忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

感想:浅田真央選手のラフマニノフ

2010.2.26・・・この日、フィギュアスケートのフリープログラムがありました。

浅田真央選手は『鐘(ラフマニノフ)』だそうで…「死線上のアリア」と言いますか、色々と厳しい環境だったようで、さすがに消耗していたようです。難曲なのに、さまざまな高次元イメージに満ちた緻密な演技内容で、感動しました…*^^*

浅田選手の決戦瞬間のホロスコープを見ると、恐ろしく困難な惑星コンディションの下でトリプルアクセルに挑んでいたと言う事がよく分かります。関門みたいなものでしょうか。時々、人生にはそういう重圧に満ちた恐ろしい軌道が用意されておる訳ですが、彼女は自暴自棄にならずに、まっすぐに壁に挑んでいました。心から最大の賞賛を送りたいと思います。

キム選手の方は、スケーターとしてはこれ以上無い、という程の最高の惑星コンディションが用意されていました。ミスの有無に関わらず、金メダルが嫌でも転がり込んでくるという配置です。占ってみる限りでは、彼女のピークは、今回の試合がベストです。故に、今のコンディションを如何に長期間にわたって維持するかが課題でしょうか。演技パターンは今の作品がベストなので、今後はそのアレンジ作品で通すのが良い感じ。

将来性ないしは進化という観点では、浅田選手には、大きな可能性があります。たいてい、空前絶後の作品とか、革命をもたらす名作というのは、こういうタイプの選手が生み出しますね。ただ、決め技はトリプルアクセルという状態が続くなら、金メダルもあと1歩で逃してしまう状態が続くと思いますが…今までの彼女にとっては、トリプルアクセルの完成が課題だったのかなと思われるところもありますし、これから前人未到の領域に踏み入るところかなとも思います。幅をうんと広げてくれるとうれしいです…^^

人生の困難なコースを、真剣に苦しみ悩みつつ、重圧の中で未知の領域に挑み続ける選手と、人生の楽なコースを、玉の輿に担がれつつ、あらかじめ用意された地位と名誉と金銭バックアップを欲しいままにむさぼり続ける選手。

言うなれば「未知への冒険者」と「安全な場所で蝶よ花よ」ですが、どちらに価値を認めるかは、自分が人生の価値をどのように考えるか?によって変わってきます。ある意味、人生の覚悟を映し出す鏡…みたいな感じですね。鮮やかな「二極化(仕分け)」が起きていると思います。それにしても前世の因縁か何かでしょうか、つくづく対照的な2人ですね…^^;


《メモ:ラフマニノフの『鐘』》

ラフマニノフは、ロシア革命の時代を生きた人だったそうです。 ロシア共産革命では、多くの文化人が殺されました。そういった事情もあって、ラフマニノフはソビエト・ロシアを脱出した後、ソビエト政府がいくらコンサート要請を行なっても応じなかったと言う事です。 共産主義革命を賛美しなかった文化人の運命は悲惨なものだったそうです(文化大革命の際の大虐殺やポルポト派の大虐殺でも、同じことが起きたらしい)。

ラフマニノフの『鐘』には警鐘としての意味があり、その内容は、祖国の伝統文化が燃えて滅びてゆく事への焦燥感や悲しみである…という解釈が出来るわけです。炎のような赤と黒の衣装は、そういう解釈の元に選ばれている…と推測されます。

(参照動画・浅田真央 鐘/全日本2009年の作品) http://www.youtube.com/watch?v=A3HSQaJEoJI&NR=1

『鐘』はある意味、少しずつロシア正教に戻っていっているロシア人にとっては、共産革命以前の「古き良き祖国」を象徴するような音楽なのだろうと思われます(=精神的故郷のようなもの?)。

ロシアのタラソワコーチに師事した浅田選手にとっては、この重い象徴を託された曲を演じきることが何よりも大事で、本当は、メダルはどうでも良かったのかも知れないなと思います(推測ですが)。

※近代アヴァンギャルドに走ってからは意味不明なものも増えましたが、伝統的なロシア芸術には、とても深いものがあると思います…

PR