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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

更新停止のお知らせ・一時的?

《2011.6.15追記》・・・15日付けで退院してまいりました。またブログ再開致しますので、どうぞよろしくお願い致します^^ゞ

ちょっと頭が浦島太郎状態であります。ブログやネット情報をあれこれ拝見して、事態が思ったより進展している部分とか、相変わらず膠着している部分とか、いろいろと驚かされております。

手術入院のお話は、次回のエントリにて…^^;


管理人は病院で手術を受けております。

切腹なので、出血量は多いそうです。

当サイトの休業期間(※管理人の入院期間)=6月15日まで(予定)?

インターネット環境からは、完全に隔離されている見込みでございます(ケータイは可?)

どうぞよろしくお願い申し上げます。


FriendFeedコメントより転載(コメントありがとうございます)

な、な、なんと、しかし貧血が手術にまで至る、とは~。どうかひとつお大事に。 - 丸山光三
《返信》ご心配おかけして申し訳ありませんでした(アセアセ)。ただ今、結構元気に退院してまいりました^^またブログ再開いたしますので、どうぞよろしくお願い致します♪
ブログ、拝見しました。まずは、手術の成功、おめでとうございます。大変でしたね。まだ入院中ですか?こういうご病気はストレス(精神的、肉体的)がよくありません。何事も「がんばらない」をモットーに気楽に行きませう。一日も早いご回復を願っています。どうぞお大事に。 - 丸山光三
《返信》丸山さま、早速のコメントありがとうございます。6.17現在は、自宅療養中であります(=入院期間は15日まででした)。いささか疲れ気味という点を除けば、だいたい日常の感覚が戻ってきたようです。来週には職場復帰できそうかな…と、思案しております*^^*
《管理人の余談》・・・自分が入院していた病室は6人用の相部屋でした。バイク事故を起こして骨折した女子高生、糖尿病の治療中の老女、検査入院の中年女性、足の皮膚の治療中の老女(火傷か何かでしょうか)、介護の必要なすごく高齢の老女(皮膚科・90才超え?)、そして自分(婦人科・手術入院)でした。女子高生はさすがに若いこともあって回復が早く、その病室からは早々と居なくなり、次の日には神経麻痺の障害女性が入院して来ました。医療関連の話題でベッド数の不足が取り上げられていましたが、この回転の速さは、「成る程」と納得させられる光景でありました。自分については、15日退院コースと16日退院コースがあったのですが、抗生剤が終わるのが15日だったので、15日退院コースを選択。体力的にはちょっとキツかったですが、割と乗り切れたので、「これで良し」と思っております…^^;
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詩歌鑑賞:謝朓

晩登三山還望京邑詩/謝朓
灞涘望長安
河陽視京縣
白日麗飛甍
參差皆可見
餘霞散成綺
澄江靜如練
喧鳥覆春洲
雜英滿芳甸
去矣方帶淫
懷哉罷歡宴
佳期悵何許
涙下如流霰
有情知望郷
誰能鬒不變
《読み下し》晩(ひぐれ)に三山に登り、還って京邑(みやこ)を望む
灞(は)の涘(ほとり)より長安を望み
河陽より京縣(みやこ)を視(み)る
白日は麗(うるわ)しく甍(いらか)に飛び
參(たかき)も差(ひくき)も皆(ことごと)く見る可(べ)し
餘霞(よか)散じて綺(き)と成り
澄江(ちょうこう)靜かなること練(れん)の如し
喧鳥(けんちょう)春洲(しゅんしゅう)を覆い
雜英(ざつえい)芳甸(ほうでん)に滿つ
去らんかな 方(まさ)に帶淫(たいいん)せり
懷しきかな 歡宴(かんえん)罷(や)めたるを
佳(よ)き期(とき)は何許(いつ)なるかと悵(うれ)い
涙下ること流るる霰(あられ)の如し
有情 望郷を知るものぞ
誰(たれ)か能(よ)く鬒(くろかみ)を變(か)えざらん
《解釈》夕暮れに三山に登る
灞水(はすい)の岸辺より長安を望み
河陽より京縣(みやこ)を遥かに眺めやる
白日の光は甍(いらか)に散乱反射して
高く低く続く屋根の連なり
名残りの夕焼けは散じて綺(あやぎぬ)となり
澄める江(おおかわ)は静かなること練(ねりぎぬ)の如し
喧(かまびす)しき鳥は春の洲(なかす)を覆い
雜(まじ)れる英(はなばな)は芳(かぐわ)しき甸(のやま)に滿つ
去らんかな 長居しすぎた野辺よ
懐かしきかな 過ぎ去りし楽しき宴よ
再びの時は何許(いつ)なるかと憂い
涙は下りて霰(あられ)の如く流れる
情(なさけ)有れば望郷の心を知ろう
誰が黒髪を変えずに居られよう

深森イラスト遊戯・初夏版

・・・☆一つ目の作品は、タイトル「初夏の宮廷の或る一日」。

童殿上(わらわ-てんじょう)というスタイルが古代から中世の宮廷にはあったそうで、宮殿の回廊の上に、童殿上の少年2人を配置。

子供に出来ることは限られていたようですし、伝言とか文の使いとか、そんなものだったのでしょうか。女の子の場合は、行儀見習いという側面もあったかも知れません。昔の子供は、割と早くから大人扱いされていたようですが…(『源氏物語』の場合、男の子は、12才から13才くらいで元服してしまっていたらしい)

当サイトの感覚では、「そりゃ早過ぎるだろう」というのがありましたので、間を取って、17才から18才で元服というような感覚である…という設定をしてあります。中世も末期になってくると、だいたいそういう感じが広がっていたようですし、ちょっと苦しいですが、それなりに妥当であろうと思案しております(笑)

…少年たちの視線の先には、どうやら壮年と見える年代の重臣クラスの殿上人(てんじょうびと)が2人。扇に隠れて、何かをささやきあっておられます。もしかしたら、いわゆる「宮廷政治の陰謀」を相談しているところかも。うーむ。何だかアヤシイ。(…という感じが出ておりますでしょうか?^^)

背景は、京都御所に観光に行った時のケータイ写真を使いました。人物イラストに合わせるために、強烈に遠近法を歪めてあるので、超時空・要塞的・奇妙な建物になっているかも知れませんが(アセアセ)…^^;

・・・☆二つ目の作品は、タイトル「紫の小姫」。

成長したら、目の覚めるような絶世の美女になるのだ、という設定…(笑)

手に持っている花は、カキツバタでもアヤメでも、どちらでも(=モデルにしたのは、カキツバタですが…)。着物の文様は「小葵文様」とか言うものです。昔は良く使われていたそうで、それなら「こういった状況でも、それほど不自然では無いだろう」ということで。

資料で昔の色合わせを見ると、昔の人は「紫」を気にしていたみたいだなと言う印象です。『枕草子』に、「薄紫に白の薄物を着ている少女が良い」とか書いてあります。

他には、例えば、衣冠ですけれども。一位から四位の貴族は「黒の衣冠」だと言うことでしたが、よーく調べてみると、どうも「濃紫」をどんどん濃くしていって、ついに「黒」と言っていいほど黒くなったのを仕立てていたらしく。正確に言ってみれば、「黒紫」でしょうか…

うーむ。本当に「黒」で作ってしまったら、それこそお葬式の色ですし、その辺は流石に、昔の貴族は敏感だったのかも知れません。「縁起でも無い」とか、そんな感じで。