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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

覚書:西暦775年の天変地異

★西暦775年、天の異変は記録されていたのか?(http://togetter.com/li/315711)

「775年に地球外から飛来した宇宙線が前年比で過去3千年間では最大級の増加率で急増」というニュースに、天文&科学(史)クラスタが反応。8世紀、天の異変は果たして記録されていたのか? 江戸時代の科学史がご専門の佐藤賢一先生が『新唐書』から該当する記述を見つけてくださいました。by hashimoto_tokyo

【西暦775年、宇宙線が過去3千年間で最大級の増加】

【科学】共同:8世紀、宇宙環境が大変動 超新星か太陽爆発か…原因は謎(短縮URL)「775年に地球外から飛来した宇宙線が前年比で過去3千年間では最大級の増加率で急増し、原因が特定できないことを名古屋大の増田公明准教授らが明らかに」 hashimoto_tokyo 2012/06/04 02:10:49

(短縮URLのリンク先)http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012060301000748.html
▼8世紀、宇宙環境が大変動-超新星か太陽爆発か…原因は謎/奈良時代、宇宙環境に大変動があった。775年に地球外から飛来した宇宙線が前年比で過去3千年間では最大級の増加率で急増し、原因が特定できないことを名古屋大・太陽地球環境研究所の増田公明准教授(宇宙線物理学)らが明らかにし、3日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。樹齢約1900年の屋久杉に取り込まれた炭素濃度から分かった。原因として(1)星が寿命を終える前に起こす「超新星爆発」でのガンマ線の大量放出(2)太陽表面の超巨大爆発「スーパーフレア」による高エネルギー陽子の放出―などが考えられるが、断定できないという(共同通信2012.6.4)


西暦775年に宇宙から強放射線が降り注いだとな。(短縮URL)炭素同位体比を変えるのは高エネルギーなので普通は銀河放射線を疑うけど、先日可能性が指摘されたスーパーフレアならありかな。スーパーフレアなら赤気(低緯度オーロラ)の記録とかありそうだけど。 sikano_tu 2012/06/04 06:48:57

Nature誌での他の研究者の評価を見ると、現象があったのは結構確からしい。論文はNHKのコメントと真逆で、フレアも超新星も可能性がないと言っているけど。(続く)→ 775年に宇宙から強放射線か(短縮URL) kippis_sg 2012/06/04 23:26:51

ただ、Natureのオンライン記事では「巨大なフレアが起きたと考えるに足る根拠はある」としている。775年前後に、大規模なオーロラが発生したことを示す文献が眠っているのではと。実際、記事へのコメントにそうした情報が寄せられている。(短縮URL) kippis_sg 2012/06/04 23:29:18

【それって記録に残ってないの?】

775年の強放射線。超新星爆発なら、その記録が世界のどこかでされていないはずがないとも思うんだけど、どうなんだろうね。 sikano_tu 2012/06/04 06:56:44

@sikano_tu 続日本紀に記録があるかと思ったけど、8世紀には天文観測の記録がないのだそうな。 masyuuki 2012/06/04 07:02:14

そっか。そりゃそうだね。 @Miyata_Iori 南半球でしか見えない位置だと記録に残らなくても仕方ないかと思います。 sikano_tu 2012/06/04 07:01:58

@sikano_tu じゃあたとえ観測してても日本の記録には残らないね。 masyuuki 2012/06/04 07:03:31

@masyuuki 日本は無理でも中国とかはありそうだけどね。超新星だと南天で起きてたら記録はなくて不思議ない、スーパーフレアの赤気なら記録されるとおもうけど。 sikano_tu 2012/06/04 07:04:30

@masyuuki 低緯度オーロラの場合も、かなり北の北海道とかだから、当時の日本では記録されないとおもう。でも中国ならね。 sikano_tu 2012/06/04 07:07:36

Wikiで775年を調べたけど、めぼしい出来事はなかった件。 wdb201126 2012/06/04 07:06:41

@wdb201126 ないですよね~。オレも調べたけど( ・∀・ ) sikano_tu 2012/06/04 07:08:28

@sikano_tu そんなものだったら、世界的に記録されてそうだし。ローカルな別の現象でしょうか。隕石とか、噴火とか??そんなの論文にするときに既に調べてあるんでしょうけども。 wdb201126 2012/06/04 07:10:15

@wdb201126 超新星だと南天で起きてれば記録には残らないでしょうね。スーパーフレアなら低緯度オーロラはたぶん生じたはずだから、中国とかに記録があってよさそうに思います。隕石や噴火も可能性としてはありますね。その場合、一時的寒冷化とか起きてないのかな。 sikano_tu 2012/06/04 07:16:09

@sikano_tu ハレー彗星なんか、確実なのが始皇帝の頃から記録されてるんだねえ。すごいね人間は。 masyuuki 2012/06/04 07:11:15

@masyuuki 中国は天がすべての運命を支配していると考えてきたので、その予兆を読み取るのにメチャクチャ情熱傾けているよね。あと、昔のハレー彗星は、オレたちが見られたのとは違って、まだ蒸発してないそれは見事な物だったんでしょう。 sikano_tu 2012/06/04 07:18:44

【佐藤先生がアップを始めました。】

奈良時代後期の天文記録だと、中国の史料に当たるのが一番確実かな。日本側の記録はちょっとどうかな。後で確認しよう。 ke_1sato 2012/06/04 09:36:54

@ke_1sato 天文記録>南半球でしか見られない現象だった可能性もあるわけですよね? どんな記録が残っているか(あるいは全くないのか)、後で教えていただけると嬉しいです。 hashimoto_tokyo 2012/06/04 09:43:24

@hashimoto_tokyo 天変地異の記録一覧のようなものを歴代の王朝がまとめているので、調べてみます。たしかに、南半球だと記録そのものがあるかどうか。。。 ke_1sato 2012/06/04 09:49:52

【『新唐書』の記録によると…。】

西暦775年に宇宙線の飛来が通常の20倍もあったという名大研究チームの報告。中国の王朝が残した記録が気になって調べてみた。まあ、書いてあるとしたら『新唐書』の天文志ぐらいだろうとあたりをつけて探ってみたら、該当年代付近(大暦年間:766-780)に次のような文言があった。→ ke_1sato 2012/06/05 20:05:20

→『新唐書』志22天文2の「日変」の項目に「大暦二年七月丙寅,日旁有青赤氣,長四丈餘。壬申,日上有赤氣,長二丈。九月乙亥至於辛醜,日旁有青赤氣。三年正月丁巳,日有黄冠、青赤珥。辛醜,亦如之。凡氣長而立者為直,橫者為格,立於日上者為冠。」とあった。大体の意味は、→ ke_1sato 2012/06/05 20:08:15

→「大暦2年(767年)の7月、太陽の脇に青と赤の気が有り、長さが4丈ほど。[同月]太陽の上に赤い気があり、長さが2丈ほど。9月にも太陽に青と赤の気が。3年正月には太陽に黄色の冠のような気があり、赤と青の気もまわりにあった。。。」この前後、太陽に関する記載で目立つものはない。→ ke_1sato 2012/06/05 20:17:13

→この775年前後、太陽の何らかの活動に由来するものだとすると、太陽に関する記録はこれぐらいでしょうか。低緯度オーロラかと思える記録(五色の雲のような表現)があると面白いのですが無いようです。(手抜きして、原文はこちらを参照しました= http://blog.sina.com.cn/s/blog_514568950100o5zr.html)→ ke_1sato 2012/06/05 20:25:54

→それから、念のため超新星爆発もあったかどうか探してみましたが、それをイメージさせる文言は「[大暦]十一年(776年)閏八月丁酉,太白晝見經天。」ぐらいでしょうか。これは「金星が昼間に現れて太陽を通過した」という表現だと思うのですが、え?金星日面通過か?。。。→ ke_1sato 2012/06/05 20:31:58

→過去の金星日面通過の日時を計算した情報(http://www.projectpluto.com/transits.htm)によれば、この776年には起きていないことが分かります。そこで「太白が昼間現れた」という記載だけが正しいと考えれば「もしやこれは超新星を金星と間違えた?」という可能性もあるわけですが、実は。。。→ ke_1sato 2012/06/05 20:39:25

→実は「太白晝見經天」という表現は歴代の王朝の記録に頻繁に出てくる文言なので、今回の記録照合には正確さを期待できる情報としては使えないのではないかと推定します。もちろん、南半球で観測される何らかのイベントが原因だとしたら、中国の記録は最初から期待できません。→ ke_1sato 2012/06/05 20:48:06

→当時の中国、唐王朝の様子を振り返ると、有名な玄宗皇帝の在位期に起きた安史の乱、これによる混乱が続いている最中でした。もしこの記録が正確であったとすれば、太陽に生じた際だった異変が、当時の人々に強烈な不安を与えたのではないかと想像します。→ ke_1sato 2012/06/05 21:01:57

→中国の歴代王朝の天文現象の記録はこのようになされていますが、果たしてどの程度の信頼性があるものなのか、気になります。現段階では、他に参照すべきデータや記録もないので、当該事象の原因の1つであるかもしれない、という言及に留めておきたいと思います。ご教示をいただければ幸いです。了 ke_1sato 2012/06/05 21:12:49

@ke_1sato ツイートに触発されて『続日本紀』に当たりましたら神護景雲元年に「雲本朱に末黄に稍五色を具へつ」(『新日本古典文学体系15 続日本紀 四』p.173)という記述がありました。註曰く6月から7月にかけて各処に瑞雲(景雲)が出現したのを受けて改号したようです。 homkithi 2012/06/05 21:31:47

「雲本朱に末黄に稍五色を具へつ」(『新日本古典文学体系15 続日本紀 四』p.173)おお! 註曰く「天平神護三年を改めて神護景雲元年とする称徳の詔」「6月から7月にかけて各処に瑞雲が出現したことを述べ、これらは瑞書にいう景雲で」…なんと年号自体、低緯度オーロラ? #775AD homkithi 2012/06/05 21:20:46

ああ!まさに中国の記録と月単位で符合しますね!!これはもしかしたら。ありがとうございます! RT @homkithi ツイートに触発されて『続日本紀』に当たりましたら神護景雲元年に「雲本朱に末黄に稍五色を具へつ」(『新日本古典文学体系15 続日本紀 四』p.173)という記述が ke_1sato 2012/06/05 21:35:40

先ほど @homkithi さんに教えていただいた情報をもとに、あらためて村山修一氏の『日本陰陽道史話』(大阪書籍・1987年)を読み返しました。「神護景雲」改元(767年)は、もしかしたら低緯度オーロラを見たことによるのかもしれませんね。京都・伊勢・三河での目撃例があったと。→ ke_1sato 2012/06/05 22:07:39

→そもそも「慶雲」(景雲)とは、村山氏の表現では「烟の如くして烟に非ず、雲の如くして雲に非ず」というものだそうで、オーロラだったとしたらなるほどなあ、と思ってしまいそう。この時の日本では、有名な弓削の道鏡が暗躍していた。うーむ、そういう時期と重なっていたわけですね。これも面白い。 ke_1sato 2012/06/05 22:11:09

今までの話からいくと、弓削の道鏡や和気清麻呂といった当時の人々は、日本史上最大級に宇宙線を浴びていたことになるわけですか。。。あらら~ ke_1sato 2012/06/05 22:19:30

@ke_1sato 村山氏の説の典拠は、恐らく『漢書』天文志「若煙非煙、若雲非雲、郁郁紛紛、蕭索輪囷、是謂慶雲 。 慶雲見、喜氣也。若霧非霧、衣冠不濡、見則其城被甲而趨。」か『宋書』符瑞志下・『晉書』天文志中の同様の記事かと。 Cuno_vonTandel 2012/06/05 22:45:25

度々のご教示、ありがとうございます!不勉強を露呈してしまいましたが、新しい興味関心を関心を開いていけそうです。 RT @Cuno_vonTandel 村山氏の説の典拠は、恐らく『漢書』天文志「若煙非煙、若雲非雲、郁郁紛紛、蕭索輪囷、是謂慶雲 。…… ke_1sato 2012/06/05 22:53:05

【太白についての解釈など、ディスカッションも】

@ke_1sato ほぼ同じ内容ですが念のため『旧唐書』志十六、天文下、災異編年「大曆二年七月……丙寅申時、有青赤氣長四十餘尺、見日旁、久之乃散。壬申(十二月)、赤氣長二丈亙日上。甲戌酉時、白氣亙天。……九月……乙亥、青赤氣亙于日旁。……三年正月……丁巳巳時、日有黃冠、青赤珥。」 Juan_deArizonac 2012/06/05 20:37:31

ありがとうございます!今日は両唐書の並記を手抜してしまいましたm(_ _)m RT @Juan_deArizonac ほぼ同じ内容ですが念のため『旧唐書』志十六、天文下、災異編年「大曆二年七月……丙寅申時、有青赤氣長四十餘尺、見日旁、久之乃散。壬申(十二月)、赤氣長二丈亙日上…… ke_1sato 2012/06/05 20:42:32

@ke_1sato 「太白晝見經天」は「太白が白昼に見え、天を通過した」程度の意味で、日面通過とは無関係かと。当該現象は、斉藤国治氏『中国古代の天文記録の検証』p418によれば、「西方最大離角に近」く、(-4等近くなるので)見えただろうと。 Juan_deArizonac 2012/06/05 20:54:39

おお、ご教示多謝です! @Juan_deArizonac 「太白晝見經天」は「太白が白昼に見え、天を通過した」程度の意味で、日面通過とは無関係かと。当該現象は、斉藤国治氏『中国古代の天文記録の検証』p418によれば、「西方最大離角に近」く、(-4等近くなるので)見えただろうと。 ke_1sato 2012/06/05 21:04:15

としますと、よくある現象なのでとり立てて注意する必要はなさそうですね。 RT @Juan_deArizonac 「太白晝見經天」は「太白が白昼に見え、天を通過した」程度の意味で、日面通過とは無関係かと。当該現象は、斉藤国治氏『中国古代の天文記録の検証』p418によれば、。。。 ke_1sato 2012/06/05 21:06:02

@ke_1sato 大して関係無いかも知れませんが、旧唐書の代宗紀、大曆元年に「是冬無雪。」と有り、翌二年正月癸酉には、天文儀器(?)や天文書の私蔵を禁じる詔勅が出ています。どちらも史書に散見する内容ですが、念のため。 Cuno_vonTandel 2012/06/05 21:37:22

ありがとうございます!こちらも天文に対する意識を考える上では貴重な情報だと思います。 RT @Cuno_vonTandel 大して関係無いかも知れませんが、旧唐書の代宗紀、大曆元年に「是冬無雪。」と有り、翌二年正月癸酉には、天文儀器(?)や天文書の私蔵を禁じる詔勅が出ています。 ke_1sato 2012/06/05 21:43:30

スーパーフレア?! RT @ke_1sato: →「大暦2年(767年)の7月、太陽の脇に青と赤の気が有り、長さが四丈ほど。[同月]太陽の上に赤い気があり、長さが2丈ほど。9月にも太陽に青と赤の気が。3年正月には太陽に黄色の冠のような気があり、赤と青の気もまわりにあった。。。」… h_okumura 2012/06/05 20:27:29

@h_okumura 書かれていることだけをそのまま信頼するとスーパーフレアのようにも思えるのですが、いかんせん、どの程度の信憑性があるものかが見極められないのが残念です。 ke_1sato 2012/06/05 20:51:28

@ke_1sato @homkithi 失礼します。天文記録ではないのですが、775年(宝亀6)は井上皇后の光仁天皇呪詛事件があった年で、その後天変地異が続いたため神として祀られるようになったという話がありまして(続く)。 Satsuki_1963 2012/06/05 22:48:38

@ke_1sato @homkithi 例えば、手元の吉川弘文館『跋扈する怨霊(山田雄司)』によれば、『続日本紀』宝亀7年9月条に「20日間以上にわたって、夜ごと京中に瓦・石・塊が降ってき」たという記述があるようです。後で祀るくらいですから何かはあったのかもしれません。 Satsuki_1963 2012/06/05 22:53:10

@Satsuki_1963 @ke_1sato 「是月、毎夜、瓦・石及塊自落内竪曹司及京中往々屋上。明而視之、其物見在。経廿餘日乃止」(『新日本古典文学大系16 続日本紀 五』p.18)ですね。井上円了が言うところの天降異物でしょうか。面白いです。 homkithi 2012/06/05 23:03:45

ありがとうございます!迷信と思っていた天変地異が、本当にあったかもしれない自然現象だったというのが今回の驚きでした。もちろん当時の人たちにはその区別が付かなかったわけですが。。。 RT @Satsuki_1963 例えば、手元の吉川弘文館『跋扈する怨霊(山田雄司)』によれば…… ke_1sato 2012/06/05 22:59:33

天文志では赤気については、707年、762年(3回)、767年(3回)、白気については、767年、770年、773年、776年にありますね。775年の記録は見つかりませんでした。BY「中国古代の天文記録の検証」小沢賢二、斉藤国治著@hashimoto_tokyo yamamisa3 2012/06/05 23:10:26

@yamamisa3 @hashimoto_tokyo 無関係かもしれませんが『新唐書』巻三十六 志第二十二 天文二 の「月変」という項目で大暦十年(西暦775年)の九月戊申に、月に白気や黒気が掛かったというような話が出てくるようです。ご参考まで。 #775AD homkithi 2012/06/05 23:33:23

【金星の日面通過は明日、6月6日です。詳しくは国立天文台の大石先生から】(省略)

【第1部・完】

わずか2日の間にすごい勢いでご覧頂き、41,000viewを超えていました。(まさかの展開。。。)橋本さんの名編集、色々とご指摘を頂いた皆さんとのやりとりのおかげと思っています。感謝、感謝。/西暦775年、天の異変は記録されていたのか?(http://togetter.com/li/315711) ke_1sato 2012/06/07 17:28:22

奈良時代の元号に「神護景雲」という不思議な名前のものがあるが、その由来が彩雲の出現。以前は眉唾だと思っていたが、『新唐書』の該当年の記録に「赤気」などの類似記録があったことで、これは現実にもそのようなものが見えた可能性もあると思えた。この対照が自分にとっては新しい知見だった。 ke_1sato 2012/06/07 18:13:51

自分は多賀城の生まれだけど、日本の古代史はてんで素人なので、いつも脇から拝見しているだけだった。非常に少ない文字史料から推理を働かせる点は、近世史と全く逆なんだなあと常々思っていた。そんな時に、日中の間でほぼ同時に起きた天変地異を対照できたことは驚き。こんな方法論もありかも。 ke_1sato 2012/06/07 18:19:15

図らずも、古代以来の記録が残っていることの貴重さを再確認する経験となった。たとえ、一見怪しい記載であっても、複数史料の突き合わせができるまでは是非の判断を保留するのがよいのかもしれないなあ、と思わされもした。 ke_1sato 2012/06/07 18:33:53

とはいえ、神秘的な現象を前にした古代人の心性を想像すると、一度低緯度オーロラのように不思議な光を実際に見たとしたら(しかも集団で見えた)、それ以後に起きた何でもない現象まで、天変地異として感じる障壁が低くなったのではないかなあ。以後、瑞祥・凶兆が連発されたのはそれが理由の1つかも ke_1sato 2012/06/07 18:42:28

【第2部(議論は続く)】

引き続き、西暦775年絡みでちょこちょこと。赤気と白気と黒気の違いについて調べたい。赤気と白気は低緯度オーロラの色違いかな、と思うけれど、黒気はなぁ…「大历十年九月戊申,月晕荧惑、毕、昴、参,东及五车,晕中有黑气,乍合乍散。」月に叢雲、ただの黒雲という気もするし。 #775AD homkithi 2012/06/07 07:17:09

大曆十年九月戊申,月暈熒惑、畢、昴、參,東及五車,暈中有黑氣,乍合乍散。(大暦十年九月戊申(旧暦九月十七日=西暦775年10月16日)、月暈が、火星、おうし座、オリオン座から東はぎょしゃ座にまでかかり、暈中には黒雲があり、集まったり散ったりした。)…月暈そんなでかくなるかな… hadukino 2012/06/07 21:21:12

十二月丙子,月出東方,上有白氣十餘道,如匹練,(十二月丙子(旧暦十二月二十七日=西暦776年1月12日)、月は東方より出で、上には白雲十数筋が一匹の練絹の様に流れ…) hadukino 2012/06/07 21:22:35

貫五車及畢、觜觿、參、東井、輿鬼、柳、軒轅,中夜散去。(…ぎょしゃ座、おうし座、オリオン座、ふたご座、かに座、うみへび座を貫いて夜半には散った。) hadukino 2012/06/07 21:22:49

久しぶりに漢語訳などしたのでかなり適当だな(^^; 暦換算も大昔に使っていた換算表引っ張り出してきてこれもまた久しぶりにやってみたので間違ってるかもなぁ(^^; hadukino 2012/06/07 21:24:25

この黒気だったり白気だったりが、太陽嵐の影響による大気の乱れが引き起こしたものであるなら、状況証拠にはなるのだろうけど、どうなんだろうか? hadukino 2012/06/07 21:26:12

ああ、旧唐書代宗本紀の大暦十年の記述だと「月暈,熒惑犯昴、五車、參、東井等星」で、「月暈がでて、火星がおうし座、ぎょしゃ座を通って行った」という意味になってるな。天文志が脱字しているのか。 漢川草廬-二十四史-舊唐書-卷十一‧本紀第十一 (http://www.sidneyluo.net/a/a16/011.htm) hadukino 2012/06/07 22:23:27

これが西暦775年10月16日20:00の西安の空。(短縮URLリンク先) hadukino 2012/06/07 22:59:45

火星はたしかにおうし座・ぎょしゃ座の辺りにいるねぇ。でもさっき「通った」と書いちゃったけど、正しくはその宙域に火星がいるという意味で取るべきだったな…てへぺろ☆ hadukino 2012/06/07 23:04:00

で、さっきのプラネ画面だと火星のすぐそばに月があるので、月暈が出ていればたしかにおうし座、ぎょしゃ座にかかることにはなるな… hadukino 2012/06/07 23:06:51

月がちょうど東の地平線から出始めている頃で、その上を「白気」がかに座、ふたご座、ぎょしゃ座、オリオン座、おうし座と、ほぼ黄道十二星座に沿ってかなり幅広に伸びていたことになるなぁ。これがただの夜空にかかった筋雲か何かだったのかそれとも低緯度オーロラだったのか、はてさてみたいな? hadukino 2012/06/07 23:14:16

まぁ星の位置関係はこれでなんとなくつかめるけど、結局黒気、白気がなんなのかはよくわからない。ほんとに低緯度オーロラだとしたら、それが西安の辺りで見えるのかどうか? hadukino 2012/06/07 23:07:57

んで、これが白気が出たという西暦776年1月12日20:00の夜空、と。(短縮URLリンク先) hadukino 2012/06/07 23:09:50

かなり稀ですが、22°内暈ではなく46°の外暈の可能性は? RT @hadukino 大暦十年九月戊申(旧暦九月十七日=西暦775年10月16日)、月暈が、火星、おうし座、オリオン座から東はぎょしゃ座にまでかかり、暈中には黒雲があり、集まったり散ったりした。…月暈そんなでかくなる aurora_lummox 2012/06/07 23:21:01

北緯34度ならば、低緯度オーロラの可能性はあるかも…ですが、南天までは来ないかな? RT @hadukino: まぁ星の位置関係はこれでなんとなくつかめるけど、結局黒気、白気がなんなのかはよくわからない。ほんとに低緯度オーロラだとしたら、それが西安の辺りで見えるのかどうか? aurora_lummox 2012/06/07 23:21:37

その可能性と775年宇宙線増大の可能性が結びつけばアリなんでしょうけど、ハロって宇宙線の影響受けるのかなぁ… RT: @aurora_lummox: かなり稀ですが、22°内暈ではなく46°の外暈の可能性は? RT @兎 大暦十年九月戊申(旧暦九月十七日=西暦775年10月16日 hadukino 2012/06/07 23:31:22

ああ、影響するという説はあるのか…読んでる:スベンスマルク効果 - Wikipedia hadukino 2012/06/07 23:36:07

てことは宇宙線の増大が雲粒…氷晶の生成を促進させて、月暈を鮮明に現出させた可能性は…なくもないのか…? hadukino 2012/06/07 23:37:40

月暈の方はそれで推測できそうだけど、もう一つの白気は東の地平から天頂側に縦に何かが伸びるように見えていたらしいから、これも大気光学現象だとすると、月の出直後の月光を光源に現出できるかがカギになるのかな hadukino 2012/06/07 23:43:45

…太陽柱…とか? hadukino 2012/06/07 23:45:04

あ、げっちゅ~、じゃなくて月柱というのもあるのか hadukino 2012/06/07 23:45:53

読んでる:太陽柱 - Wikipedia hadukino 2012/06/07 23:46:03

素人考えでいろいろ検索してみた結果、775年ごろに宇宙線増大⇒大気中の氷晶増大⇒46°ハロ出現or月柱出現(らしきものが両唐書に記載アリ、でいいのか?)、日本では当該年の樹木の年輪に炭素14多めに含まれる? ということでいいのだろうか… hadukino 2012/06/07 23:53:45

@genjitsu_ 月による環水平アークならば、かなり長いゆるやかな弧を描いて見える可能性がありますね。> @aurora_lummox @hadukino 白気=月虹という可能性は無いですかね?或いは月光による環水平アークや環天頂アークとか。 aurora_lummox 2012/06/07 23:58:06

【関連まとめ】
趣味-歴史-光り物が堕ちて来たはなしの話。(http://togetter.com/li/315903)
参考=斉藤國治先生『星の古記録』『古天文学の散歩道』『小川清彦著作集 古天文・暦日の研究』
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