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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作18

異世界ファンタジー6-1問答:踏み込む役人たちと令嬢

冬宮の設営は完了し、後は人の移動を受け入れるのみになった。先に使用人たちが移動してホテルよろしく各々の貴族たちに割り当てられた控室の私物を完備させ、しかる後に王族や貴族たちが入って来るのである。

公務明けとなった令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、冬宮の主会場で貴族たちに囲まれて、輝かんばかりのユーフィリネ大公女を、微妙な眼差しで見つめるのみだ。貴族たちの招待名簿をひっくり返している以外には大して活躍しなかったはずのユーフィリネ大公女が、見物客第一弾の貴族たちの間で、冬宮の装飾についての賛美を独占している。

「ユーフィリネ大公女は、取り巻きの令嬢たちと一緒になってローズマリーの怠慢をチクチク吹聴してるけど、最終盤のところでローズマリーが活躍できなかったのって、この間の襲撃事件のせいだわ。サフィニアは一足の差で危機に突っ込むところだったって言うじゃ無いの、どうしてバシッと言わないのよ」
「ガイ〔仮名〕から口止めされちゃってるのよ。彼が真剣になるなんて滅多に無いし、ただならぬ何かがあるみたい。二度目の危機も起こりかねないから、護衛がくっついてるって脅されたし」

――それは脅しとは言わないのでは?と、令嬢アゼリア〔仮名〕は本気で首を傾げた。会場をくるりと見回す。ガイ〔仮名〕占術師が用意したと思しき護衛の姿は、影も形も見えない。よほど上手く紛れているのであろう。

(まあ、サフィニアとガイ〔仮名〕は既に《宿命》の盟約を交わして、正式な婚約者同士だからね。《宿命の人》として合致した者同士で《宿命》の盟約を交わすと、竜体の能力が底上げされる。実際、ガイ〔仮名〕はサフィニアが何処に居るのか、やたらと勘が働くし)

令嬢アゼリア〔仮名〕は、ドレスの下でこっそりと足の具合を直した。先日の夜、暴走族よろしく竜体で飛来して来た二人組と出会い頭に衝突して、空中階段の上から放り出された時、足首をくじいたのだ。軽傷ではあるが、夜会に使うような華やかなサンダルや細いパンプスは、まだ無理だ。軽傷で済んだのは、ひとえに同伴していた婚約者の、近衛兵としての能力のお蔭である。

ちなみに、かのレストランを含めて空中階段に居合わせていた人々は、滅多に目撃することのない近衛兵の身体能力を目の当たりにして興奮した。若手の近衛兵の間ではトップクラスの実力を持つクリストフェルですら感心したという尾ひれもついた。

その金髪碧眼の貴公子クリストフェルは、目下、ユーフィリネ大公女の恋人の第一候補であると言われている。今も、目の前でユーフィリネ大公女の手を取って、見物を楽しむ貴族たちと共に、主会場のあちこちを視察している。本格的な警備体制を組む際の下見という名目だが、別の要素をも楽しんでいるのは明らかだ。

「ユーフィリネ大公女は、相変わらず殿方に人気があること。夫になる人の苦労は、想像するに余りあるわね」
「王族に最も近い公爵令嬢だから、王女並みに相当数のスペアがあってしかるべき、だそうだけど。ヴィクトール公爵のお眼鏡にかなわない求婚者…っていうか恋人候補は、片っ端から排除されてるそうだし、これはこれで割に合うのかも知れないわ、何せ筆頭公爵ですもの」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕が内緒話に花を咲かせていると、監察機関に所属するスタッフ数名――下位の監察メンバーが、逮捕権を持つ検察機関所属の衛兵のチームと共に主会場に入場して来た。

見物に来ている貴族とは明らかに異なる一団の登場で、主会場の中には戸惑いのざわめきが広がった。

「監察の人と、検察の人じゃないの。汚職があったのかしら?」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、嫌な予感がした。そして、その予感は的中した。

中年の監察官スタッフたち数名は、引き連れている衛兵たちと共に令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕の前に立つと、必要とあらば証人喚問をする旨の文書を披露したのである。一斉にざわめく貴族たち。

「このたびの冬宮設営にて、室内装飾業者の一と不正に結託し、認可された計画書の内容を大幅に超える品の購入ないし横流しをした疑いが浮上している。領収書の合計と決算報告書の数字が合わぬのだ。申し開きあらば、この場にて簡潔に披露せよ。内容次第によっては、この文書に従い、証人喚問に移行する」

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、開いた口が塞がらない。二人は一斉に顔を見合わせ、野次馬と化した主会場の大勢の貴族たちに目をやり、そしてその中心に居るユーフィリネ大公女とその取り巻きの令嬢たちを眺めた。

ユーフィリネ大公女は口に手を当てて、純真そのもので驚愕の表情を浮かべている。その取り巻きの令嬢たちは早速、「まあ信じられない!」「お育ちが卑しいと…ねぇ?!」などと、口を歪め、ささやき交わしていた。

スプリング・エフェメラル装飾は、初めての試みだけあって品が少ない。ロージーが最初に突き当たったように、対応できる王宮御用達の室内装飾業者が、一件しか無かったという有様である。貴族御用達となっている数々の室内装飾業者でも、件数こそ増えるが事情は同じである。冬季草花装飾に対応できる職人そのものが、少ないのだ。

冬季草花装飾の市場は、冬季の定番だった歴史装飾に比べると、遥かに小さい。王宮における冬宮の装飾をきっかけとして、多大な需要が発生したらどうなるか。当然、市場価格が、実物の価値を越えて高騰するのである。

注文が殺到する直前のタイミングで、見本市などで冬季草花装飾を手掛ける業者を引き抜き、品物と合わせて独占してしまう。その後、価格が高騰した状態で、ペーパーカンパニーを窓口にして注文をさばく。差額による収入は、莫大な物になるだろう。

スプリング・エフェメラル装飾の計画を事前に知りえるがゆえの、汚職の疑い。

――それに相当するタイミングで物品購入にタッチしていなかった令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕にとっては、寝耳に水の疑いだ。疑いを掛けられた根拠を説明されると、二人は揃って、「はあ?!」と反応するのみであった。

業者の選定や見本市での買い付けは、まさにロージーが担当していた仕事であるが、平々凡々な平民たるロージーには、それだけの大掛かりな汚職を可能とする人脈は無い。ギルフィル卿やジル〔仮名〕卿の人脈が使えれば可能ではあるだろうが、仮婚約者に過ぎないロージーに、王都の貴族クラスの人脈にタッチできる力があろうはずが無い。

令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、そのように、疑いが事実無根である事を申し開きした。

監察官スタッフ代表は、「では、一の業者と入札なしで契約したのは?」と質問を重ねた。

「まだ監察機関に文書が行ってないんだと思いますが、問題の領収書に、理由を書いたメモを添付していると聞いてます。私たちが知る限り関係した業者はその一件だけだし、品そのものが少ないので、後は見本市で品ごとに買い付けしていたそうです――それも、公費を使って購入したのは、きっちり領収書の分のみです――全て、契約先のサイン証明付きの」

令嬢サフィニアの説明に続き、令嬢アゼリア〔仮名〕が説明を始める。

「私たちは別の仕事を担当していたし、室内装飾関係は完全にローズマリー嬢にお任せしていたので、くだんの室内装飾業者とは契約締結の時に顔をつなぐために、立会人の下、王宮内にて同席したのみで、見本市には一回も行っていませんでしたの――」

――そこで、令嬢アゼリア〔仮名〕は、ある事に気付いて、目を丸くした。そのまま、驚愕の表情でユーフィリネ大公女の方を振り返る。令嬢サフィニアも遅れて、令嬢アゼリア〔仮名〕と同じ事実に思い至り、唖然として同じ方向を見やった。

流石にユーフィリネ大公女も、ハッとした顔になった。取り巻きの令嬢たちの顔が、これ以上無いほど、凍り付いた。

――いつだったか、サロンでお茶をした際にロージーに絡んだ時、ユーフィリネ大公女は何と言ったか。

――『わたくしも、見本市に出掛けておりましたの。青い目の君といらっしゃるのは、どなたなのかと思っておりましたが』

取り巻きの令嬢たちのうち一人が、「な、何よ…!」などと口ごもり、更に何か言おうと口を開いた時。

何処に潜んでいたのか、ガイ〔仮名〕占術師が意味深な笑みを浮かべながら、ふらりと現れたのであった。

「あの時、確かにおっしゃっていましたよね、ユーフィリネ大公女。見本市にて訪問したと言う、数々の業者の名前も――」

ほとんどロージーが手掛けていた冬宮の装飾。その評判が高まり、その評判に続く賛美をちゃっかりと横取りしようとして、ユーフィリネ大公女が決定的な失敗を――巨大な墓穴を掘ったという事を、その指摘は、無慈悲にも暴露していたのである。

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読書:意識と存在

お勧めの本/井筒俊彦『意識と本質』(岩波文庫1991)

井筒は、「意識と本質」とは何かという普遍的で根源的な問題に関する広範囲にわたる多言語資料を読み解くことで、古代ギリシアから、キリスト教世界、ユダヤ教、ヒンドゥー教、イスラーム、さらには中国をも含めた、全世界的な諸宗教・哲学言説を見通し、まったく新しい比較宗教学、思想史を提示する。本書は決してやさしくはないが、学問とは、かくも深く難しいことを思い知らせてくれる一方で、一人の学者がこのような学識を備えることができるのかという驚嘆も与えてくれる稀有な書といえる。私がイスラームに根本的な興味を持つきっかけになった書であり、個人的な思い入れもあいまって推薦する次第である。

――『科学と宗教 対立と融和のゆくえ』(中央公論新社2018、日本科学協会・編)「第5章イスラームと科学技術、三村太郎」


「意識と存在」という同テーマの2冊の本を読書しました。特に引き込まれた文章を、メモ。

『意識と本質』井筒俊彦・著(岩波文庫)より

禅の覚知に現成する「真如」とは、決して絶対無分節、すなわち「無」だけではない。ここでの無分節は、「無」でありながら――というよりむしろ、真に深い意味での「無」であるという、まさにそのことによって――限りない分節、つまり「有」なのである(「無一物中無尽蔵」)。
そしてまた逆に、それらの限りない分節の「有」が、そのまま無分節でもあるのだ。(正勤希奉、問う、「如何なるか是れ諸法の空相」。師曰く「山河大地」。)
「諸法の空相」それ自体にほかならぬこの山河大地は、その空相において己の分節を否定する。が、それらが現に山河大地、すなわち存在分節、である限りにおいては、それらは互いに相通し、透明であり、無礙である。
「本質」で固めてしまわない限り、分節はものを凝結させないのである。内部に凝結点をもたないものは四方八方に向かって己を開いて流動する。すべてが、黄檗のいわゆる「粘綴(ねんてつ)無き一道の清流」(どこにもねばりつくところのない、さらっとした一道の清流)となって流れる。「粘綴(ねんてつ)なき」この存在分節の流れは、ものとものとを融合させる。
華厳哲学では無「本質」的に分節された事物のこの存在融合を「事々無礙」という。黄檗はそれを「虚空」と呼ぶ。分節即無分節の意である。

『意識と存在の謎』高橋たか子・著(講談社現代新書)より

(高橋氏の談話)私はこれまで多種多様な人々に出会ってきましたが、大別すると、表層における分節の少ない、つまり粗雑な人々と、数え切れないほどの分節のはたらく人々とがあり、後者の方が、直面している現実をかなりきちんと見る。表層がきわめて細分化している人々と言ってもいいが。

分節即無分節の究極が、「虚空」。能狂言の舞台理論「花・幽玄」とかなり共通するところがあるなあ、と感心しました。微粒子的感覚とか、感性とか、緻密な思考は憧れですね^^

意識の構造を、「根源無(ゼロポイント)」の上に咲く蓮の花(上側へ向かって開く円錐形)として捉えているところ、なるほどなるほど…と、うなづき。

※自分が想像している意識構造は、ゼロポイントの位置も含めていささか異なるのですが、これはイメージにも個人差(偏見&思い込み)がある、という程度のもので、学生時代の専攻内容や、現在やっている占いの影響が大なのかも知れません^^;

2冊の本を読んで感じたのは、心理学及び哲学で言う「分節」は、数学で言う「微分・積分」に非常に似ている(或いは同じプロセスを違う言葉で捉えているだけ?)…ということです。「意識」が描いてゆく「存在の軌道」というものがあって、それがどれだけ緻密で精妙なカーブを達成できるのかは、分節の微細化とその再構成の巧みの度合いによるのだ…と、解釈しました。

あと、面白いと感じたのが『意識と存在の謎』に書かれていた「意識の中間層」のお話でした。「意識の中間層」、ここはちょうど夢の中で到達する魔境、迷宮的な領域に当るところで、レム睡眠~ノンレム睡眠の深度と同調しているのではないかという説明が出ていました。

そして、脳幹は生命の座であり、同時に死の座であり、ノンレム睡眠の中でも最も深い〈最熟睡〉に向かうときには、意識が脳幹に向かって沈んでゆくのであろうという話。

※最熟睡=臨床的には5分~10分、長くても15分程度、断続的なものらしいです。臨床データ(睡眠時の脳波)をじっくり観察してみる限りでは、最熟睡という名に似合わず、生命信号がシステマティックに行き交っているような感じです。

「死」に向かうときも、意識が脳幹に向かって収斂してゆくのであり、最深部、すなわち脳幹へ向かって辿っていく終極の意識のルートが、臨死体験者によって記憶され、報告されている訳です。

ただし、その記憶が中間層~最深層のどの部分なのかは、誰にも分からないです。臨死体験者の場合、程度の差はあれど相当に深いレベルまで意識降下しているのは確実で、その後に人格が急変するというのも、普段は意識する事も無かった生命の深層部分を、まざまざと「経験」した結果ではないかと思われます。

意識の表層~中間層における迷いや煩悩が余り無い、またはごく淡いものであるために簡単にブロックを解除できて、スマートに中間層を通り抜けられる人は、特に臨死局面で無くても、すぐに最深部に到達するらしいという話が出ていました。もしかしたら、普通に目が覚めていても、最深部(=無念無想界)に到達できる人もいるのかも知れません。

何とは無しに、広漠たる「生死の海」という言葉をしみじみと思いました。

異世界ファンタジー試作17

異世界ファンタジー5-4王宮神祇占術省:《死兆星》の相

語るに落ちる――というべきか、ライアナ神祇官の顔は蒼白だった。「イエス」だ。

「最初に申し上げておきますが、老ゴルディス卿。事例そのものが存在せず、結果から逆算した仮説レベルの物でしかありません。人の命を左右する実地調査は――人体実験は――最も忌むべきことです。問題の神祇官の持つ《天人相関係数》データが、完全な物かどうかも分かりませんし」

ライアナ神祇官の声は震えていたが、やがて、仮説の説明が始まった。

《死兆星》に完全に侵されながらも、不自然な横死を回避したケースは非常に少ないという事は、良く知られている。人工《死兆星》は、一種の《死の呪い》だ。ゆえに、《呪い返し》の考え方が適用されうるのである。それは「容疑者の不自然な死」という結果となって現れるだろう――「一対一の間で成立する、ごく単純な呪い」として考えるならば。

「今回、《死兆星》を回避した直後のローズマリー嬢の《宿命図》を分析し、別の要素が入って複雑化するであろうという仮説――というよりは、予想でしかありませんが、容疑者の不自然な死が分散する可能性がある、という予測を立てています」
「ふむ。竜体の力量差によって、人工《死兆星》は回避されうる。よって、周囲条件によっては、犯人に逃げられる――犯人を突き止められない――可能性もあるという事だな」

ガイ〔仮名〕占術師とファレル副神祇官は、「どういう事でしょう?」といわんばかりの顔つきだった。

老ゴルディス卿は「今回は、一気に3つもの事例を手に入れたからな」と言い、肩をすくめた。

ライアナ神祇官も、「《死兆星》ポイントに介入し、災厄を弾いた人たちが、揃って実力持ちでしたからね」と呆れ気味である。

つまり、こういう事だ。大物が小物の運命を左右するという基本法則に帰着するのだ。加害者は、間違いなく、ロージー、令嬢サフィニア、令嬢アゼリア〔仮名〕よりも高位の竜人である。そのまま何もなければ、彼女たちは半分以上の高確率で死亡していた。しかし、彼女たちは《死兆星》を回避したのである。

何故か。

いずれのケースも、《死兆星》活性化ポイントにおいて、保護者ないし守護者にあたる高位竜人の介入があったためだ。それにより、《死兆星》が回避された。それは同時に、人工《死兆星》を活性化した加害者は、保護者ないし守護者にあたる高位竜人よりも下位であるという事実をも示すのだ。

ガイ〔仮名〕占術師とファレル副神祇官は、納得しつつも眉根を寄せ、難しい顔をして考え込んだ。

「単純に考えると、令嬢たちより上位、我々より下位、ですか?どれくらいの貴族が、その条件に当てはまるんでしょうね」
「中堅貴族の、ほぼ全員という事になりますね」

ライアナ神祇官は、直近のロージーの《宿命図》を再読しつつ、こめかみをもみ始めた。

「仮に《呪い返し》が成功したとしても、人工《死兆星》ですから、その後どうなるかは全く予測できません。何処かの無関係な部分に飛び火されたら悲惨な事になります。今回は、《死兆星》は不十分な形で――弾かれた上澄み部分だけ――返されて、襲撃者たちに不完全な形で重なっています。襲撃者二人は、幸い、竜体としても十分に大きい力量の持ち主でしたので――死んではいませんね。どれくらい半殺しになったのかは、そちらにお任せしますが」

老ゴルディス卿は、再びあごに手を当てて考え始めた。

「ライアナ神祇官、その《呪い返し》は、どのような方法でやるのだ?」
「一応、父と夫の未完成の理論に基づけば、仕掛けられた《天人相関係数》を更に天地反転するという方法になります」
「だが、問題の不良神祇官が、完全に正しい《天人相関係数》を持っているかどうかは分からない」
「ええ、だから問題が難しくなっているんです。 《死兆星》を喜んで引き受けたいと言う程に狂った自殺志願者が必要な人数だけ用意できれば可能でしょうが、《呪い返し》にしても致命的な災厄を生み出す可能性がある以上、許される事ではありません。《天人相関係数》は文字通り、天と地と人の均衡に介入するものですから」

ライアナ神祇官は溜息をつきながら、ロージーの《宿命図》をテーブルに置いた。ファレル副神祇官が《宿命図》を手に取り、しげしげと観察し始める。やがて、ファレル副神祇官はふと思いついて、《死兆星》が出現した時の《宿命図》を懐から取り出した。後学のため、記録に取っていたのである。

《死兆星》が出現した時の《宿命図》と――《死兆星》を回避した後の《宿命図》。いずれも《神祇占術関数表》の可動範囲を超える歪み――異常変位がある。命を絶つ《死兆星》の相だ。活性化していた間、その影響で生命線が切れかかっていたという事実は、その凄まじい重圧を如実に示している。回避し、部分的に弾いた結果、20%ほどの歪みは解消したが――

「師匠、《宿命図》をオマジナイ操作する事で、《呪い返し》に準ずる効果を期待する事はできるんですか?」

一瞬、呆然とした空気が広がった。老ゴルディス卿は「まさか」と絶句している。ライアナ神祇官は再び、こめかみをもみ始めた。

――平民クラスは、「オマジナイ」感覚でしょっちゅう《宿命図》を操作する。健康運、恋愛運、金運に限られるが、小物ならではの流されやすさが、微々たるものとは言え効果を出すのだ。

「流石に、《宿命図》への干渉は、貴族クラスは難しい――でも、ローズマリー嬢は平民クラスだから…」

老ゴルディス卿は首を振り振り、「民間ならではの発想だな」と感心しきりであった。仮に何かマズイ事態が発生したとしても、平民クラスならではの個人的影響に留まる。健康運、恋愛運、金運。最悪の事態を想定したとしても、病気になったり、失恋したり、損失を出したりする程度だ(とは言え、個人的立場では心理的なショックは大きいだろう。場合によっては自殺したくなるほどに)。

ライアナ神祇官の表情には、次第に活力がみなぎってきた。無意識のうちに席を立ち、ウロウロと歩き回り始める。

「ファレル副神祇官、前と後とで、どこら辺の異常変位が――と言うか、ダメージが大きい?」
「ざっと見た限りでは、一番大きいのは恋愛運です」
「案外、ヒットしたかも知れないわ。保護者ないし守護者の種類からして――ローズマリー嬢の個人的事情もね」

ガイ〔仮名〕占術師が思わず反応した。

「ローズマリー嬢の個人的事情って、どういう事ですか?」

亀の甲より年の劫――老ゴルディス卿は、こっそりと「それを聞くのは、野暮と言うものでは無いかね」などと呟いたのであった。