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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

ノート:物理学の来歴・3

テキスト=『磁力と重力の発見1‐古代・中世』山本義隆・著(みすず書房2004)

磁力の《観察》は、古代ギリシャで始まったらしい。

知られている限りで、最初に磁石に言及したのは、商業と海運で栄えたイオニアの港町ミレトスのタレスであったと言われているが、タレス自身の書いたものは残っておらず、後世の言及や伝聞によるもののみである。

例えば、アリストテレスは次のように書き残している。「タレスも、人々が記録している事から判断して、もし磁石は鉄を動かす故に霊魂を持っていると言ったとすれば、霊魂を何か動かす事の出来るものと解したように見える」。

タレスは「霊魂(プシュケー)」の働きを説明するために磁力を持ち出し、万物に霊魂が備わっている事を主張するために磁石を引き合いに出しているのであって、磁力そのものを説明しようとしているわけでも新規な発見として語っているのでもない。これらの記述は、当時、既に磁石の存在や作用それ自体は広く知られていた事を示している。

ところでギリシャ語の「プシュケー」とそれに対応するラテン語の「anima」は、日本語では「霊魂」ときに「精神」、英語では「soul」などと訳されているが、実際にはその日本語や英語の語感よりも広く、現代英語では「soul」、「life」、「mind」にまたがる茫洋とした意味を持ち、「生命的なもの」全般ないし「生命原理」そのものを指すようである。

つまりタレスの言論は、森羅万象に生命の存在を認める物活論(hylozoism)であり、磁石の存在は、その例証として語られていたようなのだ。タレス自身が磁石についてそれ以上何を語ったのかは知られていないが、「万物は水である」と語ることによって、「始原物質(アルケー)」の思想を初めて提起した事は、科学的な自然説明の端緒として、重要である。

始原物質が「変わらないもの」であるとすれば、何故に万物の変容が起きるのか、について、言論が始まったからである。同じくミレトスのアナクシメネスは「始原物質」は「空気」であるとし、ヘラクレイトスは「始原物質」は「火」であるとした。

そのいずれもが生命に欠かせないものであり、当時の世界観においては、ともに霊魂を有する生命的存在であった。この時代には、宇宙全体が生きていたのである。そして磁力は、無生物をも含む自然の事物が有する生命(プシュケー)のしるしである、として観察されていたのだ。

さて、後世に登場したトラキアのデモクリトスは、原子論を提唱した事で知られている。伝えられるところによれば、彼は、それまで「存在」が否定されていた「空虚」の存在を認め、「それ以上分割できないもの」を想定した。つまり世界は、「空虚(ケノン)」とその中を動き回る「原子(アトム)」から成る、と考えるのである。

原子自体は単一均質の物質からなり、その大きさと形状のみを様々に異にする粒子であり、多種多様な物質に見られる状態や性質の違いは、構成原子の「形状・向き・配列」の違いによって説明されるとする。

更にデモクリトスは「甘いものは(その原子が)丸くて適度な大きさのもの、酸っぱいものは(その原子が)大きく粗く角が多く丸くは無いもの」であり、原子から構成される物質の色は「それらの原子の並び方と形と向きによる」と語ったといわれる。

これをアリストテレスは「デモクリトスは味を形状に還元している」と断じたが、感性的な性質が、それ自体としては無性質な原子の幾何学的形状や配置や結合状態から説明されるべきである、というこの還元主義こそが、その後の近代に至るまでの、原子論と機械論の基本思想となったものである。

デモクリトスにおいては、森羅万象は、神意によってではなく、機械論的に説明されるべき現象であった。まさにその点こそが、神話と科学との分水嶺であったのである。

「始原物質(アルケー)」から始まったイオニアの自然思想は、ここにおいて最高の到達地点を示したが、その後、ソクラテスの登場と共に、ギリシャ哲学の関心は自然から人倫に移り行き、磁力の《観察》を含む自然哲学の衰退を迎える事となった。

ところで、中世・ルネサンス・近代における各時代のヨーロッパを通して、その影響の大きかった思想家といえば、ソクラテスの弟子プラトンであろう。プラトンの著作は数多く残されているが、磁力に関する言及は少なく、2箇所ほどしかないという事である。

ひとつはかなり初期の対話篇である『イオン』である。

それはちょうど、エウリピデスがマグネシアの石と名づけ、他の多くがヘラクレイアの石と名づけている、あの石(=磁石)にある力のようなものだ。
つまり、その石もまた、単に鉄の指輪そのものを引き付けるだけでなく、さらにその指輪の中へひとつの力を注ぎ込んで、それによって今度はその指輪がちょうどその石がするのと同じ作用、すなわち他の指輪を引き付ける作用をする事が出来るようにするのだ。その結果、時には鉄片や指輪が互いにぶら下がりあって極めて長い鎖となる事がある。これらすべての鉄片や指輪にとって、その力は彼の石に依存しているわけだ。
これと同じように、ムーサの女神もまた、まず自らが神気を吹き込まれた人々を作る。するとその神気を吹き込まれた人々を介して、その人々とは別の、霊感を吹き込まれた人々の鎖が繋がりあってくる事になるのだ。・・・

この記述からは、磁石について、直接に鉄を引き寄せる力だけではなく、鉄を磁化する能力(=磁化作用)もが、この時代に知られていた、という事実が読み取れる。ちなみにこの現象は、古代・中世では、「サモトラケーの環」或いは「サモトラケーの鉄」と呼ばれた。鉄鉱山のあったプリュギアのサモトラケーで最初に見出されたと伝えられていたためである。

プラトンが磁力に言及したもう一つは、円熟期の著作『ティマイオス』である。『ティマイオス』は中世を通してラテン・ヨーロッパに伝えられた対話篇であり、西ヨーロッパの哲学と神学思想に持続的な影響を与えたものである。

次回はこれを詳しく見てみる。

・・・[ノート:物理学の来歴・4]に続く・・・

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