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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

震災関連の覚書

《2011.3.29メモ》・・・原発事故の隠蔽(?)の様子を観察して。。。

【大佐の科白】―AKIRAを封じた施設に入って―/アニメ作品『AKIRA』より
見てみろ、このあわてぶりを。
怖いのだ。怖くてたまらずにおおい隠したのだ。
恥も尊厳も忘れ、築き上げてきた文明も科学もかなぐり捨てて、
自らあけた恐怖の穴をあわててふさいだのだ。

東電や政府の振舞いを見ていてふと思いついたこと…、国家も組織も、ベストサイズを超えて過剰に巨大化してしまうと、今度はその巨大さに足を取られて効率的に動けなくなったり、倒れた拍子に広域に被害を波及してしまったりするものなのかも…

安定した電力は絶対に必要としても、わが国は地震国でもあって。今のような超巨大企業による一極コントロールじゃ無くて、地域ごとに上手く分散化して、ちまちまと運営するスタイルが合っているのかなあ…とか思っています。とは言え、それを実現するためには、よりエコ&省電力技術を推し進める必要があるわけで…

復興プロセスを思案してみるに…、超巨大企業に一極コントロールをお任せしていると、その影響が広域に及ぶ分だけ、被害から立ち直るには時間がえらくかかる…というのは確かですね。

そういえば、二酸化炭素排出権ビジネスやオール電化ビジネスが、原発利権と深くつながっていた…という話があって、ビックリながらも、納得できるなあと思いました。ついでにパチンコ利権ともつながっていたそうで、政治家も動きが妙に鈍かった…という謎が、やっと理解できました(=原発は二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーだと言う触れ込みだった)。


あとは、被災地入り第一陣の救助隊に居た方の覚書を、一部転載。

津波に襲われた第1日目の被災地は、救助隊の命も奪うほどの苛酷な環境であったようです。

《以下、転載》

《阪神大震災より困難が発生》

津波があったことから、大規模で大至急対応しないといけない。そう低体温症です。阪神大震災との大きな違い、それは「海水」である。被災者が濡れてしまえば暖めないといけない。しかし、まだ楽観視していた。ラジオなどの情報を聞いているメンバーから「死者10数人だそうです」と。そうか、高台に逃げる訓練を繰り返していた自治体だから、人的被害が思ったより酷くないんだな。

しかし、誰もいない現場に立つと、目の前には地獄があった。

そこかしこに遺体がある。水に中で浮いていたり、重なっていたり。「誰か返事しろ~!!!」と叫ぶ。何も反応が無くても、私はとにかく水に浸かってもなお生きているかどうかを確認していく。初めの水域は綺麗な遺体が多かった。一見すると、私達との違いは心臓が動いているかどうかだけ。今にも目を開けるのでは…というほど綺麗な遺体たち。男性も女性も。老若男女、ご老人が多かった。

先では濁流に巻き込まれた柱などと一緒に掻き混ぜられ、ありえない方向に曲がった姿をするのもあった。波に巻き込まれた場所によっては、どろどろにヒモや海草などが絡み合って腕がもげたものなども。凄まじい津波の破壊力だった。陸にでかい船があるし、想像は出発時からしてたものの酷かった。

裂傷のご遺体は自衛隊の回収部隊に任せて、とにかく生死を確かめることを淡々と進めていった。同じように酷い状態になる交通事故とかと違う点は、遺体数が膨大なことだった。何十人かのレスキュー隊が一人の事故者を助けるのとは違う。警察が交通整理をしてくれるわけでもない。横に救急車が担架つきで待機してくれてるわけでもない。誰もいない。

「おーい」と叫ぶ。しかし、すぐに声が出せない状態というのを自覚した。低体温症だ。やはり声かけではなく、一人一人確認していく。手を水に入れ、外気にさらすと凍ることもある。

生きている方がいた。水から上げて、酷い怪我を縫ったり、出血した骨折(複雑骨折)に当て木をしたり、テキパキと全員が進めていく。しかし指がかじかんで動かなくなってしまう。1時間で感覚が無くなる。生存者にはホカロンをすぐに与えて温まるように指示した。ホカロンはすぐに無くなってしまった。衛星電話は切れがちで誰の携帯もPHSも繋がらない。多すぎる…これでは助かる人も助からない。電波が入ってメールを送るも「届きませんでした」とあとで跳ね返ってきた。

ホカロンなど追加できない。しかし寒い。油の匂いやガスの匂いがするから火を起こせない。水から上げた怪我人はどうしたら良いのだろう。時間と共に衰弱していく。目の前で亡くなって行く。今後、阪神大震災後に作られた緊急医療をする隊や自衛隊にバトンタッチするために、生存者は暖めた上、避難所までの誘導と、遺体をなるべく集めておきたい。出来る限りご家族の待つだろう避難所へ送れるよう早期対応したい。

どれほどの時間が経っただろうか。キリがない救助作業。私達が目の前にしている状態から想像すると、広大な場所に同じように数百体があったりするはず。阪神大震災との違いが直ぐに判った。全員が簡単に理解した。これは苦しく長くなるぞと。

時系列では、100体の遺体が警察に発見されたという情報があった頃。もちろん我々の所ではない。マスコミチェックのメンバーに聞けば、今でも死者は50人を超えてない模様。私達の目の前だけで、ラジオやTV報道が言ってる数字を超えてる。しかし、寒い。

《初めて入った被災現場は広大》

(前略)

体が動かない経験をした人はいないでしょう。だからパニックになる被災者もいる。寧ろ亡くなる。倒れている人たちの中で生きている人を発見すると目だけが動く。「ありがとう」声ではなく唇が動くだけ。急いで暖める準備をする。この繰り返し。動けるぐらいに体温が回復すると歩ける。数時間―数十時間前は普通にできる「歩く」なのだから。

かなりの人数を手当てしたが、全体から見たら少数。ダメだ、救助人数が少なすぎるんだ。屋根に人がいた。しかし動かない。屋根は水没していたから、流されて引っかかったものだろう。上と下を見ながら歩けば、人だけじゃない、動物たちも一杯。同じように全てが動かない。静かだ。生き物の生活という意味で音が無い。時折、轟音がする。余震。音はコレだけ。

阪神大震災の時は物理的な骨折や打撲、裂傷が多かったが、寒さは同じようなものだったかな。しかし、薬類は結構間に合った。ところがココでは海水に浸かっているので死亡率が加速していく。唯一の救いは、外気温が低いために仮死状態に近い場合は助かる、助けれる可能性が出てくること。

そうこうしている時、救助した生存者が亡くなった。心臓マッサージをするが回復しない。他の医師と交代し、生存率の高いエリアを重点的に見回る。時間と勝負しながら、やっぱり秒読みだ。

周囲は2時間で我々も手足が動かなくなる寒さ。自分のホカロンは怪我の方に譲ってなくなってしまった。他の生存者も体が動かなくなってきている。連絡が取れない。自衛隊はまだか。阪神大震災の教訓で作った医療チームはまだなのか。

いや、他力本願は止めよう。一番嫌いだったこと。目の前にある問題は自力でクリアーすべし。

我々は山の上の丘へ怪我人らを集めて、または運動場のような広大な場所で焚き火をして、怪我人らを暖めようと考えた。もちろん2時間も現場で作業していれば寒さで動けなくなる我々も同じ。手足は30分で動かなくなる。足を滑らして水へ落ちれば、救助される側に簡単になってしまう。歩けなくなるし、自分だけでは這い上がれないほど力が抜けるからだ。

焚き火の場所を物色していて、遠くで火の手が上がるのを視認した。多分、油の匂いが濃くする場で焚き火をしたのだろう。どこの自治体救助者か、被災者か判らない。会えなかったからだ。我々は広い場所を探し焚き火を始めた。温まったら海岸へ行くという繰り返し。

船(ボート)さえあればなぁ。腰以上の深さはウェーダーでも限界。沖には生死すら確認できない人々(ご遺体ではない)が漂っている。早く水から出してあげたい。もし気絶だけであって、生きてたら?

そして道が無い場所というのは、富士山の樹海と同じように少しの距離を歩くだけでも大変です。重い防寒具はまだしも、生死を確認する作業、応急処置の作業も加わるし、汗や水で重くなり冷える。何といっても他のご遺体などを引き上げ一箇所に集める作業だけで体力は終了するほど消耗が激しかった。服が流された遺体達、子供達。文集とか卒業アルバムとか見つけたら水からあげておいてあげる。自動的に行動する。国籍、社会的地位、お金、出世、保身…クソ食らえ!!!と感じてしまう(失礼)。

怒りはエネルギーを生む。

1―2時間手伝ってくれるだけで、多分、この大震災の真髄が理解できるかと。特に決断の権限を持つ立場の方々(行政の長とか)には是非ともこういった作業を経験して頂きたいです。きっと〝本来の人間とは?〟という確固たる考えが出来る筈。人生を変えるほどだと思う。非常に困難。経験者じゃなければ中々理解できないものがコレです。自然には根性では解決できないものたちが多い。寒さや水…10万人の自衛官でも足りないかもしれない。

そしてメンバーも足を滑らして水に落ちた。彼は新規メンバーで靴の下に滑り止めがついてなかった。医学や救助知識は普通にあっても経験者と無経験者の差が出てきた一件だが、阪神大震災では経験した臨機応変さ、しかし〝水〟のせいで救援隊・救援者ですらこのザマ。自衛隊が来たところで活動が継続できないかも。阪神とは根本的に違う災害である(原発ではない)。

電気も灯油もなく暖めれないのは隊員達もだからだ。風呂なんか入れないだろう。被災者優先にしないといけない。私は危機を感じていた。自衛官や救助隊の病気大量生産。これから入る救援隊がどれほど亡くなるか…制服を着てなければ被災者と区別がつかないだろう。

もちろん、報道されることはないでしょう。

救援者はヒーローじゃないといけない。ツインタワー9.11の消防隊と自衛隊が重なるはずです。あの火の手を作った救助隊か地元の方々か、大丈夫だろうか。これからそこかしこで発生するだろう。

それほど寒い。私も耳が痛くなり指も足も動かなくなった。最初は寒く感じたが、今は感覚がない。雪が頬を叩くが、感覚がない。ヒモすら結べなくなった。救助しながら場所を転々とするので、焚き火の場所は遠い。

(中略)

この頃、ネットでは「拡散」とかで情報が氾濫し、本当に重要なものが流され、重要っぽい雰囲気のものがメインとなっていた。人の正義感を利用したチェーンメール等は、教えてもらった限り、現場に役立つものは見当たらなかったと思う。

この時、実はまだ津波警報発令中であり、自衛隊や私達より後の救助隊は入って来れなかった。先に現場に駆けつけた救助隊は他にもいたので、みんな同じ気持ちだったのだろうと思う。生死確認のためにはボートが効率的に必要であり、このままではどの救助隊も頓挫してる筈です。

ただ現場の場合、警報代わりは地震であり、水が引けば津波の前兆と常識なので高台に上がれば良い。別にラジオじゃなくても判断できるもの。津波注意報になれば早目の解除で自衛隊が入れるから充分。決断する人(首相)がブレイン達の意見を聞けばの話だが期待しておこう。とにかく急げ、だ。(結局、津波の注意報が早く解除され、早目に自衛隊が入れたかどうかは知らされていないです。)

マスコミのヘリや自衛隊のヘリが飛んでいる。どこかからソニックブーム(衝撃波)が届いた。あとで考えたらコレは原発の水素爆発だったんじゃないかな。何も知らない現場の我々は今は寒さが敵。

(後略)

《以上、転載終わり》

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私製和歌まとめ「日は高く」他

◇日は高く-千早佐保姫-比礼を振り-嵐は猛る-緑の丘に

◇嵐来て-雨風乱る-空になお-春とし聞けば-咲くやこの花

◇翼駆る-白の一列-北帰行-無限に遠き-空の彼方に

◇震災の-瓦礫のその名に-し負うとも-過ぎにし人の-思い去らずや(3.11大震災の瓦礫処理問題に寄せて)

◇真砂なす-星に願いを-込める夜-橋渡せるや-天つ白鷺(2010年夏、七夕に寄せて)

◇神々の-戦ありなむ-西暦の-二千と十の-夏の激しさ(2010年の夏は例年にない猛暑として記録に残るレベル)

◇炎天の-叩き落とせる-青柿が-石路(いしみち)の上(へ)に-蒸されたる見ゆ(2010年夏の炎熱に負けて多くの未熟な柿が路面に落ちる)

◇陽に討たれ-我が隣にて-逝きし人-去(い)ぬる時は-かくも疾(と)きもの(2010年夏、熱中症による死者が近隣でも増加

◇窓と空-分かちがたくて-仰ぐなり-風に震える-人の世の秋(2010年秋、気になった写真に寄せてhttp://amselchen.exblog.jp/14162718/)

◇亡国の-予言覆いし-わが国の-真夏の裁きは-未だ終わらず(2011年夏、大震災後初の暑熱の季節、予期せぬ停電の恐怖と共に)

◇風立ちぬ-生死を分ける-煉獄の-如き航路に-人を問う神(2011年夏、熱中症死者が再び増加。節電のため秋にも熱中症が発生)

◇朝露の-命刻める-戦国の-世紀を偲び-黙せりこの日(2011年夏、戦後66年目の8月15日。或る意味では節目の年)

◇天抜けて-雨降り注ぎ-土砂崩れ-無限にかなし-夏の青空(2011年夏・秋の大雨。東北は新潟&福島、近畿は那智勝浦で激甚災害)

軍事覚書:水陸両用船隊「夜明けの電撃戦」

《自衛隊の歴史的快挙、水陸両用戦隊が「夜明けの電撃戦」に参加》
(JBPRESS-2013.6.6/http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37927)

およそ250名の陸上自衛隊員を伴った海上自衛隊“水陸両用戦隊”がハワイのパールハーバーに寄港した後、5月31日、カリフォルニア州サンディエゴのアメリカ海軍基地に到着した。
6月11日から28日(現地時間)の間、アメリカ海軍・海兵隊が中心となり、日本、カナダ、ニュージーランドが参加してサンディエゴ周辺で繰り広げられる水陸両用戦合同訓練「ドーンブリッツ(Dawn Blitz:夜明けの電撃戦) 2013」に参加するためである。

◆陸・海・空の能力を併用する水陸両用戦のための訓練

現代の水陸両用戦は、陸上戦闘部隊が洋上の艦艇から海と空を経由して陸に達し、陸上での各種作戦を実施する陸・海・空の軍事力を併用する軍事作戦である。陸上戦闘部隊が海岸線に到達するまでの間、それに陸上での作戦実施の間、いずれも海と空、とりわけ航空機による近接戦闘支援や補給活動が欠かせない。したがって陸上戦闘部隊と海上部隊と各種航空部隊との統合運用能力が水陸両用戦の必須条件ということになる。
そして、このような21世紀版水陸両用戦に必要な様々なノウハウを訓練し同盟国と共有しようとするのがアメリカ海軍・海兵隊が主催するドーンブリッツなのである。
水陸両用戦の訓練というと、日本のメディアなどは短絡的に「尖閣諸島奪還訓練」といった見出しを付けたがるが、ドーンブリッツはそのような狭い目的の訓練ではない(もちろん尖閣奪還にも役には立つ)。この演習は、アメリカ海軍と海兵隊が主催しているという性格上、水陸両用戦に関する専門的・総合的な訓練である。
具体的には、水陸両用戦参加部隊間のコミュニケーション、艦艇への各種資機材の積み込みならびに揚陸、水陸両用強襲車・各種揚陸艇・各種航空機(輸送ヘリコプター、オスプレイ、戦闘攻撃機、攻撃ヘリコプターなど)の揚陸艦からの発進と回収、陸上・海上・航空担当幕僚による戦闘、災害救助・人道支援、補給などの計画立案や指揮統制、陸上作戦部隊に対する艦艇や航空機からの火器支援など、陸・海・空の様々な能力を併用する水陸両用戦のための多岐にわたる訓練が実施される。

◆太平洋を渡った自衛隊「水陸両用戦隊」

現在アメリカ海軍サンディエゴ軍港に停泊中の海上自衛隊の艦隊は、“日本的”に表現すると護衛艦「ひゅうが」「あたご」に陸上自衛隊員250名を乗せた輸送艦「しもきた」の3隻で編成された艦隊、ということになる。
だが、国際社会ではそのような“まやかし表現”は通用しない。NATOの標準的分類に従うと、ヘリコプター空母「ひゅうが」(CVH-181)、輸送揚陸艦「しもきた」(LST-4002)、ミサイル駆逐艦(イージスシステム搭載)「あたご」(DDG-177)からなる水陸両用戦隊ということになる。
もちろん、自衛隊には水陸両用戦というドクトリンが確立していないため、いくら海上自衛隊が水陸両用戦に使用できる艦艇を持っていても実情は揚陸艦とは言えないことになる。しかし、水陸両用戦に向けての訓練を開始すれば、たちまち名実ともに揚陸艦に、そして水陸両用戦隊になり得る実力を海上自衛隊は備えている。したがって、サンディエゴ軍港に姿を見せた自衛隊艦隊をアメリカ海軍や海兵隊そして地元メディアなどが日本の“水陸両用戦隊”と考えても誤りとは言えないのである。

◆水陸両用戦能力を保持していれば救えた命

“日本の国防事情に最も精通している海兵隊幹部”と言っても過言ではないアメリカ海兵隊駐陸上自衛隊連絡将校グラント・ニューシャム大佐は、自衛隊のドーンブリッツへの参加について「2年前には、誰がこのような状況が実現することを想定し得たであろうか?」と語る。
彼は東日本大震災に際してアメリカ軍が実施したトモダチ作戦に海兵隊司令部要員として参加し、水陸両用戦能力が欠落していた自衛隊の状況を目の当たりにした海兵隊将校の1人である。そして「あの大地震と巨大津波が発生した当時、もし自衛隊に水陸両用戦能力が備わっていたならば、少なくとも3000から4000名の人々の命が助かったに違いないし、極めて多くの被災者たちの苦しみも軽減されたに違いない」と常日頃から残念がっていた。
陸上・海上・空中の軍事力を併用する水陸両用戦能力が災害救助・人道支援作戦(HA/DR)に大活躍することは、東日本大震災のはるか以前よりアメリカ海兵隊が実証していたことであった。
もちろん自衛隊に限らず軍事組織の主任務は国防のための戦闘に勝つことであり、HA/DRはあくまで副次的な任務にすぎない。島嶼国家日本にとって水陸両用戦能力は国防のための必須能力であり、それは「島嶼防衛」と言われる離島部の防衛のみならず、そもそも狭小な島国日本全体の防衛に不可欠なのである(拙著『島嶼防衛』明成社、『写真で見るトモダチ作戦』並木書房 参照)。

◆ようやく動き出した水陸両用戦能力構築

日本防衛に必須であり大規模災害救援にも大活躍する水陸両用戦能力を、自衛隊は持たせてもらえなかった(要するに、政治家が必要性に気がつかず予算を与えなかった)。このような日本防衛システムにとって深刻な欠陥を、筆者は東日本大震災の2年ほど前に出版した拙著『米軍が見た自衛隊の実力』(宝島社)以来、事あるごとに指摘してきた。少なからぬアメリカ海兵隊関係者たちも、日本に海兵隊的組織を構築させようという動きを見せていた。
残念ながら、自衛隊を指揮監督する責任のある政治家や政府首脳は、東日本大震災に直面しても、なかなか自衛隊に水陸両用戦能力を持たせようとはしなかった(JBpress「ようやく着手か? 防衛に不可欠な『水陸両用戦能力』の構築」2012年9月13日)。そこで、ついにアメリカ海兵隊は、自衛隊が水陸両用戦能力を構築する方向性を打ち出す一助になるべく陸上自衛隊中枢に連絡将校を送り込んだのである。
それが、どのくらい功を奏したのかは分からないが、兎にも角にも政局に明け暮れる政治と違い、自衛隊は着実に水陸両用戦能力の取得に向けて動き始めたのである。
それまで、陸上自衛隊の水陸両用戦との関わりと言えば、毎年サンディエゴ郊外で実施される海兵隊との合同訓練「アイアンフィスト(Iron Fist)」に参加するだけであった(JBpress「米海兵隊と陸自が大規模共同訓練を実施」2013年2月1日)。これも陸上自衛隊だけが参加するため、陸・海・空を併用する統合運用訓練にはなっていなかった。
しかし、2012年の夏には、わずか40名とはいえ陸上自衛隊員がアメリカ海兵隊第31海兵遠征隊とアメリカ海軍の揚陸艦に乗り込んで沖縄から北マリアナ諸島に渡り、水陸両用戦訓練に参加した。そして陸上自衛隊は、水陸両用戦に不可欠と言える「AAV-7」水陸両用強襲車を、調査研究用の4輌だけとはいえ調達することになった。
そしてついに、海上自衛隊の輸送揚陸艦に250名の陸上自衛隊員が乗り込んで太平洋を渡り、カリフォルニアの海岸線で海上自衛隊の揚陸用艦艇と自前のヘリコプターやLCAC(エアクッション型揚陸艇)、それに各種車輌を用いて海・空・陸にまたがる水陸両用戦訓練に参加することになったのである。
ちなみに、陸上自衛隊部隊はサンディエゴ軍港に上陸したのではなく、車輌・資機材・隊員を「しもきた」から海自LCACによって海兵隊キャンプ・ペンドルトンの「レッド・ビーチ」に直接上陸した。
(LCACによる上陸の様子の映像がこちら。注:説明書きで「ひゅうが」と「しもきた」を取り違えている)

◆日本国防にとり歴史的な出来事

陸上自衛隊部隊が海上自衛隊艦隊とともに太平洋を渡り、ドーンブリッツ 2013に参加することは、ニューシャム大佐の感慨のように「2年前では想像できなかった」ことであるし、「過去65年間を通して、海上自衛隊と陸上自衛隊が統合して実施する最も意義深い出来事であり、まさに歴史的瞬間である」。彼だけではなく、アメリカ海兵隊やアメリカ海軍の少なからぬ戦略家たちが似たような感想と感嘆を口にしている。
残念ながら、アベノミクスに関しては鳴り物入りで大騒ぎしている日本政府や日本のマスコミは、自衛隊が黙々と、そして着実に自主防衛能力強化に向けて努力している状況を、国民に伝えようとはしていない。
アメリカ軍関係者たちが「歴史的」と評価している自衛隊水陸両用戦隊のサンディエゴ入港の模様や、陸上自衛隊の上陸の姿、名実ともに国際軍事社会を唸らせつつある自衛隊の姿を、日本国民に知らしめることこそ、国民の間に自主防衛の気概を涵養し国民全体の士気を高めるために必要である。そのことに政府やマスコミは気づいていないのであろうか。民主主義国家では、国防の主体は国民なのである。