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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

青銅華炎の章・上古6

中原の青銅諸王国(2)…青銅到来の後

西アジアからの青銅器の到来と、小麦の到来。この出来事は、華北地域における農耕文化、及び食文化の激変を起こしたという意味で、決定的に重要です。

アワ・キビ農耕からコムギ農耕へ。冷涼乾燥気候に適した、新たな栽培穀物の導入…それと同時に、卜骨(卜占用の獣骨)も出現するようになりました。これは、西アジアに由来する牧畜型農耕社会が、西域を中心として、華北に向かって急速に広がり始めていた事を暗示するものなのです…

最高の呪術的権威としての、青銅器の普及。

そこに「商人」の介在を想定する試みも、あながち的外れでは無いと思われます。〈上古諸州〉も末期に入った頃…中原の近辺の諸族は、西アジアからもたらされた青銅を珍重し、また自らの手でも新たな青銅器を鋳造し、様々な青銅祭祀を発達させていったのです。

紀元前1600年頃の中原において、西域から到来した青銅文化を核として、「中原」という境界に向かって各文化圏の凝縮が起こり、その混合の中で、新たな文化が築かれる事になります。

〈前シナ文明〉に変貌を遂げてゆく事になる青銅文化:二里頭文化、及び二里岡文化です。

※二里頭文化が夏王朝と関係するかどうかについては疑問があるそうですが、二里岡文化と殷王朝とが連続している事は、最近の発掘で確かめられており、現代の中国考古学の常識となっているという事です。

中原において、青銅文明と玉文明との間で何が起こったのかは、不明です。

しかし、遠く西アジアに由来し、好戦的で気性の荒い青銅文明は、伝統の蓄積において遥かに先行していた玉文明を瞬く間に滅ぼし、我が物として呑み込んだであろうと考えられます。

玉文明に打ち勝った青銅文明は、周辺の森林開発を速め、ついには原初的な部族国家(城壁都市)を形成する混成氏族をも生み出した、と考えられます(=「城壁都市」の部分は、アムゼルさまより教えていただきました。ありがとうございます^^)

こうした城壁都市の大きなものには特に人口が集中し、文化・知識活動のターミナルスポットとして栄えました。中核となった住民は、その地における部族社会のメンバーでもあり、自然、これらの城壁都市は、部族であるが故の強い団結心に支えられたポリス的国家、「古代の諸王国」でもあったのです…

中核住民の労働力のみで支えられる都市は、極めて小規模です。そこでは、朝には郊外の畑を耕しにゆき、夕には城内に戻って集団生活を楽しむという生活でありました(=この部分は、碩学・宮崎市定氏の受け売りです^^)

そうした小ポリス的部族国家の散らばる中で、商売を通じて急速に膨張し、ひときわ巨大な城壁都市となるものが出てきた…と想像します。伝説の夏王朝が、もし実在したとすれば、この頃の事であったのでは無いでしょうか。殷の古い名を「商(大邑商)」というのも、商売で大きくなったが故という事を暗示しているように思われます。(=もっとも、「商」には入墨用道具の象形としての意味もあるそうで、古代の原初の意味は、よく分かりませんでした^^;)

急速に膨張した都市は、中核住民の労働力のみでは到底支えきれず、近辺の都市と同盟(人材派遣など)し、あるいは戦争で奴隷を獲得して、その繁栄を維持せざるを得なくなった筈です。人口が更に増大すれば、また新たに多くの奴隷を必要とし、都市間の戦争も大規模化する…そして遂には、都市群・都市群の大戦争時代に突入するのであります。

(戦争というよりはむしろ、利益誘導あるいは利益確定のための部族抗争に近いものだったかも知れません)

戦争に負けそうになった都市は、縁戚を頼んで同盟を結ぶのでありますが、そこでは宗家・分家の地位格差が微妙に効果を発揮し、軍事同盟は対等な同盟ではなく、主従関係が生じてきた…と想像します。

その主従関係は、裏切りを含む不安定なものであり、青銅器を用いた呪術(=霊的威圧)によって彩られる事になった…それが、「青銅器の霊威=古代シナ王権」の結びつきの原初だったのでは無いでしょうか。生き残った「部族」は、いわゆる「祀(祭祀)・戎(軍事)」に優れた、強大な部族のみ…

いささか背筋が寒くなるようなプロセスではありますが、青銅祭祀の高度化、複雑化という事象は、戦争、及び戦争に付随する血みどろの呪術戦の発達と、切り離して考える事は不可能であります。

白川静氏の説によれば、当時の呪術戦は、魔術的な眉飾を施した眉人(=邪視の呪力を発揮する巫女)が先頭に立ったといいます。また、呪術戦に敗れた呪術師については、男女を問わず、その魔術的な力を失わせるために、全て殺害処分した…という事です。その事を、甲骨文で「蔑」と記したそうです。想像ではありますが、その首を刎ね、城門にかけて国の守り(春秋期は城門の下に埋めて呪禁)としたり、辻の祭壇に首を並べて道の守りとした筈です…

いつしか、血で血を洗う戦争が普通となり…やがて多数の従属都市を従え、強大な権力を行使し、その権力を証しする強力な青銅祭祀を完備した都市が出現します。

こうした核心的な都市のリーダーが、いわゆる「王」であった…

多数の従属都市に対して強大な権力を行使しうる核心都市は、まさしく「領土国家」と呼ばれるにふさわしいものでありましたでしょう。…そして更に…長い長い戦争を通じて…最後に生き残った1つの領土国家が大領土を得、ここに前シナ王権の誕生を、そして中原を制覇した青銅文明、〈前シナ文明〉の台頭を見ることになったのです…と、想像します。

・・・続く・・・^^

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