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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

天才とは何か・考2

【先駆者タイプの天才キャラ表現】

「先を行ってる」天才タイプのイメージ表現について。

「自分はこうしていた」という参考事例。

当方の作品『花の影を慕いて』に出て来る登場人物「ゴールドベリの巫女」が、この「先を行ってる天才」パターンのキャラクターでした。

作品の中で、「ゴールドベリの巫女」は、自身が直感し、認識し理解した内容を、そのままストレートには語っていません。謎々ゲームのような、暗示的かつ詩的な言葉で語るという行動を取っています。

ひとまず作者として、「何故このように表現したのか?」という理由を語る事は、できます。

先駆的な認識(ヴィジョン)や内容というのは、それに対応する「普通の表現」が存在しないのです。

だから、その人自身で「それ」をちゃんと認識していたとしても、「それ」を、「普通の表現」でもって、他人に分かるように説明するのが、不可能なのであります。

※此処で言う「普通の表現」とは、一般的に分かりやすいとされる定型的な表現や、世間のコミュニケーションの中で普通に使われている、お喋り用の表現の事です。

まして、今まで出会った事の無いようなヴィジョンや概念となると、それにふさわしい新しい言葉を作る必要が出て来ます。しかし、他人は、新しい造語を、すぐに正確に理解してくれる訳ではありません。

他人に分かるように説明しようとする時、シッカリと訓練された比喩や抽象といった言語能力が、間違いなく必要です。翻訳能力とも言いますか。

――くだんの天才「ゴールドベリの巫女」のヴィジョンは、あまりに先駆的な内容だった。ずっと将来の学問的発展を待たないと理解できないようなレベルの、非常に高度な概念を含んでいた。ゆえに、身辺に、適切な表現が見当たらなかった。

できるだけ正確を期すため、「ゴールドベリの巫女」は比喩や抽象の限りを尽くして、そのヴィジョンを言語化し翻訳したが、その結果、暗示的かつ詩的な言葉で意味深に語る……という形になった。

以上、「何故このように表現したのか?」説明させて頂きました。

実際、正確な伝達というのは難しいです。

特に交渉の場では、こちらの言いたい事が相手にちゃんと伝わっているかどうか(相手が、ちゃんと認識したかどうか)、その都度、確認する必要が出て来ます。

中世ヨーロッパの「リベラル・アーツ」において、何故に文法、修辞学、弁証論(論理学)から成る初級の3科が必須とされたのか……その理由が、そこにある訳です。

(我が国では、まとめて「国語/現代文」と呼びならわしている領域になるでしょうか)

なお、中世ヨーロッパ各国の言語はまだまだ発展途上であり、高度な概念に対応できる言葉や表現が非常に限られている状態でした。高等学問に使える言語は、およそラテン語やアラビア語のみだったという事情もあるかと思われます。

「他人に分かるように語るのは難しい」というのは、新しいストーリーやアイデアを思い付いた作家さん、日ごろから身に染みて実感している事と思われます。

常人にとっては(おそらく天才にとっても)、基本的に苦労させられるプロセスであります……と、思います。

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