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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

遥かなる青の境界

「遥かなる青の境界」を描き続けた画家が、かつて、いました。

その筋では有名なロシア画家(正しくはドイツ系ロシア人)です。一般的には、ストラヴィンスキーの『春の祭典』の着想・構想・舞台デザインに関わった美術家として知られています。ドイツ名「ニコライ・レーリヒ」。または、ロシア名「ニコライ・コンスタンチノヴィチ・リョーリフ」。

彼は、晩年はヒマラヤの画家として名をはせ、インドで没しました。ヒマラヤ・チベットを題材とした絵画で、神々しいまでのブルー表現を極めた人です

ニューヨークのレーリヒ・サイトが、ひときわ見やすいです
http://www.roerich.org/
#「the Collection」というところをクリックすると、作品のリストへ。
1924-1925、1926-1934、1935-1947(晩年期)の部分には、特に、ヒマラヤ・チベットの光景を描いた美しい絵が多く載せられています。

レーリヒが描いた「青」を見ていて、「青の境界」という連想が浮かびました。今回のタイトルの由来です。これはこれで、絵画鑑賞を通じた「青の体験」の簡略版のようなものでしょうか

さて…、『雪片曲線論』(青土社1985年)中沢新一・著に、「青の体験」について面白い事が書かれてあったので、適当に要約してみます。内容は、「高原のスピノチスト・色彩の胎生学」という章からのものです。

(著者=中沢新一は)ネパールでチベット人のラマについて向こうの密教を学んでいたとき、絵師について絵も勉強していた。絵師は注文を受けて下絵を描くと、見習いの弟子に手渡し、空の部分に教えたとおりに色をつけるように指示してゆく。ライトブルーで薄く塗った後、濃紺からライトブルーに向かって色調を変化させながら塗りこんでゆくのである。

何日も何日も空の色を塗り続け、空の部分の色が仕上がると、今度は別の、年季を積んだ弟子がその絵を引き継いで、雲、山、花々、火焔といった各所に丹念に色を付けてゆく。そして最後に絵師が、神々や仏尊の顔、衣、宝飾などの重要な部分を仕上げてゆくのである。

こんな風に、見習い弟子は、来る日も来る日も、空の青を塗り続けるのである。しかしそれは、修行と言う観点からは、極めて重要な意味を持っている。チベット密教の瞑想体験の中では、空の青が極めて根源的な重要性を持っているからである(絵師の師匠が描く空の青は極めて深く、沁み透るような青であると言う)。

密教絵画の多くは、「生起次第」という瞑想技法に関連がある。

「生起次第」とは、視覚的想像力を通じて、前方ないしは頭上に様々な神仏のイマージュを生み出したり、行者自身の身体を神仏の想像的イマージュに変容させたりする、想像力の技法である。瞑想を通じて映像イマージュの生起する意識の深層領域に下降してゆき、器官的な身体をめぐる観念を浄化しようとするのである。

「生起次第」はそのようにして、日常意識の作り上げる二元論を解体し、物質的身体そのものが想像的なイマージュとして作られてくる事や、そういうイマージュ自体、純粋な意識の力の場から生起してくることを悟らせようとするのである。

青空は、「生起次第」による心的イマージュがそこから立ち現れ、再びそこに溶融してゆく母胎-意識の原初状態そのものを指し示している。それは、多層的意識の最下層に蓄えられたバイオ・コスミックな運動性が未発の状態でみなぎっている岩盤である。多層的意識全体を包み込んでいる意識体の原初を、その青空は、表そうとしているのである。

空の青は、意識の原初と言う概念を表すものではなく、意識の原初、意識の胎児そのものを、直接体験的に表すものなのである。瞑想の修行の過程でもたらされる「青の体験」そのものなのである。

「青の体験」において、修行者の意識は、純粋な原初状態に置かれる。そこから再び現象の世界に立ち戻ってくる過程で、修行者は意識の発生と展開を辿りなおす胎生学的探求に取り組むのだ。意識の原初が内蔵する「明(リクパ)」と呼ばれる意識の種子が、自らを展開しながら、意識の多層体を作り上げてゆく様を、体験的に観察してゆくのだ。

(原初の青は、まずまばゆい「智慧」の光となって躍り出る。これを、我々は、深層意識の領域に発する内的な光として体験する。意識構造体が完成してゆくに従って、光は原初の変容するまばゆさを失い、「無明」の闇となって澱む。この「無明」の澱みが、我々の意識現象の世界を作っているのである。)

バイオ・コスミックの岩盤である意識の原初には、人間の音声言語にも展開してゆく言語の「種子」が内蔵され、この言語種子は意識の様々な層を横断しながら、それぞれの層にふさわしい言語的痕跡を残してゆく。例えば想像的イマージュの生死する深層領域で、それは真言(マントラ)となって音声化する。だが、表層的意識には、この真言が不可解な音声の塊(マッス)にしか見えない。

表層に浮かび上がった言語種子は、自と他、内と外を分離し、客観的事実を構成する表層的意識に対応したシンタックス(言語配列)を形成するが、この言語シンタックスの物質性を通して、日常のリアリティと言う最も強固な実体性を帯びた幻影が構成されるのである。そしてその幻影の背後には、すでに超越性というもうひとつの幻影が産み落とされている。この超越性の場を背景にして、人々は言語を語り合い、彼らの象徴的現実を作り上げるのだ。

引用するとき、「青の体験」以後の後半はよく分からなかったので、分からなかった部分は、そのまま意味を壊さない範囲で、抜粋してあります。

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異世界ファンタジー試作33

異世界ファンタジー9-3告白:ボーイ・ミーツ・ガールの真相

――結局ロージーが気付いたのは、居間とつながる続き部屋の、壁の隅に沿って設置されたコーナーソファの上だった。体が冷えないように、厚手の毛布を掛けられている。厚い生地のカーテンの隙間から見える窓の外は真っ暗で、ソファ近くの低いテーブルの上にはランプが煌々ときらめいていた。夕食の時間は、とっくの昔に過ぎ去っていた。

ロージーは目を覚ました後、暫くの間ボンヤリと瞬きしていた。やがて思考がクリアになる。

ランプの光の向こうに人の気配があり、ロージーはギョッとして身じろぎした。毛布の中でバタバタするが、手に力が入らない。

「無理して起き上がらなくても構いません――気分は如何ですか、ロージー」
「監察官…」

まさしく記憶にある――そのままの、朗々とした低い声だった。男は向かい側の椅子から立ち上がると、優雅ながら自然な動作で、ロージーの頭の側で角度を持って連結されている部分の座席に、そっと腰を下ろした。

「私がジル〔仮名〕です。今まで名乗っていなかったですね、驚かせてしまって申し訳ありません」

切れ長の深い青い目が、窺うようにロージーを見ていた。ロージーは無言のまま、ジル〔仮名〕と名乗る、あの監察官を見つめていた。笑うべきか泣くべきか、それとも他の――例えば怒るべきか、改めて驚くべきか――とにかく、余りにも色々な、いわくいいがたい思いで一杯になっていて、何も言えなかったのだ。

カッチリとした宮仕えの衣服では無く、ラフな私服をまとった監察官――ジル〔仮名〕の姿を見るのは、初めてだった。男の顔には笑みは無かったが、わずかに身を乗り出してロージーに注目しているその様には、確かな気遣いが感じられた。

ロージーの思考は急に回転し、直前の記憶を振り出した。

あの時、玄関ホールからロージーを見上げて来た、その綺麗な面差しには、驚愕の表情は感じられなかったのだ。さすがに少しは、驚愕はしてはいたかも知れないが、それは枝葉末節であり、もっと別の――疑念や疑惑のような――例えば何かを確認しているかのような表情だったのだ。

ロージーは男から視線を外し、微妙に眉根を寄せた。

――最初、共同墓地で出会った時は、この男、私が「ロージー」という名前である他は、何処のどういう者なのか知らなかった――というのは、確実だ。では、何処で、ジル〔仮名〕は私が、士爵グーリアスの娘ローズマリーだと分かったのだろう?

ロージーの頭の上で、ジル〔仮名〕の溜息が落ちた。

「――ロージーは本当に、考えている事が顔に出ますね。今、私が何故に驚いていないのか、考えているんでしょう?」

ロージーは思わず、ムッとした。頭の出来が違うからでは無いだろうか。ちょっとだけ、ひがんでしまう。やがてジル〔仮名〕の大きな手が、長い指が、最初はためらうように、ロージーの白緑色の髪を撫で始めた。

「私も最初は、ロージーが誰なのか知りませんでした。私が覚えている『ローズマリー』は、肩の辺りで真っ白な髪を切り揃えていた幼体で…触れると壊れるんじゃないかと思うくらい脆い印象だったですから。私が共同墓地に行った時に探していたのは、白い髪を持っている、それらしい女性でした」

ジル〔仮名〕は言葉を切った。どういう言い方をすれば良いのか考えているらしく、目を伏せて沈黙している。やがて、ジル〔仮名〕は、あの滑らかな低い声で、また語り出した。

「私が昔、ローズマリーに《宿命の人》を感じたのは本当です。あの時は、まだ小さかったから信じる信じないは自由ですが、あの時から私にとって唯一の人でした。理屈ではありません――この辺は竜人の男なら分かりますが、説明しにくいですね」

それはそうなのだろう。身体レベルで次元の異なる対象を理解するのは、難しい。ジル〔仮名〕は『唯一の人』という形で確信したらしいが、当時のロージーが抱いたのは、幼すぎる事もあってか、淡い好意でしか無かった。

ジル〔仮名〕はロージーの白緑色の髪の感触が気に入っているらしく、いつまでも撫で続けていた。

「雑木林で、ロージーを突き飛ばしかけて――咄嗟に捕まえた身体は華奢で、とても軽かった。人体もそうですが、随分、小柄な竜体の持ち主だと思いました。すぐに気配を収めましたよ、怖がるのは目に見えていたから。今だから言えますが、ロージーと目が合った時、『ローズマリー』に感じた時とは比べ物にならない程、直感を――心を揺さぶられました」

ロージーはビックリして、ジル〔仮名〕を見上げた。――そんなに?

ジル〔仮名〕は絶妙な角度で小首をかしげ、なまめかしい流し目をくれた。ロージーは息を呑んで固まった。多忙な毎日の中、鏡の前で練習しているはずは無いし、本人は意識すらしてもいないのだろうが、最初の頃と比べて色気が数倍くらい割り増しされているような気がする。誘惑されているようだ。不意にやられると心臓に悪い。

「ロージーの白緑色の髪に触りたかったですよ、あの頃から。王宮で再会した時、触るチャンスが出来たと思いました。昔のロージーが虚弱体質だったろうという事は一目で分かったので、大人になった『ローズマリー』に触れる練習になるという心積もりもありました」

雑木林での事は奇妙に隅々まで覚えている。確かに彼は、不自然なほどにロージーの白緑色の髪をジロジロと眺め――いや、穴が開くほど見つめ、注目していた。ロージーは赤面して目をギュッと閉じ、頭を引っ込めた。一瞬、男の手から髪が離れた。

「私が、ロージーが何処の誰なのか分かったのは――あの襲撃事件からずっと後になってからの事でした」

意識を回復させた襲撃者二人の白状した内容は、ジル〔仮名〕その他の官僚を驚かせる物だった。冬宮装飾に関して、会場設営担当の令嬢を2,3人ばかり、公費流用や横流しの罪をかぶせておいて、死体にして転がすつもりだったと言う。

冬宮装飾に関する汚職の疑いが持ち上がり、監察機関は冬宮装飾の取引に関する資料を集め始めた。提出されていた正規計画書に沿った契約先のサイン証明付きの領収書に混ざって、公費流用や横流しに相当する領収書が大量に見つかったと言う。

そこで、冬宮設営に関わった令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕、そしてユーフィリネ大公女やその取り巻きの元へ、「必要とあらば証人喚問せよ」という指示を与えられた監察官スタッフと衛兵が、事情聞き取りに向かった。

勿論、令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、ロージーが関わったのは計画書に沿った物だけだと証言した。

「女官長に、冬宮装飾にまつわる取引記録を、非公式のメモを含めて提出するよう要請しました。あの入札なしの業者の領収書に関する但し書きのメモを見つけて――思わず女官長に確認しましたよ、このサインは確かに本人の物と保証できるのかと」

ジル〔仮名〕の声は、ささやきに近いものだったが、ロージーの耳には良く響いた。

(――確かに、あのメモには正式名をサインしたわ。「士爵グーリアスの娘ローズマリー」…)

「筆跡証明が使えたのは幸運でした。ロージーの潔白は証明されています」

ロージーは「そうですか」と応じた後、おや、と言う風に目をパチクリさせた。「――じゃ、誰が汚職していたんですか?その人が、襲撃者だったんですか」

「それは機密ですから今のところは話せません。王宮神祇占術省の老ゴルディス卿からロージーに出ていた《死兆星》に関して補足説明を受けましたが、ロージーの災難は本質的に"とばっちり"で、全て運の悪い偶然が重なったせいだそうです」

ジル〔仮名〕の説明が終わり、ロージーは内容を反芻し始めた。部屋の中は暫くの間、静かだった。

「――婚約破棄をしたいそうですね、ロージー。理由は、クリストフェルですか?」

ロージーの心臓が飛び上がった――そして、ランプに照らされたジル〔仮名〕の顔は、笑っていなかった。

政教分離・考/中国の呪術

「政教分離・考」の余談として、「中国」についても種々思いついたことがあったので、まとめてエントリです。

「政教分離」の反対は「祭政一致」ですが、祭政一致の社会の極北として、どうしても「中国」…「中華システム」を連想してしまいます。

政教分離に必要な「識別能力」を徹底的に不必要とし、完全に削除してしまった社会が、「中国社会」のような気がします。政教分離…ではなくて、政教混沌…の大国。どうも現代の「中国」文化をじっと見ていると、「自己本位」とも言うべき「訳の分からない宗教呪術」の存在が、ほの透けて感じられます。

「訳の分からない宗教」をかもし出している「言語呪術」を、「中華」という名の言語呪術、青銅時代に由来する中原の神の恐るべき呪縛、「ロードスの呪い」…と、名付けてみています。あくまでも「個人的に観察して個人的に感じた事」なので…、他の人には、他の感じ方&考え方があると思います

(『シナにつける薬(http://marco-germany.at.webry.info/)』が、一番リアルな「中国」に迫っている論考集だと思います…)

ここで「ロードスの呪い」…と名付けてみた「訳の分からない宗教(思考癖)」、その異質さをどう表現しようか…と随分迷ったのですが、言ってみれば「あくなき正当化」、周りがどうなろうが、地球が無くなろうが(地球が無くなれば火星を「中華という器」に入れればよい)、さほど困らない…という印象を受けるのです。「私物」と「私物化」の区別がつかない社会…組織なき社会。

環境汚染に対する、恐るべき無関心さ。歴史の自己同化、権威の自己同化、国土の自己同化…万物の自己同化(または私物化)。

夏目漱石の「則天去私」は、「私」の透明化を通じて天との無限連結を期するものですが、中国の「自己本位」は、「自己同化の領域(己の意のままになる領域)」の、天に至るまでの無限膨張を期するものであるようです。「中国人」にとっては、いわゆる「組織」「環境」「体制」というのは存在しない、理解できない概念なのでは無いか…という疑念が湧いてまいります。

それは、「自己同化観念による政治支配」を無意識的に可能とする…という、恐るべきカルト性を持っているかも知れません。辺境の穏やかな農耕社会に留まっているうちは、それでも良いかも知れませんが、ハイパワー・テクノロジーを縦横に操る高度文明社会となると…やっぱり、大問題です。

たとえば、書道。中国の書道は、巨大な崖に文字を刻んだり、古人の作品に自分の讃を書き込んだりする事を尊ぶようです。いわば、自然の人造物化・私物化…人の意のままに「自然」をヒョイヒョイと動かせる事に価値がある(実際に動かせなくても、派手な政治パフォーマンスでも可)…という事になりますでしょうか。

(日本だったら、風景の無闇な人造物化や、他人の世界へのあまりにも野放図な干渉は、程々のところで控えると思うのですが…「日本列島改造計画」がかつてあった手前、あまり自信ないです…)

儒教に対する理解も、禅に対する理解も、仏教に対する理解も、もしかしたら何百年もの古(いにしえ)から、ずっと異なっていたのかも知れない…(一部の人たちの間だけの話…と思いたいですが)、そういう恐ろしい疑念も、ジワジワと湧いてまいります…

疑念はさておき…自己本位な生き方が癖になっている人々…というのは…いささか、というよりも…かなり厄介な存在です。

パートナー心理の知識に基づいての応用推察になりますが、自己本位な生き方が癖になっている人々というのは、無意識的に「自分のステータスを上げてくれそうだ」という条件が整っている環境を見つけていこう…とするので、尋常で無いくらいの影響力をもつ他人、または他国に寄生しようとする傾向があります…

だから、少し言葉はおかしいけれども、中国大陸の各地各地の「中国的民族」の人々にとっては、現在の「中華人民共和国」も他国のひとつにしか過ぎないのであり、かつ、自分の生活に甚大な影響力を及ぼす他国だから、そこに寄生している…という感覚なのかも知れない…

そして、「中華人民共和国」よりもっと強い他国があれば、あっさりと「じゃ、そこに寄生しよう」的に、服を着替えるのと同じような感覚で、国を取り替えるのかも知れない…

中国共産党はそういう傾向を良く知っているから、「我々が世界で一番強くて、偉大な国だよ」という政治パフォーマンスを繰り返しているのかも知れない…(チベットの悲劇も、そういう政治パフォーマンスの延長でしか無いとしたら…それは、『クトゥルー神話』の邪神崇拝の光景よりも、遥かに遥かにおぞましい光景だと思います)

その思考癖の上に、さらに「損得勘定」に速攻で反応する性質の人の場合、更に厄介です。自己本位という基礎がガッチリとあるだけに、「私は特別な人間だ」というプライドだけは異様に高く、その後に本当に反省する事が無いからです…そぶりだけは見せるけれども…実際には心の底から反省し、人として成長する事は、決して、無い。

他人から学び、自己啓発を通じて、苦労してまで人間的に成長したい…とは思わない。だけど、相手の成長・財力・心身に依存し、寄生し、執着して、相手を最大限利用して、自分のステータスを最高のものにするためには、どんな努力も厭わない。それが不可能になれば、寄生先の相手を切り捨てる事に、抵抗は無い。その一方で、自分ほど高貴で、気高く、情け深く、思いやりのある心の持ち主は居ないという、大きな自信と自負がある…

心理学から推察する限りでは、得てして、「自らのステータスを上げる」という目的が第一に来る場合、歴史については、意外なほどの保守的な傾向を見せます。だから…そういった人々が「新たな業績」を生み出せた(と思っている)場合、それは、他人(他民族)の衝撃、または成長の勢い、権勢、革新ぶりに寄生した末での業績である事の方が、殆どでは無いでしょうか…

以上のような、「訳の分からない思考癖・強烈な執着性」をもたらす「何か」…それは思考の可能性の呪縛・封印に他ならない「何か」であり、その想像上の永遠の牢獄を、仮に「ロードスの呪い」と名付けてみています…

想像ですが、歴史すら、自分のステータスを上げる「道具」でしかない、という習慣があるかも知れません。「ロードスの呪い」に染まった「民族」は、それ以後は、政治的ごり押しや心理的駆け引きには大活躍する事はあっても、人類史に残るような、偉大な業績を為す可能性は…おそらく無いのではないか…と、思います。

あとは…わずかな希望としては、人間と人間の相対性。最終的には、やっぱり「神」としか表現できない何か…大きな運命の導きが、「ロードスの呪い」を破り、変容と成長を促すのではないかと思います。

問題は…そういう運命の変容のビッグウェーブに乗れる感覚を、「中国人」が持っているかどうか…だと思います。(ここは、自分でも…観察していて、割と悩むところです)