステリーを「百合病」と呼びならわしていたらしい

藤原京時代=祭事に用いる。ハレの日の特別メニュー的な扱いだったらしい

江戸時代=栽培食物(商品作物)として普及し、苦味が少なく食べやすい「オニユリ」も広がる。これは現在のユリ根につながる品種

日本のユリはむしろ食用のために栽培されていた物が多いが、医師シーボルトや植物学者ツンベルクらの欧米への紹介を通じて、その鑑賞価値が見い出された。以来、観賞用としてのユリ栽培も増加した

北海道でのユリ栽培が始まったのは大正時代(冷涼な気候がユリ栽培に適していた)。現在のユリ根の国内生産は、95%が北海道

栽培・・・種球から始めて6年掛かる。畑に植え付けするまでに3年、畑に植え付けてから更に3年経過して、やっと収穫できる。畑を毎年のように植え替えなければならず、一度植えた畑は最低でも7年は休ませる必要がある

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インドネシアの印象など

昨日、お知り合いの1人が、インドネシア(=余り聞いた事の無い国=)から帰ってきたので、「これ幸い☆」と、土産話など期待して、お話を聞きに行きました。

その人は、お仕事で行っていたので、その分、観光パンフレットとは異なるお話が聞けるのでは無かろうかと思いまして…^^;

往復共に、成田空港にアクセス。航空会社は、「ガルーダ・インドネシア航空」というところだったそうです。会社の名前を間違って覚えていなければ良いのですが…(自分の場合は、海外の経験が…ムニャムニャ)^^;

「インドネシアってどんな所だった?」

「…すごく暑かった(疲れた顔)」

…聞けば、帰国して、帰宅して、シャワー&風呂を済ませたなり「バタンきゅう」と眠りこけたそうな。…うーむ。インドネシアは常夏の熱帯(亜熱帯?)だそうで、気温差はこたえますね(同情)。

宿泊したホテルは「SANTIKA-PREMIER-JAKARTA/サンティカ・プレミア・ジャカルタ」ってお名前だったそうなんですが、チンプンカンプン…(「サンティカ」ってどういう意味だろうと思案していました。あとで調べてみましたが、サンスクリット語で「心の中の平安」だそうですね☆)…^^;

えーと。その人いわく。

ホテル周りの治安事情が安定しておらず、ホテル側でも、ホテルから出ずに一切の用事を済ませられるように手配してくれたそうです。長引く経済危機の余波なのかなあ、ホテル周りの街はスラム街になっていて、異臭(=死臭とか腐敗臭とか貧困生活臭とか=)がきつくて、近づきにくい印象だったらしいです。

更にその人いわく、「非常に驚愕し、非常に困ったのは…orz」

…やはり水問題だったとのこと。

上水道と下水道の接続インフラが混乱していたらしくて、水道に下水が混ざっているので、水道を飲むことは論外だし(伝染病のリスクを考えると、命懸けのチャレンジになる・汗)、水そのものの異臭からして、お風呂に使うのも考えてしまう…という環境だったそうなのです。

…聞いていて、鳥肌が立ちました。汗をかく熱帯の国で、これは無いわッ…^^;;;;;

遠目に…ではあるけど、貧困問題の深刻さをシミジミと実感したそうな…(スラム化問題とか)

インドネシア通貨は「ルピア」。でも、予算額は全部インドネシアで使いきったので、手元にはインドネシアのお金は残ってないとの事。そういえば、インドネシアは「インドネシア通貨危機」っていうのを経験していたような…

その人は、更に、「アメリカに仕事で行ったときの残りの20ドル札を数枚持っているんだが、何でドルがあんなに暴落するのかね。帰国する前の1日か2日間の間に暴落しちゃったし、その後もドンドン下がっちゃうし、円に換えようとしても換えられんぢゃ無いか!」と、プリプリして、のたまわれたのでありました。

えーと。脱線しました。

これは文化面の印象と言って良いのかどうか、インドネシアはイスラムの国なんですね。なので、夜中にいきなり「コーラン」の祈りの詠唱が始まったりして、夜はなかなか眠れなかったと言ってました。

(建物の防音性とか、スピーカー品質とかの問題なのかなあ。心臓に悪い環境だったらしい)

………イスラム教って、夜中にも起きて祈るんですね。知らなかったです。

うーむ。帰国して、いきなり「バタンきゅう」といったのは、これが原因?(と、想像)

大体、こんな感じのお話でした。

日本でも貧富の差が拡大しつつあるようですが、インドネシアの貧富の差は非常に大きくて、その落差が絶望的で、愕然とする、といったような印象だったようです。

水道などの技術的分野での社会インフラは、「政治とカネ」のパワーで解決できる数少ない問題のひとつですし、まあ、それなりに、インドネシアの事情に合う方向で解決が進んでいったら良いなと思います。経済危機のさなか、なかなかそういうのも、ムツカシイかも知れませんが…

深森イラスト習作

これまでにお勉強した装束の知識を元に、制作委員会でアレコレ衣装を組み立てており、今回はエントリのタイミングが遅くなりました(知らない事ばかりだったので、1日がかりでした・汗)

看板キャラに色々着せてみた習作(=ちょっと自信のある力作=)を、3つ公開です。イラスト担当いわく、描いてみないと分からないことも色々あるし、描いてみてからの方が気が付くことが多かったと言う事で、習作を公開です。

★第1の習作は、有名な架空の人物キャラ風。

毛が無かったり(=禿げているわけでは無い=)、ピースしていたりするのはご愛敬。うむ。束帯に似てるけど、これは布袴(ほうこ)ですね。

※「笏」の漢字が間違ってるッ…^^;;;;;;;;;;;;;

…それにしても、至高の冠をしげしげと観察してみて、大人しくて目立ちたがりでは無い普通の男性の場合、至高の地位と言うのは、結構ゴウモンに近かったのでは無かろうか…と、想像してしまったのでありました…^^;;

★第2の習作は、若い女性に見立てて細長を描いてみたもの。

ウサちゃんなのは「ウサギ年」という事で、ご愛敬。

イラスト担当いわく、「細長って本当に細長かったのね」との弁。着物の帯として、細長の帯を締めるということが、普通に行なわれていた筈、と想像。この時代には珍しく、スッキリした雰囲気の装束だったのでは無かろうか…

これはイラスト担当氏の考察なのですが、細長というのは、おそらく、宮廷出仕の可能性があろう若い女性向けに、裳唐衣(=十二単=)スタイルの練習バージョンとして活用されていたんではあるまいか…

と言うのは、裳の扱いというのは、実際はかなり大変らしいのです。

イラスト担当氏いわく、自分では裳を着用した事が無いので、バスタオルを腰に結び付けて、ある程度立ち回ってみた結果という事で…(=大きなタイプのバスタオルは、幅も長さもあるので、裳に見立てることが出来る=)

立ち居振る舞いで、正式の長袴と一緒に、長い長い裳をさばくのは、かなり大変だった筈。相当練習しないと、いざと言うときに優雅にさばけないし、クルリと方向転換したときに裳を踏みつけて転んだりする可能性があるらしい…^^;;;

※実際に、自分も、裳に見立てた掛け布団(薄物)でこけて、青あざを作ったというのがあるので、一応リアルな可能性ではあるのですね。でもお蔭サマで、裳が実際にどのようにさばかれていたのか?を想像出来たような。これは後の物語の場面で、美しい姫君と一緒に、ドラマチックに演出してみたいと思います。

御所が火事になった時などは、家財道具を抱いて逃げるのも一苦労だったのでは無かろうか…と、昔の女性に同情してしまいました。

★第3の習作は十二単で、かぐや姫サマ風。

紅の表着に、「萌黄の匂い」風の五衣に、赤い単に、紫の袴と、ブルーのパターン模様っぽいのを入れた裳(唐衣はイラスト習作の都合上、省略。この感じだと多分、紫か白の唐衣が合いそうです)。

紅(赤系統のカラー)が入ると華やかになる、と言うのがよく理解できた…とイラスト担当氏の弁。

能衣装のジャンルで、うら若い女性を表現する場合は「紅入り(いろいり)」の衣装を使う、年のいった女性を表現する場合は「紅無し(いろなし)」の衣装を使う…というのがあって、赤系統カラーの有無が、役柄の演出方法を選ぶ上で重要な区別になっているそうですが、このたびの習作で、「なるほど」と納得したものでありました…^^;

昔は、「赤(紅)=色」というくらい、濃い赤系統の色は目立つものであったらしいです。

紅の色に関わる詩歌と言えば、万葉集の歌が連想されます*^^*

  • 春の苑-紅にほふ-桃の花-下照る道に-出で立つ乙女・・・(万葉集19巻4139-大伴家持)
  • 物思(も)はず-道行く行くも-青山を-ふりさけ見れば-つつじ花-匂え娘子(をとめ)-桜花-栄え娘子-汝れをぞも-我に寄すといふ-我をもぞ-汝れに寄すといふ-荒山も-人し寄すれば-寄そるとぞいふ-汝が心ゆめ・・・(万葉集13巻3309-柿本人麻呂)