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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作10

異世界ファンタジー4-1前兆:呼び出し

冬宮の設営作業は最終段階である。しかし、華やかさの度を増す冬宮に対して、ロージーの心は沈むばかりであった。

――わたくしも、見本市に出掛けておりましたの。青い目の君といらっしゃるのは、どなたなのかと思っておりましたが――

ユーフィリネ大公女の言葉が、いつまでも脳内で響いた。それと共に、別棟のアーケード型回廊から垣間見た光景が思い出された。監察官とユーフィリネ大公女が手に手を取って、親しげに庭園を歩む――あれこそが、真の婚約者同士の姿。

――禁断の恋。

ロージーは、あの黒髪と青い目の監察官への思いを、ハッキリと自覚していた。

*****

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、設置が終わった数々の装飾を点検しながらも、ユーフィリネ大公女のちゃっかりぶりを話題にし、「信じらんなーい」と言い合っている。

二人はロージーに気を使って、ロージーに聞こえないところで内緒話をしているつもりなのだが、壁に耳あり障子に目ありとはよく言った物、二人が余りにも「ブツクサ・ブツクサ」いう物だから、出入りの業者も、下働きやメイドの人たちも、苦笑しながら聞き流すのみであった。

その日の冬宮の作業も済んだところで、出入りの装飾業者が一礼をしながら令嬢サフィニアに声を掛けた。

「令嬢サフィニア、植物図鑑の返却がまだされてないとか仰いましたか?」
「ええ、ガイ〔仮名〕占術師が、さっき――茶会のところで――まだ返却されてないと言ってたのよ。こっちの方はちゃんと返却してあると思うんだけど、業者の方ではどうだったかしら?」
「おかしいですな。最初の打ち合わせと視察で品々の照合に使わせて頂いた後、図版のコピーを取らせて頂きまして、その日のうちに速やかに返却しましたのでございますが。ガイ〔仮名〕占術師ご自身が返却の確認にいらっしゃいましたし」

令嬢サフィニアの脳内で、数多の疑問符がダンスを踊り始めた。

「一体、どういう事かしら?――まあ何かあれば、ガイ〔仮名〕占術師の方から、また言ってくるわよね」

*****

令嬢アゼリア〔仮名〕は婚約者とレストランで会食するとの事で、その日は早く退出して行った。空中階段の上にあるロマンチックなレストランで、夜景を楽しみつつ食事をするという。

令嬢アゼリア〔仮名〕とその婚約者は、《宿命の人》同士という訳では無いのだが、お互いに予感めいた物を感じており、縁を深めるという努力もあって、今は《宿命の人》に近い合致パターンが形成されつつあるという事だった。標準的な竜人のカップルである。

令嬢サフィニアは、今日のガイ〔仮名〕占術師の不可解な言動が大いに引っ掛かっていたようで、「これは聞き出してやるべき事柄かしら」などと言いながら、王宮占術師の事務所のスケジュール表をわざわざ取り寄せて、足の速いガイ〔仮名〕占術師を捕まえるタイミングをチェックし始めた。

ガイ〔仮名〕とサフィニアは《宿命の人》同士である。しかし、このように何とも破天荒なカップルで、ちょっと見た目には「あの人たちホントに婚約者?」と言われるような有様であった。実にお似合いの二人なのだが、知っている人よりも知らない人の方が多いという、奇妙なカップルなのである。

夕方が押し迫り、照明のチェックのやりやすい時間帯になった。

ロージーは女官長のアドバイスに従って、一緒に残った令嬢サフィニアと共に、外に面した回廊や階段を照らすランプを丁寧に見て回る。竜人は夜目が利くのでランプの必要性は余りないのだが、ここでもやはり竜体の能力が反映するのだ。ロージーの様な平民クラスの竜人になると、夜目があまり利かなくなる。ランプはむしろ、メイドや下働き、そして論功行賞で繰り上がって来た人々にとっての必需品なのであった。

静かな時間が続くと、やはり過去の思い出話が多くなる。

ロージーが、婚約者とは幼体の頃の初対面の時以来、直接顔を合わせる機会が無かった、という事を説明すると、令嬢サフィニアは「戦争中でもないのに、珍しいわね」と感想を漏らした。

ジル〔仮名〕が仮婚約している事は割と知られている話で、ロージーは「知る人ぞ知る仮面婚約者」と噂されているそうだ。社交界に出て来ないので、顔を知る人が極めて少なく、「回復力の弱い個体ゆえ顔に醜い傷が残っていて、仮面を付けて出席しているのでは」など、珍獣扱いに近いらしい。ジル〔仮名〕に友好的でない貴公子たちの間では「婚約者の顔(傷)を晒せ・作戦」もあると言う。

虚弱体質の生まれの特徴は、まず何よりも、色素のない真っ白な髪だ。体力が落ちると、髪の艶も消える。ロージーは、王宮に上がる前に髪が白緑色に染まっていてくれて良かったわと、つくづく思うのであった。

「前の王都の権力闘争では色々あったらしいし、今のギルフィル卿は、今の宰相と手を組んで権力闘争の後始末に関わる重鎮だから、かの優秀だという御子息も駆り出されて、忙殺されているってのは当然かもね。その線でローズマリーも理不尽な恨みをぶつけられる可能性はあるんだから、いつか本格的に社交界に出るようになったら、気を付けて」

今は、人脈をたどって、残党を制圧している段階だという。面倒くさい困難な仕事だが、ギルフィル卿その他の人たちの奮闘の甲斐あって敵は弱体化しており、汚職に関わった人脈を辿って、証拠隠滅にいそしむターゲットを追い詰めているところらしい。

「サフィニアは、随分詳しく知ってるんですね…」
「社交パーティに出て、社交ダンスの合間に現代時事に耳を傾けていれば、自然に小耳に挟む話よ。そういえばローズマリーは、ほとんど社交パーティに出て無かったわね。仮面婚約者の二つ名を頂くほどに」
「身体を鍛えるのに忙しかったですから。それに最近は色々あって…」
「ローズマリーが此処まで根性のある人だったなんて意外だわ。それにさっきも――茶会で取り巻きに色々嫌味を言われて――ユーフィリネ大公女にガツンと言い返した時は、ホントにこの大人しいローズマリーが?とビックリしたわよ。人は見かけによらないわね」

ロージーは苦笑した。あの時、倒れないでいられたのは、勇気とか勇敢さとは、全く関係が無い。実際に口に出した言葉とは裏腹に、あの時の自分の心を占めていたのは、嫉妬だった。

自分にはどうしても越えることができない一線、越えることが許されていない一線を、ユーフィリネ大公女は、周りの祝福を受けながら正々堂々と越えて行き、そして彼の手を取る。その事実を分かっているが故の、どうしようもない嫉妬――。

程なくして、メイドがやって来た。

「あの、業者からの連絡がありました。注文と異なる品が――それも余分な数が――入った可能性があるので、冬宮に搬入する前に一度、現物をチェックして頂きたいと。担当の者が倉庫前でスタンバイしています」

令嬢サフィニアが目を瞬かせた。このタイミングでこういうトラブルは滅多にないだけに、珍しい。

「それだったらローズマリーの方が詳しいわね。けど、深刻そうだから私も行こうかしら。王宮内のいつもの倉庫?」
「あ、いえ、そこから二つ端に離れた通路の倉庫だそうです。規定のスペースに収まらず、そちらに一時保管しているそうで」
「分かりました」

ロージーは快諾すると、改めて時刻を確認した。外の光景にも目をやる。いつの間にか、日はとっぷりと暮れていた。晩秋の夕べの空気は、キンキンと冷えている。ロージーはコートをまとうと、荷物を手に取った。

「もうこんな時間だから、倉庫に寄ったら、そのまま自宅に帰るという事で…」
「残りを済ませたら私も行くからね、ローズマリー。メイドさんも、連絡ありがとうね」

*****

ロージーが冬宮を退出して、10分ほど経った頃だろうか。

令嬢サフィニアが、残りの仕事を終え翌日のスケジュールを再確認して、いそいそとコートと荷物を取って、冬宮を退出しようと、そのエントランスに向かって身を返した時。

回廊から全力疾走中の大きな足音が響いて来た。あっという間にこちらに近づいて来ている。ただならぬ雰囲気に驚き、思わずエントランスの真ん中で棒立ちになる令嬢サフィニア。そこへ、血相を変えて、二人の男が飛び込んできたのであった。

「ガイ〔仮名〕さん?!それにそちらの方、どなた?!」

ガイ〔仮名〕占術師は、今まさに外へ出ようとしていた令嬢サフィニアの姿を確認するなり、その肩をつかんで揺さぶり、「サフィが無事で良かった!」と叫んだ。その拍子に、二人目の男の身体が、ドサッと床に落ちた。おそらくは廊下の端から端まで――王宮占術師の詰所の位置も考えると、多くの別棟をも――全力疾走してきたはずだが、流石に竜体の運動能力が高いのか、ガイ〔仮名〕占術師は全く息切れしていない。

対照的に、ガイ〔仮名〕占術師の足元に落ちていた占術師――神祇官と見える男は、物も言えない程に息を詰まらせていた。衣服が不自然にヨレヨレになっている。令嬢サフィニアはガイ〔仮名〕占術師の肩越しにその姿を確認し、目をパチクリさせた。

「もしかして、あなた、ガイ〔仮名〕占術師に抱っこされて、此処にいらしてるよね?」

――正解であった。明らかに平民クラスの者と見える哀れな若い男は、貴族クラス竜人ならではの、ガイ〔仮名〕占術師の突出した身体能力を体験し、驚愕のあまり目を回していたのであった。しかし、男はすぐさま気を取り直した。

「私は、ローズマリー嬢の祖母どのの《霊送り》を担当するライアナ神祇官の弟子、ファレル副神祇官と申します。先日観測したローズマリー嬢の《宿命図》を分析しましたところ、《死兆星》を検出しました――星が命を絶つのは今宵です。ローズマリー嬢と同時行動するご友人にも類が及ぶもので――ローズマリー嬢は、今、何処にいるんですか?!」

まさに今、令嬢サフィニアがロージーと一緒に倉庫へ向かっていれば、令嬢サフィニアも一緒に死んでいたというのだ。《死兆星》――半分以上の高確率で、不自然な死を予言する星――令嬢サフィニアは蒼白になり、一瞬、息を詰まらせた。

「あ、あの、ローズマリーは、私は、じゃなくて、倉庫よ倉庫!これから業者と話し合うところなのよ!」

令嬢サフィニアは、自分でも驚くほどの反応速度で、駆け出そうとしたガイ〔仮名〕占術師の腕をつかんだ。

「いつもの倉庫じゃないわ!二つ端に離れたところの倉庫よ!」
「分かった!」

ガイ〔仮名〕占術師は回廊から野外に飛び出すと、わずかな助走のみで弾みをつけ、冬宮と隣り合う別棟の屋根に、一気に飛び上がった。まるで超能力を使う軽業師だ。後に残された令嬢サフィニアとファレル副神祇官は、唖然とし呆然としながら、その姿が消えるのを見送るのみだった。

「あのう、あのガイ〔仮名〕様は、まさか忍者部隊の出身だったりするんですか?」
「色々やってるとは聞いてるけど。あいつの謎、また一つ増えたわね…ハッ!それどころじゃ無いわ!」

令嬢サフィニアはファレル副神祇官をせかして、常識的な手段で冬宮を飛び出したのであった。

――ここで彼らは、問題の現場に到着する遥か手前で、ガイ〔仮名〕占術師がいつの間にか手配していた王宮の衛兵たちに押しとどめられ、その保護下に入っていた事を付け加えておく。

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航海篇1ノ6

長めの付記――印欧語系の文法を日本語に当てはめる事への私見

ここでは、主に述語に着目して観察した結果を述べる。

印欧語系の述語(自動詞/他動詞)は各々、主語の支配を強烈に受け、それに準じた振る舞いをするが、日本語の場合は、述語(動詞・形容詞に相当する要素)こそが文章全体を支配する――という事実がある。

印欧語の文法体系を日本語に当てはめようと企てても、必ず何処かで破綻するのは、以上のせいである。この行き詰まりを以って、「日本語は非論理的」と判断するのはお門違いというものではなかろうか(’’;

「花咲く」・「花美し」の場合は、「咲く」・「美し」の方が支配的であり、「花」は重要ではあるが、宇宙的な流れと構成の中の、一要素に過ぎない。この事象を検討するに、日本語はどちらかというと、森羅万象の命や業(ワザ)に焦点を当て、かつ、これら森羅万象の普遍的構成に応えて言及する、という言葉であろう。

日本語を持ち上げすぎという感じも否めないのではあるが、日本語は日本語なりに、世界に共通する客観的な普遍性を成し遂げた言語であるという可能性がある。

(勿論、万人に通ずる論理を備えていなければ、一言語たりとも成立しないのである。普遍にしたがって言語が生まれてくるのではなく、各言語ごとに、各言語が描き出してみせる普遍世界があるのだ、と想定した方が、
よりまともで健全な考え方だと思われる。我々が見るのは常に、広大無辺なる宇宙の中の一片でしか無い。)

印欧語は、自/他の立場を明確に切り分けた上での客観的普遍性を成し遂げている。そして、日本語は、自/他を明確に切り分けないという立場からの客観的普遍性を作り上げたのではないだろうか。

日本語には、「見ゆ」「覚ゆ」などの、印欧語に最も訳しがたい言葉がある。こういった言葉こそが、日本語の、日本語による普遍的表現の独壇場である。

「花見ゆ」という科白は、「I see flower(s).」では無い。

「我が花見ゆ」だけでは無く、「君も花見ゆ」という意味を同時に含んでおり、しかも、「この場において、我と君だけで無く、他の人も花見ゆ」という広がりを含んでいる。印欧語がセットする普遍の中に定義するところの「I」及び「flower」とは、全く別の世界が、そこに織り上げられている事を示唆しているのである。

我にあらざる我――我も人も、そして花も、共に和するところにある我、すなわち汎世界的我――において、「花見ゆ」なのである。

Iとflowerの別をはるかに超越した「汎世界」と呼ぶべきもの、――その構成の中において、「花見ゆ」と応えているのだ。この深淵における普遍性を欠いては、日本語文法は記述できない筈である。

この主客未分の世界は、言い方を変えれば、汎神論的な世界である。遠藤周作がその著書『深い河』の中で、登場人物(大津の手紙)に次のように語らせた言葉がある。

…日本人としてぼくは自然の大きな命を軽視することには耐えられません。いくら明晰で論理的でも、このヨーロッパの基督教のなかには生命のなかに序列があります。
よく見ればなずな花咲く垣根かな、は、ここの人たちには遂に理解できないでしょう。
もちろん時にはなずなの花を咲かせる命と人間の命とを同一視する口ぶりをしますが、決してその二つを同じとは思っていないのです。

「それではお前にとって神とは何なのだ」……
「神とはあなたたちのように人間の外にあって、仰ぎみるものではないと思います。それは人間のなかにあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、あの大きな命です」
――遠藤周作『深い河(ディープ・リバー)』、講談社、1993

日本語の伝統を深めてゆくという事は、いとも深き汎世界に生きようとする事と、同義なのではないだろうか。(終)

★(おまけ)―多少、オカルト的なキーワードになるのだが、日本神話の解読研究において、興味深い法則が提唱されている。提唱者は、いわずと知れた有名なオカルティストであるが、元々は元伊勢にある籠神社の神官が発見した法則らしい。詳細はインターネットで研究されたし…

神話物語に見る、日本の神の法則―「多次元同時存在の法則」

1.神の世界に適用される
2.神は時間と空間を超越する
3.神は分身をつくることがある
4.神の分身は別名で表現される
5.同じ名前の神は同一神である

航海篇1ノ5

◆考察:判断基準、境界物、異世界に対する反応から各言語の思考様式を探る

印欧語
外なる神、普遍を明確化(正義か、悪か)/序列・排除作用が強い/結合手は相・反・合の三手。世界の抽象化や、法則化を志向する世界観であると思われる。
古漢語
宗族・支族の区別が明確(敵か、仲間か)/同化・同質化作用が強い/結合手は合の一手のみ。華夷秩序の世界観を生むのが、この判断基準であると思われる。
日本語
自生・作為の区別が明確(自然か、不自然か)/複合化・多岐並列化作用/結合手が多種類。多分に「和」を基底とする判断基準である。

…「和」については今だ考察中である…

◆以上の比較から考察できること◆

印欧語と古漢語については、「善/悪」、「内/外」という二元的思考が支配的である。

この事は、ユーラシア大陸を支配してきた宗教的思考が何千年もの間、「光と闇」という二元的思考の伝統を守り続けてきた事実からも、しかと伺えることである。二元的思考こそが、苛酷にして広大なユーラシア大陸を
生き延びるに適した思考であったのだろう。

東アジアの果てで華夷秩序の考え方が生まれてきたことは、実に大きな「宗教革命」であったと思うものである。何故なら華夷秩序は、二元的思考による世界観を、更に非対称化した世界観になるからである。漢字による文字ショックの波に乗って、限りなく絶対一元化された思考…

しっかりと構成された二元的思考は、必然的に絶対一元的思考に移ってゆく。広大な領土や絶対一神教を保ち続けられるエネルギーは、二元的思考の強烈さや、安定感から来るのである。この意味において、印欧語と古漢語は、振る舞いは大きく異なるものの、同じユーラシア大陸の種族である。

三位一体の物語もまた、相・反・合を通じた思考の一元化プロセス(統合化プロセス)を経て生じてきたものである、と考えられないだろうか。(三位一体=「御父」「御子」「御霊」は、絶対一神が三つに分かれた各要素である、という考え方。この三要素の統合されたものが、絶対一神なるものであるそうだ…)

では、日本語が繰り出す物語とその思考は、どのように語れるのであろうか。

ここでは、「三元的思考」である――という説を提唱するものである。日本仏教の考え方では「一即多」「多即一」という捉え方もあるのであるが、おのづから「多」という要素が混入するにおいて、三元的思考、ないしは、多元的思考の影を見て取らずには居れないのである。

一、二、三は、また一、二、多でもある。三元的思考は、多元的思考に容易にシフトする。

三元から多元へ。その通路を開く鍵となるのが、自然/作為という判断基準であろう。日本語の述語の基底には、この「自然/作為」判断の影が、色濃く映し出されている。例えば「…する」の「スル」は、作為の「ス」と自然の「ル」が和したものであり、外国語の動詞を頭につければ即席の日本語動詞となる。(例:オープンする)

先ほどの「三位一体」を比較に取れば、日本語の思考が繰り出す物語は、「御父」「御子」「御霊」はとこしえに「三なる絶対神」である・・・という物語となろう。すなわち、「要素における合(絶対一神化/統合化)」という事象はあり得ない、とする議論を採ることになる。

日本において「合」の代わりに導き出される思考、それが即ち「和」である。

だがしかし、この「和」とは何であるのか、未だ説明できるほどには至っていない。もっとも身近にありながら、謎の思考なのである。「和」の根源、ないしはその基底を突き止めることは、今なお課題のひとつである。

最後に、「和」を考えるヒントとして一首の和歌を引用する――

淡雪の中にたちたる三千大千世界(みちあふち)またその中にあわ雪ぞ降る

良寛の作である。三千大千世界は本来は「さんぜんだいせんせかい」と読むと言われているが、良寛が独自に振ったルビが、「みちあふち」である。これは「道の出会うところ」というほどの意味であるらしい。

いささか不十分な、かえって謎かけに近い試論となったが・・・今は、ここで筆を置くことにする。