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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

読書メモ,トマス・アクィナスの「徳」

『トマス・アクィナス―理性と神秘―』山本芳久・著(岩波新書2017)

【アリストテレスに由来する徳概念】

「徳」という概念は、古代ギリシアの ἀρετή (アレテー)という語に由来するものである。アレテーという語は、「徳」と訳されることもあれば、「卓越性」とか「力量」と訳されることもある。この語は、何らかの事物が、その本来の機能を優れた仕方で遂行することができる状態へと高められていることを意味する。

たとえば「馬のアレテー」は馬がより速く走ることができる状態になっていることを意味し、「ナイフのアレテー」はナイフがよく切れる状態になっていることを意味する。

それと同じように、人間一人一人もまた、「徳」という「力量」を身につけることによって、人間としてより充実した幸福な人生を送ることができるようになる。

古代ギリシアの徳論を代表するアリストテレスは『二コマコス倫理学』においてこのような論を展開している。

トマスの徳論は、その基本線においてアリストテレスが展開した特論を受け継いでいる。「賢慮」「正義」「勇気」「節制」というアリストテレスが重視した四つの徳は、「枢要徳」という名のもとに、トマスの特論においても重要な役割を果たしている。

★賢慮prudentia=理性そのものが直されることに基づいて成立する。

今ここの具体的な状況や事柄の真相を適切に認識したうえで、為すべき善を的確に判断し、その判断を実践に移していく力である。これらは単に「頭が良い」という性質に由来するものではない。バランスの良い人柄や賢明さが結びついて初めて成立する。

★正義=この世界において共に生きている他者たちの善を的確に配慮する意志の力である。

自分自身にとっての善を意志することは誰にでもできる。だが、自分とは異なる他者や、自らが所属する共同体全体の善をふさわしい仕方で配慮することは、必ずしも誰にでもできることではない。そのために必要とされるのが「正義」という徳なのである。

★勇気=立ちはだかる何らかの困難ゆえに、理性に即したものから意志が押し戻されること(怯むこと)を防ぐ役割をする。困難に立ち向かう力である。

★節制=理性の直しさが要求するのとは異なるものへと惹きつけられることを防ぐ役割をする。自分の欲望をコントロールする力である。

【節制temperantiaと抑制continentiaについて】

嫌々ながら欲望を我慢する在り方は「抑制」である。

それに対して、節制という徳を有する人物の特徴は、バランスよく欲望をコントロールすることに喜びを感じるところにある。

そのようなことが可能になっているのは、節制ある人においては、欲望すべきものを欲望するという積極的な在り方が実現しているからだ。

「節制」という徳の本質は、やりたいことを我慢するという点にあるのではなく、真に欲望すべきものへと自らのエネルギーを方向付けて行く事、別の言葉で言えば、欲望自体をよい方向へと変容させていく点にこそあるのである。

【節制に対立する悪徳「無感覚」】

「自然の秩序」に反するものは全て悪徳的な物である。

自然の秩序は、個体の保存に関しては飲食の喜びを、種の保存に関しては性の喜びを用いる事を要求している。これらの快楽は生きるために必要な事柄であり、これらを放置するほどに「無感覚」である事は、悪徳である。

【節制に対立する悪徳「不節制」】

最も非難されるべき奴隷的な悪徳である。

不節制が幼稚な悪徳と言われるのは、それが「欲望の過剰」に基づいているからであり、それは3つの点で子供に似ているからである。

第一に、子供も欲望も理性の秩序付けに従わずに醜いものを追い求める。

第二に、子供が好き放題なままに放任されると我儘が増長していくように、欲望も満足させるとより強くなっていく。

第三に、矯正法についても類似している。子供が教育者の命令によって矯正されるように、欲望も理性の命令に基づいて初めて節度づけられうる。

不節制は「抑制」「無抑制」という2つの現れ方をする。この意味において「抑制」「無抑制」も、徳では無い。いずれも欲望を「意志の力」で抑えているか否か、という違いでしかなく、抑圧された欲望、或いは抑えきれない欲望は、より悪しく激しい欲望へと突進していくからである。

※節制においては、「抑制」に見られる葛藤状態・緊張状態から解放され、理性によって、自らの欲望を、喜びを抱きつつ適切にコントロールすることが可能になっている。


参考:ロシアの「道徳」

異端者を火刑に処すものを私は道徳的人間と認めることができない。――『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン(ちくま学芸文庫)

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ストーリー創作に関する参考メモ

創作の参考になるテキストがあったので、メモ:

■人物の演出に関して:出典不明――(何処かのテキストに書いてあった)

登場人物が「何をするか」ということによって、その人物は半ば明らかになる。
その人物が「なぜ、その行動を取るか」という理由によって、残りの半ばが明らかとなる。

*****

■視点移動に関して:出典不明――(何処かのテキストに書いてあった)

英米文学における『視点』上の分類を、そのまま日本文学に使用できない理由のひとつは、それぞれの言語における文化的背景の違いがある。

日本では「主観」か「客観」か、といった分類には大して意味はなく、「一元」か「多元」か、つまり、地の文が誰に還元されるのか、といったことの方が重要になるわけである。

逆に、英米文学で「一元」「多元」が重要でないのは、英語自体が平気で無生物に「視点移動」してしまう言語だからだといえる。日本語でいうところの「視点移動」は、英語にとってはさほど重要ではないわけである。

*****

■喜多野土竜――https://twitter.com/mogura2001/status/947372738418634752

テーマについて。

そもそも作品のテーマというのは、必要なのかという根本的な問いが一言で表現できるテーマが必要で、それを投稿者や作家に求めてくる編集者がいる。だが岡本太郎画伯は、作品は「なぜこんな作品を描いてしまったのだろう」と、本人が困惑するような作品が良いと喝破する。

黒澤明監督は、作品のテーマを一言でと求めてきた記者に、一言で言えるテーマなら映画なんか撮らずプラカードにでも書くよと返したとか。そもそも、作品はワンテーマであることが少なく、複合的なテーマを持つことが多い。また、作者自身も意図しなかったテーマを鑑賞者が見いだすことさえある。

岡本太郎画伯の意見に戻れば、多分に人間の無意識領域にある考えを引き出せということだろうか。人間の表層意識と無意識は異なっていることが多く、説明できるようなテーマというのは、表層意識にあるモノ。そうではなく、自分自身でさえ気付いていない心のもっと奥の部分を引き出す必要がある。

例えば萩尾望都先生は友人から、あなたの作品には母親が出てこないか出てきてもすぐ死ぬと指摘され、折り合いの悪かった母親を描くことを、無意識に避けてきた自分に気付いたわけで。母娘の和解を描く『イグアナの娘』や『残酷な神が支配する』など、親子関係を描く作品へと昇華された。

そもそも作品は、1コマ漫画ですら複数のテーマを込めることが可能。萩尾望都先生の『半神』は16ページの短編だが、多様なテーマを見いだせる。星野之宣先生の『冬の惑星』も30ページの中に人間の一生と家族愛や生き様を描く。多様な切り口や味わいがあるから、繰り返し鑑賞される名作たり得る。

誰かの受け売りの、俗流テーマ主義に対する疑問から『構図がわかる本』では、実相という考え方を紹介した。

描かれた素材そのものは同じでも、その配置や組み合わせで、鑑賞者が喚起される感情は異なる。その配置や組み合わせの中で一定の方向性を持つのが、構図。感情を喚起させるのが、実相。

テーマというのは、素材→構図→実相→感情 と巻き起こされる一連の縁起を生み出す作品の、制作者側を動かす情動であって、極論すれば鑑賞者には無関係。

ただ、そこがわかると、より感動が深まることもある。逆に言えば、深遠なテーマがあっても、感情を揺さぶる実相がない作品は、凡作。

ここら辺の認識は、仏教の瑜伽行唯識学派の論と重なる。

唯識学派では、人間が捉えた世界は表象=イメージに過ぎないと主張する。人間の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感を、前五識と呼ぶ。前五識と意識を合わせて、表層意識と考えれば西洋の心理学とも似ている。この下に無意識領域が存在。

無意識には、潜在意識としての末那識があり、さらにその下に阿頼耶識があるとする。心理学のユング学派の、前意識と集合的無意識という区分にも似るが、唯識学派は4世紀に成立し、精緻な体系を持つ。玄奘三蔵が国禁を犯しても天竺に行ったのは、この唯識を学ぶため。

ここら辺の学説の正しさのジャッジは置くにしても。

こういう議論は、作品の認識論とも重なるので、編集者や指導する立場の人間は、学んでおいて損はない。構造主義も、こういう人間と世界の認識に迫る見識が多く見られる。だが現実には、素材や構図をテーマと勘違いした指導をする人間が多すぎる。

2018.01.08ホームページ更新

2018年1月8日付で更新した内容は、下記のとおりです。

物語ノ本流》http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html
第二部、第七章「観月宴」完成版を公開しました

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勉強したことメモ

八月十五夜の観月は中国古来の行事ではなく、唐代に入ってから成立した物。

最初は単なる文人たちの風流な遊びに過ぎなかったものが、盛唐の道教隆盛を背景にして急激に広まり、流行。

中国の学者朱紅氏の論文「唐代中秋玩月詩与道教信仰」>盛唐の皇帝・唐玄宗による道教信仰の隆盛が、中秋玩月の流行と深く関わっていたことが指摘されている。道教信仰において、月は「陰」を代表する重要な存在とされる。神仙思想においては、仙人の境地とされる。当時、唐玄宗の八月十五夜月宮遊覧の伝説が生まれ、それが文人の間に広まっていた。中唐に入ると、八月十五夜月が、漢詩の題材として多く取り上げられるようになる。

中唐以降、「中秋」という言葉の意味の変化により、八月十五夜の観月は徐々に個人的な風流な遊びから習慣的な行事へと変化。※「中秋」は元々「八月」という月を指していたが、文人たちの間での観月の流行と、漢詩の鑑賞の拡大伝搬により、「八月十五日」という特定の日を意味するようになった。

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とても有名な漢詩。

「八月十五日夜 禁中に独り直し月に対して元九を憶う」白居易

銀台 金闕 夕沈沈
独宿 相思うて 翰林に在り
三五夜中 新月の色
二千里外 故人の心
渚宮の東面には煙波冷かならん
浴殿の西頭には鐘漏深し
猶恐る 清光 同じくは見ざるを
江陵は卑湿にして 秋陰足る

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それ以降、庶民層まで浸透し、収穫祭などの趣旨と融合し、風俗化を遂げ、中国の一年中もっとも重要な節日・中秋節となった。

我が国の平安時代における八月十五夜の観月は、唐代の詩文と共に伝来、漢詩の題材や漢風の宴として定着してゆくという過程をたどった。

やがて、国風文化が盛り上がると、漢詩の鑑賞が和歌の制作・鑑賞へ移行するようになり、漢風の宴も和風化してゆく。

ただし、観月の習慣は、平安時代においては、宮廷儀式としては過渡期にあった。八月十五夜の観月は、宮中の年中行事としては不成立の状態であった様子。

平安時代の貴族が、個人的に私宴を催し、中国の文人・文学活動にならって、八月十五夜の月を愛でたというのが多い。

貴族の私宴が多種多様な形で繰り返される中で、八月十五夜の観月はしばしば観月の作文詩会や和歌会・歌合の形で催され、文学を生む場となっていった。

文学と宴会の繰り返しが定着し、次第に、八月十五夜の観月は、宮廷儀式にも取り入れられ、晴の儀で行われるようになったと言われている。