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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:ゲーテ

捧げることば/『ファウスト』巻頭・ゲーテ著

また近づいてきたか、おぼろげな影たちよ。
かつてわたしの未熟な眼に浮かんだものたちよ。
今こそおまえたちをしかと捉えてみようか。
わたしの心はいまもあのころの夢想に惹かれるのか。
むらがり寄せるおまえたち。よしそれなら思うままに、
もやと霧のなかからわたしのまわりにあらわれてくるがいい。
わたしの胸はわかわかしくときめく。
おまえたちの群れをつつむ魅惑のいぶきに揺さぶられて。

おまえたちは楽しかった日の、かずかずの思い出をはこんでくる。
なつかしい人たちのおもかげのかずかずが浮かび出る。
なかば忘れられた古い伝説のように、
初恋も初めての友情もよみがえる。
苦しみは新たになり、嘆きはまたも人の世の
悲しいさまよいをくりかえす。
かりそめの幸に欺かれて、美しい青春をうばわれ、
わたしに先立って逝った親しい人々の名をわたしは呼ぶ。
初めの歌の幾ふしをわたしが歌って聞かせた人々は、
いまはそれにつづく歌を聞くよしもないのだ。
親しい人たちの団欒は散り、
最初に起こった好意のどよめきは帰ってこない。
わたしの嘆きは見知らぬ世の人々に向かってひびき、
その賞賛さえわたしの心をわびしくする。
いまも生きてわたしの声を喜んで聞いてくれる人たちも、
遠く四方にちらばっている。

しかし今わたしを捉えるのは、あの静かなおごそかな霊
たちの国への
ながく忘れていた憧れ。
わたしの歌はいまようやくつぶやきをとりもどして
おぼつかなくもエオルスの琴のようになり始める。
戦慄がわたしをつかみ、涙はつづく。
かたくなった心もしだいになごんでゆくようだ。
わたしがいま現実にみているものは遠い世のことのように
思われ、
すでに消え失せたものが、わたしにとって現実になってくる。
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