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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

twitter覚書:白川静

twitter-白川静botより

歴史は道の支配者の出現とともにはじまる。それは近世の歴史が大航海の時代とともにはじまるのと、よく似た事情を示している。そして今では、あの蒼々たる天空に、不気味な軌道を描く多くの浮遊物によってわれわれの地球はとりかこまれており、その軌道の制御者に全人類の生殺与奪の権が握られている。

【邑】が武装すると【或(くに)】となる。聚落を示す口を戈で戍(まも)る意であり、また地を「域(かぎ)る」ことをいう。のちさらに外郭を加えて【國】となった。

【道】を歩することは、神と接し、神と合体することであった。【道】は歩むべきところであり、通過するところではない。

【道】をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。人はその保護霊によって守られる一定の生活圏をもつ。その生活圏を外に開くことは、ときには死の危機を招くことをも意味する。道は識られざる霊的な世界、自然をも含むその世界への、人間の挑戦によって開かれるのである。

識られざる神霊の支配する世界に入るためには、最も強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。そのためには、虜囚の首を携えて行くのである。【道】とは、その俘馘の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である。すなわち【道】は、その初義において先導を意味する字であった。

【道】が外への接触を求める人間の志向によって開かれるものとすれば、それは他から与えられるものではない。その閉ざされた世界から脱出するために、みずからうち開くべきものである。【道】をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。

【道】はもと神の通路であった。その【道】が王の支配に帰したとき、神の世界は終わった。王がそのような支配を成就しえた根拠は、神に代わるべき【徳】をもつとされたからである。しかし【徳】は人によって実現されるものである。神の【道】と人の【徳】とは、本来はその次元を異にするものであった。

古い社会はどの地域でも、神の道が失われるとともに、その秩序は仮借するところなく破壊されてゆく。純粋な共同体の固有の生活は、あらたな道の支配者の出現によって崩壊するのである。

道化の古い起源は、おそらく悪霊的なものであったであろう。すなわちデモーニッシュなものに起原して、次第にそのブラックの面を消去したところに道化が生まれる。

【うらなふ】「うら」は草木の小枝や穂など、末梢の部分をいう。また「うれ」ともいう。松村武雄説に、植物のはな・ほ・うらに神意があらわされるとするわが国の古俗があり[神功紀]「幡荻穂に出し吾や」と神が自ら名のるように、うらすすきにも神意が示されたのだという。

【風】は鳥形の神と考えられており、四方の方神のもとにそれぞれその風神がおり、固有の神名があった。それは神の使者として、その風土を支配し、風気を定め、風俗を左右した。目に見えぬこの神は、風雲を起こし、草葉におとずれて神のささやきを伝えるものとされていたのである。

【气】はすべて精気の発するものであるから、その精気を養うものとして穀物・食物を【氣】という。国語の【け】は「夕占(ゆふけ)」のように、もと内なるものが外にあらわれることであり、また【食(け)】のように精気の根源を意味する。【気】と極めて語義の近いものである。

【わざはひ(禍・難・災・祥)】 神意として深く隠されているものが、そのしるしとしてあらわれるものを【わざ】といい、【わざはひ】という。【はひ】は【幸(さき)はひ】【賑はひ】と同じく、その作用として機能することをいう。

【樂】手に持ってうち振る鈴の形。楽に音楽の意と悦楽の意があり、古い時代にシャーマンがこれを振って病を治療した。その快適の状を和楽の意に用いて、金文にも[王孫遺者鐘]「用て嘉賓父兄を楽しません」のようにいう。もとは神を楽しませ、神が楽しむことをいう字であった。

【巫】は鬼神を対象として舞楽を主とし【祝】は祖霊を対象として祈告を主とする。【巫】は自然神を祀り、みずからも神巫として神格化されるが【祝】は祖霊につかえて部族の宗教的権威を代表し、聖職者となるという方向性をもつ。

【巫】と【舞】【儛】とは同音。舞の初形は【無】で、請雨の舞を示す字であった。のち両足の舛の形をそえて、舞・儛となる。わが国の「かむなぎ」も、もと舞容を以て神を和げるものであったことは、「天の磐屋」における神楽舞の故事によって知ることができる。

【尸】祭祀のときの尸主を【尸】という。いわゆる「かたしろ」で、死者に代わって神位に坐するもの。[礼記、郊特性]に「尸は神像なり」とみえ、祖の霊位には【孫】がこれに代わった。[儀礼、郊特牲礼、注]に「尸は祭らるるものの孫なり。祖の尸は則ち主人の宗子なり」という。

祝詞を示す言が廟門におかれていて、暗い闇のときに神意がはたらいて自鳴する。それが【音なひ】であり、神の【訪れ】であった。その神意をはかり解することを【憶測】という。過去の経験を通して、そこから未来を解釈しようとする。ゆえに【憶】には【記憶】と、また【憶測】の意とがある。

言語はわれわれにとって所与的なものである。われわれは生れると同時に、われわれを待ち受けている既存の言語体系の中に包まれてしまう。われわれはその与えられた言語体系の中で生長し、これを通して思惟し、また自らの思想を形成してゆくのである。

音には、一種の音感というものがある。その音感が次第に固定して語型をもち、言葉になって分化してゆく。本来的にある一つの系列音というものがあって、そこからことばが系列的に分化してゆく。漢字の場合、文字がたくさんに分化してゆくのは、一般的な音表記というものがないためです。

文字の体系はすでにその創出の時代に存しており、新しい字が加えられるとしても、それはその既存の体系のなかで、文字構造の原理に従って作られたもので、その体系を超えることはできないのである。

たしかに、はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかしことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生み出した最も大きな遺産は、神話であった。

神話の体系は、異質的なものとの接触によって豊かなものとなり、その展開が促される。それには摂受による統一もあり、拒否による闘争もあるが、要するに単一の体験のみでは、十分な体系化は困難なようである。そのため孤立的な生活圏は、神話にとってしばしば不毛に終る。

神話の創造にロゴスとパトスの内的統一が必要であるように、伝統の形成にもそれが必要である。中国においては、そのロゴス的な面は、王朝の交替をこえた天下的世界感の中での古聖王の説話、すなわち[書]のような聖典として、またそのパトス的なものは、巫祝者の伝統として、のちの楚辞文学を生む。

ユーカラやオモロが近代にまで生きつづけたような意味で、わが国の神話はその神話的生命を生きつづけたであろうか。神話はその原生の地盤において、なお民俗的なものとして存するとしても、ひとたび神話として体系的に組織されたものは、その体系性ゆえにかえって生命を失ったのではないか。

歌謡は神にはたらきかけ、神に祈ることばに起源している。そのころ、人びとはなお自由に神と交通することができた。そして神との間を媒介するものとして、ことばのもつ呪能が信じられていたのである。ことだまの信仰はそういう時代に生まれた。

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