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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

古代ヨーロッパ考・前書篇

古代ヨーロッパについての、長年の疑問は、「何故、元は多神教であった地が、一神教に染まったのか?」です。同じ疑問は、アラブ方面にも言えます。

この変化を可能ならしめたのは、歴史の分断であった…とすれば、では、その歴史の、「謎の分断」は、どこにあるのだろうか?

という事で、手の届くかぎりの範囲で、調べてみました。

(資料と言ったら殆ど、高校歴史教科書と年表資料と百科事典ですが)

ヨーロッパがキリスト教に染まり始めたのは、ローマ帝国の代になってからです。ですが、ローマ帝国の頃に流行した新興宗教を見てみると、結構これが大混乱という感じで、それこそ何でもありというありさま。

「エレウシス」とか「ミトラ教」とか、神秘密儀ジャンルが大流行しているのです。イシス崇拝やゾロアスター教も流行しています。エレウシスは死と再生の女神に関わる密儀。ミトラ教の象徴は金の牡牛。

(もちろん、ギリシャ風も人気で、ギリシャとエジプトの混ざったような神様も作っていました。代表的なのがセラピス神。このセラピス神は、彫刻を見ると少し繊細で、両性具有っぽい顔つきです。でも、彫刻なのだからして色々あって、真男っぽいのもあるとは思います)

当時のキリスト教の本場もエジプトにあって、「コプト教会」というのがありました。あとは、グノーシス派とか、エッセネ派とか…原始キリスト教の世界。

ちょっとどころじゃなく興味深いのが、キリスト教とミトラ教の入れ替わりのタイミングが殆ど同時という現象。おまけにその内容を見ると、神の御子の誕生日が同じ…

聖書が偶像崇拝を戒めるエピソードに、黄金の牡牛崇拝の話があるのでもう何をかいわんやです。キリストとミトラ…、まさしく合わせ鏡ですね(キリスト教とミトラ教の関係を論じるのは一種のタブーと言う噂も?)

それはともかく、ローマ帝国市民の精神社会…、この状況は明らかに、古代から営々とあったギリシャ社会やポリスの伝統が分断されて、混乱しちゃってる社会だろう、と、さすがに見て取れる訳です…もう国際的と言うか、無国籍と言うかコスモポリタン。

それはもう、自国も外国も何が何だかわからないくらい溶解していて、共通の「故郷」を改めて設定しなければ、根無し草で漂流で不安でしょうがない、という心理にもなるはずで、その根っことなる新たな故郷(天国)を「積極的に」提供しようとしたのが、新進気鋭の福音教、キリスト教であった…と。

古代ギリシャから続く、ポリス伝統社会の溶解と崩壊……それは、唯一絶対神の宗教にすがらざるを得ないほどの、社会的動揺であったろうと「想像&結論」するものです。

※当時の人々の思いは結局のところ、想像する以外に無いのですが、ローマ社会を期に、国教が多神教から一神教に入れ替わった訳ですから、それほどの社会的動揺、人心クライシスだったのだろうと結論する訳です。

そして、当時のキリスト教は、すさまじい迫害と殉教の時代でもありました。ネロ帝のキリスト教迫害は有名な話になっています。

殉教者の生き様(死に様?)を多く見てきたローマ帝国市民の間で、キリスト教を信じれば、死も怖くないのだ、という「憧れ」めいたものが生まれ、広がっていた…という可能性は大きいと思います。

以上のような社会&人心クライシスをもたらした淵源を探してみると…、

ヨーロッパ・アラブ両世界を駆け抜けた大激震、急転直下の国際情勢、と言えるほどに大きな動乱の時代がありました。

それこそが、ヘレニズム時代。アレクサンドロス大帝国の急激な成立と、その急激な崩壊。アレクサンドロス大王こそが、ヨーロッパに(アラブにも)深刻な精神動揺をもたらした、「謎の分断」の正体では無いだろうか…と、考察するものであります。

次は、ヘレニズム時代を物語ってみようと思います…

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