忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

制作プロットのメモ「鬼ノ城」

第三部マレヒト@第二章「鬼ノ城」プロット

日付は全てストーリー上の架空の旧暦のもの

■09/08■

未明、忍者ハイタカ、リョウ、タスキ、鬼ノ城を抱える山岳のふもとで待機。

鬼ノ城の眼下に広がる位置の雑木林(忍者ハイタカ、リョウ、タスキが偵察中)幻霧たちこめる。光連衆の軍隊が予測通りの位置に居る。確認した後、別の場所で別の人の気配がしたが、すぐに消える。

訳を確かめるべく位置を探ると、乾人(大乾帝国から来た人)の死体が見つかる。殺害直後の状態。忍者リョウにとっては、聖麻邸に居た知己。

密な雑木林をただよう幻霧。やがて得体の知れぬ忍者と、捕縛された鏡が現れる。あまりにも怪異な光景。鏡が忍者ハイタカ、リョウ、タスキに気付き、助けを求める。※これも不自然。元々、鏡は訓練された忍者では無く、忍者ハイタカ、リョウ、タスキを察知する程の能力は無い。

忍者ハイタカ、リョウ、タスキが反応したところで、鏡を捕縛中の得体の知れぬ忍者が気付き、武器を手に取り急襲の構え。

忍者リョウ、一瞬の判断で刀を使う。鏡を斬り捨てると同時に、鏡を盾にしていた得体の知れぬ忍者に致死レベルの深手を負わせる。

幻霧が切れ、化けの皮が剥がれる。鏡だったものはハリボテ幻影で、得体の知れぬ忍者の正体は、忍者リョウが見破ったところによると、聖麻王室の直属の工作員トップ。忍者リョウにとっては、こちらも知己。

忍者リョウ「幻術野郎」と毒づく。実際に、呪術レベルの高い工作員トップで、幻術使い。聖麻王室では、聖麻王族の傍で華麗な衣装をまとっていた占術師・相談役。忍者リョウ、幻術使いと乾の工作員との間で諍いがあったと察知、「仲間割れか」と確認。

忍者ハイタカとタスキ、いつの間にか周辺樹木に突き刺さっていた毒針の存在に気付く。忍者リョウが刀剣を振りがてら弾いていたもの。

忍者リョウが気付いた理由:忍者リョウは、かつて暗殺指令を受けて鈴鹿峠で鏡を暗殺しようとしたとき、鏡の顔に傷をつけている。今は完治して痕も見えないが、実際に手を下していたリョウは、ちゃんと見える。幻術使いが繰り出した鏡イメージには、その傷痕が無かった。ゆえに偽物と察知できた。

幻術使いは聖麻王室の相談役として、かつて鏡の暗殺を指令した本人だが、忍者リョウの追及には応じず。しかし忍者リョウにとっては、もはやどうでも良い事。幻術使いの方は、「仲間割れか」と確認された件については、別に隠す理由も無いので肯定。乾人との諍いについては、事態が変わったため、彼を活かしておく理由がなくなり殺害したと明かす。

幻術使い、忍者リョウを説得。非公式ながら聖麻王室の血縁に連なる者として、リョウはミカボシの位置にあり、聖麻王室の中興の祖であると共に、大陸に帰還すれば聖麻の大帝国を建国できる「予言された覇者」でもある。

聖麻鏡が予言した中興の祖である。鬼ノ城の契約の箱を手に入れれば、そうなる。※乾人がこれを知れば、リョウを殺害するか、リョウを利用して大乾帝国の権勢を盤石にするか、なので、幻術使いは聖麻王室に忠実な工作員として、乾人を殺害していた。

忍者リョウ、幻術使いの誘惑を拒否。中興の祖としての、あらゆる栄光と権勢よりも、ただの職人である鏡の友人であることを選ぶ。(過去、鏡は自分では知らず、リョウの命を救ったことがある)

幻術使い、激しい失望と共に、最期の息を引き取る。同時に、夜明けが到来。

夜明け、アザミ衆のイオとエリが、忍者ハイタカ、リョウ、タスキのもとへ現れる。聖麻王室の工作員が居る事について速やかに報告しようとしていたが、その前に、聖麻王室の工作員である幻術使いは、大乾帝国の工作員と共に死体になっている状態。

次の段階へ。

鬼ノ城の天守閣。

タイミングをわきまえず押し掛けた大尊教の使者、契約の箱を寄越せ、とコトヒラ軍に迫る。現在、鬼ノ城を軍事拠点として立てこもっているのはコトヒラ派。

大尊教の使者とコトヒラ代表との会談は決裂、コトヒラ代表は、大尊教の使者を城柵に縛りつける。そこへ、夜明けと共にコンピラ軍が攻城戦を開始。大尊教の使者、真っ先に血祭りに。

コトヒラ軍、コンピラ軍、光連衆の軍、金斑・紫銅の軍、かつての紅蓮教団の忍者たちが入り乱れる乱戦に。さらに海側の方から、九鬼軍を含む瀬戸内海の海軍が、混乱が波及しないように包囲している状態。

忍者ハイタカ、リョウ、タスキ、天守閣へ潜入、コトヒラ軍の人員として囚われている御影王と類仁王を救出。天守閣は三つ巴+アルファの争いで大混乱しているところ。

紅蓮教団の代表・赤日と、光連衆・天角がにらみ合い一騎打ちとなるが、光連衆・紫銅が乱入して、両者ともに致命傷を負わせる。天角、あっさりと殺害。天角への復讐に燃えていた紅蓮教団の赤日、衝撃波を受けて、天守閣から落下。

大尊教・四国のコトヒラ派とコンピラ派は金斑・紫銅の攻撃に対して抵抗できず、戦場は血の海に。各軍がそれぞれ逃げ散る。天守閣が争奪戦の場になっていた契約の箱は、呉越同舟となったコンピラ・コトヒラ軍によって運ばれる。

瀬戸内海の海軍の特攻隊、鬼ノ城へ攻め上がる。カモさん、九鬼幸隆、良基、ネコマタ・ハイネは別動隊となり、忍者たちと協同して御影王の救出に専念。

途中で、光連衆と金斑の内戦とかち合う。別にコトヒラ・コンピラの流れ矢が大量に飛んで来る状態。

忍者たちの協力で無事に御影王の身柄を確保。ついでに類仁王も。

金斑・紫銅の軍、持ち前の戦闘力で光連群を壊滅させる。いよいよ紫銅がカモさん一行を襲撃というところで、欠き眉の豹が現れる。欠き眉と紫銅はお互いに憎しみ合う兄弟であり、互いの敵意の方が、カモさん一行への殺意よりも強烈。あっと言う間に兄弟対立へ。

コトヒラ・コンピラの流れ矢の群れ、コンピラ教主に刺さり、その命を絶つ。コンピラ教主、契約の箱を持ったまま崖を落下。流れ矢、良基に刺さる。御影王、動転。カモさんもショック。

欠き眉、紫銅を半殺しにし、コンピラ教主の死体から飛び出した契約の箱を追って、その契約の箱を偶然に拾った類仁王を殺害しようとする。直前で類仁王、かわす(単なる幸運な偶然)。

欠き眉、改めて類仁王を殺害しようとする。直前でネコマタ・ハイネが介入、類仁王の首の代わりに、ネコマタ・ハイネの首が素っ飛ぶ。ただしネコマタ・ハイネは妖怪なので死なない。

ネコマタ・ハイネと同時に、忍者ハイタカが薙刀を持って介入していた。欠き眉の「死の鎌」は、その薙刀に押し留められた状態。欠き眉、忍者ハイタカの始末を決心、一騎打ちへ。

紫銅が復活、欠き眉の動きを妨害。紫銅、欠き眉、忍者ハイタカで、予期せぬ三すくみ。

妖怪コリマタ(狐狸又)が乱入。呆然としていた類仁王の手から、契約の箱を奪い取り、高跳びして逃げる。

欠き眉と紫銅、唖然としながらも、攻撃対象を切り替え、コリマタの後を追う。コリマタの狐の尾を切り落とす。コリマタ、純粋な狸妖怪になる。

高速でその場を去るコリマタ、紫銅、欠き眉。

見送るカモさん側の方は、「幸運だったのか」とポカンとする。御影王、意識の無い良基を必死で揺さぶる。良基の胸には流れ矢が深々と刺さっているが、やがて、ネコマタ・ハイネ「生きてる」と指摘。

カモさんが確かめると、良基は本当に失神していただけだった。流れ矢は胸を貫かず、首元に下がっていたお守り袋に突き刺さって、そこで留められていた。お守り袋の中に入っていたのは翡翠の勾玉。九鬼幸隆、「翡翠は意外に粘る石だから」と納得。

ネコマタ・ハイネが、旅の前に瀬都が勾玉に何らかの呪術を施していた事を明かし、カモさんに詰め寄られる。「後で説明してもらう」

御影王の身柄確保という目的を達し、カモさん別動隊、戦場を退却。

途中、崖下の場所で、紅蓮教団の赤日を発見、瀕死の状態。

カモさんの質問に応じて、紅蓮教団の赤日、欠き眉、紫銅、胡蝶公主について説明。さらに、重陽の節句につなげて、金斑の目的を妨害する呪を唱える。欠き眉と紫銅はもちろん、恐ろしいことをやろうとしている胡蝶公主を、特に死体にしなければならない。

短い弔いの後、カモさん一行、さらに戦場の外へ向かう。流動的な戦局、呪術で難所を切り抜ける。

夕方の刻に近い。鬼ノ城の主力部隊がすべて壊滅状態と言う事で、瀬戸内海の連合軍、鬼ノ城の戦場を包囲、終戦へ向けて整理。

戦場の後始末が始まる。残党狩り。

類仁王、育ちの良さのせいで、残党狩りの光景にショック。人生観が変わる程の衝撃。

カモさん、忍者ハイタカ、タスキ、リョウ、ネコマタ・ハイネ、鏡、事態を再検討。胡蝶公主の大陸での名前はカレフテというらしい。

瀬都の謎の勾玉の呪術についても詳しく考察。以前の道成寺の妖異事件の謎に大いに関わる。

(余談)

妖怪コリマタは狐尾を切り落とされながらも、契約の箱を持ったまま四国へ高飛び。そして隠神刑部となり、四国が化け狸のメッカに?化け狸は808匹いる。

PR

制作知識:モノクロ印刷メモ

モノクロ印刷について分かったこと:
・ペーパーに高品質(ハイクオリティ)で打ち出す場合は1200dpi
・ペーパーに中品質(標準レベル)で打ち出す場合は600dpi
・ペーパーに低品質(たまに高品質Web画像)で打ち出す場合は300dpi
・Web用に標準品質の画像を打ち出す場合は72dpi

当サイトでは、コミック用パソコンには「コミックスタジオ」というソフトを積んでおりまして、「直感」により、600dpiを基準に決定してお絵かきをしていました…ので、案外、「直感」は、「的のど真ん中」を当ててた…って事になりますでしょうか…^^;;;

実は、前の印刷機が「先輩の知り合いのお下がりの、そのまたお下がり」で、えらい中古で、古いインクが固まって出てきたりするので、「ガチガチの印刷&盛り上がったインクをハタキで叩き出す」のが普通でした。

もはや忘れられた世代に相当するのか、100dpi前後レベルの印刷機であったらしく、グラデーションすら出なかったのですね(グラデーション・トーンが使えなかった)。観光案内マップなどのWeb画像はちゃんと出ていたので、余計「600dpi」というのがイメージ出来なかったです(遠い目)。

…印刷機に関するこの妙な制約が、当サイトの画風の確立に、えらく影響しているかも知れません(再び、遠い目)。

この中古の印刷機は、数ヶ月前につつがなくアセンション(=昇天)したもようで、「あの世の宇宙人の呪文のようなもの」を延々と打ち出すようになったので、貯金が溜まったのを幸い、新品の印刷機と交換しました。こちらは600dpiが素直に出てきて、600dpiの画像ってこんなにグラデーションが細かく出るのかと、ビックリしました(アセアセ)

…ちなみに〝ソフトへの初期投資はケチらずに☆〟って事で、最初から一番高い「コミックスタジオ」を購入(正直、お財布の中身が不安でしたが…)。お蔭さまで、いろいろな画像変形・描画オペレーションが使えるので、ドラマチックな場面作りに役立っているようです(600dpiレベルなので、画素処理も時間がかからずに済んでいるようです。1200dpiだと、メモリの都合もありますし、画素数を考えても、10倍から20倍くらい処理時間がかかっていたかも)…^^;

で、パソコン閲覧用の画像にして打ち出すとき、そのまま600dpiで打ち出すと、ものすごく大きくなるので(=パソコン画面からはみ出し&2MBぐらい=)、最初は訳が分からず、えらく苦労しました。500KB未満にしようとすると、点々の「謎の絵」になったり(その頃は、jpeg、gif、pngの区別も付いていませんでした)…^^;

今は、Web用画像は、png表示がメイン。今のところ、以下のような認識…

  • jpeg画像=画像データ縮小など、手を入れるたびに画質の劣化が大きく、一発勝負タイプ。フルカラー、微細グラデーションに強い。
  • gif画像=べた塗りの幾何図形の描画に向いている。画質劣化なし。複雑な画像になると、指数関数的にデータが重くなる。
  • png画像=gifに似て、手を入れても画質劣化なし(pngデータ圧縮ソフトは、フリーで色々出ている)。複雑な画像にも強いが、フルカラー並に色数が多いと、指数関数的にデータが重くなる。

当サイトのイラストは、線描をハッキリさせた、グラデーションを含まないモノクロ画像という事もあって、減色で軽くしています。16色でも256色と遜色なく見られますし、16色を切ると100KB未満に落とせるので、転送データ圧縮の点でも助かっています。16色未満でも結構見られるのは、旧世代の印刷機に鍛えられたからなのか、それとも技術がまだまだという事なのか…ちょっと悩み&苦笑

…画像縮小の際に科白の文字がつぶれて、ハッキリと読めなくなるのが大問題だなあと思っていましたので、ここだけは、科白を「ちまちまと」カキコしている訳です…(=付属のペイントを使っています。将来、スクリーン画像の文字を認識して読み上げるような福祉ソフトの進化があれば、ペイントで書いた定型的な文字だし、コマ割りも直方形のみですし、スムーズに対応できるのでは…と、予想しています)…;^^ゞ

こうしてみると、生身の人体(及び脳みそ)って、実はものすごく精妙な感覚機能・描画再現機能を持っているのだなあと、改めて、大自然の神秘を、シミジミと感じるのであります。

★ついでの追加★《モノクロ印刷・おまけの資料》

☆ペーパーサイズ/ピクセル値の相関比率をまとめた表
http://www.benricho.org/size_scale/pixel.html
☆計算できるページもついていて、とっても便利だと思うのです
http://www.benricho.org/size_scale/pixel_conv.html

出雲から出土した遺物と神社配置についてのメモ

参考書籍『海と列島文化2日本海と出雲世界』小学館1991

*****

●出雲神宝事件(日本書紀、崇神天皇60年の条)

『日本書紀』巻第五

崇神天皇は群臣に詔して「武日照命(たけひなてるのみこと)、別名武夷鳥(たけひなとり)、あるいは天夷鳥(あめのひなどり)が天から持って来られたという神宝が出雲大神(いずもおおみかみ)の宮に収蔵してあるのだが、これを見たい」とおっしゃられた。

そこで、使者として、矢田部造の遠い祖先である武諸隅(たけもろすみ)、別の書には大母隅(おおもろすみ)と伝わっている武将を遣わして献上させた。

このとき、神宝を管理していたのは出雲臣の遠い祖先である出雲振根(いずものふるね)であったが、筑紫国へいっていて留守だったので、弟の飯入根(いいいりね)が(独断で)皇命をうけて弟の甘美韓日狭(うましからひさ)と息子の鸕濡渟(うかずくぬ)につけて、神宝を貢上してしまった。

筑紫から帰ってきた振根はこのことを聞いて、弟を責めた。

「数日待つべきであった。何を恐れてたやすく神宝を差し出したのか」

心の傷が癒えなかったのか、そのことを何年も根に持った振根は、弟を殺そうと思い立った。

「このごろ、止屋(やむや、現在の島根県出雲市今市町・大津町・塩谷町付近)の淵にあさざが生い茂っている。一緒に行って見て欲しい」

こう言って、弟を誘い出した。

淵のほとりに辿り着いて、兄は弟に言った。

「淵の水が清い。どうか一緒に水浴をしないか」

そう言って、弟を誘いだし、先に陸にあがって、弟の刀をあらかじめ作っておいた本物そっくりの自分の木刀とすり替えた。弟は驚いて兄の木刀を手にとったが、木刀を抜くことはできなかった。そして、振根は飯入根を斬り殺してしまった。

時の人はこの情景を以下のように和歌に詠んだ。

や雲立つ 出雲梟帥(いづもたける)が 佩ける大刀 黒葛(つづら)多(さは)巻き さ身無しに あはれ

飯入根の弟と子供は、このことを詳しく朝廷に訴えた。その結果、振根は天皇の遣わした将軍、吉備津彦(きびつひこ)と武渟川別(たけぬなかわけ)によって殺されてしまった。

その後、出雲臣はしばらく出雲大神を祭らぬままでいたが、丹波国氷上郡(現在の兵庫県丹波市氷上町あたり)の女性で氷香戸辺(ひかとべ)という人が、皇太子・活目尊(いくめのみこと、正しくは活目入彦五十狭矛尊(いくめいりびこいさち の みこと)に自分の幼子が歌っている歌を伝え、その結果、天皇は鏡を祭らせた、という。

この8年後に崇神天皇は崩御している。

『書紀』巻第六によると、(上記の出来事から34年後の)垂仁天皇26年には、天皇の命で大連の物部十千根(もののべ の とおちね)が、出雲に神宝の検校をしにいったと伝えられている。

●氷香戸辺の幼子が歌ったとされる歌

「玉菨鎮石(たまものしづし) 出雲人(いづもひとの)祭(いのりまつ)る 真種(またね)の甘美鏡(うましかがみ) 押し羽振る 甘美御神(うましみかみ)、底宝(そこたから)御宝主(みたからぬし) 山河(やまがは)の水泳(みくく)る御魂(みたま) 静挂(しづか)かる甘美御神、底宝御宝主」

●出雲、命主神社から出土した物

・勾玉…越、糸魚川産。透明な緑色・大玉の品で、極めて希少な優品。出雲オオクニヌシが越ヌナカワヒメに求婚した件など、出雲と越の強いつながりを暗示させる。

・銅戈…筑紫の様式。出雲と筑紫の交流をうかがわせる。

●荒神谷遺跡(斐川町・神庭)

出土した物

・銅剣358本。出雲産。4列に整然と並べられて埋められていた。A列=34本、B列=111本、C列=120本、D列=93本

・銅矛16本。筑紫産。「中細形」2本、「中広形」14本。「中広形」のうち4本は、研ぎ分けによる綾杉紋がある。なお筑紫国では、弥生中期に刃部分が巨大化し始めた「細形」、弥生後期に巨大化した「広形」がある。

・銅鐸6個。近畿エリア産。

注目点…【銅剣が地下に埋納されている】草薙剣が熱田神宮で保管されている方式に通じる=剣を納めた箱を「二重に赤土にて包めり」

注目点…【荒神谷祭祀(~10世紀まで継続されていた?)】推測

島根大学理学部による「考古地磁気測定」データ※熱残留磁気。イタリアで古代土器を使って過去の地磁気の変化を研究したのが始まりで、遺跡・遺物の年代知る方法として発展。特に高熱、長期間にわたって土器を焼いた窯、古代の製鉄炉などで有効。ちょっと焚火をしただけでは熱残留磁気(赤土の中の鉄分が含む磁気)が残らないため。

荒神谷遺跡では、土器を焼いた窯や製鉄などの設備は無いので、本来は熱残留磁気が出て来る場所ではない
⇒しかし、出て来た。相当に長期間、高熱で何かを焼いていた証。多くの何かを焼いた証の焼土層、炭化物も多く観察された、と報告されている。

熱残留磁気の測定で得られる年代は、同一の地面が反復して熱せられたとすると、その最後の年代であると推定される。

荒神谷遺跡・銅剣の埋納エリアではAD950±100年、AD590±30年の二つの年代が示された。また、銅剣が埋納されていた斜面下エリアでは、AD1250±80年を示した。なお、別途、AD250±80年というデータも示された(※古い年代の焼土層が移動して堆積した?)

荒神谷遺跡では、場所によっては、60センチメートルにも達する焼土層が確認されている。一度の焚火の結果では無く、長年にわたって数多く反復された焚火の結果と考えられる。

荒神谷遺跡には祭祀場があり、火を使った祭祀が長年おこなわれていたと推定される。実際、荒神谷遺跡の存する地名が「神庭」となっており、聖地であり祭祀場であったことをうかがわせる。

荒神谷遺跡へ通ずる道は一本しかない。その入り口となる谷口に「神庭岩船山古墳」がある。現在はかなり傷んでいるが、もとは墳丘の長さ約58メートルの前方後円墳であり、出雲国では最大級の規模である。大きなくり抜き式の舟形古墳石棺(5世紀後半ごろ)。この石棺は大和スタイルではなく、丹後、讃岐、越、特に筑紫スタイルに多い。

*****データ他から考えられる事*****

荒神谷遺跡の祭祀場では、青銅器の埋納に際し、あるいは埋納後に、大規模に火を焚く儀式が定期的に繰り返されていたのではないか。

最も古い焼土層データ年代、AD250±80年とすると⇒荒神谷の祭祀場の火焚き神事がスタートしたのは、弥生時代~古墳時代ごろと考えられる。

最も新しい焼土層データ年代、AD950±100年、あるいはAD1250±80年とすると⇒荒神谷での謎の祭祀行為(火焚き神事)が終了したのは10世紀ごろ。今のところ該当する歴史記録は無いが、国家文献(大和朝廷による国家記録)に残されない類の、秘密の神事だった、という事も考えられる。

*****荒神谷(出雲)と、諏訪の関係*****

荒神谷遺跡の東、北、西に、遺跡をグルリと囲むようにして、タケミナカタ神を祀る諏訪系の神社が勧請されている。現在は五つの神社がある。

西から北、東へとグルリと回る形でいくと

「波迦(はか)神社」旧名称:『風土記』波如社(はねのやしろ)、祭神:神倭健尊、健部臣古禰尊、合 健御名方神

「波知(はち)神社」旧名称:『風土記』波禰社(はねのやしろ)、祭神:天津彦火瓊々杵尊 /式内社「天津彦彦火瓊瓊杵尊 配 伊弉諾尊、伊弉册尊、蛭兒命、天忍日命、 大己貴命、大年神、建御名方命」

「佐支多(さきた)神社(神庭岩船山古墳から西へ200~300メートルほどの場所)」健御名方命、八坂戸賣命※『風土記』、佐支多の社。元は「瀬崎田」、なまって「佐支多」に変わる

「諏訪神社」建御名方神 配 神功皇后、武内宿禰命 合 米原内兵衞綱廣

「諏訪神社」

「(諏訪神社元宮)」

南北朝時代の後に勧請されたもので、古代の事情とは無関係と思われるが、興味をそそられる位置関係。

タケミナカタは出雲の神の一人(水神系/竜神、蛇神の姿も持つ)で、出雲から大和への国譲りに際し、最後まで抵抗した神と伝えられている。

一時的ではあるが「諏訪へ逃亡した建御名方命が、再び帰還できる日に備えて権威の象徴であった祭器を埋めた。それを守るために子飼いの家臣(諏訪社)を密かに配置した」という現代バージョンの新しい説話が出現していた。荒神谷遺跡の銅剣・銅矛の多さが、当時としては如何に衝撃的であったかが、うかがえるエピソード。

*****

タケミナカタ神:父が出雲国のオオクニヌシ、母が越国のヌナカワヒメ。「ミナカタ」は「水潟」に通ずるとされる。水神系。現在は諏訪国の神。諏訪神、諏訪明神、諏訪大明神とも。

(ウィキペディアより適宜、編集)

『古事記』、葦原中国平定(国譲り)

天照大御神・高御産巣日神(タカミムスビ)らによって派遣された建御雷神(タケミカヅチ)と天鳥船神(アメノトリフネ)が大国主神に葦原中国の国譲りを迫る。

大国主神は御子神である事代主神が答えると言った。事代主神が承諾して隠れると、大国主神は次に建御名方神(タケミナカタ)が答えると言った。

タケミナカタは千引の石(千人もの大勢の力を必要とするような巨大な岩)を手先で差し上げながら現れ、タケミカヅチに力競べを申し出た。そしてタケミカヅチの手を掴むと、タケミカヅチの手は氷や剣に変化した。タケミナカタがこれを恐れて下がると、タケミカヅチはタケミナカタの手を若葦のように握りつぶして、放り投げた(=古代の神事相撲を象徴したものとする説がある)。

タケミナカタは逃げ出したが、タケミカヅチがこれを追い、ついに科野国の州羽海(すわのうみ)まで追いつめてタケミナカタを殺そうとした。その時に、タケミナカタはその地から出ない旨と、大国主神・事代主神に背かない旨、葦原中国を天津神の御子に奉る旨を約束した。

※『日本書紀』ではタケミナカタが登場せず、大己貴神(大国主)は事代主神の意向を聞いた後に国譲りを承諾する。ここでは高皇産霊尊(タカミムスビ)に遣わされた神々は武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシ)

※『先代旧事本紀』「天神本紀」では『古事記』と『日本書紀』の記述が組み合わされている。使者は『書紀』と同様に武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシ)

●歴史上の出雲国の海岸線の変化

弥生時代の海岸線:まだ出雲鉄の生産が小規模にとどまっていた頃、宍道湖は海だった。

奈良時代、現代の海岸線:出雲鉄の生産が盛んになり土砂流出が激化。海岸線が見る見るうちに埋まった。