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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

青銅華炎の章・上古3

上代の華夏大陸を取り巻くユーラシア情勢(特に西アジア周辺)を調べてみました。物語風に仕立てています^^

【西アジア文明の終点としての東アジア】

古代における東アジアは、文明の辺境でありました。

西アジアに、壮麗なる古代オリエント諸文明が繁栄したのは、紀元前3000年頃。

シュメール文明、インダス文明、エジプト文明・・・
西アジア・オリエント地域が世界最先端です。当時は、青銅文明でありました。

青銅の原料となる銅。この金属は自然界に露出している事が多く、純銅もまた、旧石器時代以来の単純な手掘り技術で容易に得られる金属資源でありました。(おそらく当時の人々の意識の中では、「輝きを放ち、高温の炎にかざすと成形加工が容易となる、柔らかい石」でありました!)

ユーラシア大陸で、人々の手によって銅が組織的に掘り出されるようになったのは、考古学上の推定で、おそらくは紀元前4000年頃の事。

ユーラシアの大草原のどこか…大地の深い裂け目の中を、さながら太古の偉大な龍(ドラゴン)か蛇のように輝きながらうねりゆく鉱脈、または鉱床において、銅は掘り出されてきた筈です。

とりわけ、地底王国の至宝を守護するドラゴンの物語群は、そういった太古の記憶をあざやかに反映しています。ドラゴンのうねる中央ユーラシアの大草原…そこは、ドラゴン物語の遠い故郷でもありました。

紀元前3500年頃に、メソポタミア地方において古代青銅の冶金術が立ち上がってきた、と推定されています。時代は、大きく動きました。石(リト)の時代から金属(メタル)の時代へ…

本格的な青銅器を製作するには、その銅を集めて精錬し、一定の比率で錫(スズ)と混ぜ…というプロセスを踏むのでありますが、これは合金を作り出すための溶鉱炉の開発と合わせて、非常に高度な技術的跳躍を要したであろうという事が推測されています。

また、錫(スズ)はアジアでもヨーロッパでも地上に局地的にしか存在せず、どうやって青銅器の製作までたどり着いたのかは謎のままです。しかし、一旦その技術が普及すると、青銅のメリットである大量生産が進みました。そして次第に、必要量の錫(スズ)を確保するための広域貿易が、西アジア諸文明を中心として進みます。

かつてのシルクロードは、青銅ロードであったのだ、と考えられているそうです。

青銅交易ロードは、民族大移動のルートでもありました。また、気候変動その他に追われて、ユーラシア大陸の諸部族は、東西に拡散します。

推測に因れば、民族大移動の波は主要なもので3回。第1波は紀元前4500年頃、第2波は紀元前3500年頃、第3波は紀元前2500年頃に起こったのではないかと言われています。

この民族大移動の波に刺激されて、西アジアから遥か東アジアの果てまで遷移してきた諸部族こそが、最初の東アジアの青銅文明を形成した、「夏」などの諸族だったのではないでしょうか。

そして青銅器と、青銅にまつわるドラゴンの王権伝説もまた、青銅交易ロードの上に並んだ幾多のオアシス集落を渡って伝えられてきたのであります・・・^^

※殷墟の年代が前1600年頃です。なにやらドラマの存在を想像してしまいます^^

次回は、古代の青銅技術の周辺について調べた内容のまとめです。

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