忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

占いについて考える

《知人・某氏と、お喋り》

某氏:現代科学の究極のテーマってさ、ものすごくサックリと言うと「宇宙の起源」、「意識の起源」、「生命の起源」なんだってさ

自分:ほほぅ~(左から右へ聞き流す)

某氏:ニュートンから始まる近現代科学は、「現象」を「要素」に分解し、その個々の「要素」から全体を再構成する事によって理解する…という発想のもとに、世界の謎を解き明かして来た訳だ

自分:ふむふむ(ちょっとピコーンと来る)

某氏:さて、現代科学には、20世紀から新しい潮流が生まれて来ていて、現在は2つの流れがある訳だが…

自分:ちょっと待て!メモるから!

某氏:1つはニュートンから始まる近代科学的な手法ね。これ、ニュートン方程式とかに代表される、決定論的な記述法だな。もう1つはギャンブル、つまり確率論から始まった流れだ。現代科学は、この「必然性で世界を読む」と「偶然性で世界を読む」…と、2つの潮流がある

自分:決定論と確率論ね

某氏:量子論はこの2つが両方とも入ってる。だから、決定論的な世界観、つまりニュートン的な常識の中では分かりにくい訳よ。もっとも、微積分が入ってるから、見かけ上は決定論的な数字(観測上の数字)が出てるように見える訳だ

自分:ふーん

某氏:まあ、複素空間なんぞ考えてる点で、すでに半分「あの世」に突っ込んでる状態だけどね

自分:だから観測上の現実の数字が、ちゃんと計算できるんだろうけど(虚数=イマジナリー・ナンバーは偉大だ)

某氏:決定論と確率論に戻るけど。確率論が、面白いんだよな。このジャンルは、複雑系の科学の成立に大いに関与した

自分:複雑系…社会システムとか?そういえば、金融工学なんか、そんな感じだね?

某氏:うん、それもあるけど、生命科学とか地球科学なんかが「複雑系の科学」でね。決定論的な手法が通用しない世界なんだな

自分:占いなんかもそんな感じだね。統計だっていう人も居るし

某氏:いやー、占いは、確率論とか量子論とかよりは、少し話が複雑になるんだ。理論負荷性とか色々あって、解釈の偏りがハッキリ現れる訳だろ。ギャンブルの類を扱う通常の統計学では、「占い」という現象に太刀打ちできないのは、ハナから明らかだ

自分:……ふむ?!

某氏:つまりね、「占い」という行為のほとんどは、山勘というか、インスピレーションと言うか…「想像力の爆発」にあるんじゃないの。「一期一会の偶然性に全てを懸ける」という点で、それはすでに統計じゃないのよ。「繰り返し実験し、結果を再現する」という近代科学的な実証プロセスを拒否する「現象」ってことよ

自分:そういうもんなの?

某氏:占いを要素別に粉みじんにしたところで、占いのダイナミクス…というか、占い的な思考システム、判断プロセスの仕組みが解ける訳じゃなかろう。たった1枚のカード、たった1本の棒、たった1コのシンボル(記号)、そんなもの幾ら分析したところで、決定的な何かが出て来るわけじゃ無いし

自分:まあ、それはそうかもね

某氏:考えてみろ。全くの偶然に出て来た、例えば1枚のカード。「何故、そのカードが出て来たのか」、過去・現在・未来にわたって、因果律はまるで無いんだ

自分:そういえば、ニュートン力学とかは、過去・現在・未来にわたる運動方程式が組み立てられるから、その時点の物体の位置と速度を測定するだけで、全体像がパパッと計算できるよね

某氏:それが決定論的、て事だよ。現在の状況が確定すれば、全過去も全未来もいっぺんに確定する。因果律のゆえだ

自分:で、占いに使われるカードには、そういう因果律は、まるで無い、と。そこに、人間の想像力が加わる事で、有意な偏りが生まれる…ふむふむ

某氏:占いは、単純な決定論・確率論に基づくところの、近現代科学の手に負えるような対象では無いよ。むしろ、生命科学や地球科学と同じように、「複雑系の科学」の対象として考えるべきなんだ

自分:複雑系の科学…

某氏:代表的なのは、カオスだな

自分:カオスとか、フラクタルって事ね

某氏:これね、「無限」に足を突っ込んでる問題なんだと思うよ。私見だけどさ、占いって、基本的に「有限」から「無限」を組み立てるプロセスだろう? 有限個の手掛かりを元にして、無限の世界を想起…想像している。或いは、創造している。そのプロセスは、数学的にはカオス方程式で表現されることになるんだよ

自分:カオス方程式…むむむ

某氏:占いが存在する時空は、カオスである…それでさ、いったん想起した「無限」の選択肢をいっぺんにかきまぜた後、1つの解…というか、場合によっては、かなり正解に近い占い結果を引きずり出してくるわけだろ? 無意識の力でも意識の力でもどっちでも良いけどさ、それなりに「深淵の怪物」に近い物を感じるよ。ニーチェ的な意味のね


カオスに関する補足――カントール「無限は底なしの深淵だ」

「無限」を数学的に議論するプロセスの中で、カオスの性質は明らかにされてきました(数学の中では、「集合論」と呼ばれるジャンルとなります)。

カオスの方程式は、「真のカオス解は存在するが、それを計算する事は永遠に不可能」という「不可能問題」を内包しています(ゲーデルの不完全性定理と同じ構造)。

近接した時空間における解は「近似的な数値解」という形で導き出せるのですが、時間幅を長くとって何回も計算し続けると、最初はミクロレベルの誤差の範囲内に収まっていた筈のズレ(揺らぎ)が、無視できない程に大きくなってしまうのです。

以下、楽しくて分かりやすい動画(※ツイッター動画・注意)

▼二重振り子を50本,一斉に揺らした場合…未来では、50本すべての振り子が、それぞれ全く異なる軌道を描くhttps://twitter.com/lotz84_/status/866661941279834112

▼三重振り子を100本,一斉に揺らした場合…未来では、100本すべての振り子が、それぞれ全く異なる軌道を描くhttps://twitter.com/tkmtSo/status/867737885734129664

▼ローレンツ方程式(カオス方程式の一種)に従って、1000個の点を一斉に運動させた場合…1000個の点が、それぞれ、未来においては別々の場所に到達しているhttps://twitter.com/jmitani/status/868103931422883840

※何となくボヤッとした全体分布図が出来ていますが、これを「アトラクター」と言います。ローレンツ方程式が描き出すアトラクターを「ローレンツ・アトラクター」とも言います。勿論、アトラクターには色々な種類があります⇒レスラー・アトラクター、ウエダ・アトラクター、ラングフォード・アトラクター等。カオスにおける個々の解は、だいたい、アトラクター近傍に引き寄せられるようにして分布する…という性質を持っています。

※カオス解の群であるアトラクターは、フラクタル構造をしています。時空間の様々なスケール(階層)の中で、パラレルに存在しているという事でもあります。


某氏による私見の補足(メモより編集)

近代物理学が描き出す決定論的な方程式からは、未来永劫にわたって決まる絶対的な解が出て来るだけです。

ところが、現実には、原因が決定論的であっても、結果は決定論的ではないという場合がありうるのです。それがカオスです。決定論的な方程式が決まっていても、未来には、そこから、全く予想の付かない、モンスターのようなものが出現する事がある。

――カオスでは「真の解」は存在するけれど、それを機械的なロジック計算によって確定的に導き出す事は、不可能です。

しかも、現在の位置とエネルギーを割り出して計算してみたところで、過去の状況を正確に再現できる訳ではありません。そこには不確定性の"揺らぎ"があります。カオスにおいては、時間の前後にわたる因果律は、ハッキリした物では無い。

自然とは何でしょうか。自然は完全に決定論的ではなく、確率論的でもありません。必然性と偶然性とが入り交ざり、無限の深みにまで至る程の、揺らぎとランダムさを現出しています。

現実の人間の運命もまた、自然と同様に、完全に確定性/不確定性と言える訳では無いでしょう。生まれた国、時代、社会環境、身体的限界(性別)、などといった拘束条件があり、場面や状況が似ていれば、大体の人は似たような選択や行動をとると予想できます(社会心理、集団心理etc)。

この辺りに、「占い戦略」があるのかも知れません。有限個のシンボル数に集約しパターン化した「取っ掛かり(=易、占星術など各種の占いスタイル)」を以って、「無限」という"底知れない深淵"と格闘する。

そして、無限の選択肢の中から(究極的には、完全に対立する「Aか、Bか」という二つの選択肢の中から)、或る種の偏りをもって(験を担ぐなどして)一つの解を選び出す。

このような判断は、占いでは恐らく普通の事であって、極めて生命的・意識的な行為です。機械には、こういう判断は絶対に出来ません。論理矛盾に陥って、フリーズしてしまいます。

※例:此処にネズミが居るとします。少し離れた位置Aにチーズがあります。反対方向に、等距離の位置Bにチーズがあります。ネズミはA:チーズ、B:チーズ、どちらを選ぶべきでしょうか――というような問題☆彡
⇒お腹を空かせたネズミは、しばらく考えた後、AかB、どちらかをパッと選択します。機械は判断できず、デッドロック状態になります(笑)


例に挙げた「ネズミの判断タイム」、「占いタイム(手掛かりを得てから、結果を出すまでのタイムラグ)」は、同じ性質のものなんじゃないかという意見があります(正しいかどうかは、分かりませんが)。

この「空白タイム」は、人工知能の研究分野においても、非常に興味深いものだそうです。こういう、どっちつかずの、いわば「判断が宙づりになる時間帯」というのは、機械にはありません。生命(意識)のみが持つ、特別な時間だと考えられます。

実際、「予測」「想像(サイコロを振る)」「直感」「創造」といったメカニズムが、どうやって発生するのかは、今でも解明されていない謎です。「量子振動やカオスといったものが関わっているのは、ほぼ確からしい」という言及があるだけです。

生命(意識)が持つ、特別な時間――カオスが躍動する、と言う意味では、カイロス的な時空でもあるかも知れません。詩的には「神話的時間」と呼ばれて来た、いわば「狂気の時間」であろうと思われます。

思考を整理し編集するためのツールとして使われて来た、各種タロットカードや占星術記号…その組み合わせや解釈のワザには、興味深いものがあります。

本来の占いとは――占いが発祥した古代においては――プレ数学&科学と並んで、"無限"の深みに挑むための思考スタイルだったのでは無かったか、とも思われます。恐らく、権力と結び付いたために、変質は早かったのでしょう。

PR

考古学的に考える月と兎の関係

考古学的に考える月と兎の関係/http://togetter.com/li/298839

◆スーパームーンというので、考古学的な月の話をしようか。大抵の文明では太陽暦より太陰暦の方が先に来たと考えられているけど、それは「月の満ち欠けと時の変遷」の相関関係が分かりやすいからだと言われてる。RawheaD 2012/05/06 02:05:23

◆そして、世界最古の「月の満ち欠けの記録」が、フランスのドルドーニュで発見されたオーリニャック文化の、この遺物(http://lunarscience.nasa.gov/articles/oldest-lunar-calendars/)。オーリニャックの太陰暦と呼ばれるこれは、動物の骨に月の満ち欠けが刻まれているという。約32,000年前の遺物。RawheaD 2012/05/06 02:07:21

◆日本だと「月にいるのは兎」と相場が決まっているが、ご存じの通りこれは世界各地で異なっていて、クワガタだったり女性の顔だったりする。中国も実は兎で、これは分かりやすい(日本のが後発だろう)けど、実はマヤ等メソアメリカでも一般に兎と言われている。RawheaD 2012/05/06 02:13:40

◆この事実をベースに「実は古代マヤ文明は中国と交易があった」と論じる研究者もいるが、考古学的にこの学説は全くサポートされていない。というのも、中国産の遺物がマヤ地域で見付かったことも、その逆も、ただの一度もないからだ。RawheaD 2012/05/06 02:16:09

◆もう1つの考え方は、マヤ人の先祖が東アジアから持ち込んだというもの。新世界の人々は元を辿ればほぼすべてが北東アジア出身と考えられている。新大陸へ渡ったのは1万5000年~9000年前。「月の兎」という文化的概念も、もしかするとそこまで遡るのかもしれない。RawheaD 2012/05/06 02:20:40

◆しかし、もう1つ可能性がある。それは、兎の懐胎期間が平均すると、ちょうど月の周期と同じ「30日」という事実に関係する。兎を観察していればそれに気付くのは難しくないし、その期間が月の満ち欠けと同期していると思うのも無理は無い。RawheaD 2012/05/06 02:25:00

◆つまり、東アジアとメソアメリカで全く独立して「月と兎の密な関係」という思想が生まれてもおかしくない、という考え方である。そして、その思想をベースに満月を見上げてみると……やっぱり兎が見えてしまうのだろう。個人的にはこれが一番可能性が高いと思っている。RawheaD 2012/05/06 02:26:15

◆古代マヤにとって、いかに「月と兎」の関係が密であったかを端的に表わしている土器がある。ボストン美術館所蔵のこの一品(残念ながら盗掘品の可能性大)には正に、月の女神が兎を産んでいるシーンが描かれている:

http://research.mayavase.com/kerrmaya_hires.php?vase=559

twitter覚書:安全保障の思考

https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327900321399574528
これは制度やシステムの問題の部分よりも、周知、または「情報を受け取る側の認識不足」の問題が大きいと思う。警戒音・警戒色・警戒報は、それが何を意味するか、受け取ったらどうしなければならないかが共有されてないと意味ない。それは大人向け教育の領域の問題。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327900774870953984
「地震の後には津波が来る」と知識で分かっていながらも、それを「警戒すべき危険」と認識しきれなかったことで大勢が亡くなった東日本大震災の津波を「日本」としては経験していて、阪神淡路大震災を「西日本人」として体験していながら、「自分ごと」として体験していなければ、身に付かない。
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg 阪神淡路大震災から20年も経ってないのに「自分事」になってないということは、教訓が十分に下の世代に伝えられていないことになりますね。東日本大震災では「津波てんでんこ」とか津波に注意を促す石碑に改めて注目が集まりました。
加藤AZUKI@ぶつ森最優先の人生 @azukiglg
これは憶測ですけど、「恐ろしいものの記憶を呼び覚まさせて怯えさせないために、怖い体験についてできるだけ語らない、封印する、子供のためにそれをする」という【善意】が、恐怖心を励起しかねない地震への備えを封じてしまったのかな、と QT @kotobukibuneBOT:
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg なるほど。善意が裏目にでるケースですね。確かに日本人は過去の嫌なことは、一切合切、"教訓”をも一緒くたに「水に流して」しまっているかもしれませんね。
加藤AZUKI@ぶつ森最優先の人生 @azukiglg
「自分が経験した辛い思いを子供達にも味合わせたくない」というのは、それはそれで善意だと思うんですよ。だけど、そこから得られたはずの教訓は「辛い経験」を合わせて教えないと効果がないのに、辛い経験もそれに即した教訓も教えないから伝わらない。 QT @kotobukibuneBOT:
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327901115708489728
東日本大震災の津波警報を大人ほど真に受けなかったことに、ちょっと似てる。東日本大震災後に強化された緊急地震警報を、東日本大震災の当事者意識が薄い西日本では「自分事」として受け止められてない、ということの証左かもしれん。
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg 福島原発事故後の計画停電も実施した地域としなかった地域とで危機感の差があったと感じます。その時期、仕事で名古屋にいったのだけど、首都圏は節電でネオンもなく暗かったのが、名古屋にいったら、エスカレーターも全稼働。照明も煌々。別の国かと思った。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327901328867225600
愚者は経験に学ぶというが、「他人が酷い目に遭ったことを教訓として、他の人が酷い目に遭わないように」と作られた制度やシステムであっても、自分自身が酷い目に遭わなきゃ活かすことができないってんなら、意味ねえ。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327902752472698882
ふと思い出したのが怪ダレのコンセプト。手前味噌ではあるが、怪ダレの重要なコンセプトのひとつに、「大人が目を離した隙に勝手に死んでしまう子供を少しでも減らす」「子供が自分で自分を救えるように警戒心を育む」ってーのがある。保護者の方に怪談本を買い与えていただく方便ではあるんだが……
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903011726819328
子供に対して大人がどんなに配慮したとしても、大人の配慮の網の外で子供が勝手に死んでしまわれては元も子もない。配慮されるべき子供自身が、もっと真剣に自分の身を守り、自分で自分を救うことに熱心でなければならない。子供が大人になってもそれは同じことだ。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903202169212928
社会や政府が守ってくれるはずだから、守られる側である子供……成長した「一般人の大人」が、自分の身を守ることに不熱心だったり、勝手に死んでしまっては、社会や政府がそういう「守る仕組み」を作っても無意味になる。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903667472723968
安全保障の思考(これは、防災もそうだし防犯もそうだし純軍事的な意味での防衛もそう)というのは、「守られる側が守る役目の人々にのみ過剰な努力を強い、守られる側がまったく努力しない」というのでは成り立たない。勝手に死ぬ、迂闊に死ぬのは、守られる側の怠慢だと思う。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903936239521792
要するに、「慎重に警戒心を持ち注意深く、そして自分を例外だと思ったり心配を他人事だと思ったりしないようにしましょう」ただし「よく考えましょう。深く考えずに思考凍結して、検討すべき前提を更新しないのはバカがすることです」ってことだと思うにょ(´・ω・`)