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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

考察メモ:近代現代の終わり&それ以後の哲学

《考察のためのメモ》

時代の転換期である今、哲学は何を問うのか?(ダイヤモンド・オンライン)

◆哲学は「人生論」ではない

「哲学」という言葉を聞いて、皆さんはどのような学問だと思われるでしょうか? この問いに対して、日本ではおそらく、「人生論」をイメージする人が多いのではないでしょうか。「人生とは何ぞや? 」とか、「いかに生くべきか? 」といった問題を考えるのが、哲学というわけです。じっさい、Amazonで「哲学・思想」ジャンルの売れ行きランキングを調べてみると、たいてい、このタイプの本が上位を占めています。
たとえば、D.カーネギーの『人を動かす』や『道は開ける』は、この部門の長年にわたるベストセラーですし、最近ではマンガまで出版されています。ところが、哲学の研究者でカーネギーを哲学者と見なす人を、私は知りません。また、哲学の学会で、彼の本が問題になることもありません。
また、日本で「哲学」という場合、「誰某の『哲学』」をイメージすることが少なくありません。たしかに、哲学の学会に参加すると、哲学者の説を紹介したり、批評したりするのが主流となっています。論文や口頭発表のタイトルは、たいてい「○○(哲学者)における△△」という形を取ります。たとえば、「ヘーゲル『論理学』における〈反省〉の構造」といったタイトルです(このタイトルは、若かったころ私の論文で使用しました)。
ここから分かるように、哲学の研究とは、歴史上の偉大な人物(哲学者)の考えを紹介したり、解釈したりすることだと見なされているのです。そのため、大学院の哲学科に入って、最初に決めることは「誰(の学説)を研究するか」になります。哲学研究とは、ある哲学者の説を詳細に理解することだ、と考えられているからです。この作業を進めるには、哲学説にかんする先行研究をサーベイ(調査)する必要があります。こうして、「(誰某)専門家」が誕生するわけです。
問題なのは、そうした哲学説の研究者が、ただ学説にとどまって、その先に向かわないことです。おそらく、ホンモノの哲学者であれば、問題とする事柄(ひとまず「具体的な現場」と呼んでおきます)に直面し、それをどう捉えるか格闘しながら、理論を作り上げていったはずです。
したがって、哲学者の学説を理解するには、研究者はその学説だけでなく、さらに具体的な現場に赴き、自らもそれと格闘しなくてはなりません。具体的な現場こそが問題であって、哲学説を理解するには、哲学者が直面したその現場に迫っていく必要があるのです。
私たちが今、生きている現代世界は二つの革命――IT革命とBT(バイオテクノロジー)革命によって、大きな転換点にあるといえます。この時代に哲学者は過去の学説研究ではなく、どのように目の前で進展しつつある世界の変化を捉えているのでしょうか。

◆現代哲学は 「人間の時代」のその次を考える?

ここであらためて「人間」概念に着目したいと思います。というのも、IT&BT(バイオテクノロジー)革命が、今までの「人間」概念を根底から変えてしまうからです。
それを確認するために、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが提示した「人間の死」という考えから始めることにしましょう。フーコーは構造主義が流行していた1960年代に、『言葉と物―人文科学の考古学』(1966年)を出版し、その最後で「人間の終わり」を次のように宣言しています。
人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれはその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが―八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば―そのときにこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。
フーコーの「人間の終わり」という考えには、ニーチェの「神の死」という思想が前提にされています。ニーチェの「神の死」という思想は『ツァラトゥストラ』(1883~85年)で語られていますが、その原型は『悦ばしき知識』(1882年)のなかで「神の殺害」という形で登場します。
「神の殺害」というニーチェの表現を使いながら、フーコーは近代における「〈人間〉の時代」と結びつけています。神を殺害することによって、「〈人間〉の時代」が始まる、というわけです。
フーコーは『言葉と物』の最後で、現代における「人間の終わり」を示唆しました。けれども、残念なことに、彼はそれ以後について何も語っていません。それに対して、「神の死」を語るニーチェは、同時に「人間」の彼方をも語っています。『ツァラトゥストラ』のなかで、彼は次のように述べているのです。
わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは乗り超えられるべきものである。あなたがたは、人間を乗り超えるために、何をしたか。(中略)人間は、動物と超人のあいだに張り渡された一本の綱である。(中略)人間において偉大な点は、彼が一つの橋であって、目的ではないことだ。
「神を殺害した人間」によって、「近代」という時代が始まりますが、ニーチェはこの「人間」を超克すべきだと主張しています。彼の言葉でいえば、「超人(人間を超える)」への道を歩まなくてはならないのです。ニーチェは予言者のようにこの言葉を繰り返していますが、まさに現代(ニーチェにとっての現代)はその始まりと言えるでしょう。
ニーチェやフーコーは、「人間の終わり」や「人間の超克」を語っていましたが、そのとき想定されていたのは「生身の人間」ではなく、あくまで「概念としての人間」でした。その点では、彼らの思想は抽象的なままだったと言えます。
ところが、バイオテクノロジーの発展によって、その思想が現実味を帯びてきたのです。こうした気配を嗅ぎとって、20世紀末に、ドイツの哲学者ペーター・スローターダイクが、バイオテクノロジーによる人間の改変を擁護しているともとれる考えを講演で発表します。
スローターダイクはその講演でニーチェの表現(「育種」)を利用しながら、「人間というものは、その内のある者が自らの同類を育種する一方で、他の者たちは前者によって育種されるような獣である」と述べました。これがまさに、人間に対する遺伝子操作の肯定と理解されたわけです。講演が行なわれたのは、「体細胞クローン羊」のニュース(1997年発表)直後ということもあって、ドイツではセンセーショナルな受け取られ方をしたのです。
このスローターダイクの講演に対して、「ドイツの良心」と呼ばれるハーバマスやその周辺の思想家たちが反発し、大きな論争になったのです。ここでスローターダイクの講演そのものの意義を確認しておきたいと思います。というのも、スローターダイクの講演は、バイオテクノロジーの問題を、歴史的な視点から捉えているからです。
スローターダイクによると、「人間」を遺伝子操作する現代は、ポスト人間主義的時代と呼ばれていますが、ここで人間主義(ヒューマニズム)という言葉には注意が必要です。周知のことですが、ルネサンス以来、人文学は「Humanities」とされますので、ヒューマニズムは「人文主義」でもあります。
つまり、ルネサンス以降の近代において、ヒューマニズムは書物による研究(人文学)であると同時に、人間を中心にした「人間主義」でもあったのです。スローターダイクは、こうした近代の「人文主義=人間主義」が現代において終焉しつつある、と宣言したわけです。
ルネサンス以降の近代社会では、印刷術によって可能となった書物の研究である「人文主義(ヒューマニズム)」と、人間を中心におく「人間主義(ヒューマニズム)」が展開されてきました。ところが、現代において、こうした近代ヒューマニズムが終焉しつつあるのです。
一方で情報通信技術の発展(IT革命)によって書物にもとづく「人文主義」が、他方で生命科学と遺伝子工学の発展(BT革命)によって「人間主義」が終わろうとしています。近代を支配した書物の時代と人間の時代が、今や終わり始めたのです。

岡本裕一朗・著

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https://twitter.com/history_theory/status/1626577394357387264

https://amazon.co.jp/dp/4396112033/
ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203)

ヒトラーの経済政策とケインズ理論の共通項として、「公共事業」の次に挙げられるのは、「金本位制からの離脱」である。

ヒトラー政権直前のドイツ経済は金の流出が続き、金融危機に陥っていた。

それを見たヒトラーは、金本位制を捨てて管理通貨制に移行したのである。

大恐慌から脱却するため各国は必死の模索を続けたが、いち早く経済を回復させたのはドイツだった。失業率33%という破綻状況をヒトラーが解決したのは奇跡とされているが、矢継ぎ早に打ち出した画期的な政策群は、結果的にケインズ理論を積極的に応用したものであることが明らかになっている。 ナチスはケインズ理論の正しさを実証した唯一の実例として後世に名を残したということになる。

これには世界中が仰天した。

他のヨーロッパ諸国は、世界大恐慌以降、金兌換の停止を行っていた。
しかしそれはあくまで一時的なものであり、金融の混乱が回復すれば金本位制に復帰するつもりだったのだ。
当時の常識では、あくまで「通貨というのは金と結びつけられることで、その信用が裏づけられる」とされていた。

「金と交換する」という保証があるからこそ、通貨は流通するのであって、金とまったく切り離された通貨など信用されないので流通しないと考えられていたのである。
しかしヒトラーは、金に結びつけない通貨制度を取り入れ、それを成功させた。

ヒトラーはドイツの労働力などを担保にして、通貨を発行したのである。

ヒトラー政権の期間、際立った金融危機やインフレは起きていない(政府崩壊後は起きたが)。
ヒトラーは通貨に関して、次のようなことを側近に語っている。
「国民に金(かね)を与えるのは、単に紙幣を刷ればいい問題である。大切なのは、作られた紙幣に見合うだけの物資を労働者が生産しているかどうかということである」

これは、通貨の本質を突いている言葉だといえる。
発行した通貨量に見合うくらいの産業力があれば、その国の通貨は安定する、ということである。
むしろ金というたったひとつの鉱物を基準に、一国の通貨量を決める方が不自然なのである。
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