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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

読書:量子論と137の謎

『137(物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯)』拝読しました。

科学哲学史・科学思想史としても、実に興味深い内容…

当時、量子ワールドに付いて回る様々な異様な事実、つまり不確定性原理(量子レベルになると、位置と運動量を同時に決められない)などを理解するのは、非常に大変であったと言う空気が、パウリの精神異常などの懊悩を通じて伝わってくる感じです。

例えば異常ゼーマン効果は、現代物理学カリキュラムの中では割にスラッと通過してしまうパートなのですが、当時の物理学者たちは、その現象を説明するのに非常に苦労していたと…

パイオニアたちの苦闘にシンミリさせられる部分が大きかったです。

原子を取り巻く電子軌道のスペクトル線が詳細に観察されるようになると、それはバラバラとしていながらも規則的な間隔パターンを持つ=微細構造を持っているということが判明して来ました。この「スペクトル線の微細構造」が、微細構造定数の由来。

バラバラながら規則的な微細構造パターンをもって現れる、そんなスペクトル線同士の間隔を決める要素は何か。

原子の周りを運動する電子は光速に近い速度(相対論的速度)を持っているということで、電子軌道論に相対論を適用。それで、従来の電子軌道モデルの式に追加項が現れたのですが、それが微細構造定数と呼ばれる項になりました。

この微細構造定数が問題でした。それは、距離や時間、エネルギー量などといった次元を持たない、いわば裸の数字そのもの、無次元数だったのです。

最初は、この数字は、小数「0.00729…」とされていましたが、そのうち、単純化し「1/137」、後には「137」という数字として、量子論的小宇宙と相対論的大宇宙の統合を仲立ちする、最もミステリアスな数字になったのでした。

この、いわば「宇宙の数字」たる謎の数字が、パウリを含む、新しい時代の科学者たちを悩ませるようになったと言う話。

さてパウリの精神異常は、本には診断名称は書かれていませんでしたが、どうやら双極性的なモノだったようです。人格分裂の気配も見える程のモノだったようで、ユングが関わった精神治療プロセスで出て来る一連のビジョン(夢)記録は興味深い物でした。

深層部に至る際の数々の露払い的な夢イメージを通過した後、初歩的なマンダラを象徴する時計=永久機関の夢を通して、抑圧されていた部分が顔を出す。すると、次の夢では、三人だった登場人物が四人になる(=未知の一人が加わって来た)と言う場面があったそうです。

その三要素から四要素への移行は、元型における四要素が揃ったことを暗示すると言う…

パウリの場合、抑圧されていたのは思考・感情・直観・感覚の四要素のうち、感情の要素。これは、デカルト・ニュートン以来、徹底した数学的合理性を旨として発展して来た近代物理学が、無意識的に抑圧していた部分でもあったようです(思想的には、機械論的な世界観とも言えましょうか)。

そういう意味では、集合無意識というフェーズにおいては、現代物理学を代表する量子ワールドの草創期を駆け抜けた天才科学者パウリは、まさに「時代の人」であったらしく。

夢の中で、四要素で定義された正方形の場が発生すると、精神再生のドラマが始まる。その正方形の場の周りは、結界されている(心の中心に決定的に注意を向けていると、そうなるようです。人や動物がグルグル回っている、剣や柵に囲われている、城壁によって封じられている等、色々なパターンがある)。

意識(象徴数3)と無意識(象徴数4)の融合ドラマは、そういう、キッチリと結界された「聖なる場」で生じる。錬金術的には、火と水の結婚とか、硫黄と水銀とか、男女の結婚とか、そう言うイメージ・ドラマで描かれることが多く。

三要素(家父長的な三位一体)と四要素(母系社会的な四位一体)。この相容れぬシロモノの、対立と融合のドラマが生じるというフェーズは、心理的には、非常に意義深いものだそうです。

神学的な意味で言えば、三元性(男性原理or奇数要素)と四元性(女性原理or偶数要素)の根深い歴史的な対立と相克であり、数字的な意味で言えば、マンダラによって結界された正方形の場の中で、3と4が調和的に組み合わさるプロセスである(幾何イメージ的には、多くは円、球体、三角形、正方形で象徴される)。

※マリア・プロフェティサの格言『1は2となり、2は3となり、第3のものから全一なる第4のものが生じる』

治療の最終段階を彩る宇宙時計のイメージは興味深い物でした。

(参照)パウリの夢の中に出てきた「宇宙時計」(引用文があったので…)
http://blog.goo.ne.jp/sonokininatte55/e/f228aecc470bc2a90123aa37239a2717

一連の夢体験は、パウリに、物理学と心理学の融合、すなわち「無意識(超意識)の科学」というような新たなテーマをもたらしたようです。これは量子論的世界観の確立と普及に直結していくものでもあったろうと思われます。

ただ、時代的には、オカルトに注目したナチスが台頭して来た時代で、タイミングが良かったのか悪かったのかは、何とも言えません。超能力(サイキック)だとか、そういうオカルト方面への注目度が上がった事で、無意識というモノの存在が注目されるようになった、という事は言えるようです。

興味深い部分をメモ:

▼問題:感覚的知覚と我々を取り巻く世界を理解するのに不可欠な抽象的思考との関係

我々は、次から次に降り注ぐ感覚的知覚から、どのようにして概念を生み出すのだろう。
感覚的知覚は、知覚者の精神の中に知識を生む。だが、両者をつなぐ過程では何が起こっているのだろうか。
心は外界から入って来る感覚的知覚を体系づける働きを生来的には備えておらず、我々はつまづきながら経験から学んでいくと論じることができるかも知れない。だがこの場合、正確とは言えない測定結果をもとに、どのようにして数学のような厳密な科学に到達するのだろう。
これに代わるもう一つの考え方は、生まれた時から心には既にある種の体系化の原理が存在しているとすることである。元型こそが「長い間探し求められてきた架け橋としての機能を担い、感覚的知覚と観念とをつないでいる」。
「したがって、元型は自然を扱う科学的理論を発展させる上でも欠くことのできない前提条件である」。言い換えれば、元型は創造性の触媒なのである。

▼光と闇の対立の意味

相補性はそもそもは、互いに補完し合う関係にある相補的な対(ペア)―例えば波動と粒子―の間の対立という観点に立てば、量子力学的現象の理解が可能である。対立物からなる相補的な対には、これに対応するさらに深遠な元型があることを指し示しているように思われる。更に言えば、こうした相補的な対は、二本に分裂するスペクトル線によって象徴化され、分裂の幅は137(=微細構造定数)という数で特徴づけられる。

CPT対称性の提唱と、夢に出た鏡像イメージとの共時性的なくだりのエピソードも、無意識的想像力と創造性との関係という観点からして、興味深く思える内容でした。

パウリの夢も、意識と無意識の対話レベルが進んで伝達に手慣れて来ると、数学的イメージで彩られて来たそうです(実際、パウリは数学の天才だった)。虚数iとか、δ、三角関数エトセトラ…この辺は、心は、自己言及するために、意識が良く知っている知識を駆使して、無意識からのメッセージを発して来るのだなあとシミジミしました。

夢の中において1、2、3、4が良く出て来るのも、それが、心にとっては分かりやすい、基本的なパーティー概念だからかも知れません。数の概念の駆使がハイレベルになってくると、12、16、32などと言った掛け合わせ数が出て来るのだろうと言う風に思いました。32はカバラでは、至高の調和と知恵の数字だそうです(知恵に至る道の数が32。或いは、ヘブライ・アルファベット22要素とセフィロト10要素の和)

夢の中に出て来る「色」と言うのも、同じようなモノなのだろうと類推しています。白(or金)と黒が基本色みたいですが、更に色概念の駆使が進むと、赤と青(or緑)が加わるのが多いそうで。他の色(紫、黄…エトセトラ)であるパターンも多いですが、色の種類が4種類である場合は、そのまま4要素として扱えるとか…

色彩に多大な関心を抱く芸術家の場合、夢の中の情景は総天然色であるパターンが多いそうですが、こういうのがマンダラの形を取ったりして、世界各地の、多彩な宗教画のようなイメージになって来るのだろうと思いました

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ファンアート白黒絵&色彩絵2020年6月

◆秋月忍様著『神功五玉―中臣鎌足異聞』に寄せて

(https://ncode.syosetu.com/n8923ge/)

大人な鎌足は色々見かけましたが、少年な鎌足って、ほとんど無いので新鮮でした。飛鳥時代の服装は余り知らなかったので不思議な想像図になっているかも?

◆ちはやれいめい様著『とべない天狗とひなの旅』に寄せて

(https://ncode.syosetu.com/n8043ff/)

◆加純様著『テスとクリスタ』に寄せて

(https://ncode.syosetu.com/n5837di/)

◆特に対象となる作品は無いけど、何となく「戦う女主人公」系

ディキンスン721,1068,1295,1259

Behind Me — dips Eternity —
Before Me — Immortality —
Myself — the Term between —
Death but the Drift of Eastern Gray,
Dissolving into Dawn away,
Before the West begin —

`Tis Kingdoms — afterward — they say —
In perfect — pauseless Monarchy —
Whose Prince — is Son of None —
Himself — His Dateless Dynasty —
Himself — Himself diversify —
In Duplicate divine —

`Tis Miracle before Me — then —
`Tis Miracle behind — between —
A Crescent in the Sea —
With Midnight to the North of Her —
And Midnight to the South of Her —
And Maelstrom — in the Sky —
(721)
私のうしろに 永遠が沈み
私のまえには 不滅が沈む
私は その間の 束の間――
死は 東雲の灰色の漂いにすぎず
西の空が明らむまえに
霧散して 暁となる

死後には 神の国 と人は言うだろう
完璧で途切れることのない王国だと――
その王子は 無の息子
彼自身 時を超えた王朝
彼は 己れ自身を様々に変える
神の生き写しとして――

そうなれば 私の前には奇跡
私のうしろには奇跡――
その間に 海の三日月
その北は 真夜中
その南は 真夜中
そして空には 大渦巻――
(古川隆夫 訳)

Further in Summer than the Birds
Pathetic from the Grass
A minor Nation celebrates
Its unobtrusive Mass.

No Ordinance be seen
So gradual the Grace
A pensive Custom it becomes
Enlarging Loneliness.

Antiquest felt at Noon
When August burning low
Arise this spectral Canticle
Repose to typify

Remit as yet no Grace
No Furrow on the Glow
Yet a Druidic Difference
Enhances Nature now
(1068)
鳥たちよりもさらに夏おそく
草むらのかげで悲しげに
ちっちゃな群れが挙行する
人目につかぬミサを。

聖餐式は見えず
恩寵の到来もゆるやかで
ミサは物思いに沈んだ惰性となる
孤独を拡大しながら。

八月が燃えつきようとする頃
真昼というのにたいそう古めかしく
この幽霊のような聖歌はわき上がり
寂滅を表徴する

恩寵はまだ取り消されたわけではなく
輝きに影はさしていない
だがドルイド的な変化が現れて
いま「自然」をたかめる
(亀井俊介訳)

To die is not to go ―
On Doom's consummate Chart
No Territory new is staked ―
Remain thou as thou art.
(1295,st.3)
死ぬことは行くことではない
完璧の運命図には
新たな領域など印されはしない
今在るごとく在るのだ
(古川隆夫訳)

A Wind that rose
Though not a Leaf
In any Forest stirred
But with itself did cold engage
Beyond the Realm of Bird —
A Wind that woke a lone Delight
Like Separation's Swell
Restored in Arctic Confidence
To the Invisible —
(1259)
風が立った
風はしかし いかなる森の
木の葉も揺らさず
鳥の領土を遙かに超えて
ひとり冷たく吹いて行った
別離の想いの高まるような
孤独の歓喜に目覚めた風は
極北を信じ 見えない世界に
帰っていった――
(古川隆夫訳)