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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

井筒俊彦研究ノート

【2009.1.4追記】今年に入って、画像も内容もひときわ気に入った記事:

ひとつながりhttp://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/200901030000/

立体幾何の玉造をやってらっしゃる『真理探求と歴史探訪』さんより。

何となく、井筒氏の言う、極めて緻密な構造過程…言語アラヤ識(空海の大日如来)が立ち上がる瞬間というのは、幾何イメージで言えばこんな風かな…と、想像してみるのでありました。

意識宇宙の発振の前の「無極」~「ゼロポイント」のイメージは、さすがに想像外…


テキスト=井筒俊彦・著『意識と本質』

・・・井筒氏が描くところの意識構造モデルより思索・・・

◆ゼロポイント=究極の根源(逆さ円錐体の頂点)
「元型」エネルギー未発の場。

◆深層(1)無意識領域=ゼロポイントの上に広がる逆さ円錐体の浅い部分
「元型」エネルギー初発の場。「易」でいう「無極」。

(コメント)

井筒氏は、深層(1)/深層(2)の境界について、「易」哲学で言うところの「無極而太極」の、次元転換の地平であると説明しています。「有」の究極の面である「空」。空海にとっては全存在界生起の始点にある、「法身」であるところの根源的コトバ(絶対無分節のコトバ)。

この存在界一切の深秘コトバ、つまり「空/法身/阿字真言」を、空海は大日如来のイマージュとして捉えた・・・と理解。

◆深層(2)言語アラヤ識=唯識哲学が説くところの「種子」領域
「元型」エネルギー分節の場。「根源形象」の始原。
また「元型」的自己分節/自己展開の始原。「易」でいう「太極」。

(コメント)

井筒氏は、この深層(2)の領域に切り込む哲学として、東洋哲学の伝統にある深層意識的言語哲学(言語観)の可能性を議論している。空海の阿字真言、陀羅尼、マントラ、イスラームの文字神秘主義、カバラ文字神秘主義など。言語呪術のよって来たる処であり、「みだりに神の名を唱えてはならぬ」という、一見「未開人」的な体験知の現場である、と理解。

・・・ちなみにユング派心理学者ヒルマンが、この「種子」の領域を「コトバの天使学」として議論しているが、これは構想のみにとどまり、それ以上の議論はなされていないらしいです(『意識と本質』著述の時点)。

深層(2)はまた、無時間的運動の場でもあり。全てが共時(同時)的に現成。ここで起こるのは時空的過程ではなく、「構造的過程」である、と井筒氏は言います。

・・・幾何学的認識の場、という事でありましょうか。「太極」を起点に無限増殖・展開する複素次元として描かれる、極めて緻密な複素幾何学とも言うべきもの・・・

存在「元型(セフィラ)」から成る独自の超現実的世界をカバリストは直観し、それをセフィロトとして構造化。空海の真言密教と比較すれば、これは「アレフ」真言であると言える、と井筒氏は言います。阿字真言より、語音象徴主義をさらに極端に推し進めたものである、という説明があり。

この深層(2)に現成した「セフィラ」元型は、中間層の「ある想像的地平」において、特殊なイマージュとして自己顕現。そこで人は、事物の「本質」を覚知する、というのであります。うむ、これはまさに複素解析です・・・

◆中間層(M領域)=想像的イマージュの「場」。微細体。
「元型」および「シンボル(象徴)」の構築および分節の場。意味分節が想像的イマージュに結晶する領域。

シャーマンのイマージュ体験や、曼荼羅イメージなど。この中間層は、「無限に感じる」ほどの広大な領域に渡って広がっていると言われています。神話・伝説といった説話的自己展開バージョンと、曼荼羅図などのシンボル・図形的自己展開バージョンとがある、という説明。

一般的には、中間層に上昇してきた「意味分節」には、即物的なものと非即物的なものとがあり。経験的事実性に裏打ちされた即物的なものの大多数は、即物的イマージュとなって結晶し、そのまま中間層を素通りして、表層意識に現れる。人はこれを物事の「本質」として認知する・・・。

一方、純粋に非即物的なものは、非即物的イマージュとなって結晶し、広大な中間層における一種の「想像的空間(イマージュ場)」を作る。これは、セフィロト構造化の例でも述べたとおり。逆に、「本質」として認知される即物的イマージュが、中間層に想像的空間(イマージュ場)を作る場合もある。例えば、仏教の蓮の花や、クンダリニー・ヨーガの蛇など。

即物的・非即物的のいずれにせよ、この中間層で一種のイマージュ場をつくる。表層意識から眺めるとき、こうしたイマージュ場は、「象徴的性格」を帯びたものとして認知される。要するに中間層は、一切を「想像」化する、特殊な意識空間なのである・・・という事。

(コメント)

自己展開という性質上、この中間層で時空(時間と空間)の認識が同時に発生する、と見てよさそうです。代数学的認識がようやく生まれる場、と呼びたいところ。

おそらくその中で、人間の意識は、民族や環境に応じた言語展開方程式によって、釣竿で魚を釣り上げるかのように、深部から浮き上がってきたイマージュを拾い、言語化されるところの伝統的な概念フィールド、または「想念的現実(=常識とも言う)」を、表層意識の基底部として構成するのであろう、と考えられます。

・・・「思考は言語によって構成される」。ゆえに、この広大な中間層は、民族文化を発生する始原でもある、と申せましょうか。

そこで、言語方程式が拾えなかった雑多なイマージュは、理解不能な妄想として捨てられ、再び中間層の中に漂流するのであって・・・可能性にとどまっているこれらの要素を、再び拾い上げて活用しようとするのが、神秘家であったり、呪術師であったりするのかと・・・。

代数学的認識である以上、普通の人間は、釣り糸(認識感覚)はせいぜい表層意識の底辺部までの長さであり、1本しか持てない・・・として・・・呪術師やシャーマンになると、別の認識方法(超感覚)が発生するため、この釣り糸は2本になると考えることも出来ます。2本目の釣り糸は、おそらく、「とても長い」のです。

表層意識に居て、言語(またはイマージュ)を限りなく深くするという事は、この中間層の領域をほじくり返そうとする試みに他ならない、と申せましょう。即ち、中間層の奥まで届くほどの長い釣り糸を垂らそうとする試みでもあり・・・これは芭蕉の俳句などの「詩的認識の拡大」に見られるところであります。

◆表層=表層意識。普段の我々の意識が活動する場。
妄想や幻想を「現実」から区別し、切り捨てるという意識判断が働く。意識の逆さ円錐体で言えば、円底の部分。無数の意味分節が、既に成されているところ。

(コメント)

表層だけの認識は、浅いレベルの意識であるという事らしい、という事で。目の前に展開する出来事に、いちいち反応し、かつ動揺してやまぬ「場」・・・と理解。ある程度の厚みのある「層」を構築しているのが面白いところで、因果関係を含めての認識、という意味が込められている、と思われました。いわゆる科学的認識の世界、「フラットランド」とは、この表層意識で構成される「現実」の事なのだと理解できます。

この表層における「現実」が、一般的に我々の生きられる現実であるという共通認識がある以上、これをひっくり返すのは、なかなか容易ではないと申せましょうか(自分にしても、フラットランドの方が「現実感」があるように思っています。これはニュートン以来の近代科学の独壇場、でもありますから・・・)。

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詩歌鑑賞:ゲーテ

捧げることば/『ファウスト』巻頭・ゲーテ著

また近づいてきたか、おぼろげな影たちよ。
かつてわたしの未熟な眼に浮かんだものたちよ。
今こそおまえたちをしかと捉えてみようか。
わたしの心はいまもあのころの夢想に惹かれるのか。
むらがり寄せるおまえたち。よしそれなら思うままに、
もやと霧のなかからわたしのまわりにあらわれてくるがいい。
わたしの胸はわかわかしくときめく。
おまえたちの群れをつつむ魅惑のいぶきに揺さぶられて。

おまえたちは楽しかった日の、かずかずの思い出をはこんでくる。
なつかしい人たちのおもかげのかずかずが浮かび出る。
なかば忘れられた古い伝説のように、
初恋も初めての友情もよみがえる。
苦しみは新たになり、嘆きはまたも人の世の
悲しいさまよいをくりかえす。
かりそめの幸に欺かれて、美しい青春をうばわれ、
わたしに先立って逝った親しい人々の名をわたしは呼ぶ。
初めの歌の幾ふしをわたしが歌って聞かせた人々は、
いまはそれにつづく歌を聞くよしもないのだ。
親しい人たちの団欒は散り、
最初に起こった好意のどよめきは帰ってこない。
わたしの嘆きは見知らぬ世の人々に向かってひびき、
その賞賛さえわたしの心をわびしくする。
いまも生きてわたしの声を喜んで聞いてくれる人たちも、
遠く四方にちらばっている。

しかし今わたしを捉えるのは、あの静かなおごそかな霊
たちの国への
ながく忘れていた憧れ。
わたしの歌はいまようやくつぶやきをとりもどして
おぼつかなくもエオルスの琴のようになり始める。
戦慄がわたしをつかみ、涙はつづく。
かたくなった心もしだいになごんでゆくようだ。
わたしがいま現実にみているものは遠い世のことのように
思われ、
すでに消え失せたものが、わたしにとって現実になってくる。

異世界ファンタジー試作26

異世界ファンタジー7-4王宮神祇占術省:未消化の謎あるいは問い

――というような顛末であった――と締めくくり、ウルヴォン神祇官の説明は終了した。

「はあ…全く何というか、善意から出た災厄…しかも飛び火付き…って、どうしようもないわね!」

ライアナ神祇官は呆れ返って、椅子にヨロヨロと腰かけた。全くの善意が、悪意に変化してしまう。何という虚しさ、愚かしさ。ウルヴォン神祇官は、全くの善意で行動したのである。悪意など一片も無かったのだ。もしこれが本当に最初の狙い通り成功していたなら、事態は一層ねじれるものの、一時的には一石三鳥だったであろう。

「飛び火って、どういう事なんだい、ライアナ神祇官?」
「耳かっぽじって良く聞きなさい、ウルヴォン神祇官。あんたの失敗した実験の直撃を受けたのは、私の顧客の血縁だったのよ。もう少しで、祖母より先に孫娘が死ぬという、とんでもない悲劇を目撃するところだったわ。その子、婚約者が居るのよ!巻き添えになった令嬢たちもね!あんたの実験は、ターゲットを完全に外してるじゃないの。よりによって!その破廉恥な!何処かの!悪女の!とばっちりを受けるなんて!それも《宿命の人》どころか、《死兆星》となって出現するなんて――ホントに信じられないわ!」

ウルヴォン神祇官は、本当に申し訳ない――と言った様子で、床の上に小さくなっていた。

「ごめんね」
「ごめんで済めば、この世に問題は存在しないッ!」

ライアナ神祇官はひとしきり激昂していたが、元々サバサバした性格である。怒りは激しいが、それが収まった後は、キレイさっぱり忘れるのだ。ファレル副神祇官が手際よく茶を給仕し、ライアナ神祇官は一服して、そろそろと落ち着き始めた。

老ゴルディス卿にしても、ウルヴォン神祇官のような優秀な頭脳を失うのは惜しいのだ。人知を超越する運命の力が働いたのであろう、最小限の被害で済んだことは喜ばしいことだし、ライアナ神祇官の効果的な「お仕置き」のお蔭で、ウルヴォン神祇官はこれ以上無いほど反省している。これ以降は、禁忌の領域に踏み込む事は決して無いだろうと、老ゴルディス卿はホッとしていた。

ガイ〔仮名〕占術師は手際よくウルヴォン神祇官を立たせ、最寄りの椅子に座らせた。

「ウルヴォン神祇官、幾つか確認しなきゃいけないんだが、誠実に答えてくれるね?」
「勿論です、僕に分かる事なら」

ガイ〔仮名〕占術師は早速、未消化の質問を始めた。

「問題の貴族令嬢の正体は、今でも分からないか?」
「ええ、さっき話した通りです。そもそも恋愛相談コーナーって、偽名でもOKなところだし」
「一度目は《死兆星》という形で災厄が弾けたけど、二度目はあるのか?」
「あ、それは無いです。元々不安が大きい実験って事は分かってたし、一度しか発動しないようになってます。一度発動したら、方式が壊れるようにセットしたんですよ。平民クラスのオマジナイ操作と同じです」

ライアナ神祇官が、「賢明な対応ね」と口を挟んだ。

「連続発動されたら、ローズマリー嬢の身がもたなかったわよ。あの《死兆星》のお蔭で、あっちこっち《宿命図》が歪んでしまってて。何日間も異常変位を修正する羽目になったんだから」
「ホントにごめん…」
「二度としないって、反省してくれれば良いわ――あ、そう言えば、謎の貴族令嬢の声は聞いた訳よね、ウルヴォン神祇官。もう一度聞けば分かるんじゃないの?」
「多分――だけど、余り自信は無いよ、ごめん。一応、声も美人だったよ、あの令嬢」

*****

ウルヴォン神祇官が白状した内容は、全ての個人名を伏せる形で調書に取られた。正義感に酔って暴走した一人の神祇官の愚かな行為の記録ではあったが、神祇官としての倫理を徹底するための、貴重な教訓になるはずである。

機密会議室の面々は一礼を交わし、扉を開けて廊下へと繰り出した――と、そこへ、血相を変えた衛兵が現れた。

「ちょうど良かった、神祇官の皆さま!王宮神祇官は皆、老ヴィクトール大公の案件の証拠固めに出払っていて――裁判所にて、ユーフィリネ大公女、《宿命図》暴走の事故でございます! 取り急ぎ、公爵令嬢の体調の確認、及び怪我の治療を要請します!」