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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

オウム真理教メモ・2

研究者には「オウムとは何だったのか」という問いに正面から答えることが求められている―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー回答編(ブロゴス2012.7.25)http://blogos.com/article/43779/

▼研究者に求められているのは、「オウムとは何だったのか」という問いに正面から答えること

―前回のインタビュー につづいて、今回は回答編となります。よろしくお願いいたします。

当時のアカデミズムを批判的に捉えることに対して、「では、どうすればよかったのか」と疑問をもった読者もいたようです。「オウム事件に対して宗教学界(あるいは人文諸学界)はどのように反応することが“正しかった”のか」、あるいは、「現段階において“責任を取る”というのはどういうことなのか」という意見です。こちらについてのお考えをお聞かせください。

大田俊寛氏(以下、大田氏):この質問に関しては、すでに自著のなかでその回答に当たることを書いていますので、まずはそちらを引用させて下さい。

オウム事件をどのように総括するかということに対しては、それぞれの立場によってそれぞれの方法がありうるだろう。そして、これを学問的に総括するという場合には、当然のことではあるが、あくまで学の次元における総括が行われなければならない。すなわち、オウムとは何だったのかという問いに対して、可能な限り客観的な答えを見出すこと、そして宗教学の場合には、当時の代表的な宗教学者たちがなぜオウムの幻想の正体を見抜くことができず、その運動を後押ししてしまったのかという問いに対して、答えを見出すことが求められるのである。
(『オウム真理教の精神史』「おわりに」より引用)

オウムに対して研究者が行うべきことというのは、基本的には、今も昔も変わりません。すなわち、オウムの教義がどのような歴史的影響関係のもとに成立したのか、団体運営のメカニズムの特徴はどのようなものだったか、一見して荒唐無稽な宗教でありながら、国内外で数万人規模の信者を集めることができた理由はどこにあったのか、等々の問いに対して、可能な限り客観的な答えを提示する、ということです。現在でも社会には、「オウムとは何だったのか、いまだによく分からない。きちんと納得のいく説明をしてほしい」という要求が明らかに存在しているわけですから、宗教学者はそれに応えなければなりません。私の『オウム真理教の精神史』は、その要求に応じるために書かれたものです。

オウム真理教は、80年代の日本に出現した新興宗教の一つでした。言わばオウムは、歴史とてほとんどない、小規模な宗教団体にすぎなかった。しかし、その全体像を解明するということは、実はそれほど容易ではありません。私の考えでは、オウムの教義のフォーマットを形成していたのは「ロマン主義的宗教論」と呼ばれるものでしたが、その性質を明らかにするためにはまず、ロマン主義が形成された19世紀のヨーロッパにまで時代をさかのぼらなくてはならない。さらに、近代のヨーロッパにおいてなぜ「ロマン主義的宗教論」が台頭してきたのかを明らかにするためには、中世から近代に至るキリスト教史の流れを押さえておかなければならない。日本の一つの新興宗教を分析する際にも、実際には、宗教史全般に関する幅広い知識が求められるわけです。

私は前回のインタビューにおいて、「宗教学は、宗教を客観的に分析・研究するための学問である」と話しました。しかしこのことは、口で言うほど容易なことではありません。私はもともと、「グノーシス主義」と呼ばれる古代末期のキリスト教の異端を研究しており、キリスト教神学の領域に少しだけ足を踏み入れたことがありますから、そこにどれだけ膨大な学知が蓄積されているかということを、おおよそは知っています。それは、一人の研究者がそのすべてを知り尽くすといったことが可能な分野では、到底ないのです。そのことは、イスラム教、ユダヤ教、仏教、儒教といった、その他の宗教でも同様でしょう。そして宗教学は、究極的にはそれらすべての「宗教」を対象とし、客観的に比較分析しようというのだから、これはもともと「不可能なプロジェクト」と言うべきものなのです。私は前回、宗教に対する自分なりの定義を示しましたが、それは「もう宗教の本質は分かった」という意味ではまったくありません。おそらくこういう見方で研究を続けていけば、さまざまな宗教についてかなりの程度まで分析を進めることができるだろうという、出発点における暫定的な方針を示したものにすぎません。

しかし、諸宗教に対する客観的な研究など、およそ「不可能なプロジェクト」なのだから諦めるべきかといえば、そうもいかないでしょう。というのは、近代においては、国家が主権性=至高性の位置を確保し、その下で各人の「信教の自由」が保障されているため、さまざまな信仰を持った人々が社会のなかで共存していかなければならず、特定の宗教のことは、その信者だけが分かっていればよいというわけにはいかないからです。その宗教がどのようなものなのかを、外部から客観的・価値中立的に説明するという役割がどうしても必要になる。

それこそが、宗教学者の第一の職分であるということになります。そして、この意味で宗教学は、所詮は「近代主権国家の御用学」の一つでしかないのかもしれない。しかしだからといって、そういった職分を誰も担わなくてよいということにはならない。また、宗教学には、その研究を突き詰めていけば、近代の体制そのものを一つの「信仰」として相対化できるような、そうした潜在力を秘めているのではないかと、私は考えています。

私は前回のインタビューにおいて、以前にオウム論を執筆した研究者たち、具体的には、柳川啓一や見田宗介の学派に属する宗教学者や社会学者を批判しました。果たして彼らには、自らの職分に対する明確な自覚が備わっていたでしょうか。私には、そうは思われません。彼らは、自分の師匠からロマン主義風の宗教観やニューエイジ風の革命論・実践論を吹き込まれており、いまだにそのエートスをはっきりと自覚化できていないところがある。そして彼らの一部は、諸宗教に蓄積された学知に対する十分な敬意を持たないまま、かえってそれらに対する誤解を蔓延させるような、杜撰な「研究書」を書き散らしている。また、ひとたび日本社会に混乱が起きれば、研究者としての立場をかなぐり捨て、政治的なアクティビストとして行動しようとする。それは、彼らなりに「日本社会を良くしたい」と思っての行動なのでしょうが、私は長い目で見て、それぞれに与えられた本来の職分を放棄することによって社会が良くなっていくとは、まったく思いません。

最初のご質問に対するお答えとしては、かなり遠回りになってしまったかもしれません。「オウム事件に対して研究者がどのようにして責任を取るべきか」という質問にあらためて答えておけば、諸宗教に対して客観的な研究が行えるだけの理論的立脚点を自分がもっているかどうかを再検証すること、そしてそれを通して、「オウムとは何だったのか」という問いに正面から答えること、となります。

▼類似する他のケースと比較考察は、非常に重要

―前回のインタビューを読んだ方のなかには、「冷静で客観的な学問が拠って立つような基盤が、音をたてて崩れていっているのではないか」という印象を抱いた方もいたようです。

大田氏:80年代以降、日本の人文学の世界においては、「ニューアカデミズム」「ポストモダニズム」「現代思想」と呼ばれる諸思想が流行しました。今から振り返ってみれば、こうした現象は、「高等教育の大衆化」によって生み出されたものの一つだったのだと思います。

日本において、高等教育の大衆化は、すでに明治末期から大正にかけての時期に始まっていますが、その流れが一つのピークに達したのは、戦後の80年代になってからでした。大学や短大への進学率が50%に近づき、「大学のレジャーランド化」が囁かれるようになった。エリートと見なされるごく一部の人間が、献身的に学問に打ち込んでいくというのではなく、一般大衆が一時の「モラトリアム」として、享楽的に大学生活を送るというスタイルが普及していったわけです。

それに伴い、人文系の学問も、一つの「文化産業」として変質を被ることになりました。地道で堅実な学習・研究の積み重ねによって、現在の社会の仕組みや過去の歴史を知るということよりも、「とにかく聞いて面白い」「読んで魅力的に見える」、そういったものが求められるようになった。人文学が出版業界や広告業界と手を組み、「思想書」を何万部も売り捌こうとする動きも生じてきた。浅田彰氏や中沢新一氏といった「ニューアカデミズムの旗手たち」が主に活動していた舞台の一つが、『広告批評』という名前の雑誌であったことは、象徴的な意味を持っていると思います。すなわち彼らは、思想家や研究者というよりも、「アカデミズム風のコピーライター」と呼ぶのが適切であるような存在であったわけです。

こうした流行においては、深遠に見える魅力的なキャッチコピーを作り出せば、すぐさま世界を作りかえることができるかのような、幻想的思考が幅を利かせていました。そしてこのような風潮は、90年代の末以降は徐々に下火になりましたが、今でも完全になくなったというわけではない。一例を挙げれば、数年前から流行している「~~2.0」というキャッチコピーです。こうしたコピーが付けられた多くの書物のなかには、もしかしたら良いものも含まれているのかもしれませんが、学問に真面目に向き合っている研究者が、自分の著作のタイトルに流行のキャッチコピーを付けるということは、まずあり得ないと考えた方がいいでしょうね。このような書物は、暇つぶしや気分転換の一手段として読む分には構わないでしょうが、真面目に受け取るのは危険ですし、何より、単に時間の無駄です。

こうした風潮を生み出してしまう「高等教育の大衆化」そのものが良くないと考える人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。多くの人々の教育レベルが上がることは、社会全体の文化度や幸福度が上がることに寄与するはずですし、むしろ教育レベルの向上を徹底することによって、一過性の流行思想と、本当に学ぶべき価値のある思想の違いを見抜く目を養わなければならないと思います。コメントを寄せて下さった方は、「学問の基盤が崩れる」ことを心配されていましたが、本来の学問の基盤は、それほど脆弱なものではありません。歴史を形作ってきたような思想や学問は、数十年単位の時間で微動だにするものではありませんし、何より先ほど述べたように、一人の人間の一生で学び尽くせるようなものでもない。人文学に関心のある方は、一過性の流行に惑わされず、じっくりと腰を据えて学問に向き合っていただきたいと思います。

―経済的発展を遂げた後に、「精神的な癒しや救済」を求める潮流があるとすれば、それは日本だけの現象ではないと思われます。海外では、オウムのような教団が誕生したケースはあったのでしょうか?

大田氏:はい。『オウム真理教の精神史』でもいくつかの例を挙げたように、反社会性を帯びた「カルト」的な宗教団体が発生するといった現象は、日本に限られたものではまったくありません。カルトの問題は、近代の政治体制を採用したあらゆる社会に生じる問題であると言って良いと思います。オウムについて多面的に考察するために参考となるようなケースを、いくつか紹介しておきます。

(1)ラジニーシ教団のサルモネラ菌混入事件
バグワン・シュリ・ラジニーシ(1931-1990)は、タントリズムに基づく瞑想法、特に性的欲望を解放する実践によって人気を得た、インドのグルの一人でした。1970年代、ラジニーシは世界中のヒッピーから支持され、教団は大きく拡大しました。1981年に、教団の本部はアメリカのオレゴン州に移され、「ラジニーシプーラム」と呼ばれるユートピアの建設が目指されました。しかし、アメリカの田舎町に突然巨大なコミューンが作られたことに対し、地元住民の反発が高まり、それを見た教団は、対立に備えて武装するようになったのです。その後に教団は、政治進出を目論んで選挙に出馬し、地元住民の投票を妨害するため、町の中心のレストランで料理にサルモネラ菌を混入させる事件を起こしました。死者は出なかったものの、約七〇〇人に及ぶ被害者を出しました。(参考文献:ヒュー・ミルン『ラジニーシ・堕ちた神』第三書館)
(2)ブランチ・ダビディアンとFBIの抗争
ブランチ・ダビディアンは、アメリカに数多く存在する「終末カルト」の一つでした。教祖のデビッド・コレシュ(1959-1993)は、聖書の『ヨハネ黙示録』の読解に没頭し、世界に終末をもたらすことができるのは自分であると考えるようになった。教団内でも「終末は近い」という意識が高まり、機関銃・ライフル・手榴弾などの大量の武器が備蓄されました。1993年、教団の動きに不審を覚えたATFが強制捜査に踏み切ったところ、教団は武力で対抗し、その後、FBIとのあいだに50日以上に及ぶ抗争が続きました。最終的に、痺れを切らしたFBIが戦車をコミューンに突入させたのですが、その瞬間に教団の建物から火の手が上がり、コレシュを含む81名の信者が死亡しました。(参考文献:ティム・マディガン『狂信──ブランチ・ダビディアンの悲劇』徳間書店)
(3)太陽寺院の集団自殺事件
太陽寺院は、80年代にスイスで成立した宗教団体で、薔薇十字団や新テンプル騎士団といった歴史的な秘密結社を擬していました。その内部では、ニューエイジ風の神秘思想、エコロジー、輪廻転生説などが説かれ、ヨガによる身体訓練、ホメオパシーという代替医療が実践されていたと言われています。教団の内部で次第に終末思想が高まり、94年から97年にかけて、スイス・フランス・カナダの各地で80名近い人々が次々に集団自殺を遂げ、世界を驚かせました。(参考文献:辻由美『カルト教団 太陽寺院事件』新潮OH!文庫)

ここに挙げたのは、世界中に数多く存在する例のなかの、ほんの一部にすぎません。日本社会では、オウムの特殊性のみが注目・強調される傾向にありますが、類似する他のケースと比較考察してみることは、とても重要です。

▼社会はどのように「カルト」と向き合うべきか?

―オウムのような“破壊的カルト”の活動は防止する必要がありますが、社会としてどのタイミングで介入するかは難しい問題だと思います。今後の社会は、カルト的な宗教とどのように付き合っていけばよいのでしょうか?

大田氏:最初に指摘しておかなければならないのは、「カルト」や「破壊的カルト」という言葉は、今では一般的なものになっていますが、学術的な概念として定着しているわけではないということです。明らかに強いバイアスを含んだ概念ですので、極力使わないようにしている宗教研究者の方が多いのではないでしょうか。

私自身も、「カルト」という概念を使い続けるべきかどうか、いまだに迷っているところがあります。しかし、現在の社会において、「カルト」と名指さなければならない対象や現象が存在していることは確かですし、研究者がその用語を放棄したからといって、そうした現象がなくなるわけではない。研究者は何らかの仕方で、こうした社会病理的な現象に目を向けなければなりません。あくまで一人の研究者としての見解にすぎませんが、私は「カルト」の特徴を、次のような三点に見て取ることができるのではないかと考えています。

  1. 客観的に認められた制度や事実以上に、主観的な心情や体験が重視される
  2. ある人間が「カリスマ」や「生き神」として崇拝され、絶対的な決定権を掌握す
  3. 教祖や教団の教えによって、さまざまな物事が善と悪に二分される

すなわち、感情的で熱狂的な態度によって、特定の個人が「生き神」のように崇拝され、その人間が説く教えによってさまざまな物事の善悪が判定される、というのが、カルトの典型的なパターンとなります。

なかでも特徴的なのは、二番目に挙げた、特定の個人を「カリスマ」や「生き神」として崇拝するという点です。まだ生きている人間がそのまま「神の化身」であると見なされ、教団のなかでその人物が、あらゆる批判を許さない絶対的な権力を掌握する。こうした顕著な仕方での「個人崇拝」は、宗教の長い歴史から見ても、常軌を相当に逸脱した信仰の形態であると言わざるをえないと思います。また、教祖に対する絶対視が進み、反対に、それを認めない周囲の社会に対する敵対視が進むと、カルト教団は、テロリズムや拉致監禁、集団自殺といった暴力的な手段も辞さないようになる。私は、このような暴力的手段に踏み出したカルトを、特に「破壊的カルト」と呼ぶべきではないかと考えています。

このようにカルトは、近代社会に頻繁に見られるようになった、特殊な形態の信仰を指すと考えられますが、しかしここで問題なのは、ある宗教団体がカルトの特徴を示しているからといって、それを即座に否定・弾圧して良いというわけではないことです。近代社会においては、各人の「信教の自由」が保障されていますから、どのような形態の宗教や信仰であっても、それだけが理由で弾圧されるということがあってはならない。また、カルト的な団体に対して不用意な批判や敵視を行うと、団体の側でも周囲の社会に対する敵視が高まり、結果として「カルト」が「破壊的カルト」に変貌することを後押ししてしまう可能性もあります。

カルトという存在に対する問題意識や危機意識は、1980年代以降に世界的に高まり、そして90年代には、「脱洗脳家(デプログラマー)」と呼ばれるカウンセラーの専門家や、カルトを「邪教」と見なすキリスト教の牧師が、カルトの信者を強制的に拉致監禁し、暴力をも伴う「脱洗脳」によって脱会・改宗させるという手法が横行しました。しかし、近代社会の原則から鑑みれば、こうしたやり方がそのまま許されるということはありません。その後、欧米社会では、カルトを過剰に敵視することに対する反省や批判が行われ、強制改宗の手法は自制されるようになっていったのですが、日本社会においてはまだ、こうした問題が存在していることすら、十分に知られていないところがあります。ジャーナリストの室生忠さんや米本和広さんが、こうした問題を中心的に扱っていらっしゃいますので、ぜひその著作を参考にしていただきたいと思います(米本和広さんのブログ「火の粉を払えhttp://yonemoto.blog63.fc2.com/」)。

先ほど述べたように、「カルト」は一つの社会病理と言いうる現象ですので、その存在や活動を無前提に容認して良いということはありません。一人の生身の人間が、あらゆる批判を許さない絶対的な存在であると見なされることや、団体による違法行為、社会への敵対行為に対しては、断固として抵抗・抗議しなければならない。しかしだからといって、相手がカルトであればどんな手段を使っても良い、カルトの信者の人権は無視して良いということにもならない。日本社会は特に、オウム事件によって大きな痛手を負いましたから、危険性を秘めた団体に対して積極的に破防法を適用してほしい、フランスと同じような「反カルト法」を制定してほしい、という世論もあります。しかし、そうした短絡的な方法によって、本当に「カルト」という病理を治癒しうるのでしょうか。今のところ私は、そうした手段に拙速に頼るようなことになれば、社会から自由の空気が失われていき、結果として、社会の状態がより悪化する可能性が高いのではないか、と思っています。

とても迂遠に聞こえるかもしれませんが、一人の研究者として私は、カルトという存在に対する認識を社会全体で高めていくことが、カルト問題に対する最善の予防策ではないかと思います。過去にどのようなカルトが存在していたのか、カルトの特徴とは何か、近代の社会においてカルトはどのようなメカニズムで生まれてくるのかを知り、カルトの信仰にはまり込んでしまった人々とも冷静に対話できる人を一人でも増やしていくこと、そして、そうした団体の内部で実際にどのような活動が行われているのかを冷静に見極めることが、カルト問題においては大切なのではないでしょうか。

―本日はありがとうございました

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